12.太陽信仰
実在しない幽霊のことなど頭の中からとっとと放り出して、歩くこと数分。
僕とエルナは、村に唯一ある礼拝所へとたどり着いた。
礼拝所の前では、巫女様が箒を手に静かに掃除をしていたため、さっそく声をかける。
「こんにちは、巫女様。お手伝いに来ました」
「これは今日の狩りで獲れた果物になります。良かったら貰ってください」
「まぁ!ありがとうございます。
美味しく頂かせてもらいますね!」
巫女様は掃除の手を止め、柔らかな笑みを浮かべながら礼を言ってくれた。
フィリナ族には、太古の昔から太陽信仰が根付いている。
太陽は世界を照らし、命を育む“母”として崇められ、その光の恵みに感謝の祈りを捧げることは、日常の一部となっていた。
フィリナ族が死した後は、太陽の下で火葬が執り行われる。立ち上る煙に乗って、魂が旅立つのを、母なる太陽が見送ると信じられている。
元日本人としては、宗教にはあまり深く傾倒できずにいた。
だが、それも八十年前の襲撃を境に、価値観が大きく変わった。
襲撃によって、ルフェイル様をはじめ、多くの同胞の命と、平和な日常が奪われた。
失ったものはあまりにも多く、僕は立ち上がることすらできなかった。
そしてそれは――他の同胞たちも同様だった。
フィリナ族は、心視石によって感情を共有しているがゆえに、その場にいる大多数が絶望すると、それが周囲に伝染し、全員が同じ絶望を味わうことになる。
これは、心視石を持つフィリナ族だからこその弱点と言っていい。
僕らは、誰一人として立ち上がれなかった。
――だが、エルナの父である族長ソレインだけは違った。
彼は一人立ち上がり、皆を鼓舞し始めた。俯き、廃人になりかけていた数十人の同胞が衰弱死しないよう、休むことなく世話を続けたのだ。
同じ絶望を共有しているはずだからこそ、その姿は強く心を打った。
自身も傷だらけになりながら、必死に同胞を救おうとする族長の姿を見て、一人、また一人と、族長を手伝う者が現れ始めた。
巫女様もまた、その一人だった。
信仰は、闇を払い、行く末を照らす一助となった。目の前に広がる巨大な絶望と向き合うためには、自身の気持ちを整理し、確固たる意志を持つ必要があったのだ。
絶望に呑まれても、体は空腹を訴えた。皆で分け合った果物の味は一生忘れない。当たり前のように享受してきた太陽の恵みが、どれほど僕たちを支えてくれていたのかを、その時ようやく実感した。
巫女様の言葉を受け止め、太陽に感謝を捧げた。僕はこの時、初めて本気で祈った。
そうして捧げた感謝は、確かな活力となって返ってきた。
ルシウスを筆頭に村の再建を進め、お互いに助け合いながら今日までを生き抜いたことで、失われた笑顔を取り戻すことができた。
だからこそ、暇があれば巫女様の手伝いをしよう、という者は多い。
「では、掃除は私とセルフィも手伝いますね。
他に何か困ったことはありますか?」
「大丈夫ですよ。皆さんがよくしてくれますからね。
最近は食事も満足に取れますし、重い怪我や病気をする人もいませんから」
そう言ってほほ笑む巫女様は、本当にうれしそうだった。
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手伝いを終え、エルナとも別れた後、僕は一人で自宅へと向かった。
礼拝所を出る頃には、太陽はすでに西へと傾き、村全体が柔らかな橙色に染まっていた。
石畳の道を歩くと、どこからか夕餉の支度を始める匂いが漂ってくる。
子供たちの笑い声も、昼間より少し落ち着いた調子で耳に届き、村が一日の終わりへと向かっているのが分かった。
自宅に戻ると、まずは狩りで使った道具の後片付けを済ませた。血や汚れを落とし、刃の欠けを確かめ、弓の弦を緩める。
こうした作業は慣れたもので、無心になって行うことであっという間に完了した。その後に簡素な夕食を取り、食器を片付け終えた頃には、外はすっかり夕闇に包まれていた。
寝る前に、いつもの日課を行う。
静かな室内で棚に近づき、そこに置かれていた手のひらほどの大きさの琥珀を、そっと取り出した。
それは、かつてルフェイル様が手にしていた杖に嵌め込まれていた、世界樹の琥珀だった。襲撃の後、彼の遺体を回収した際、奇跡的に見つかった。杖そのものは無残にも粉々に砕け散っていたが、この琥珀だけは、まるで守られていたかのように傷一つ付いていなかった。
布で丁寧に磨くと、琥珀からは微かに聖気が滲み出し、指先に温もりが伝わってくる。
この八十年、毎晩欠かさず磨き続けてきた。そのたびに、極わずかな魔力が琥珀に触れ、少しずつ、少しずつ馴染んでいった。今では聖気そのものを操れるほどになっている。
この琥珀を使えば、戦うための力を手に入れることはできるだろう。だが、そうするつもりはなかった。
これは世界に一つしか存在しない貴重品だ。その所有権はエルフ王家にあり、何より、ルフェイル様が遺した形見でもある。
勝手に使えるはずもないし、仮に力を得られたとしても、自分一人だけが強くなったところで意味はない。
磨き終わった琥珀を棚に戻し、静かに息を整える。
そして意識を切り替え、昼間にエルナから聞いた幽霊の囁きについて考えることにした。
幽霊という非現実的な存在については、いったん脇に置く。それよりも問題なのは、心視石を用いた同調や念話という現象そのものだ。
この技術を活用できれば、現状で最も深刻な戦力不足という課題を解決できる可能性がある。怖いからといって、目を背けているわけにもいかなかった。
――まずは、状況を整理しよう。
心視石による同調や念話は、あくまで同胞であるフィリナ族にしか作用しない。
少なくとも、これまでそう教えられてきたし、実際にエルフ族相手では一度も成功したことがない。
それなのに、昼間、確かに“声”を受け取った。
……やっぱり、襲撃で死んだ同胞の幽霊なんだろうか?
……いやいやいや、違う違う。そんな訳ない。
頭を振って余計な思考を排除する。
ここで考えるべきは、“本当に、フィリナ族以外と同調して念話を繋ぐことは不可能なのか”、ということだ。
「そういえば……」
そこまで考えたところで、ふと、ある出来事を思い出した。
以前、僕の魔力を込めた魔晶石を無くして、ひどく慌てたことがあった。
必死に探し回っても見つからず半ば諦めかけた時、ふと棚の下を覗いたら、そこに転がっていたのを発見したのだ。
……あの時は偶然だと思っていた。
だが今になって考えると、別の可能性が浮かぶ。
――魔晶石に意識を集中し続けていたことで、知らず知らずのうちに同調していたのではないか。
それなら、はっきりと「場所が分かった」感覚があったことにも説明がつく。
本来、同調というのは、心視石という繋がりを介し、その結びつきを強化することで発動する現象だ。
だとすれば、僕自身の魔力――ある意味で最も僕と深く結びついているものを対象にすれば、魔晶石と同調できる可能性は十分にあるのでは。
……うん。
この仮説は、普通にありえそうだ。
でも、これでも昼間の念話の謎は解決しない。
仮に魔晶石に同調できたとしても、それは“僕自身の魔力”という部分が大きい。そうでなければ、やはり同胞以外の第三者と念話するのは現実的じゃない。
……………じゃあ、本当に昼間の念話は何だったんだろう。
「はぁ……考えすぎて、頭が痛くなってきた」
喉の渇きを覚え、水瓶から水をすくって口に含む。
冷たい水が喉を通り、乾いた内側を潤していくのを感じた。
喉の渇きが満たされると同時に、張り詰めていた思考も少しだけ緩み、思わずため息が出る。
――そういえば、エルナは幼い頃に同じ現象に見舞われたと言っていたな。
なら、この場でも“あの念話”を受け取れるのだろうか。
そんな考えがふと頭をよぎり、試すように周囲へと意識を広げてみた。
すると――
≪……≫
「ッ!?」
――本当に、昼間と同じ念話を受け取った。
しかも周囲に誰もいないせいか、その存在感はあの時よりもはっきりとしている。
……背中に、じっとりと嫌な汗が流れた。
本当に、これは何なのだろう。
同調して繋がるだけならともかく、念話まで受け取れるということは、相手の思念を感知しているということだ。
つまり――相手は生物であるはずだ。
なのに。
念話からは確かに“そこにいる”と感じるのに、視線を向けた先には、何もいない。
≪……≫
「……」
心視石が捉える感覚が、わずかに、だが確実に――ずれた。
移動……している。
“なにか”が、確かに、ゆっくりと動いている。
見えないまま、音もなく、存在だけを主張しながら。
……やばい。
やばいやばいやばい!!
理屈で説明しようとした思考が、一気に崩れ落ちる。
これはもう――確実に幽霊だ。
八十年前に死んだ同胞の亡霊が、今もこの村を彷徨っているんだ。
そう理解した瞬間、“なにか”がこちらに向かって近づいていることに気づいた。
距離が、縮まっている。
「~~~~ッ!!!!!」
考える余裕はなかった。
とにかく僕は全力で、ルシウスの家へと駆け出した。




