第92話 夜襲
西の森から戻る頃には、空はもう夕方の色に沈み始めていた。
拠点から領都へ戻る馬車の中、俺とノルの間に無駄な会話はほとんどなかった。
考えるべきことが多すぎたからだ。
洞窟。
見張り。
奪われた荷。
灰牙狼の群れ。
そして、ガザルの名。
ただの盗賊退治で済む話ではない。
少なくとも、俺にはそう思えた。
領都へ戻ると、そのまま父上の執務室へ向かう。
「失礼します」
中へ入ると、父上はまだ執務机の前にいた。
夕方だというのに疲れた様子は見せない。
地図と書類を前に、こちらを見上げる。
「戻ったか」
「うん」
俺とノルは、森の奥で見たものを簡潔に伝えた。
洞窟があること。
人の出入りがあったこと。
入口近くに見張りが潜んでいたこと。
奪われた荷と思しき木箱があったこと。
洞窟の奥から作業音と人の声がしたこと。
そして、ガザルの名が聞こえたこと。
父上は最後まで黙って聞いていた。
「……《灰狼の牙》の拠点である可能性は高いな」
「はい。高いどころではありません」
ノルが低く言う。
「奪われた荷、人さらいの痕跡、見張り、そしてガザルの名。拠点の一つであることはほぼ間違いないかと」
父上は地図へ目を落とした。
西の森の位置、その奥の未開地、森の手前の前線拠点、領都からの道。
頭の中で必要なことをすでに組み上げている顔だった。
「放置はできん」
短い一言だった。
「今夜叩く」
俺は小さく息を吐いた。
迷いのない判断だった。
「朝まで待たないの?」
思わず聞くと、父上は地図から目を離さずに答えた。
「待てば、荷も人も移される可能性がある。洞窟という固定拠点を持っている今が好機だ。こちらが見つけたと悟られる前に動く」
その通りだった。
朝を待てば、向こうに考える時間を与える。
逃げられるか、証拠を焼かれるか、どちらにしても面倒だ。
「騎士団を出す。ノル」
「はっ」
「精鋭を選べ。数は出しすぎるな。洞窟内で動きづらくなる」
「承知しました」
「ギルドにも口止め込みで協力を求める。だが、情報は最小限に絞れ。噂が先に回るのが一番まずい」
父上の指示は速かった。
しかも、必要なことが最初から整理されている。
その様子を見ながら、改めて思う。
領主っていうのは、決めるのが仕事なんだな、と。
そこで父上がこちらを見る。
「リオン」
「はい」
「お前は今回は屋敷に残れ」
予想していた言葉だった。
でも、ここで引く気はない。
「嫌だ」
父上の眉がわずかに動く。
ノルは横で黙ったまま成り行きを見ている。
「お前が洞窟を見つけたのはわかっている。だが、夜襲だ。学院の模擬戦とは違う」
「それもわかってる」
俺は一歩だけ前に出た。
「でも、俺が見た見張りの位置、入口の死角、周囲の地形は俺が一番わかってる。綻びも見える。そこは連れて行った方が絶対にいい」
父上はすぐには返さなかった。
反対しているというより、どこまで認めるかを測っている顔だった。
「単独行動はしない」
父上が言う。
「ノルの指示に従え。勝手に奥へ走るな。無茶はするな」
「……うん」
そこでようやく、父上は小さく頷いた。
「なら同行を許す」
ノルが口を開く。
「私が預かります」
「頼む」
父上はそう言って、今度は俺ではなく完全に領主の顔へ戻った。
「捕縛できるなら生け捕り優先だ。だが、こちらの死人は出すな。抵抗が強ければ制圧を優先しろ」
「はっ」
そこで会話は終わった。
もう、準備の時間だった。
◇
夜の領都は昼とは違う静けさを持っていた。
騎士団の詰め所では、選ばれた者たちが淡々と装備を整えている。
無駄口は少ない。
革鎧の擦れる音。剣帯を締める音。小さな確認の声。
ノルが編成したのは、洞窟内でも動ける最低限の人数だった。
前で制圧する者。
拘束する者。
外で逃走路を押さえる者。
数は多くない。
でも、明らかに精鋭だった。
俺も装備を見直す。
木剣ではない。だが、長剣を振り回すつもりもない。
森と洞窟の中だ。長物は邪魔になる。
短めの剣と、魔法で十分だ。
「緊張していますか」
横からノルが聞いた。
「少しは」
「結構」
ノルは短く答えた。
「緊張しない人間の方が、実戦では危ない」
「ノルは?」
「しますよ」
「そうは見えないな」
「見せないだけです」
その言い方に、少しだけ笑う。
やっぱりこの人は頼れる。
準備が整うと、俺たちはそのまま西の森へ向かった。
夜の街道は昼よりずっと長く感じる。
月明かりはあるが、森へ近づくほど闇が濃くなる。
足音を抑え、声を潜め、馬も途中で降りて歩かせる。
前線拠点の手前で馬を止めると、そこからは徒歩だった。
昼間見た木材置き場も、売店も、今は静まり返っている。
焚き火の残り火だけが小さく揺れていた。
「ここから先は声を落とせ」
ノルの声に、全員が頷く。
俺たちはそのまま森へ入った。
夜の森は昼よりずっと狭く感じる。
木々の間が詰まり、闇が近い。
昼に見たはずの倒木や小川も、夜だとまるで別物みたいだった。
それでも、洞窟までの道は頭に入っている。
倒木を越え、小川を渡り、少し登る。
やがて前方に岩肌が見え始めた。
ノルが手を上げ、全員が止まる。
俺は呼吸を整え、洞窟の入口付近へ意識を集中した。
すると、視界の端に淡い文字が浮かぶ。
《対象:洞窟入口周辺》
《綻び:右側岩陰の死角》
《警告:見張り一》
やっぱりいる。
俺はノルの耳元へ口を寄せた。
「右の岩陰。昼と同じ位置に一人」
「了解」
ノルは手振りだけで二人を動かした。
音もなく左右へ散る。
ほんの数秒後、短い呻き声が一つだけ上がって、すぐに消えた。
見張り制圧。
早い。
「入口、開けます」
ノルが囁く。
俺は頷いた。
洞窟の中は、思っていたより広かった。
自然の穴をそのまま使っているのではなく、少し手を入れて広げている。
だから昼に聞いた掘る音だったのだろう。
粗末な寝床。
積み上がった木箱。
酒瓶。
食料袋。
縄。
乱雑に置かれた武器。
そして、奪われた荷。
さらに奥には、小さな檻まで見えた。
今は空だが、人を閉じ込めていた形跡は十分すぎるほどある。
胃の奥が少しだけ冷たくなる。
ただの盗賊団じゃない。
その時、洞窟の奥から声がした。
「おい、外の交代まだか――」
次の瞬間、その男がこちらに気づいた。
「敵――」
最後まで言わせる前に、俺は熱線を走らせた。
足を抜く。
悲鳴と同時に男が崩れ、洞窟内が一気に騒がしくなる。
「敵襲だ!」
「起きろ!」
「剣を持て!」
ここからは早かった。
ノルが前へ出る。
騎士たちが続く。
狭い通路の中で数の利を殺し、一人ずつ制圧していく。
盗賊たちも抵抗した。
だが、昼に見た三人よりは明らかに手慣れているとはいえ、統制は甘い。
寝起きと混乱もある。
俺は後ろから足を止める。
熱線で脚を抜き、火球は小さく圧縮して打ち込む。
洞窟の中で火力を上げすぎるわけにはいかない。
崩落も、味方の巻き込みも避ける必要がある。
その制御が思った以上に難しい。
でも、学院の実技試験よりよほど意味がある。
前に出た騎士が押し込まれそうになる。
その横を熱線が走り、盗賊の足首を貫く。
ノルの剣が、そのまま男の喉元へ止まる。
「動くな」
低い声。
男は青ざめたまま剣を落とした。
別の二人が奥へ逃げようとする。
俺は風で足元の砂を巻き上げ、視界を切る。
その隙に騎士たちが組みつき、地面へ押さえ込む。
洞窟の中に怒号と呻き声が満ちる。
数分にも満たないはずなのに、やけに長く感じた。
そして、最後の一人が剣を落とした時、ようやく騒ぎが途切れた。
「制圧完了!」
騎士の声が響く。
俺は息を整えながら、洞窟の奥へ目を向けた。
奪われた荷はかなりあった。
木材、食料、布、道具、薬草。
見覚えのある包装も混じっている。
《灰狼の牙》の拠点で間違いない。
だが――
「ガザルはどこだ」
ノルが捕らえた盗賊の胸倉を掴んで問う。
男は怯えた顔で首を振る。
「し、知らねぇ! 本当だ! 親分は今朝にはもうここを出てた!」
「どこへ向かった」
「知らねぇ! 俺たちみてぇな下っ端には何も言わねぇんだよ!」
俺は洞窟の中をもう一度見回した。
本命はいない。
寝床は多い。
荷もある。
だが、中心の人間が直前に抜けた気配がある。
「逃げた、か……」
思わず低く呟く。
そこで、洞窟の奥に転がっていた紙切れが目に入った。
踏まれて汚れていたが、何か書いてある。
拾い上げる。
乱れた字で、日付のようなものと、荷印の走り書き。
完全には読めない。
でも、一つだけわかる。
次の動きがある。
「ノル」
「はい」
紙を渡すと、ノルの目が細くなった。
「本命は逃げた。だが、手ぶらではないですな」
「うん」
洞窟は押さえた。
盗賊も捕らえた。
奪われた荷も見つけた。
でも、終わりじゃない。
むしろ、ここからだ。
ノルが静かに言う。
「本命は逃げていますな」
俺は洞窟の奥の闇を見つめた。
《灰狼の牙》。
ガザル。
西の森の洞窟。
ようやく敵の輪郭が見えた。
だったら、次はもう受け身でいる必要はない。
ガザルは逃げた。なら次は、こちらから追う番だ。
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