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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第2章 ハル領の発展

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第9話 王都より、ハル領

 バスクが王都へ送られてから、屋敷の空気は少しだけ軽くなった。


 廊下を歩く使用人たちの足取りは、まだ慎重ではある。

 だが以前のような、常に誰かの顔色をうかがう張りつめた重さは薄れていた。


 北倉庫は封印され、帳簿の整理が進められ、父の薬も母と侍医、それから俺の目を通して管理されるようになった。


 ようやく、この家は息をし始めた。


 その日の午後、俺は父と母に呼ばれて、執務室の奥にある小さな書庫へ入った。


 長机の上には、古びた台帳や巻物、領地の地図、そしてハル家の家系記録が並んでいる。

 いかにも「家の話をする場所」だった。


 父ガルドは椅子に腰かけ、机の端を軽く指で叩いた。


「リオン。お前も、そろそろ知っておくべきことがある」


「何を?」


「ハル家の立場だ」


 父は一冊の古い記録を開いた。


「この国には爵位がある。上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だ」


 母が静かに続ける。


「爵位が高いほど、王都での役目も重くなるの。大きな会議、軍務、婚姻、社交、王家との関わり……良くも悪くも、田舎の領地だけ見ていれば済む立場ではなくなるわ」


 父が頷いた。


「ハル家は子爵家だ。王都では大貴族とは言えん。だが、地方では一つの領地を預かる家として、それなりの責任を持つ」


 子爵。

 予想通りだ。


 前世の俺が知っていた西洋風の爵位感覚とも、大きくはずれていない。

 侯爵や公爵まで行けば、もう領地経営だけやっていればいい世界ではないのだろう。


 父は少しだけ苦笑した。


「王都の大貴族から見れば、我らは地方の小領主にすぎん。だが、そのぶん王都のしがらみは少ない。今までは、それが良いことでもあり、悪いことでもあった」


「悪いことって?」


「目が届きにくい、という意味だ」


 父の声は低かった。


「中央の目が薄い領地ほど、内側から腐りやすい。今回のようにな」


 俺は黙って頷いた。


 たしかにそうだ。

 上に見られていない組織は、自由であると同時に、腐る自由も持つ。


 前世でも似たようなものだった。

 小さな会社は意思決定が早い。だが監査も弱いし、距離が近いぶん裏切りの傷も深い。


 母がこちらを見る。


「リオン。あなたは今回、大きな働きをしたわ。でも、そのことで王都の目が向くかもしれない」


「向くだろうね」


 たぶん、もう向いている。


 バスクの件は地方の家中不和で終わる話じゃない。

 闇ギルド、毒、暗殺未遂、帳簿改ざん。王都が無視するには材料が揃いすぎている。


「もし今後、お前の働き次第でハル家の評価が上がれば」


 父は少しだけ言いづらそうにした。


「爵位を上げる話も、ないとは言い切れん」


 俺は思わず顔をしかめた。


 それを見て、母が目を丸くする。


「……嫌そうね」


「嫌だよ」


 はっきり言うと、父と母が揃って少し驚いた顔をした。


「普通は、もっと喜ぶところではないのか」


 父の問いはもっともだ。


 でも、俺にとっては違う。


「爵位が上がると、王都の仕事が増えるんでしょ」


「増えるな」


「会議も、付き合いも、変な儀礼も、面倒な親戚筋も増えるよね」


「……まあ、そうだな」


 父の返事が少し苦くなる。


 図星らしい。


「だったら嫌だよ」


 俺は机の上の地図へ目を落とした。


「上に行けば行くほど、やることが増える。そのくせ本当に大事なことから遠くなる。人が増えて、役目が増えて、しがらみが増えて、気づいたら“何のために働いてるのか”わからなくなる」


 前世で何度も見た光景だった。


 会社が大きくなれば楽になるわけじゃない。

 むしろ余計な会議、調整、顔色うかがい、責任回避が増える。

 現場から遠い人間ほど、もっともらしいことを言う。


 俺は前世でそれに疲れた。

 だから今世では、できるだけ同じ場所へ行きたくない。


「俺は出世したいわけじゃない」


 言いながら、自分でもそれがよくわかった。


「この田舎で、領民と家族と、それから自分がちゃんと快適に暮らせればいい。王都で偉くなることには、あんまり興味がない」


 部屋が少し静かになる。


 父はじっと俺を見ていた。

 母は、意外そうな、でもどこか安心したような顔をしている。


「……欲がないのか、現実的なのか、判断に困るな」


 父のその言葉に、俺は少し笑った。


「どっちでもいいよ。でも、今のハル領を見てると、王都で偉くなる前にやることが山ほどあるでしょ」


 痩せた畑。

 崩れかけた水路。

 抜かれた物資。

 脆い財務。

 怯えた使用人。


 家の中の腐敗を切っただけじゃ何も終わっていない。

 むしろ、ようやくスタート地点に立ったところだ。


「そのためには、まず領地を知らなきゃいけない」


 俺は机の端に置かれていたハル領の地図を広げた。


 古い羊皮紙に描かれた地図は、思ったより雑だった。

 村の位置、水路、畑、森、兵舎、倉庫。最低限の記載はあるが、現状を正確に映しているとは言いがたい。


「知る、とは?」


 父が問う。


「全部だよ」


 俺は指で地図をなぞる。


「畑がどこで痩せてるか。水路のどこが死んでるか。村ごとの人手。兵糧の保管。税の取り方。倉庫の動線。兵の数と質。冬に困る場所。病人が多い村。商人が嫌がる道。全部」


 言いながら、少し楽しくなってきた。


 やることが多い。

 面倒も多い。

 でもこれは、前世のように“誰かに奪われる会社”を延命させるための仕事じゃない。


 ちゃんと、自分たちが暮らす場所を良くするための仕事だ。


「領地を立て直したいなら、まず現場だ」


 父がわずかに眉を上げる。


「現場、か」


「うん。帳簿も見る。でも帳簿だけじゃわからない。人の顔を見て、土を見て、水を見て、倉庫を見て、村の空気を見ないと」


 前世でもそうだった。


 報告書だけで会社は救えない。

 現場へ行かない経営者は、最後には数字に騙される。


「だから、しばらく王都の話は後回しでいい」


 俺は父と母を見た。


「俺はまず、この領地を知る」


 母がふっと微笑む。


「本当に、あなたらしいわね」


「そうかな」


「ええ。偉くなりたいのではなく、ちゃんとしたいのね」


 その言い方は、少しくすぐったかった。


 父はしばらく黙っていたが、やがて机の上の地図を見下ろし、小さく頷いた。


「……なら、見てこい」


「いいの?」


「領地を知ると言ったのはお前だ。口だけでは困る」


 少しだけ昔の父らしい、意地の悪い言い方だった。

 でもそのほうがむしろ良かった。


「明日から、近場の村と水路を見に行け。ノルをつける。ミアも記録係として同行させよう」


 ミアの名前が出たのが少し意外で、俺は父を見た。


「ミアでいいの?」


「お前の話では、あの娘は記録や補佐に向いているのだろう」


「……うん」


「なら使え」


 父はそう言ってから、ほんの少し口元を緩めた。


「人を見るのも、領主の仕事だ」


 それはたぶん、父なりの信頼だった。


 俺は素直に頷く。


「わかった」


 その時だった。


 広げた地図の上に、薄青い文字がふっと浮かんだ。


 《北村:労働不足》

 《西水路:崩落予兆》

 《南畑:収量過小》

 《兵舎:士気低下》

 《徴税経路:不透明》


 思わず目を細める。


 地図と台帳だけでも、ここまで出るのか。


 父と母には見えていない。

 当たり前だ。この目は俺だけのものだ。


「どうしたの」


 母が尋ねる。


「いや」


 俺は地図の上に手を置いた。


「思ったより、忙しくなりそうだなって」


 父が鼻で笑う。


「今さらだ」


「だね」


 でも、それでいい。


 王都で高い椅子に座りたいわけじゃない。

 このハル領で、ちゃんと暮らせる場所を作りたい。


 家族が安心して眠れて、領民が明日の飯に怯えなくて、自分も余計な裏切りやしがらみに削られずに済む場所。


 そのためなら、いくらでも働ける。


 俺はもう一度、地図を見下ろした。


 綻びだらけだ。

 でも逆に言えば、手を入れる余地だらけでもある。


「よし」


 小さく呟く。


「まずは、北村と西水路からだな」


 窓の外では、痩せた風が春の名残の雲を押していた。

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