第8話 裁き
その日の午後、ハル家の大広間には、家臣と主だった使用人たちがすべて集められていた。
空気は重い。
誰もが、ただ事ではないとわかっている顔をしていた。
上座には父ガルド・ハル。
顔色はまだ悪い。だが今日は寝台ではなく、領主の椅子に座っていた。
その右に母エマ。
左に俺。
正面には、筆頭家臣バスクと、その取り巻きだった家臣が数名。
そして少し離れた位置に、レナ、ロド、ノル、さらに昨日取り押さえた灰色外套の男が兵に押さえられている。
大広間の中央の長机には、証拠が並べられていた。
切られた鞍帯。
北倉庫の帳簿。
裏帳簿の焼け残り。
父の薬碗と、レナの袖から出た紙包み。
灰色外套の男が持っていた、王都の闇取引に通じる符牒。
逃げ道を残さない並びだった。
「始める」
父の声は弱々しかったが、はっきりと広間に響いた。
ざわめきが消える。
「本日ここに集まってもらったのは、ハル家の中で起きた不正と害意について、領主として判断を下すためだ」
父は一度息を整え、それから視線をまっすぐバスクへ向けた。
「筆頭家臣バスク。お前には、北倉庫の横流し、帳簿の改ざん、領内財の横領、さらに私とリオンに対する加害の疑いがある」
広間に緊張が走る。
バスクは膝をついたまま、いつもの穏やかな顔を崩さなかった。
「身に覚えのないことばかりにございます、ガルド様。何者かが私を陥れようとして――」
「黙れ」
父の声が落ちる。
その一言だけで、場の空気が変わった。
今までの父なら、ここで少し言い淀んでいたかもしれない。
だが今日は違った。
「弁明はあとで聞く。先に証を並べる」
父は母に目配せし、母が静かに頷く。
最初に進み出たのはノルだった。
「昨日、北水路にてリオン様の馬具に細工があったことを確認いたしました。こちらの鞍帯、自然に切れたものではございません。刃を入れて弱らせた跡があります」
続いてロドが震えながら出る。
「お、俺は……北倉庫の件で、バスク様の指示を受けて……帳簿の数字を合わせろと……。湿気損耗に見せかけろと……言われました……」
広間がざわついた。
「ろ、ロド! 何を――」
バスク派の家臣の一人が声を荒げたが、父が睨むとすぐに口を閉じた。
次にレナが出る。
まだ青ざめていたが、母の後ろに立つことで、昨日よりは幾分落ち着いている。
「わ、私は……旦那様のお薬に、粉を混ぜるよう命じられていました……。逆らったら弟を仕事から追い出すと……」
「誰に命じられた」
父の問いに、レナは唇を震わせ、やがて小さく言った。
「……バスク様、です」
今度こそ、広間がどよめいた。
バスクはついに顔色を少し変えたが、それでもなお崩れない。
「侍女ひとりの怯えた証言で、私を裁かれるおつもりですか。あまりに軽率――」
「ならこれはどうだ」
俺は長机の上の符牒を持ち上げた。
「昨日、水路脇で俺を襲った男が持っていたものだ」
灰色外套の男が兵に肩を押さえられたまま舌打ちする。
俺は続けた。
「この男は“事故”の直後に俺へ止めを刺しに来た。つまり、落馬だけじゃ終わらせないつもりだった。そこまでやる理由がある人間は限られる」
「子どもの推測ですな」
バスクが薄く笑った。
「それだけで私を――」
「推測だけじゃない」
俺は焼け残った帳簿の切れ端を机に置いた。
「北倉庫の不足が増えた時期。父上の衰弱が進んだ時期。闇取引に使われた裏金の流れ。全部が重なってる」
父が机に手を置き、低く告げる。
「そして、その金の管理権限は、お前にあった」
バスクの沈黙が、何より雄弁だった。
もう取り繕う余地はない。
周囲の家臣たちも、それを感じ取っている。
しばらくして、父は静かに言った。
「筆頭家臣バスク」
広間の全員が息を呑む。
「本日この時をもって、お前の筆頭家臣職を剥奪する。屋敷内の出入り権限、財務印、倉庫印、すべて没収。お前に連なる者のうち、不正への関与が認められる家臣も同様に拘束する」
兵が一斉に動いた。
バスク派の家臣たちが顔色を変える。
二人は何か言いかけ、三人目はその場で膝をついた。
「ま、お待ちください!」
「私はそこまで――」
「違います、私は命じられて――」
「言い分は王都で述べろ」
父のその一言で、広間は再び静まった。
「闇ギルドに通じ、領主家へ毒を盛り、後継ぎの暗殺を図った。これはもはやハル家だけで裁ける話ではない」
父はゆっくりと息を吸う。
「バスク、お前と関与者は、証拠一式とともに王都司法院へ送る」
その言葉の重みを、誰もが理解した。
王都送り。
それは単なる失脚ではない。
地方領内の争いでは済まず、国の司法が動く案件だという宣言だった。
バスクはそこで初めて、笑みを完全に失った。
「……ガルド様。長年仕えてきた私を、ここまで――」
「長年仕えたからだ」
父は遮った。
「長くこの家にいた者が、この家を内側から食い潰していた。その罪は重い」
言い切る父の声は震えていた。
だが、それでも逃げなかった。
俺はその横顔を見ていた。
この人は弱い。
でも、今日だけはちゃんと領主だった。
兵がバスクの両腕を取る。
バスクはなお何か言おうとしたが、もう広間にその声を聞く空気はなかった。
去り際、バスクは一度だけ俺を見た。
恨みと殺意が、まるで隠されていない目だった。
けれどもう遅い。
お前の綻びは、表に出た。
兵に連れていかれるバスクを、誰も止めなかった。
◇
大広間のざわめきが消えたあと、父はひどく疲れた顔で自室へ戻った。
俺と母だけが残る。
部屋に入るなり、父は長椅子にもたれ、しばらく何も言わなかった。
沈黙のあと、やがて小さく息を吐く。
「……情けないな」
それが第一声だった。
母がそっと父の肩へ手を置く。
父はその手を見てから、今度は俺を見た。
「リオン」
「うん」
「私は、お前を見誤った」
その言葉は、思っていたより真っ直ぐだった。
「《綻びの目》を授かったと聞いた時、私は……がっかりした。あの時、お前がどんな顔をしていたかも見ていなかった」
父は視線を落とす。
「父としても、領主としても、失格だ」
部屋は静かだった。
父の謝罪は、言い逃れのない本物だった。
「俺は気にしてないよ」
そう言ってから、少しだけ言葉を足す。
「……いや、少しは気にしたかもしれない。でも、もういい」
父がゆっくり顔を上げる。
「今日、父上はちゃんと裁いた。それで十分だよ」
母が小さく微笑んだ。
父はしばらく黙っていたが、やがて目を細める。
「お前は、十二とは思えぬ働きをした」
「このスキルが、思ったより役に立っただけだよ」
父はかすかに首を振った。
「……それでもだ」
そして、はっきりと言った。
「ハル家を救ったのは、お前だ」
胸の奥が少し熱くなった。
前世では、頑張っても、支えても、最後に残ったのは裏切りと疲労だけだった。
でも今は違う。
ちゃんと見てくれる人がいる。
俺は父を見返し、静かに頷いた。
「じゃあ、これからもやるよ」
「何をだ」
「領地を立て直す」
痩せた畑。
壊れかけた水路。
抜かれた金。
怯えた使用人たち。
バスクを切っただけじゃ、終わらない。
ここからが本番だ。
「父上と母上に、もうあんな顔はさせない」
父は少し驚いたように俺を見て、それから微かに笑った。
「……頼もしいな」
「うん。頑張る」
今度ははっきりとそう言えた。
◇
数日後。
王都の司法院。
重い石壁に囲まれた取調室で、バスクは机の向こうに座らされていた。
その顔から、地方領の筆頭家臣だった頃の余裕は消えている。
机の上には、押収された証拠と調書の束。
暗殺未遂。
横領。
帳簿改ざん。
闇ギルドとの接触。
罪状は、もはや地方で揉み消せる量ではなかった。
隣室では、記録官たちが調書を整理している。
そのうちの一人が、頁をめくる手を止めた。
「……ハル領領主子息、リオン・ハル。年齢、十二」
淡々と読み上げた声に、部屋の隅にいたもう一つの人影が反応する。
深い色の外套。
窓辺に立ったその人物は、差し込む夕光の中でわずかに振り返った。
「どうした」
「いえ。少し珍しくて」
記録官は調書を見下ろしたまま言う。
「北倉庫の横流し、領主への毒物混入、暗殺未遂。最初にそれらの綻びを繋げたのが、この十二歳の子どもだそうです」
外套の人物は黙ったまま、数歩こちらへ寄る。
「十二歳で?」
「はい。地方の小領地にしては、ずいぶん面白い事件です」
短い沈黙。
やがてその人物は、調書の上に記された名前を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……リオン・ハル、か」
低い声だった。
「少し、興味が出たな」
窓の外では、王都の夕鐘が鳴っていた。
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