表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第2章 ハル領の発展

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/70

第10話 働き手のいない村

 翌朝、まだ空気の冷たい時間に、俺たちは屋敷を出た。


 同行はノルとミア。

 馬に乗るのは俺とノルだけで、ミアは小柄な栗毛の牝馬に帳面と筆記具を括りつけていた。


「緊張してる?」


 並んで門をくぐる時にそう聞くと、ミアは少しだけ肩を揺らした。


「……少しだけです」


「少しだけ、ね」


「かなりです」


 正直でよろしい。


 ノルは何も言わず、手綱を軽く引いた。

 朝靄の向こうに、痩せた畑と低い森が続いている。


 北村まではそう遠くない。

 だが、近いからといって楽な話とも限らない。


 地図の上で見た《北村:労働不足》の文字が、頭の隅に残っていた。


 ◇


 北村に入って、最初に感じたのは静けさだった。


 鳥の声はする。風も吹いている。

 なのに、人の気配が妙に薄い。


 畑へ目を向けると、その理由はすぐにわかった。


 鍬を振るっているのは、腰の曲がった老人。

 水桶を運んでいるのは、十にも満たない子ども。

 畝の間を歩いている女たちの顔も疲れている。


 働き盛りの男がほとんどいない。


 視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。


 《慢性労働不足》

 《栄養状態:低下》

 《人手流出:継続》

 《七日以内に収穫遅延拡大》


 帳簿の一言より、ずっと重い。


「……これは」


 ミアも言葉を失っていた。


 村の入口近くにいた老人が、こちらを見るなり目を細めた。


「領主様のところの……坊ちゃんか」


 歓迎の色はない。

 むしろ露骨に硬い。


 他の村人たちも、手は動かしたままこっちを見ている。

 近寄ってくる者はいない。


 ノルが低く言った。


「北村の村長を呼ばせましょうか」


「ううん。先に歩いて見る」


 馬を下りる。

 土の上へ靴底を置くと、思ったより軽い。水気が足りない土だ。


 畑の脇にしゃがみ込み、土を指でつまむ。細かい。乾いている。

 ただ乾いているだけじゃない。痩せている。


 《地力低下》

 《有機肥料不足》

 《取水量不足》

 《西水路依存:高》


 やっぱり水か。


「坊ちゃん、服が汚れますよ」


 さっきの老人が、皮肉とも心配ともつかない声を投げてきた。


 俺は立ち上がって笑った。


「汚れたら洗えばいいよ。それより、この土のほうが問題だ」


 老人の眉が少しだけ動いた。


「……土がわかるんですか」


「まだ見始めたばかり」


 本当のところ、土の専門家じゃない。

 だが、《綻びの目》が出す情報と、前世で見てきた現場の感覚を合わせれば、わからないなりに当たりはつけられる。


「村長さんはいる?」


 老人は少し黙ってから、顎で村の奥を示した。


「納屋の前に」


 ◇


 北村の村長は、五十を過ぎた痩せた男だった。

 顔に深い皺がある。最初に俺を見た時の表情は、歓迎より警戒が強かった。


「ハル家の坊ちゃんが、わざわざ何の用で」


「見に来た」


「何をです」


「村を」


 村長は鼻で笑うでもなく、困ったように黙った。


「見るだけなら、好きにどうぞ。今さら隠すものもありません」


 かなりきつい返しだ。

 でも無理もない。


 バスクがいた間、この村はたぶん、見られるたびに何かを取られてきたのだろう。


 視界に浮かぶ。


 《不信:強》

 《領主家への期待:低》

 《徴税記憶:悪》


 ミアが少し身を縮める。

 ノルは無言のままだ。


「じゃあ好きに見るよ」


 俺はそう言って、本当に好きに歩き始めた。


 納屋の中。

 干し草の量。

 農具の傷み。

 井戸の水位。

 荷車の軋み。

 家畜の骨ばった背。


 見るたびに綻びが浮かぶ。


 《飼料不足》

 《井戸使用過多》

 《納屋補修遅延》

 《税負担偏り》

 《若年労働過多》


 途中、畑で桶を持った小さな男の子がふらついた。

 運びきれず、膝をついて水をこぼす。


「こら、無駄にするな!」


 少し離れた場所から女が声を飛ばした。

 母親だろう。怒っているというより、余裕がない声だった。


 俺はすぐにその子のところへ行った。


 顔色が悪い。唇も乾いている。


 《脱水傾向》

 《疲労:高》

 《空腹》


「ミア、水」


「は、はい」


 受け取った革袋をその子へ渡す。

 子どもは最初ためらったが、俺が頷くと恐る恐る口をつけた。


「少し座って」


「でも……」


「今倒れたらもっと働けない」


 横から母親が駆け寄ってきて、慌てて頭を下げる。


「も、申し訳ありません! この子が役立たずで……」


「違うよ。無理をさせすぎだ」


 女はびくりと肩を揺らした。

 責められると思った顔だった。


 俺は周囲を見る。

 大人が足りない。足りなすぎる。


「この子、何歳?」


「九つです」


「九つでこの量を運ばせてるの?」


「……男手が、足りなくて」


 そこで、村長がようやく口を挟んだ。


「足りないんじゃありません。いないんです」


 その声は乾いていた。


 俺は村長のほうを見る。


「若い男たちは?」


「出稼ぎです」


 ミアが帳面を開く音がした。


 村長は一度深く息を吐いてから続けた。


「税が重くなってからです。収穫が落ちても、取り分はあまり変わらなかった。払えない分は借りる。借りたら、今度は返すために人が出る。若いのから順にね」


 なるほど。


 帳簿上の《労働不足》の中身は、ただ人口が少ないって話じゃない。

 税と借り入れで働き手が外へ流出している。


 《人手流出:構造化》

 《徴税負担:過大》

 《返済労働化》


 最悪だな。


「それを村から訴えなかったの?」


 村長は俺をまっすぐ見た。


「訴えましたよ」


 少しだけ、笑った。自嘲に近い笑いだった。


「何度も。ですが、返ってきたのは“工夫が足りない”“怠けている”でした」


 バスクの顔が頭に浮かぶ。

 あいつなら言いそうだ。


 俺は喉の奥に溜まるものを押し込めた。


「……ごめん」


 村長は一瞬、意外そうな顔をした。


「坊ちゃんが謝ることじゃない」


「でも、ハル家の人間だから」


 それは事実だ。

 バスクがやったことであっても、看板はハル家だった。


 村長は黙った。

 それから、今度は少しだけましな顔で俺を見る。


「謝るだけの領主家の人間は、初めて見ました」


 それは褒めていない。

 でも、最初の拒絶よりはずっとましだ。


 ◇


 村の外れまで歩くと、水の流れる音が聞こえた。


 西水路だ。


 地図では一本の線だったが、実物は石組みの脆い、細い流路だった。ところどころ苔がつき、土手も崩れかけている。


 近づいた瞬間、視界に文字が広がる。


 《西水路:崩落予兆》

 《取水量低下》

 《応急補修の痕跡》

 《七日以内に通水障害》

 《放置時、北村収穫半減》


 思わず足が止まった。


「どうしました、リオン様」


 ミアの声も少し緊張している。


 俺は石組みに手を触れた。

 表面は冷たい。だが内側の土は緩んでいる。少し掘られれば、あるいは次にまとまった雨が来れば、崩れる。


 村長が苦い顔で言った。


「そこも、ずっと直してほしいと言ってきました」


「誰に」


「もちろん屋敷ですよ」


 父じゃない。

 届いていたとしても、途中で握りつぶされていたのだろう。


「去年は軽く土を足しただけで終わりました。春までは持つと言われたが、このありさまです」


 ノルがしゃがんで石組みを見た。


「……これは危ういですな」


 初めて彼が自分から言った。

 その声に、村人たちが少しだけざわつく。


「ノルさんまでそう言うなら……」

「やっぱりまずいのか」

「だから言っただろう」


 声が漏れ始める。

 村人たちは、この水路が危ないととっくにわかっていたのだ。


 でもどうにもできなかった。


 俺は流れの先を見た。

 この水が止まれば、ただでさえ痩せた畑は終わる。

 若い働き手もいない。復旧にも時間がかかる。


 つまり北村の問題は、労働不足だけじゃない。


 今にも死にかけた血管を抱えている。


「……人手不足どころじゃないな」


 思わず口に出た。


 ミアがすぐに帳面へ書きつける。

 村長は黙って俺を見ていた。


「坊ちゃん」


「うん」


「見ただけで終わりますか」


 まっすぐな問いだった。


 村人たちの視線も、痛いくらい集まる。


 俺は少しだけ空を見た。

 春の終わりの風が、水面を細かく揺らしている。


「終わらせない」


 そう答えると、自分の声が思ったより静かだった。


「でも、まずは順番を決める。ここを直す。人手の流れも調べる。税も見直す」


 村長はまだ半信半疑の顔だ。

 当然だと思う。


 だから今は、それでいい。


 信用は言葉じゃなくて、直した水路と戻ってきた収穫で取るしかない。


 俺はもう一度、西水路の石組みを見下ろした。


 綻びは見えている。

 なら、次は手を入れる番だ。


 現場は、思った以上に深刻だった。

 でも同時に、やるべきこともはっきりした。


 北村。

 西水路。

 そして、その先にある徴税の流れ。


 問題は繋がっている。


 なら、切る場所も見えるはずだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ