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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第2章 ハル領の発展

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第11話 選択と集中

 西水路を前にして、俺はしばらく黙っていた。


 水は流れている。

 だが細い。弱い。石組みは緩み、土手は崩れかけている。


 この水路が死ねば、北村の畑も一緒に死ぬ。


 視界の端には、相変わらず薄青い文字が浮かんでいた。


 《西水路:崩落予兆》

 《七日以内に通水障害》

 《放置時、北村収穫半減》


 七日。


 短い。

 若い働き手がいないこの村で、全部を直すには短すぎる。


 村人たちの顔を見る。


 村長。

 疲れた女たち。

 水桶を抱えた子ども。

 腰をかばいながら立つ老人。


 今の北村には、余力がない。

 なのに今までのやり方は、全部を同じように守ろうとして、全部を少しずつ死なせている。


 前世で、嫌というほど見た形だった。


 赤字事業も、黒字事業も、将来性のない仕事も、全部に人と金を均等に突っ込んで、結局全部が沈む。

 優先順位をつけない組織は、だいたいそうやって終わる。


 俺は水路から目を離し、村長へ向き直った。


「北村で、今すぐ水が必要な畑はどこ?」


 村長は一瞬きょとんとして、それから眉をひそめた。


「……全部ですが」


「それは知ってる。でも、今の人手で全部守れないのも見ればわかる」


 村長は黙った。


 周囲の村人たちもざわつく。


 俺は続けた。


「全部を同じように守るのはやめる」


 その瞬間、空気が変わった。


「何だと」

「畑を見捨てる気か」

「やっぱり領主家の坊ちゃんだ」


 声が荒くなる。

 当然だと思う。


 畑は生活だ。

 見捨てるなんて言葉に聞こえたなら、反発されて当たり前だ。


 ミアが少し不安そうに俺を見た。

 ノルは黙っている。


 俺は一歩も引かなかった。


「見捨てるんじゃない。今、生かせるところだけ先に生かす」


 地面に落ちていた細い枝を拾い、足元の土へ線を引く。


「村の畑は大きく三つに分かれてるよね。西水路に近い畑、少し離れた畑、いちばん端の痩せた畑」


 村長が目を細めた。


「……そうです」


「今、水と人手を入れるべきなのは西水路に近い畑だけだ」


「なっ……!」


 今度ははっきりと反発の声が上がった。


「端の畑はどうする!」

「うちの区画はあっちだぞ!」

「坊ちゃん、勝手なことを――」


 俺はその声を全部聞いたうえで、枝先で土に区画を書いた。


「端の畑は今、捨てる」


 どよめき。


 でも言い切る。


「水が足りない。人手も足りない。土も痩せてる。そこに今の村の力を入れたら、近い畑まで守れなくなる」


 視界に浮かぶ。


 《南端区画:投入労力 収量低》

 《近接区画:投入労力 収量高》

 《優先順位:西側三枚畑》


 つまり、答えは出ている。


 全部を取ろうとして全部を失うより、

 まず取れるものを確実に取る。


 それが最初の一手だ。


「西水路に近い三枚の畑に、人も水も集中させる。遠い区画は今は最低限だけ。今週は守る場所を絞る」


 村長が低く言った。


「それで、あぶれた畑はどうなる」


「少なくとも、今のやり方よりは全体がましになる」


 俺は村人たちを見回した。


「今のままだと、七日後に水路が死ぬ。そのあと全部が死ぬ。だったら、先に残るものを作るしかない」


 静かになった。


 怒りが消えたわけじゃない。

 でも“感情だけで跳ね返せる話じゃない”と、全員が少しだけ気づいた顔をしていた。


 村長が口を開く。


「……で、どうするおつもりで」


「まず、西水路のいちばん危ない場所を止める」


 俺は水路の石組みを指した。


「全部直すんじゃない。崩れかけてるそこだけ先に押さえる。水が生きれば、近い畑は持つ」


 ノルが初めて枝の線を見下ろし、短く言った。


「筋は通っておりますな」


 その一言が大きかった。

 村人たちの視線が少しだけ揺れる。


 年寄りの中には、ノルを知っている者もいるのだろう。


「……本当にできるのか」

「人手が足りんぞ」

「今いるだけでも手一杯だ」


「だから、仕事の分け方を変える」


 俺はすぐに答えた。


 ここからが本番だ。


「力仕事は男手……じゃなく、大人のうちまだ動ける人だけ。老人は石の選別と土嚢づくり。子どもは水運びをやめて、縄と道具運び。女の人たちは畑に散らばるんじゃなく、西側三枚に集中」


 ミアが必死に書きつけている。

 俺はさらに続けた。


「納屋の古い板と麻袋、使えるよね?」


 村長が少し驚く。


「……ありますが」


「それを土嚢に使う。荷車は?」


「二台、動くものが」


「一台は石運び、一台は土運びに固定。往復を混ぜない。井戸水は畑じゃなく、人が飲む分を優先」


 前世で何度もやった。


 人手が足りない時は、人を増やせない。

 なら、動線を減らすしかない。


 無駄な往復。

 無駄な分散。

 無駄な“全員が全部やる”状態。


 それを切るだけで、現場はかなり変わる。


「そんなことで……」


 誰かが半信半疑に呟いた。


 俺は枝を地面へ突き立てた。


「そんなこと、じゃない」


 少しだけ声が強くなった。


「今の北村に足りないのは、気合いじゃない。順番だよ」


 その言葉に、自分で少し驚いた。

 でも、本心だった。


 前世でもそうだった。

 潰れかけた現場は、だいたい努力が足りないんじゃない。順番が壊れている。


 村長が黙って俺を見つめる。


 やがて、大きく息を吐いた。


「……わかりました」


「村長?」


「やるしかないでしょう。このまま全部抱えて沈むよりはましです」


 完全に納得した顔ではない。

 でも動く覚悟の顔だった。


 そこからは早かった。


 ノルが村の男たちをまとめ、石組みの崩れた箇所へ入る。

 ミアは帳面を抱えたまま、誰に何を運ばせるかを俺の指示どおりに回していく。


「その桶は子どもじゃなくこっち!」

「麻袋は納屋の前に集めて!」

「板は長いものから分けて!」


 最初はたどたどしかったが、だんだん声に張りが出てくる。


 女たちは不満げだったが、近い畑に集中して作業させると、いつもより手が止まらないことに気づき始めた。

 老人たちも、水運びより座ってできる土嚢づくりのほうが速い。


 俺は水路と畑を行き来しながら、浮かぶ綻びを読み続ける。


 《石材配置:不適》

 《右側土嚢不足》

 《西三枚畑:通水改善余地あり》

 《少年:疲労再上昇》


「そこで石を縦に置かないで、横に寝かせて!」

「そっちの土嚢、右側に二つ回して!」

「ミア、その子は休ませて。水だけ持たせるな」


 声を出すたび、少しずつ現場が噛み合っていく。


 昼を過ぎるころには、誰も「坊ちゃんの遊びだ」とは言わなくなっていた。


 代わりに、確認の声が飛ぶ。


「次はどこだ!」

「坊ちゃん、この石で足りるか!」

「水は西から先でいいんだな!」


 いい傾向だ。


 命令に従っているんじゃない。

 手応えがあるから動いている。


 それが大事だ。


 午後の遅い時間、崩れかけていた西水路の一角は、ようやく土嚢と石で押さえ込まれた。

 応急処置だ。綺麗じゃない。

 でも、水の流れは持ち直している。


 畑のほうを見ると、西側の三枚にはちゃんと水が回り始めていた。


 いつもなら夕方にはへたり込んでいたという九つの男の子も、今日は母親の横で座っているだけで済んでいる。

 母親は何度も水路と息子を見比べていた。


 村長が俺の横へ来た。


「……不思議なものですな」


「何が?」


「人手は増えておりません。畑も減りました。なのに、いつもより回っている」


 俺は少し笑った。


「減らしたからだよ」


 村長は目を細める。


「全部を守ろうとするのは、聞こえはいい。でも今の北村には無理だった」


 村長は西の畑を見た。

 そこには、今日守れた緑が確かにあった。


「……本当に、少し楽になったな」


 その一言は小さかった。

 でも、たぶん今日いちばん大きかった。


 俺は何も言わず、水路の脇に置かれた濡れた帳面を開く。

 ミアが今日の動きと人数を書き込んでいる。


 その帳面の上に、また文字が浮かんだ。


 《徴税経路:なお不透明》

 《借財処理:継続流出》

 《関与者:複数の可能性》


 やっぱり、そこか。


 水路はひとまず持たせた。

 でも北村の首を本当に絞めているのは、まだ別にある。


 税。

 借り入れ。

 そして、その流れを作った誰か。


 俺は帳面を閉じた。


「坊ちゃん」


 村長が呼ぶ。


「今日のことは、礼を言っておきます」


「まだ早いよ」


 俺は西水路を見たまま答えた。


「持たせただけだ。本当に変えるのは、ここからだから」


 村長は少し黙ってから、ゆっくり頷いた。


 最初の時のような、露骨な拒絶の目ではなかった。


 信用まではいかない。

 でも、次の話を聞いてもいい、くらいの目にはなっている。


 それで十分だ。


 最初の仕事としては。


 夕方の風が、土と水の匂いを運んでいく。

 俺は西水路の流れを最後にもう一度確認してから、小さく息を吐いた。


 小さくても、今日変わった。

 それが大事だ。


 次は、この村から若い働き手を吸い上げている流れを切る番だ。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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