第12話 借りの鎖を断つ
西水路の応急修繕を終えた翌日、俺は再び北村へ来ていた。
同行は昨日と同じく、ノルとミア。
今日は鍬も土嚢も持っていない。代わりにあるのは帳面と、村長に集めてもらった古い証文の束だ。
村長の家の土間に、小さな机が出されていた。
その上に、納税控え、借用証文、出稼ぎに出た者の名簿が並ぶ。
「全部ではありませんが、残っているものはこれで……」
村長が言う。
声はまだ固いが、昨日よりはましだった。
「十分だよ」
俺は一枚ずつ紙をめくった。
紙は粗い。
字も揃っていない。
だが、《綻びの目》はこういう時ほどよく働く。
《署名不一致》
《返済後も継続請求》
《利率改竄》
《労働拘束条項》
《同一の町の金貸しの店への流出》
やっぱりだ。
普通の借金じゃない。
返せないように組まれている。
「ミア、こことここと、あとこの印。全部書き出して」
「はい」
ミアがすぐに筆を走らせる。
昨日より手が速い。
村長が不安そうに聞いた。
「……何かわかりましたか」
「うん。かなり悪い」
はっきり言うと、村長の顔が沈んだ。
でも誤魔化しても意味はない。
「北村の若い男たちは、自分の意思で出稼ぎに出たんじゃない。税と借りで、出るしかないようにされてた」
部屋が静かになる。
奥で聞いていた女たちが、息を止めたのがわかった。
「税が足りない。だから借りる。そこまではまだある話だよ。でもこの証文、おかしい」
俺は一枚の証文を広げた。
「元金は銀貨三枚。なのに、返済額が途中から急に増えてる。しかも利率の数字だけ、後から書き換えた跡がある」
村長が身を乗り出した。
「……そんな」
「さらにこっち。もう元金は返済済みなのに、“手数料”“運搬費”“代筆料”って名目で借りが残されてる」
ミアが帳面を見比べながら言う。
「本当です。返した記録があるのに、残額が減っていません」
俺は頷いた。
「返しても減らない借金だよ。最初から鎖にするための」
その時、戸口のところで小さな嗚咽がした。
昨日、水をこぼしていた九つの子の母親だった。
彼女は震える手で、一通の手紙を差し出してきた。
「これ……うちの人のです」
受け取って開く。
荒い字で、短く書かれていた。
返しても借りが減らない
まだ働けと言われる
名簿は村ではなく町の金貸しの店にある
手紙の端に、証文と同じ印が押されている。
《同一印章》
《町の金貸しの店と連結》
《北村単独事案ではない》
なるほど。
やっぱり村の中だけで完結していない。
「……北村だけの話じゃないな」
思わず漏れる。
「坊ちゃん?」
村長が問う。
「この印、全部同じだ。借金の入口も、出稼ぎの送り先も、たぶん町の同じ金貸しの店が握ってる」
「じゃあ……」
「北村の若い男たちは、借りを返すために出たんじゃない。借りを理由に、働かされ続けてる」
重い沈黙が落ちた。
誰も怒鳴らない。
その代わり、じわじわと怒りが広がっていくのがわかった。
俺はもう一枚、証文を手に取った。
これはさっきの母親の家のものだ。
《元金返済済》
《残債:架空》
《領主家認定で無効化可能》
よし。
「この家の借りは、もう終わってる」
母親が顔を上げた。
「……え?」
「少なくとも、ハル家はこれを正当な借金として認めない」
「で、でも……町の金貸しの店ではまだ残ってると……」
「それが不正なんだよ」
俺は証文を机に置いた。
「返した記録がある。数字も合わない。利率も書き換えられてる。こんなの、まともな借りじゃない」
女の目に、みるみる涙が浮かんだ。
「じゃあ……うちの人は……」
「すぐに戻るとは言えない。でも、取り返すための理由はできた」
そこまで言ってから、俺は村長を見た。
「村長。北村の借財取り立ては、一度全部止める」
「……できるのですか」
「やる。少なくとも、ハル家の名で続いていた分は全部見直す」
昨日の水路より、こっちのほうが本当は厄介だ。
でもだからこそ、ここで一歩出さないと意味がない。
「その代わり、証文は全部集めてほしい。隠さないで。出稼ぎに出た人の名前も、送った時期も、送り先も全部」
村長はしばらく黙っていた。
やがて、深く頭を下げる。
「……わかりました」
それは昨日よりずっと重い返事だった。
ミアが小さく息を吐く。
ノルは無言のままだが、ほんの少しだけ頷いた。
俺は証文の束を見下ろした。
「まずは一件」
小さく言う。
「一件でも終わらせる。そこからだ」
外では、北村の風がまだ乾いた土を撫でていた。
けれど昨日までより、少しだけ空気が動き始めている気がした。




