第13話 連れて行かせない
北村の村長の家を出ようとした時だった。
昨日、水をこぼしていた子の母親が、青い顔のまま駆け込んできた。
「坊ちゃん……っ、お願いします!」
息が上がっている。
声も震えていた。
「どうしたの?」
「うちの上の子が……テオが、今日の夕方、町の金貸しの店の人間に連れて行かれます……!」
村長が顔を変えた。
「今日だと?」
「さっき来たんです。『借りが残ってる。今夜の荷馬車に乗せる』って……!」
俺はすぐに聞いた。
「その子は何歳?」
「十六です……。主人はもう出されていて、今度はあの子まで……」
母親はそこで言葉を詰まらせた。
十分だ。
もう待てない。
俺はミアを見る。
「昨日写した証文、持ってる?」
「はい」
「ノル、町までどれくらい?」
「馬ならそうかかりません」
俺は頷いた。
「行こう」
◇
町は北村より少しだけ賑わっていた。
といっても大きな町じゃない。
荷車が行き交い、小さな店が並び、中央の通りだけが少し広い程度だ。
その端に、問題の店はあった。
看板は地味だ。
表から見れば、ただの金の貸し借りを扱う店にしか見えない。
だが店の前には荷馬車が一台止まっていて、その横で若い男が二人の大人に囲まれていた。
十六か十七くらい。
痩せてはいるが、まだ子どもっぽさも残っている。
その若者が、母親の言っていたテオだろう。
「待ってください! 今すぐじゃなくても――」
「借りがあるんだよ、借りが」
町の金貸しの男がうんざりしたように言う。
腹の出た、髭の薄い男だった。
目だけが妙に冷たい。
「働いて返す。それだけの話だろうが」
その横には、腕の太い用心棒が立っている。
村の若者一人なら、力ずくで荷馬車に押し込めるつもりだろう。
俺はその場へまっすぐ歩いていった。
「その話、まだ終わってない」
全員の視線がこっちへ向いた。
金貸しの男が眉をひそめる。
「……何だ、坊ちゃん?」
「ハル家のリオン・ハルだよ」
名前を聞いて、男の目が少しだけ細くなった。
バスクの件はもう町にも回っているのだろう。
「で?」
「その連行、待った」
はっきり言うと、周囲の空気が止まった。
テオの顔に、ほんの少しだけ希望が差す。
だが金貸しの男は、すぐに鼻で笑った。
「借りの取り立てに、領主家の坊ちゃんが口を出すのか?」
「不正な借りならね」
俺はミアに手を出した。
「証文」
「はい」
ミアがすぐに束を渡してくる。
その中から、昨日見た一枚を抜いた。
「これ、テオの家の借用証文だよね?」
男は肩をすくめた。
「そうだ。だから何だ」
「元金は銀貨三枚」
「そうだ」
「でも返済記録はここで止まってない。もう元金は返済済みだ」
男の口元が少しだけ動いた。
「手数料が残ってる」
「それも見たよ」
俺は紙を持ち上げる。
「運搬費、代筆料、確認費、延長費。名目だけ増えてる。でもこの利率、途中で書き換えられてるよね」
「言いがかりだ」
「じゃあ、こっちを見て」
ミアがもう一枚、昨日写した控えを開く。
「最初の数字と、今の数字、違います」
金貸しの男がミアを睨んだ。
でもミアは引かなかった。
「それに署名も変です。途中から同じ人の字に見えません」
俺は続ける。
「つまり、この借りはおかしい。返しても減らないように作られてる」
「証明できるのか?」
男が吐き捨てる。
そこで俺は、父から預かってきた小さな書付けを出した。
ハル子爵家の印つきだ。
「北村に関する借財取り立ては、今この場で一時停止。ハル家が全件見直す」
男の顔色が変わった。
これは効く。
ただの子どもの口出しじゃなく、領主家の正式な停止命令だからだ。
「ふざけるな。こちらは正当な商いを――」
「正当なら、あとで確認すればいい」
俺は一歩前へ出た。
「でも今この証文は怪しい。返済済みの記録もある。利率も書き換えられてる。そんな状態で人を連れていくのは、取り立てじゃない。人さらいだよ」
周りで見ていた町の人たちが、ざわつき始めた。
「書き換えって……」
「本当か?」
「子ども相手に何やってんだ」
いい流れだ。
金貸しの男は舌打ちした。
「用心棒、乗せろ」
その一言で、太い男がテオの腕を掴もうとする。
だが、その前にノルが一歩出た。
「それ以上はおやめなさい」
静かな声だった。
でも、よく通った。
用心棒がノルを見る。
「爺さん、どけ」
「どきません」
ノルは少しも動かない。
「その若者を連れていくなら、まずハル家の命を踏むことになりますぞ」
用心棒の手が止まった。
領主家の名を、正面から踏み越える度胸はないらしい。
その間に、後ろから息を切らした声が飛ぶ。
「テオ!」
北村の母親と、村長、それに何人かの村人が追いついてきた。
テオの母親は息子へ駆け寄り、その肩を抱く。
金貸しの男は明らかに苛立っていた。
「……今日は見逃してやる」
「違うね」
俺は首を振った。
「“見逃す”んじゃない。“連れていけない”んだ」
男のこめかみがぴくりと動く。
「坊ちゃん、あんたは借りの怖さを知らねえ」
「知ってるよ」
前世でも、数字に追われる怖さは知っていた。
返しても返しても楽にならない感覚も。
しばらく睨み合いが続いた。
やがて金貸しの男は、大きく鼻を鳴らした。
「……いいだろう。今日は引く」
でも目は笑っていない。
「だが、この話は北村だけじゃ終わらんぞ」
その言葉は脅しだった。
でも同時に、答えでもあった。
俺はその男をまっすぐ見返した。
「こっちも、そのつもりだよ」
男はテオを睨み、最後に俺を睨み、荷馬車へ飛び乗った。
用心棒も続く。馬車は砂を巻いて去っていった。
テオの母親が、その場で泣き崩れた。
「……ありがとうございます……!」
テオ本人はまだ何が起こったのかわからない顔だったが、少なくとも荷馬車に押し込まれずに済んだことだけは理解しているようだった。
村長が俺の横に来る。
「坊ちゃん」
「うん」
「今日は……助かりました」
その声には、昨日よりずっと重みがあった。
俺は小さく息を吐く。
「助けたのは一人だけだよ」
視線を落とすと、店の前の地面に一枚の紙が落ちていた。
さっきの男が慌てて落としたんだろう。
拾って見る。
短い名簿だった。
北村だけじゃない。ほかの村の名前もある。
その横に、見覚えのある印。
《複数村との連結》
《人員移送名簿》
《町の金貸しの店:中継点》
やっぱりだ。
「……北村だけの話じゃないな」
思わず口にすると、ミアがすぐに横から覗き込んだ。
「他の村もですか」
「うん。しかも、この店は途中の一つでしかない」
ノルが静かに言う。
「根はもっと深い、ということですな」
「そうみたいだね」
俺は名簿の紙を折りたたみ、懐へ入れた。
「帰ろう」
「屋敷へですか?」
ミアが聞く。
「うん。父上に見せる。それから次を考える」




