第82話 試験二日目
試験二日目の朝、学院の空気は昨日よりもさらに重かった。
昨日の筆記試験は、まだ机の上の勝負だった。
だが今日は違う。
午前は応用課題。
午後は実技試験。
知識だけでも駄目で、武だけでも足りない。
たぶん今日が、一学期末試験の本番だ。
教室へ入ると、もうほとんどの生徒が席についていた。
窓から入る朝の光は明るいのに、空気だけが妙に張っている。
俺も席につき、一度だけ机の上に置いた手を軽く握る。
昨日の筆記は、たぶん取れた。
問題はいやらしかったが、難しい感じではなかった。
今日の応用課題は、別だ。
試験監督の教師が入り、教壇の前に立つ。
「これより、午前の応用課題試験を始める」
淡々とした声が教室へ落ちる。
「答案は個別評価とする。正答は一つとは限らない。
ただし、与えられた条件を無視した理想論は減点対象だ」
その一言で、教室の空気がさらに静まった。
「限られた人員、予算、権限、時間の中で、何を優先し、何を捨てるかを見る。
単独分野の知識だけで組んだ答案は、高得点には届かないと思え」
……なるほど。
やっぱり、そういう試験か。
「始め」
問題用紙が配られる。
俺は紙をめくった。
最初に目に飛び込んできたのは、地方の中規模集落に関する設定だった。
王都から離れた山間部寄りの集落。
近ごろ夜間の魔物被害が増え、街道利用者が減っている。
物資の流れが鈍り、住民の不安も強くなっていた。
だが、使える人員は限られている。
魔法使いは数名。
予算も少ない。
騎士団の常駐は認められず、使える権限も限定的。
求められているのは、三か月以内に被害を抑え、物流を回復させる現実策――。
紙を見たまま、小さく息を吐く。
前に王宮でやった仮想課題に少し似ている。
でも、もっと試験らしい。
条件がきつい。
逃げ道が少ない。
そして、読んで二度目で違和感が走った。
この設問、少しだけ甘い。
住民協力を前提にしている。
だが、その協力を誰が、どこまで、どんな権限で束ねるのかが曖昧だ。
ここを曖昧にしたまま答えると、どんな綺麗な案でも現場で漏れる。
その瞬間だった。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《脅威:高》
《属性:複合課題》
《綻び:管理主体不在》
《外皮:条件多重》
《警告:表層解答高確率破綻》
――出た。
綻びの目。
問題用紙の上、集落の略図と条件文の重なり合う箇所に、薄く文字が滲むように浮かんでいる。
やっぱりか。
設問そのものが間違っているわけじゃない。
でも、このまま素直に受け取ると、多くの答案は住民協力や巡回強化を書いて終わる。
そして、誰がそれを命じ、誰が責任を持つかのところで穴が開く。
俺は一瞬だけ周囲を見る。
紙をめくる音は止まらない。
少なくとも、この違和感で手を止めているように見えるのは自分だけだった。
……なら、そこを補正して書く。
ここで問われているのは制度改革じゃない。
限られた権限の中で、三か月を凌ぐ現実策だ。
だったら先に直すべきなのは、案そのものじゃない。
案を回すための最低限の枠だ。
俺は答案用紙に最初の一文を書いた。
前提として、全域対応は不可能と判断する。
よって、集落中心、物資集積所、主要出入口を「暫定夜間維持区域」と定め、その範囲に限定して対策を集中する。
まず、守る範囲を絞る。
集落全体を一度に救おうとしない。
全域防衛は理想だが、人も金も足りない。
だったら最初に“守る線”を決めるしかない。
そこから先は速かった。
灯りの発想を入れる。
だが主役にはしすぎない。
少人数の巡回で見張れる条件を作るために、集落中心と物流路の要点にだけ限定的に灯りを配置する。
魔法使いは戦闘要員として散らさず、灯具の設置・維持と緊急対応へ集中。
夜をなくすのではなく、夜の中に“見える線”を作る。
次に、住民協力をそのまま善意に頼らない形へ直す。
設問の綻びはそこだ。
「住民が協力する」で済むなら苦労はない。
だから、住民に一律の義務を課すのではなく、町役人の暫定裁量で置ける夜間当番と見張り区域を限定する。
恒久措置ではなく三か月の臨時運用として整理する。
上位承認が要る部分と現場判断で回せる部分を、最初から切り分ける。
最後に、商人側の利害を繋ぐ。
夜間利用の制限時間。
安全経路の指定。
一定期間の通行誘導。
最初から平時へ戻すのではなく、「通れる」「守れる」を最小限で成立させる。
書きながら、もっと先も見えていた。
本来なら税制も、区域管理も、恒常運用へ向けた制度整理も必要だ。
だがそれを書き始めたら、この試験では負ける。
脳裏に、王宮でセレナに言われた言葉がよぎる。
――それは学者か官僚になる人が考えることよ。
その通りだ。
だから今回は飛ばない。
飛びたくなっても、踏みとどまる。
今いる場所で回る答えを書く。
それが、この試験に対する正解だ。
一度だけ、法制面の書き方で迷う。
住民の夜間当番をどこまで町役人の裁量に含めるか。
強制と協力の線引きを誤ると、途端に現実味が消える。
俺は条件文を読み返した。
自治判断で置ける暫定運用。
恒久化には承認。
なら、そこは曖昧にせず書き分ける。
書く。
削る。
また書く。
時間は速かった。
途中、一瞬だけ顔を上げる。
教室は静まり返っていた。
紙をめくる音だけが時々響く。
他の連中が何を書いているかまではわからない。
俺は視線を答案へ戻す。
最後の見直しに入る頃には、自分の中で一本芯の通った答えになっていた。
満点かどうかはわからない。
でも、理想論にはしていない。
現実の中で、何を切り、何を先に立てるかは示せた。
設問の綻びも、そのままにはしていない。
それで十分だと思う。
「そこまで」
教師の声で、教室の空気が少しだけ揺れる。
ペンを置いた。
肩の力が抜ける。
紙の上の勝負としては、悪くなかった。
◇
昼休みは短かった。
さすがに長話をする空気ではない。
皆、応用課題で思った以上に神経を使った顔をしている。
ヴィクトルが軽く首を回しながら言った。
「午前だけで妙に疲れるな」
「頭を使う試験って、剣振るのと違う疲れ方するのよ」
セレナが水を飲みながら返す。
ガイルは露骨に机へ突っ伏しかけていた。
「午後、もう実技なんだよな……」
「ここで弱音を吐くんですか?」
ナディアがやわらかく言う。
「吐いてねえよ。ただ、休める時間が短いなってだけだ」
「同じことです」
その返しに、少しだけ笑う。
エドガーが静かに立ち上がった。
「そろそろ移動だ」
それで会話は終わった。
俺も立ち上がる。
午前は答案で示した。
次は、身体で示す番だ。
◇
午後の実技試験会場は、普段の訓練場とは空気が違っていた。
白線は引き直され、試験用の区画がきっちり分けられている。
試験官役の教師たちが数名立ち、木剣や訓練用魔法具も整えられていた。
見学位置まで決められていて、普段の自主練の気楽さはない。
張りつめている。
答案用紙の前に座る時とは、また別の緊張だった。
ここでは、思考の跡は紙に残らない。
その場の判断、その瞬間の動き、その崩れ方まで全部見られる。
試験官が前へ出る。
「これより、実技試験を始める。
勝敗だけでなく、間合い、判断、魔力運用、攻防の切り替え、崩れた際の立て直しまで含めて評価する」
やっぱり、そうか。
ただ勝てばいい試験じゃない。
でも、勝てないよりは勝てた方がいいに決まっている。
名前が順に呼ばれていく。
組み合わせが発表されるたび、周囲の空気が少しずつ動く。
俺は自分の番を待ちながら、手の中で木剣の重さを確かめた。
そして。
「リオン・ハル」
名前が呼ばれる。
顔を上げる。
「対戦相手――ガイル・ベイルン」
一瞬だけ、空気が変わった。
Sクラスでも武の最上位。
東の武門の嫡男。
クラス一の剛腕。
その名に、不思議と驚きはなかった。
むしろ、来たか、と思った。
少し離れた場所で、ガイルが口元を歪める。
「いきなりお前か」
「そっちこそ」
「悪くねえな」
その顔は、だいぶ楽しそうだった。
俺は木剣を握り直す。
午前の答案は置いてきた。
次は、自分自身が答案になる番だ。
試験官の声が、静かに会場へ響く。
「両者、前へ」
白線の内側へ踏み出す。
六月の終わりの光はまだ強く、訓練場の土を白く照らしていた。
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