第81話 一学期末試験
試験を直前に控え廊下の私語は減り、食堂でもノートを開いたまま食事をしている生徒が珍しくなくなる。
放課後の自習室は早い時間から埋まり、教師たちの足取りまで、どこか少しだけ硬い。
一学期末試験。
ただの区切りではない。
この試験の結果は翌年のクラス見直しに繋がり、Sクラスから落ちる者もいれば、逆に上がってくる者もいる。
そして、ごく稀に飛び級まである。
王立学院にいる以上、この時期が特別なのは当然だった。
それでも、今年は少し事情が違う。
少なくともSクラスの上位にいる面々は、ただ残るためだけにこの試験を受けるつもりではない。
そのことを、俺自身もはっきり自覚していた。
◇
試験前日、教室の空気は妙に静かだった。
いつも通り席につき、いつも通り授業を受ける。
だが、全員の意識は半分以上もう明日に向いている。
それでも、張りつめすぎているわけではない。
ここまで来たら、もう新しく何かを積むというより、持っているものを崩さない方が大事だ。
俺もノートを閉じ、机の上を軽く整えた。
「今日はもうそれで終わり?」
横からセレナが聞いてくる。
「一応な。寮で少し見直すくらい」
「そう」
それだけ言って、彼女はまた自分の本へ視線を落とした。
短い。
でも、余計な言葉がない分、それで十分だった。
少し離れたところで、ヴィクトルがだるそうに椅子へもたれながら言う。
「筆記そのものより、設問の問いが面倒そうなんだよな」
「今さらね」
セレナが本から目を上げずに返す。
「学院が素直に問題を出すわけないだろ」
「それもそうか」
そんな短いやり取りが、逆にいつも通りで少しだけ楽だった。
教室を出る前、窓の外を見る。
空はまだ明るい。
でも、六月の終わりの光には、どこかもう春とは違う重さがある。
ここまでやることはやった。
王宮での勉強会も、自主勉強も、授業の時間も、全部ちゃんと積み上がっている。
あとは明日、答案用紙の上で取りこぼさないだけだ。
そう思いながら寮へ戻った。
◇
部屋に入ってからも、一応本は開いた。
魔法理論。
王国史。
法制基礎。
地理。
数学。
だが、目は追っていても、今さら頭に新しいものをねじ込む感じではない。
確認する。
整理する。
余計な迷いを消す。
それだけだ。
むしろ、考えているのは明日の先だった。
筆記は、おそらく取れる。
応用課題も、形式次第だが大きく崩す気はしない。
問題は、その先だ。
エドガーとの模擬戦で、実技と対人判断にはまだ差があることがはっきりした。
見えていないわけじゃない。
ただ、見えた答えを身体が当然のようにやるところまでは届いていない。
飛び級を本気で狙うなら、そこから目を逸らせない。
でも、それは明日考えることじゃない。
明日はまず、筆記で取るべきものを取る。
そう決めて、本を閉じた。
「……よし」
小さく呟いて、自分で作った卓上灯の灯りを消す。
前世の大学の試験前も、少しだけこんな感じだった気がする。
義務で受けるというより、自分の目的の為の試験。
だからこそ、嫌な緊張じゃない。
ただ、少しだけ頭が冴えていた。
すぐには眠れなかったが、それでも無理に考え続けるのはやめた。
目を閉じる。
明日、ちゃんと読む。
ちゃんと切る。
それでいい。
そう思っているうちに、いつの間にか意識は落ちていた。
◇
試験当日の朝、学院はやけに静かだった。
鐘の音。
石畳を踏む足音。
短い挨拶。
それぞれの手に抱えられた本やノート。
いつもと同じように見えて、やっぱり違う。
教室へ入ると、ほとんどの生徒がもう席についていた。
無駄な声はない。
皆、自分の前だけを見ている。
俺も席につき、一度だけ大きく息を吸う。
緊張は、少しある。
でも嫌じゃない。
しばらくして、試験監督の教師が入ってきた。
担任のローヴェンではない。
そのことが、逆に少しだけ本番らしかった。
「これより、一学期末筆記試験を始める」
淡々とした声が教室へ落ちる。
答案用紙が配られていく。
紙の擦れる音が妙に大きく聞こえた。
「始め」
その一言で、全員が一斉に答案へ視線を落とす。
俺も問題を開いた。
最初の感想は、すぐに出る。
……嫌らしいな。
難問奇問ではない。
だが、雑には取らせない。
基礎知識そのものは範囲内に収まっている。
けれど、聞き方が少しずつずれている。
用語を知っているだけでは足りない。
条件を読み違えると、もっともらしい誤答に吸われる。
王国史の設問一つ取っても、事件名を書かせるだけでは終わらない。
その政策がなぜ地方流通へ影響したかまで繋げさせてくる。
法制基礎も同じだ。
条文を覚えているかではなく、誰がどこまで裁量を持つかを具体例で問う。
地理は地図を読ませるだけではなく、地形と街道と町の機能を絡めてくる。
数学も計算そのものより、前提条件の整理が甘いと途中で崩れる。
……なるほど。
この試験は誰がどこまで理解しているか。
どこで引っかかるか。
その差を見るための作りになっている。
焦る必要はない。
問われているのは知識量ではなく、知識をどう使うかだ。
設問を一つずつ追っていく。
法制と地理が絡んだ問題で、一度だけペン先が止まった。
一見すると、どの答えにも筋が通りそうに見える。
だが、学院が欲しいのはたぶんその中の一つだ。
条件を読み返す。
予算。
権限。
臨時措置か、恒常運用か。
現場判断で済む範囲か、それとも上の承認が必要か。
そこまで切り分けて、ようやく答えが定まった。
……そういうことか。
正解かどうかはわからない。
でも、本筋をとらえた解答だと思う。
別の問題へ進む。
魔法理論でも、前提条件を一段ずらしてきた設問があった。
だが、そこも読み切れる。
問題を解くというより、出題者の意図を読む感じに近かった。
時間は思っていたより速く過ぎる。
最後の見直しに入った時には、感触は悪くなかった。
満点かどうかはわからない。
でも、今の自分にできることは全部できたと思う。
「そこまで」
教師の声で、教室の空気が少しだけ動く。
ペンを置く。
答案が回収されていく。
終わった、という感じはまだない。
ただ、前半が一つ終わっただけだ。
◇
廊下へ出ると、ようやく少しだけ息が戻った。
窓の外から差し込む光は強い。
中庭の石畳が白く反射している。
少しして、ヴィクトルが隣に並ぶ。
「嫌がらせみたいな設問が多かったな」
「嫌がらせというより、性格が悪いのよ」
セレナがすぐに返した。
「基礎を見てるふりをして、応用力まで試しに来てる」
「でも、良い問題だったと思う」
「だから余計に腹が立つの」
その返しに、少しだけ笑う。
ガイルは露骨に眉をしかめていた。
「最後の法制の問題、あれ何だよ。全然わからなかったぞ」
ナディアがやわらかく言う。
「でも、最後まで逃げなかったでしょう?」
「まあな」
「それで十分です」
ガイルはその言葉に、少しだけ肩の力を抜いた。
エドガーは短く言った。
「少なくとも、単なる暗記勝負ではなかった。意図ははっきりしていた」
「Sクラスに残れるか、それとも飛び級できるかを振り分ける意図、でしょ?」
セレナが言う。
「そうだ」
それだけで会話は切れた。
今日は、いつもみたいに長く話す日じゃない。
まだ途中なのだから当然だ。
俺は廊下の窓から空を見た。
青い。
やけに高く見える。
筆記は始まった。
たぶん、届く。
でも、これで終わりじゃない。
応用課題がある。
その先には実技もある。
答案用紙の上では、上を狙えると思う。
問題は、その先だ。
「……まだ前半だな」
思ったまま口にすると、ヴィクトルがにやりと笑った。
「いい顔してるな、リオン」
「そっちもな」
試験はまだ続く。
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