第80話 対人判断(一対一の模擬戦)
王宮での勉強会から数日。
六月末が近づくにつれて、学院の空気はさらに張ってきていた。
廊下では試験の話が増え、食堂でも範囲表を見ながら食べている生徒がいる。
訓練場では、普段より静かに基礎を繰り返す姿が目につくようになった。
Sクラスも例外じゃない。
王宮での一日で、六人とも一気に試験の輪郭を掴んだのだと思う。
あれ以来、教室の空気にも少しだけ変化があった。
その中でも、少し意外だったのはナディアとガイルだ。
昼休み。
空いている教室の隅で、ナディアがガイルに法制基礎のノートを見せていた。
「ここは“誰が決めるか”と“誰が実行するか”を分けて考えた方が整理しやすいです」
「うーん……」
ガイルは珍しく真面目な顔で紙を見ている。
「巡回は町で回せる。けど、人を増やすのは上の許可が要る、ってやつか」
「はい。そこを混ぜると、答えが雑になります」
「……お前の説明、わかりやすいな」
ぼそっとそう言うと、ナディアはほんの少しだけ微笑んだ。
「それはよかったです」
そのやり取りを少し離れた席から見ながら、俺は内心で思う。
この二人、思っていたより相性がいいな、と。
ガイルは理屈そのものが嫌いなわけじゃない。
ただ、前に出る発想が速すぎて、積み上げを飛ばしがちなだけだ。
ナディアはそこを感情抜きで静かに整えてやれる。
たぶん、噛み合っている。
そして、その日の放課後。
俺たちは学院の訓練場に集まっていた。
◇
王宮の静かな書庫も悪くなかった。
でも、土の匂いと木剣の音が混ざるこの場所に立つと、やっぱりこっちの方が自分たちらしいと思う。
学院の訓練場。
白線の引かれた土の区画。
壁際に立てかけられた訓練用武器。
遠くでは別の学年がまだ基礎訓練をしていて、時々掛け声が飛ぶ。
「今日は対人判断の練習、でいいのよね?」
セレナが木剣を軽く持ち上げながら言った。
「そうだな」
エドガーが頷く。
「座学で見えた差は、結局動きに落とせるかどうかだ。試験もそこを見る」
「教師なしの自主練で、ずいぶん真面目なこと言うな」
ヴィクトルが笑う。
「真面目なことをやるために集まったんだろう」
「まあ、それはそうだ」
ガイルはすでに木剣を肩に担いでいた。
「勝ち負けだけじゃなくて、どう動くかを見るんだよな?」
「ええ」
セレナが答える。
「正面から押し切るだけじゃ評価されない。間合い、判断、魔法の使い方、崩れ方。全部見られる」
「面倒だなあ」
「面倒だからSクラスの試験なのよ」
ナディアがやわらかく言う。
「なら、組み合わせを変えながら見ていくのがよさそうですね。一人が戦って、残りが見る形で」
「それでいいだろうな」
エドガーが視線を巡らせた。
「見る側も、気づいたことはその都度言う。勝敗だけで終わらせない」
そういう意味では、今日は教師はいらないのかもしれない。
この六人だけでも、十分にうるさい。
最初に軽く何組か動いた。
ガイルとヴィクトル。
ヴィクトルは真正面から打ち合わず、わざと間合いをずらしながら時間を使う。
ガイルは押し切りきれずに苛立ち、セレナに「そういう雑さが減点されるのよ」と即座に刺されていた。
セレナとナディア。
派手さはないが、間合いの探り合いが綺麗すぎて逆に怖い。
ナディアは受けが上手く、セレナはそれを理屈で崩そうとする。
見ていて「静かなのに全然優しくないな」と思った。
何本か見たあと、ヴィクトルが木剣の先で俺とエドガーを順に指した。
「で、結局一番見たいのはそこだろ」
セレナがすぐに乗る。
「そうね」
「何が?」
俺が聞くと、ヴィクトルは楽しそうに笑った。
「首席候補同士」
「勝手に決めるな」
「でも見たいのは本音だろ?」
ガイルもあっさり頷く。
「見たいな」
ナディアも否定しなかった。
エドガーは静かに木剣を取る。
「異論がないなら、やるか」
その言い方はいつも通りだった。
だが、目は最初から少しだけ真剣だった。
「いいよ」
俺も前へ出る。
木剣の重さを手の中で確かめる。
訓練用魔法の制限は、口に出して確認するまでもない。
殺傷力の高いものは使わない。
試験で見られるのは、壊す力じゃなくて制御と判断だ。
むしろ、そこを避けた上でどこまでやれるかが今の自分の課題でもある。
白線の内側。
向かいに立つエドガーは、やはり綺麗だった。
肩の力が入っていない。
木剣の切っ先もぶれない。
構えが派手じゃないのに、そこから崩せる感じがしない。
「始めるか」
「ああ」
風が少しだけ横を抜けた。
次の瞬間、俺たちは同時に動いていた。
◇
最初の数合で、もうわかる。
強い。
それも、ガイルみたいな圧の強さとは違う。
エドガーはとにかく綺麗だ。
正しい位置に立ち、正しい間合いを取り、正しい角度で受け、正しいところへ返してくる。
教本通り、と言ってしまえば簡単だ。
でも、教本通りに強いというのは、こういうことなのだろう。
無理がない。
隙がない。
そして、こちらの選択肢を一つずつ削ってくる。
俺は木剣を受け流しながら、左手にごく薄い火を集めた。
殺傷力は要らない。
熱量を抑えた、目くらましにもならない程度の揺らぎ。
そこへ風を重ねて、視線だけをわずかに散らす。
エドガーはそれでも崩れない。
木剣の軌道はそのまま。
半歩だけ下がり、俺の踏み込み先を殺す。
「……っ」
やっぱり、読みが速い。
いや、速いだけじゃない。
整っている。
こっちの動きに対して、最適解みたいな位置を当たり前のように取ってくる。
たぶん、これが積み上げの差だ。
でも、以前より動けているのもわかった。
踏み込みは前より鋭い。
剣と魔法の切り替えも自然になっている。
強い魔法に頼らなくても、牽制と崩しの形は作れる。
問題は、その先だ。
見えているのに、間に合わない。
答えは浮かんでいるのに、身体がその最適手に乗るまでにほんの半拍遅れる。
そこをエドガーは拾う。
右からの打ち込みを見せて、途中で斜め下へ切り替える。
エドガーは受けながら、すでに次の返しの位置にいる。
そこへ短い風圧を差し込んで間合いを濁すが、それでも立て直される。
「いいな」
不意に、エドガーが小さく言った。
その声に、逆に少しだけ腹が立つ。
余裕あるな、おい。
なら、もう少し崩す。
俺は一度、わざと大きめに左へ重心を流した。
魔法を撃つように見せて、しかし撃たない。
足も半歩だけ甘く置く。
悪手に見えるはずの形。
エドガーの目が、ほんのわずかにそこを拾う。
次に来るのは、たぶん正しい受けからの正しい返しだ。
だから、その瞬間だけに賭ける。
踏み込みを止めると見せて、逆に体を沈める。
木剣ではなく、風の圧だけを先に滑らせる。
視線は上。
でも、狙いは下から斜めへ。
エドガーの木剣が、ほんの一瞬だけ予定された軌道を通った。
綺麗すぎる動き。
だからこそ、その“綺麗に来る場所”が読めた。
次の瞬間、俺の木剣の先がエドガーの袖をかすめた。
「……!」
ガイルの声が上がる。
ヴィクトルが「おっ」と笑う。
セレナが目を細め、ナディアもわずかに目を見開いた。
入った。
浅い。
でも、今のは確かに取った。
エドガーの目が初めて少しだけ変わる。
ただし、それで終わってはくれない。
次の一手で、もう立て直される。
俺が前へ寄りすぎた分だけ、エドガーは逆に最短距離を取り返した。
木剣の打点は正確。
無理がない。
こちらが受けても、その受けた先に次の形が待っている。
押し返された。
最後は、喉元へ寸止めで木剣が止まる。
完全に負けだ。
でも、ただ押し切られた感じでもなかった。
「そこまで」
自分たちしかいない訓練場に、セレナの声がよく響いた。
俺は息を吐きながら木剣を下ろす。
汗が一筋、首の横を落ちた。
「……悔しいな」
素直にそう思った。
◇
ガイルが最初に近づいてきた。
「今のはよかった」
「どこが?」
「一回、ちゃんと崩しただろ」
そう言って木剣の軌道を手でなぞる。
「ただ、そのあとだ。取れたと思って前に寄った」
「……やっぱりそう見えるか」
「見える。あそこでもう半拍だけ冷静なら、もう少し粘れた」
ガイルの言い方は雑だが、本質は外していない。
セレナもすぐに続いた。
「あなた、答えを見つけるのは速いのよ」
「褒めてる?」
「半分はね」
そのまま、容赦なく続ける。
「でも、その答えを身体にやらせるのが少し遅い。頭では見えてるのに、動きに落ちるまでに一瞬ある」
「……さっきもそんな感じだった」
「でしょうね。しかも、取れたと思うとすぐ次を欲しがる。そこが少し雑になる」
言い方はきついが、よくわかる。
たしかに、あの一手が入った瞬間、少しだけ気持ちが前に出た。
その分、エドガーの立て直しに置いていかれた。
ヴィクトルは楽しそうに笑っている。
「でも、試験官目線なら今の一手はちゃんと評価されるぞ」
「勝ってないけどな」
「勝ってない。でも、“ただ綺麗に負けた”わけじゃない。ああいう崩しは点になる」
ナディアが静かに補った。
「ええ。あの一瞬で、相手を自分の読みへ引き込んでいました。綺麗に負けなかったのは大きいと思います」
その言い方が、いかにもナディアだった。
やさしいようで、妙に本質的だ。
最後にエドガーが来た。
木剣を下ろしたまま、まっすぐこちらを見る。
「以前よりずっと良くなっている」
「そう見えた?」
「見えた」
即答だった。
「特に、強い魔法に頼らなくなったのがいい。前は魔法の威力で押し切る発想が先に見えたが、今は剣と魔力を繋いで考えている」
「……まあ、試験であれやるわけにもいかないしな」
「それだけじゃないだろう」
エドガーは小さく言う。
「抑えた状態でどこまでやれるか、自分でも試しているはずだ」
図星だった。
俺が黙ると、エドガーは続ける。
「ただ、まだ判断と身体が完全には繋がっていない。頭で見つけた正解を、次の瞬間に身体が当然のようにやるところまでは行っていない」
「そこを、さっき取られたってわけか」
「そうだ」
あっさり認める。
「だが、あの一手は良かった」
そこで、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
「正直、少し驚いた」
「へえ」
ヴィクトルが横から笑う。
「王子様にそう言わせたなら大したもんだ」
「茶化すな」
「いや、今のは褒めてる」
エドガーは気にした様子もなく、俺だけを見て言った。
「お手本通りに受ければ安全だと思った。そこを突かれた」
「綺麗すぎたんだよ、お前」
思ったまま言うと、エドガーは一瞬だけ目を瞬かせる。
「綺麗すぎる?」
「型通りに強い。でも、だからこそ“そこに来る”って読めた」
すると、ガイルが横で頷いた。
「わかる」
「お前もか」
「お前、強いけど真っ直ぐなんだよ」
セレナが小さく息を吐いた。
「二人とも、よく本人に言えるわね」
「事実だからだろ」
「でも、悪いことじゃないです」
ナディアがやわらかく言う。
「形が整っているからこそ、崩しの起点が見えることもあります。互いにそこが見えたのなら、今日の練習は意味がありました」
その言葉で、少しだけ空気が落ち着く。
たしかにそうだ。
負けた。
でも、見えたものもあった。
机の上なら、たぶん上まで狙える。
筆記も応用も、届くと思う。
だが、それだけで飛び級を取れるほど学院は甘くない。
実技。
対人判断。
積み上げの差。
そこから目を逸らしたら、たぶん上へは行けない。
「……やること、増えたな」
俺が呟くと、ヴィクトルが笑う。
「今さらだろ」
「それもそうか」
ガイルが木剣を肩に担ぐ。
「じゃあ次はもっと数こなすぞ。考えてる暇がないくらいやれば、身体も追いつくだろ」
「雑ね」
セレナが言う。
「でも、間違ってはいないわ。座学も実技も、両方落とさないで詰めるしかない」
「休ませる気ないなあ」
ヴィクトルが肩をすくめる。
「飛び級を狙うんでしょう?」
ナディアが静かに言った。
「なら、きっとそれくらいでちょうどいいのだと思います」
エドガーが頷く。
「次は組み合わせを変えよう。相手が変われば、また別の穴が見える」
「賛成」
俺は素直にそう言った。
悔しさはある。
でも、不思議と嫌な気分じゃない。
足りないものが、はっきり見えたからだ。
◇
訓練場を出る頃には、夕方の光がだいぶ傾いていた。
土の匂いが少し冷えて、風も昼より涼しい。
セレナは最後まで腕を組んだまま何か考えていたし、ヴィクトルは「次の模擬問題も考えておくか」と一人で面白がっていた。
ガイルはすでに「次は負けねえ」みたいな顔をしている。
ナディアはそんなガイルを見て、小さく笑っていた。
エドガーはいつも通り静かだったが、今日は前より少しだけ距離が近い気がした。
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