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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第8章 王立学院一年 一学期末テスト

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第78話 学期末の空気

 六月も半ばに入ると、学院の空気は目に見えて変わった。


 朝の廊下を歩く足取りが少し速い。

 授業前の私語が少し短い。

 訓練場では、いつもなら流していた基礎を、わざわざもう一度やり直している生徒もいる。


 まだ夏には早い。

 でも、一学期の終わりは確実に近づいていた。


 窓から入る風は少し湿っていて、陽射しも春の頃より強い。

 そのくせ、教室の中は妙に張っている。


 六月末の定期試験。


 それが、ただの学期末試験ではないと、もう全員が知っているからだ。


 Sクラスに残れるかどうか。

 他クラスから誰が上がってくるか。

 そして、ごく稀にだが、飛び級まであり得る。


 それが制度としてある以上、六月末はただの締めじゃない。

 今いる場所の価値を測られる節目だ。


 その日の一限目。

 ローヴェンはいつも通り無駄のない足取りで教室へ入ってきた。


 教壇に立つなり、出席簿を机へ置く。


「今日は一学期末試験について話す」


 ざわめきが、すぐに消える。


 教室中の意識が一気に前へ寄ったのがわかった。


 ローヴェンは黒板へ視線も向けずに言う。


「筆記、実技、応用課題の三本立てだ。これは前に伝えた通りだが、今日からは範囲と形式を具体的に出す」


 その一言で、空気がさらに引き締まる。


 前の席でセレナがすでに筆記具を構えていた。

 エドガーは背筋を崩さず、最初から一言も聞き漏らすつもりがない顔をしている。

 ヴィクトルは一見気楽そうだが、目だけは笑っていない。

 ナディアは静かにローヴェンを見ていて、ガイルは腕を組みながらも珍しく落ち着いていた。


 ローヴェンは板書を始める。


 筆記――魔法理論、王国史、地理、法制基礎、数学。

 実技――剣技、基礎魔法制御、対人判断。

 応用課題――複数分野横断。


 そこまでは予想通りだった。


 だが、その下に書かれた注記で、少しだけ目を細める。


 応用課題:事前告知範囲外を含む場合あり

 実技:総合評価制

 筆記:単純記憶のみでは対応不可


 ……なるほど。


 嫌な作り方をしている。


「見ての通りだ」


 ローヴェンが言う。


「王立学院の試験は、覚えたものをそのまま出せば終わる形にはしない。理解しているか、応用できるか、組み合わせられるかを見る」


 ヴィクトルが小さく笑った。


「落としに来てますね」


「最初からそのつもりだ」


 ローヴェンは即答した。


「Sクラスにいる以上、ただ“優秀そうに見える”では足りん」


 言い方がまっすぐすぎる。

 だが、嫌いじゃない。


 ガイルが片眉を上げる。


「実技の総合評価ってのは?」


「単純な勝敗だけでは見ないという意味だ」


 ローヴェンはガイルを一度だけ見た。


「技量、判断、間合い、魔力運用、無駄の少なさ。勝っても雑なら減点されるし、負けても内容次第では評価は残る」


「面倒だな」


「面倒だから試験になる」


 セレナは何も言わない。

 ただ、板書の順序と文言を見ながら、もう頭の中で配点の重みでも測っていそうだった。


 エドガーが静かに口を開く。


「応用課題は、その場の処理を見るためのものですか」


「そう考えていい」


「一分野に特化した者を上へ上げるためではなく、今後どこまで伸ばせるかを見る試験、ということですね」


 ローヴェンはわずかに頷いた。


「理解が早いな」


「制度の意図として自然です」


 そのやり取りを聞きながら、俺は黒板の文字を見ていた。


 思っていたより範囲は広い。

 だが、広いだけだ。


 厳しいかと言われれば厳しい。

 けれど、“一年生の学期末”としては、まだ届く。


 いや――届くどころじゃない。


 おそらく、今の自分ならかなり上まで取れる。


 問題は、どこまで狙うかだ。


 ローヴェンは説明を続ける。


「筆記は基礎の正確さを見る。だが、基礎だけでは高得点には届かん。前提の理解があって、そこから一段組み替えられるかを見る」


「実技は六月末の三日間で順に実施する。対人判断は即席の組み合わせもある。誰と当たるかは当日まで知らせん」


 そこで、教室の中にわずかなざわめきが走った。


 対人判断。

 つまり、単純な型や実力だけでなく、相手を見てどう組み立てるかまで問われる。


 これは面白い。

 そして面倒だ。


「応用課題は個人戦だ」


 ローヴェンの声が教室へ落ちる。


「助け合いはない。その場で与えられた材料と条件から答えを組め。正答が一つとは限らん」


 ……なるほど。


 本当に、“選ぶ”ための試験だな。


 ローヴェンは最後に黒板の端を指で叩いた。


「以上だ。質問はあるか」


 少しだけ間が空く。


 だが、その沈黙自体が一種の答えだった。

 質問する前に、みんな頭の中で整理を始めている。


「ないなら、各自もう動け」


 そこで話は終わった。


 だが、教室の空気は終わっていなかった。


 ◇


 休み時間に入っても、いつものような緩さは戻らなかった。


 皆、表向きは普通にしている。

 でも、もう試験の盤面に入っている。


 ヴィクトルが椅子をきしませながら後ろへもたれた。


「思ったより嫌な試験だな」


「思ったより、って何を想像していたのよ」


 セレナがすぐに返す。


「もう少し素直に取りに来るかと思ってたんだよ。範囲内をきっちり固めればいい、みたいな」


「そんなわけないでしょう」


「だよなあ」


 ヴィクトルは苦笑した。


「ローヴェン先生がそんな優しい試験にするわけがない」


 ガイルが腕を組んだまま言う。


「実技があるのは助かる」


「あなた、そればっかりね」


 セレナが呆れたように言う。


「実際そうだろ。筆記だけじゃ面白くねえ」


「試験に面白さを求めるの?」


「少なくとも、剣と魔法を使えた方がやりやすい」


 その言い方がいかにもガイルだった。


 ナディアが静かに範囲表を見ながら言う。


「でも、今回は実技も単純な力量比べではないのでしょうね」


「たぶんそうだろうな」


 エドガーが短く答える。


「勝つこと自体より、どう勝つか、あるいはどう崩れないかまで見られる」


「嫌だなあ、それ」


 ヴィクトルが笑う。


「商人に精神論は向いてないんだが」


「あなたの場合、精神論じゃなくて損得で動いてるでしょう」


 セレナの返しに、教室の空気が少しだけ緩む。


 俺は範囲表を見たまま、頭の中で整理していた。


 筆記は取れる。

 応用課題も、おそらく大きくは外さない。

 問題は実技だ。


 剣技の積み上げでは、まだエドガーやガイルに届かない。

 魔法制御も負ける気はしないが、“学院が評価する形”に綺麗に乗せられるかは別だ。


 そして、もし本気で上を狙うなら――。


「……これなら、飛び級もありだな」


 気づけば、口に出ていた。


 一瞬だけ、周囲が静まる。


 ヴィクトルが先に反応した。


「ほう」


 セレナがすぐこちらを見る。


「本気で言ってるの?」


「本気だよ」


「ずいぶん軽く言うのね」


「軽くはない」


 俺は範囲表を机に置いた。


「でも、一年でやる内容として見るなら、思ったより遠くない。上の学年で学ぶ内容がもっと深いなら、そっちへ行った方が早いかもしれない」


 ガイルが率直に言う。


「お前、そういう発想になるのか」


「駄目か?」


「駄目じゃねえけど、普通はまず“Sクラスに残る”って考えるだろ」


「それも考えてるよ」


「全然そうは聞こえなかったけど」


 セレナが半眼になる。


 まあ、そうだろうな。


 でも、席そのものにそこまで執着はない。

 問題は、その先に何があるかだ。


 エドガーが静かに口を開く。


「制度としてある以上、狙える者が狙うのは自然だ」


 その声音はいつも通り落ち着いていた。

 だが、どこか少しだけ熱がある。


「エドガーも飛び級を考えている、ということ?」


 ナディアが聞く。


 エドガーは短く頷いた。


「少なくとも、この教室には可能性のある者が複数いる」


「複数、どころじゃないでしょうね」


 セレナが言う。


「少なくとも、私たちは皆、残留だけ見ている段階じゃないわ」


 その言葉に、ヴィクトルが口元を上げる。


「いいな、それ」


「何がよ」


「普通に試験を受けるだけの空気じゃなくなった」


「最初から普通じゃなかったでしょう」


「たしかに」


 ヴィクトルはそこで肩をすくめる。


「でも、飛び級まで視野に入るなら話は別だ。面白い」


 ガイルが眉をひそめる。


「お前、本当に勉強好きだな」


「違う。面白い勝負が好きなんだよ」


 そこへ、ナディアが静かに続いた。


「私も、狙えるなら狙いたいと思います」


 皆の視線が彼女へ向く。


 ナディアは少しも揺れずに言った。


「せっかくここへ来たのですから。届く場所にあるものを見送る理由はありません」


 その言い方はやわらかいのに、芯があった。


 セレナが小さく息を吐く。


「……そう。なら、私も遠慮はしないわ」


 ヴィクトルが笑う。


「いや、最初から遠慮してないだろ」


「うるさいわね」


 ガイルは腕を組んだまま天井を見た。


「飛び級か……」


 少しだけ間があってから、口元を歪める。


「まあ、お前らが行くなら俺も行く」


「雑だなあ」


 ヴィクトルが楽しそうに言う。


「細かい理屈はいいんだよ。どうせやるなら上までだろ」


 それもガイルらしい。


 こうして並べてみると、全員が同じ理由で動いているわけじゃない。

 でも、向く先だけは揃っていた。


 六月末。

 一学期末試験。

 そして、その先。


 静かだった教室の空気が、少しずつ別の熱を帯び始める。


六人が飛び級を目指す。

 冷静に考えれば、かなり異様だ。


 だが、このメンバーならあり得るとも思えた。


「……とはいえ」


 ヴィクトルが範囲表を振る。


「一人で全部詰めるのは面倒だな」


「あなたらしい台詞ね」


「事実だろ。筆記だけならともかく、応用課題は自分の見え方に偏りが出る」


 セレナは否定しなかった。

 エドガーも、ナディアも同じ顔をしている。


 俺もそう思う。


 自分一人で詰めるのが早い部分もある。

 でも、この六人なら、見えるものがそれぞれ違う。

 だったら、一度くらいは同じ机についた方がいい。


「休みの日に集まるか?」


 そう言ったのはガイルだった。


「勉強会みたいなもんだ。範囲の確認もできるし、応用課題の考え方も見れる」


「お前が言うと、ずいぶんまともに聞こえないな」


 ヴィクトルが笑う。


「うるせえ」


「でも、悪くありませんね」


 ナディアが言った。


「それぞれ得意分野が違います。試験対策としては理にかなっています」


「場所はどうするの?」


 セレナが言った。


「学院の自習室だと、人が多いでしょうし」


 そこで、少しだけ間が空いた。


 誰もが場所を考えていた、その時だった。


「それなら」


 エドガーが、ほんの少しだけ言葉を選ぶように口を開く。


「僕の家でどうだ」


 五人が静まる。


 ヴィクトルが真っ先に反応した。


「王宮?」


「ああ、そうだ」


 エドガーはいつも通りの落ち着いた声で言った。


「書庫もある。場所も取れる。試験範囲を詰めるだけなら、学院より揃うものも多い」


 合理的な説明だった。

 いかにもエドガーらしい。


 だが、少しだけ違和感が残る。


 いつもの彼なら、ここまで自分から場を出すだろうか。


 セレナも同じことを思ったのか、少しだけ目を細めた。


「……珍しいわね」


「何がだ」


「あなたからそういう提案をするのが」


 エドガーは一瞬だけ黙った。


 それから、いつもより少しだけ柔らかい声で言う。


「試験対策としても、その方が効率がいい」


「それだけ?」


 セレナは容赦がない。


 エドガーは小さく息を吐く。

 ほんのわずかに、困ったようにも見えた。


「……教室の外で話してみるのも、無意味ではないだろう」


 その一言で、妙に空気が変わった。


 王子としての理屈。

 試験対策としての合理性。

 それは本当だろう。


 でも、たぶんそれだけじゃない。


 このメンバーと、もう少し違う場所で話してみたい。

 そういう気持ちが、今の言葉には少しだけ混ざっていた。


 ヴィクトルが最初に笑う。


「へえ」


「何だ」


「いや、別に。王子様も意外と普通のこと言うんだなと思って」


「おかしいか」


「いや、むしろいい」


 ガイルは深く考えずに頷いた。


「王宮なら広いんだろ。じゃあそこでいい」


「雑ねえ」


 セレナが呆れる。


 だが、反対はしなかった。


 ナディアは静かに微笑んだ。


「では、お言葉に甘えましょうか」


 俺はエドガーを見た。


 彼はもういつもの顔に戻っている。

 背筋が伸びていて、言葉も落ち着いていて、余計なものは何も見せない。


 でもさっきの間と、あの一言だけは、たしかに少し違っていた。


「……じゃあ、決まりだな」


 俺がそう言うと、エドガーは短く頷いた。


「ああ。日取りは明日、詰めよう」


 ローヴェンの試験説明から、まだそれほど時間は経っていない。

 なのに話は、普通の学期末試験から、飛び級狙いの勉強会にまで膨らんでいた。


 しかも場所は王宮。


 冷静に考えると、かなりおかしい。


 でも、不思議と悪い気はしなかった。


 六月末の試験は、ただ残るだけのものじゃない。

 その先を取りに行くための試験だ。


 なら、やれるだけやる。


 教室の窓から差し込む午後の光が、机の端を照らしていた。


 範囲表の文字を見ながら、小さく息を吐く。


 どうやら一学期の終わりは、思っていたよりずっと騒がしくなりそうだった。



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