番外編⑪ ガレスの仕事
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ガレス・グレイヴ。
私が初めてこの男と会ったとき、正直に言って、どうしようもない男だと思った。
自分が貴族であることを鼻にかけ、他人を見下す。
剣の腕には自信があるようだったが、それを支える努力をしているようには見えなかった。
だから、イレーナ団長がガレスをガルセゾン団で引き受けるとおっしゃったとき、私は驚いた。
しかも、教育係は私だという。
……本当に、この男を鍛え直せるのだろうか。
そんな不安を抱えていた。
◇
「遅い!もっと足を動かせ!」
「わ、わかってる!」
朝の訓練場に、ガレスの荒い息遣いが響く。
ガルセゾン団に入ってから、ガレスには毎朝、基礎訓練を課している。
走り込み、素振り、体力づくり。
どれも地味な訓練ばかりだ。
ガレスには《剣豪》のスキルがある。
剣の扱いは確かに上手い。
しかし、基礎体力が足りていない。
剣を振る姿勢も、疲れてくると途端に崩れる。
「あと十回!」
「くっ……!」
ガレスが木剣を振る。
一回。
二回。
次第に動きが鈍くなる。
「まだだ!」
「わかってるって!」
ガレスは歯を食いしばり、最後まで木剣を振り切った。
「……はあ、はあ……」
「よし。少し休め」
「……やっとかよ」
ガレスが地面に腰を下ろした。
以前なら、途中で文句を言っていただろう。
いや、そもそも私の指導を素直に受けようともしなかったかもしれない。
だが、最近は違う。
口は悪いが、言われたことは最後までやるようになった。
……少しは変わってきたのだろうか。
「エメラルダ」
「何だ?」
「明日は、もう少し走れると思う」
「……ほう?」
「今日は昨日より、少しだけ楽だったからな」
ガレスは息を整えながら、そう言った。
私は思わず顔を見つめた。
自分の成長を、ちゃんと感じているのか。
「なら、明日は距離を延ばそう」
「……は?」
「もっと走れるんだろう?」
「いや、そういう意味じゃ……」
「楽しみにしているぞ」
「……くそっ!」
ガレスが悔しそうに顔をしかめた。
だが、不思議と嫌そうには見えなかった。
◇
訓練を終えると、今度は仕事だ。
ガルセゾン団では、鉱山の警備や街道の巡回、荷馬車の護衛などを請け負っている。
ガレスにも、そうした仕事を少しずつ覚えさせている。
当然、特別扱いはしない。
荷物を運ぶこともあれば、道具の手入れを任せることもある。
最初の頃は、何をするにも不満そうだった。
だが、今では自分から仕事を探すこともある。
……もっとも、周囲の目は相変わらず厳しい。
「あいつ、グレイヴ家の息子だろ?」
「ああ。あの評判の悪い伯爵家のな」
「よく平気な顔で働けるもんだ」
鉱山へ向かう途中、他領から働きに来ている人たちから、そんな声が聞こえてきた。
ガレスにも聞こえているはずだ。
しかし、何も言わない。
黙って荷馬車の後ろを歩いている。
旧グレイヴ領出身でアナハイムへ移住してきた者たちは、特にガレスへの反感が強い。
かつての伯爵家の統治に苦しめられた者も多いからだ。
私も旧グレイヴ出身だから彼らの言い分は理解できる。
他領から来た者たちも、その悪評を聞いている。
中には、ガレス本人が何をしたのかも知らず、面白半分に悪口を言う者までいた。
私は何度か注意しようとした。
だが、そのたびにガウマンから止められた。
「放っておけ」
「しかし……」
「あいつが今まで何をしてきたのか、俺たちには全部わからねえだろ」
「……それはそうだが」
「今は見てろ。あいつがどうするかをな」
私は納得できなかった。
確かに、過去のガレスはひどかった。
だが、だからといって、いつまでも罵られてよいわけではない。
……それでも。
私はガウマンの言葉に従い、しばらく見守ることにした。
◇
数日後。
私たちは、上水道の工事に参加することになった。
アナハイムの近くでは、領都へ水を運ぶための水路を造り始めている。
ガルセゾン団にも協力の依頼があり、手の空いている団員たちが工事を手伝うことになったのだ。
もちろん、ガレスも参加する。
「今日は土砂や石材の運搬だ。職人たちの指示に従え」
「わかった」
「勝手な判断はするなよ」
「うるせぇな!わかってるって」
ガレスが少し不満そうに答える。
だが、以前と違って反抗することはない。
現場に到着すると、大勢の人が働いていた。
ハル領騎士団に、ガイル殿が率いるベイルン騎士団。
職人や測量士たちもいる。
さらに、近隣の村から仕事を求めて集まった人々の姿もあった。
年配の者も少なくない。
「エメラルダ!」
アストン殿が声をかけてきた。
「おお、アストン殿。今日はよろしく頼む」
「ああ。ガルセゾン団の協力はありがたい」
「こちらこそ、仕事をいただけて助かる」
私たちは簡単に作業内容を確認した。
ガレスには、掘り出した石を荷車へ積む仕事を任せる。
単純だが、力のいる仕事だ。
「ガレス。無理はするなよ」
「わかってる」
「疲れたら交代しろ」
「ああ」
ガレスは石を一つ持ち上げた。
そして、荷車へ運び始める。
今のところ、問題はなさそうだ。
◇
しばらくして。
「……おい」
低い声が聞こえた。
振り返ると、一人の老人がガレスを見つめていた。
六十歳を過ぎているだろうか。
日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。
「お前……ガレス・グレイヴか?」
ガレスの手が止まった。
「……ああ」
「やっぱりそうか!」
老人の顔が険しくなった。
「グレイヴ伯爵家の息子だな!」
「……そうだ」
周囲にいた者たちも、何事かと顔を向けた。
「お前らのせいで、俺の息子はハル子爵領へ行っちまったんだ!」
「…………」
「昔からあの土地で暮らしてきたんだぞ!それなのに、税ばかり取られて、まともに暮らせなくなっちまった!」
老人の声が大きくなる。
「息子は仕事を探してハル子爵領へ行った! 向こうで暮らし始めて、もう帰ってこねえ!」
……そういうことか。
旧グレイヴ領では、領民たちの暮らしが相当苦しかった。
そのため、ハル領へ移住した人も多い。
この老人の息子も、その一人なのだろう。
「俺はな、あの村で息子と一緒に畑を耕して暮らしたかったんだ!」
「…………」
「それがどうだ!今じゃ、年寄り一人で畑を守ってる!」
老人がガレスを睨みつけた。
「お前らが、まともに領地を治めてりゃ、こんなことにはならなかったんだ!」
ガレスは何も言わなかった。
ただ、石を持つ手に力が入っている。
「何とか言ったらどうだ!」
「…………」
「昔は偉そうにしてたくせに、今度は黙りか!」
……まずいな。
ガレスの表情が険しくなっている。
以前のガレスなら、間違いなく怒鳴り返していただろう。
だが。
「…………」
ガレスはゆっくりと石を荷車に載せた。
そして、次の石を持ち上げる。
「おい!無視するのか!」
老人がさらに声を荒らげた。
近くにいた別の老人も口を開く。
「そうだ!お前ら貴族が好き勝手やったせいで、どれだけ苦労したと思ってる!」
「今さら真面目なふりをしたって、誰が信用するか!」
罵倒が続く。
それでも、ガレスは働き続けた。
……どうして、言い返さないんだ。
自分が直接、老人の息子を追い出したわけではない。
言いたいこともあるだろう。
それでも、ガレスは黙っている。
私は、少し離れた場所からその姿を見つめていた。
◇
「……エメラルダ」
隣にいたガウマンが声をかけてきた。
「何だ?」
「ずいぶん我慢してるじゃねえか。あいつ」
「……ああ」
ガレスは、もう何度も石を運んでいる。
汗が額から流れ落ち、服も泥だらけだ。
それでも、一度も手を止めない。
一方、老人たちは罵倒に夢中になり、すっかり仕事の手を止めていた。
周囲の人々も困った様子で見ている。
やがて、アストン殿が近づいてきた。
「……これは、さすがに見過ごせんな」
アストン殿がガレスの方へ向かおうとする。
すると。
「おっと、騎士団長さん」
ガウマンが、その前に立った。
「何だ?」
「ガレスはうちのメンバーだ。口を出さねえでくれるか?」
「しかし、あのままでは……」
「わかってるよ」
ガウマンは腕を組んだ。
「危ないことになりゃ、俺たちが止める。だが、今はあいつ自身が踏ん張ってるんだ」
「…………」
「もう少し、見ててやってくれ」
アストン殿は、しばらくガウマンを見つめた。
それから、小さく頷いた。
「……わかった。だが、作業の妨げになるなら止めるぞ」
「ああ。それでいい」
私は、再びガレスへ目を向けた。
……しかし。
いくら何でも、これはひどい。
昔のガレスが傲慢だったことは、私も知っている。
イレーナ団長に対する無礼な態度も、忘れていない。
だが、今のガレスは毎朝、必死に訓練している。
慣れない仕事にも文句を言わず、最後まで取り組んでいる。
……少なくとも、私にはそう見える。
私は我慢できなくなった。
「ガレス!」
大きな声で呼びかける。
ガレスが顔を上げた。
「……何だよ!」
横からガウマンが割り込んでくる。
「やってみせろよ!ガレス!」
「……は?」
「お前が今までとは違うところを、仕事で見せてみろ!」
ガレスが目を見開いた。
私はガウマンに続けてガレスに声をかけた。
「私は、お前が毎日どれだけ頑張っているか知っている!」
「…………」
「だから、ここでも最後までやり遂げろ!」
ガレスはしばらく黙っていた。
それから、口元を少しだけ緩めた。
「……言われなくても、やってやるよ!」
そう言って、再び石を持ち上げた。
……ふっ。
やはり、負けず嫌いな男だ。
その性格は、昔から変わっていないのだろう。
だが、今はその負けず嫌いが、少し違う方向へ向いているようだった。
◇
作業は続いた。
老人たちの罵倒も、完全には止まらなかった。
「まったく、よく平気でいられるもんだ!」
「貴族様には、こんな仕事は似合わねえだろ!」
ガレスは何も答えない。
黙々と石を運ぶ。
すると、老人の一人が荷車に石を積もうとして、足を滑らせた。
「うわっ!」
持っていた石が傾く。
そのまま落ちれば、足に当たるかもしれない。
「危ない!」
真っ先に動いたのは、ガレスだった。
老人の横へ駆け寄り、傾いた石を支える。
「くっ……!」
ガレスは歯を食いしばりながら、石を荷車へ押し戻した。
近くの作業員も手を貸し、どうにか安全な位置へ置く。
「……ふう」
ガレスが息を吐いた。
「怪我はねえか?」
老人は驚いたようにガレスを見つめた。
「……あ、ああ」
「そうか」
ガレスはそれだけ言うと、再び自分の仕事へ戻ろうとした。
老人は何か言いかけた。
しかし、結局何も言わなかった。
ガレス、お前は本当に変わり始めているんだな。
私は、少しだけ嬉しくなった。
◇
「おい!お前たち!」
突然、大きな声が響いた。
ガイル殿だ。
ベイルン騎士団を率いて工事に参加している、あの大男である。
老人たちが驚いて振り返った。
「な、何でしょうか?」
「さっきから見ていたが、お前たち余裕そうだな!」
「そ、それは……」
ガイル殿が腕を組んだ。
「そんなにお喋りをしたいのか?」
「い、いや、あいつはグレイヴ家の息子で……」
「そんなことは知ってるぞ!」
ガイル殿が豪快に言い放った。
「俺もガレスを少しは知っている!どうしようもない奴だったこともな!」
……。
ガイル殿はずいぶん遠慮がないな。
ガレスも顔を上げた。
「だがな!」
ガイル殿が老人たちを指さす。
「今日のお前たちを見ていると、ガレスの方がよほど働いているぞ!」
「……っ!」
老人たちが言葉を失った。
「昔、何があったのか、俺は詳しく知らん!忘れろとも言わん!」
「…………」
「だが、今やるべき仕事を放り出して、他人を罵ってばかりでどうする!」
ガイル殿の声が、工事現場に響き渡った。
「ガレスは朝からずっと石を運んでいる!お前たちはどうだ!」
「……そ、それは」
「文句を言う元気があるなら、手を動かせ!」
老人たちは黙り込んだ。
すると、ガイル殿が突然、にやりと笑った。
「……そうか!」
「な、何ですか?」
「それほど元気が余っているなら、明日の朝からベイルン騎士団の訓練に参加するか!」
「……はあ!?」
老人たちが一斉に声を上げた。
「心配するな!俺がみっちり鍛えてやるぞ!」
「い、いや!勘弁してください!」
「はっはっは!遠慮するな!」
「遠慮じゃねえ!この歳で騎士団の訓練なんかできるか!」
「何を言う!まだまだ元気そうではないか!」
……。
失礼だが、ガイル殿は少し馬鹿なのか?
ガイル殿は、ひとしきり笑うと老人たちを見た。
「まあ、無理にとは言わん!だが、仕事をするなら最後までやり遂げろ!」
「……わ、わかりました!」
老人たちが慌てて道具を手に取った。
ガイル殿は満足そうに頷く。
「うん!それでいい!」
周囲の騎士たちから笑い声が上がった。
……それにしても、すごい人だ。
あれだけ険悪だった空気を、一瞬で変えてしまった。
私には、あんな芸当はできそうにない。
◇
それからは、工事が順調に進んだ。
ガレスも相変わらず黙々と働いている。
しばらくすると、先ほどの老人が声をかけてきた。
「……おい」
「……何だ?」
「そっちの石も運ぶのか?」
「ああ」
「だったら、こいつも持っていけ」
老人が石を一つ指さした。
ガレスは少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「……わかった」
それだけの会話だった。
謝罪もなければ、感謝の言葉もない。
だが、少なくとも、老人はもうガレスを罵っていなかった。
……それでいいのだろう。
過去のことが、一日で消えるわけではない。
恨みを抱いていた人間が、突然ガレスを許すはずもない。
それでも、こうして一緒に働くことはできる。
今は、それで十分なのかもしれない。
◇
夕方。
ようやく、その日の仕事が終わった。
ガレスは荷車の横に腰を下ろしていた。
顔も服も泥だらけだ。
手には小さな傷がいくつもできている。
私は水の入った革袋を持って近づいた。
「ガレス」
「……何だよ」
「飲め」
「……ああ」
ガレスは革袋を受け取ると、勢いよく水を飲んだ。
「ぷはっ!」
「よく頑張ったな」
「……ああ」
私は隣に腰を下ろした。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
やがて、私は口を開いた。
「……今日は、大変だったな」
「……は?」
ガレスが驚いたように顔を上げた。
「何だよ、急に」
「褒めているんだ」
「……お前が?」
「何か不満でもあるのか?」
「いや、そうじゃねえけど……」
ガレスが気まずそうに目を逸らした。
私は少し笑った。
「以前のお前なら、あの老人たちに怒鳴り返していただろう」
「……そうだろうな」
「だが、今日は違った」
「…………」
「一度も仕事を投げ出さなかった。それに、あの老人が危なくなったときも助けただろう」
「……別に」
ガレスが小さく呟く。
「目の前で怪我されても困るだろ」
「それでも、立派だった」
「……そうかよ」
ガレスはそっぽを向いた。
しかし、耳が少し赤くなっている。
褒められることには、慣れていないのかもしれないな。
しばらくして、ガレスが口を開いた。
「……なあ」
「何だ?」
「俺さ、途中で言い返しそうになったんだよ」
「……そうか」
「あの爺さんの息子を追い出したのは、俺じゃねえって」
ガレスは地面を見つめた。
「俺が直接、何かしたわけじゃねえだろって……」
「…………」
「でもさ」
ガレスが拳を握りしめる。
「俺、あの頃、領民がどうやって暮らしてたのか、何も知らなかったんだよな」
私は黙って聞いていた。
「いや……知ろうともしなかった」
「…………」
「自分の家が金持ちで、偉くて。それだけで、何でも許されると思ってた」
ガレスが小さく笑った。
自分を笑うような、そんな笑い方だった。
「……そりゃ、嫌われるよな」
私は何も言えなかった。
以前のガレスなら、決して口にしなかった言葉だろう。
「……でもさ」
「うん?」
「俺、いつまでもあんなふうに言われ続けるのは嫌なんだよ」
「……ああ」
「だから、ちゃんと働いて、強くなって……いつか、あいつらに見直してもらいたい」
ガレスが顔を上げた。
「……甘いか?」
私は首を横に振った。
「いいや」
「…………」
「それでいいと思う」
ガレスは少し驚いた顔をした。
私は続けた。
「今日一日頑張ったからといって、過去が消えるわけではない」
「……わかってる」
「だが、今日のお前の働きは、誰にも否定できない」
私はガレスを見た。
「少なくとも、私は立派だったと思っている」
「…………」
「これからも、今日のように働き続ければいい」
ガレスはしばらく黙っていた。
それから、小さく頷いた。
「……ああ」
私は立ち上がった。
「さて、明日も朝から訓練だぞ」
「……げっ」
「今日もずいぶん体力を使ったようだが、手加減はしないからな」
「おいおい!少しくらい休ませろよ!」
「安心しろ。訓練の内容は、今日の疲労を見て調整してやる」
「……本当か?」
「ああ。ただ、手は抜くなよ」
「……言われなくても!」
ガレスが立ち上がった。
その足取りは重い。
だが、以前のように不満をぶつけることはなかった。
……そうか。
イレーナ団長がおっしゃっていた意味が、少しわかった気がする。
人は、簡単には変われない。
過去の行いが許されるとも限らない。
それでも、やり直そうとする人間には、そのための場所が必要なのだ。
「エメラルダ!」
少し先を歩いていたガレスが振り返った。
「何だ?」
「明日も、ちゃんとやるからな!」
私は思わず笑った。
「ああ。期待しているぞ!」
ガレスは少しだけ笑い、再び歩き始めた。
その背中は、初めて会った頃よりも、ほんの少しだけ頼もしく見えた。
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