第63話 綻びを穿て
洞窟の主が、ぬるい風の正体みたいな熱い息を吐いた。
「伏せろ!」
エドガーの声と同時に、俺は反射で身体を落とす。
次の瞬間、 壁が赤く焼ける。
岩肌がぱちぱちと弾け、熱気が一気に押し寄せてきた。
「っ、熱……!」
顔を庇っても、肌が焼けるようだった。
狭い。
逃げ場がない。
真正面からあれを受けたら終わる。
ガイルが剣を構え直し、叫ぶ。
「後ろに下がるか!?」
「下がるな!」
エドガーが即座に返す。
「後ろが狭いから下がれば、逆に詰まる! ここで抑える!」
判断が早い。
たしかにその通りだった。
壁の穴は一人ずつしか通れない。
あそこで押し合えば、熱息の的になるだけだ。
セレナが一歩前へ出る。
「光を増やす!」
指先から火球がいくつも散り、空洞の中を照らした。
主の鱗が、赤と青の入り混じった鈍い光を返す。
でかい。
そして、近くで見ると余計にわかる。
硬い。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《脅威:高》
《属性:熱》
《綻び:喉元深部》
《外皮:高硬度》
《警告:表層貫通困難》
――やっぱりだ。
喉元が弱点。
でも、そこに至る前の皮膚が硬すぎる。
「リオン!」
エドガーが短く呼ぶ。
「わかってる!」
右手を上げる。
火を細く集め、風で絞る。
赤白い線を、主の首元へ走らせる。
だが――
ぎゅっ、と嫌な音がしただけだった。
表皮が焦げる。
煙が立つ。
でも、通らない。
「駄目か!」
ガイルが叫ぶ。
「浅い!」
くそ。
綻びは見えている。
でも、届かない。
その間にも、主は身体をくねらせて距離を詰めてくる。
岩を擦る音が重い。
頭部の角が壁を削り、火花が散った。
ガイルが踏み込む。
「来い!」
剣を横薙ぎに振り、主の顔面へ打ち込む。
まともに斬るのではなく、軌道をずらす一撃だ。
鈍い音。
主の頭が少しだけぶれる。
その隙にエドガーが右側へ回り、短剣で目の近くを狙う。
浅い。
だが、嫌がった。
主が熱を孕んだ唸り声を上げ、首を振る。
「目は効く!」
エドガーが言う。
「完全には通らなくても、嫌がる!」
「でも、それで倒せないでしょ!」
セレナが火球を放ちながら言う。
火球は主の目元と鼻先で弾ける。
熱の獣に火は決定打にならない。
だが、視界を乱すには十分だった。
ヴィクトルが後ろから叫ぶ。
「吐息の前に喉が膨らむ! その時だけ頭が止まるぞ!」
よく見てるな。
でも、それだけじゃ足りない。
止まったところで、表皮は抜けない。
その時、ナディアが低い声で言った。
「首の動きです」
全員の意識が一瞬、そっちへ向く。
「何?」
セレナが聞く。
ナディアは主の動きを見たまま、落ち着いて言った。
「この魔物、吐息の前に必ず左前へ体重が乗ります。
その直後、顎が少し上がる」
武道の経験が長いというナディアの視点だ。
「重心移動で予備動作を作ってるのか」
エドガーがすぐに理解する。
ナディアは頷く。
「はい。
喉を守るために首を固める。でも、吐く瞬間だけは逆に開きます」
喉が開く。
そこだ。
表皮が硬いなら、外から抜かなくていい。
口が開いた瞬間、喉奥を撃ち抜けばいい。
「……いけるか」
俺が呟く。
「何が見えた」
エドガーの声が飛ぶ。
「弱点は変わらない。喉奥だ。
でも外からじゃ通らない。口を開いた瞬間なら入る」
「やっぱりそこか」
ヴィクトルが言う。
「で、その一瞬をどう作る?」
「作るんじゃない」
俺は主の喉を見据えた。
「吐かせる」
ガイルの口元が、戦う前の顔になる。
「なら、その一瞬を作るのは俺か」
エドガーが即座に続く。
「役割を決めるぞ!」
短い声だった。
でも、全員が自然にそれに従った。
「ガイル、正面で抑えろ。だが、まともに受けるな。
吐息を誘え」
「了解!」
「セレナ、目を潰せ。
吐息の瞬間、顔が上がるようにしたい」
「言われなくても!」
「ナディア、重心の変化を読む。合図をくれ」
「はい」
「ヴィクトル」
「わかってる。タイミングを見る」
ヴィクトルはもう笑っていなかった。
商人の目のまま、戦場の流れを計っている。
「リオン」
「うん」
「お前は喉奥を穿て」
それだけだった。
でも、それで十分だった。
◇
ガイルが一歩、いや半歩だけ前へ出る。
深く踏み込みすぎない。
だが、引きすぎもしない。
主がそちらへ意識を向ける。
熱を孕んだ喉が、低く鳴った。
「来い!」
ガイルが剣を打ち込む。
狙いは頭ではなく、体を支える部分だ
浅くてもいい。
嫌がらせればいい。
主が身体をよじる。
その瞬間、エドガーが横へ滑り込み、短剣で角の根元を叩いた。
完全に通すつもりの一撃じゃない。
視線を散らすための斬撃だ。
主が首を振る。
そこでセレナの火球が三つ、一直線に飛んだ。
主の目の前で一瞬だけ視界が乱れる。
怒ったように、主が大きく身を起こす。
「今です!」
ナディアの声が飛んだ。
主の体重が、確かに左前へ沈む。
喉が膨らむ。
顎がわずかに上がる。
ヴィクトルが叫ぶ。
「リオン! 真ん中が通る!」
その一瞬だった。
右手を突き出す。
火を細く絞る。
風でさらに圧縮する。
今度は首元じゃない。
開いた口の、その奥。
喉の深部。
赤白い線が、一直線に走った。
主が熱息を吐く直前、その喉奥へ一閃が吸い込まれる。
ほんの一拍、遅れて。
空洞の中に、内側から何かが焼け裂ける音が響いた。
主の動きが止まる。
目が見開かれる。
喉の奥で赤く膨らんでいた熱が、行き場を失って暴れた。
次の瞬間、主は苦しむように首をのけぞらせ、そのまま横へ大きく崩れた。
轟音。
岩が揺れる。
粉が舞う。
全員、反射で身を引く。
主の身体が完全に地に伏した時、空洞の中は耳鳴りみたいな静けさに包まれた。
◇
「……やったのか?」
ガイルが、信じきれない顔で言う。
エドガーはまだ構えを解いていない。
だが、主の目はもう動いていなかった。
「死んでる」
セレナが低く言う。
ナディアはすぐにガイルの腕へ手をかざした。
さっきの熱で浅く焼けた箇所に、淡い光が落ちる。
「動かせますか」
「問題ない」
ガイルはそう言ったが、回復魔法が流れたことで呼吸が少し楽になったのがわかる。
ヴィクトルが息を吐いた。
「……まさかこんな強いやつがいるとはな」
いつもうるさいヴィクトルもさすがに疲れたようだ。
◇
主の身体の向こう側、空洞の奥へ目を向ける。
そこには、さっきまで主の巨体に隠れて見えなかった岩肌が露出していた。
青みを帯びた鉱質。
鈍い金属光沢。
そして、壁面の一部には、はっきりと筋になって走る鉱脈。
セレナが息を呑む。
「……これ、さっき見えたものより濃いわ」
ヴィクトルが応える
「売れるとか、珍しいとか、そういう話じゃないな」
エドガーも、その岩肌を見たまま言った。
「学院だけで抱えるべき話か、少し怪しくなってきた」
ナディアは鉱脈に近づき、慎重に表面を見た。
「熱を通しやすいだけではありません。
魔力の流れも吸っています」
視界の端に、文字が浮かぶ。
《高魔力伝導鉱脈》
《露出:小》
《綻び:奥へ連続》
《評価:将来的価値・高》
……やっぱり。
これはただ珍しい石じゃない。
使い方次第で、工房の景色を変える。
鋳造にも、魔道具にも、たぶん先へ繋がる。
そして、その時だった。
鉱脈のさらに奥。
主がいた場所の下、岩陰の向こう側に、まだわずかな空気の流れを感じた。
俺は息を止めた。
「……どうした?」
エドガーが聞く。
俺は岩肌の向こうを見たまま、ゆっくり答える。
「これで終わりじゃない」
「何?」
セレナが振り向く。
「この鉱脈、まだ先がある」
エドガーが眉を寄せる。
「先があるのか」
「うん」
俺は短く頷いた。
「たぶん、今見えてるのは一部だけだ。
主がいた場所の奥にも、まだ空間か、少なくとも鉱脈の続きがある」
ガイルがすぐに言う。
「なら行こうぜ。主は倒したんだろ」
「駄目よ」
セレナがぴしゃりと言った。
「想定外の戦闘があったのよ。しかも相手は授業用の魔物じゃない。
ここでさらに奥へ進んで、また何か出たらどうするの」
「でも――」
「でもじゃない」
珍しく、声が強かった。
たぶんセレナ自身も、奥へ行きたいのだろう。
それでも止めるのは、今ここで勢いに任せる方が危険だとわかっているからだ。
ナディアが、ガイルの腕に回していた回復魔法の光を弱めながら静かに言う。
「私も、今日は引くべきだと思います」
「ナディアまでそう言うのか」
「回復はできます。ですが、消耗そのものを消せるわけではありません。
集中も、判断力も、落ちます」
その言い方には妙な説得力があった。
ヴィクトルも、いつもの軽さを少し抑えた声で続く。
「俺も賛成だな。
価値があるものほど、雑に突っ込んで失うのが一番まずい」
そこで少しだけ口元を上げる。
「証拠を持ち帰れるなら、今日は勝ちだ」
エドガーが全員を見る。
「リオン」
「うん」
「お前はどう判断する」
短い問いだった。
でも、その問い方はよかった。
さっき主を倒したのが俺の一撃だったからじゃない。
この異変を最初に見つけたのが俺だったからだ。
俺はもう一度、鉱脈の奥を見た。
確かに続きはある。
それも、ただの細い筋じゃない。
あの先に、まだ何かがある。
でも。
「……今日はここまでにするべきだと思う」
そう言うと、全員の空気が少しだけ落ち着いた。
「主を倒した時点で、もう実習の範囲は超えてる。
しかも、この場所の価値は鉱石だけじゃなくて、“ここに何かある”って事実そのものだ。」
ヴィクトルが小さく笑う。
「いい判断だ」
エドガーも短く頷いた。
「妥当だな」
ガイルは少しだけ不満そうだったが、それでも剣を下ろす。
「……まあ、次があるなら我慢する」
「次を作るためにも、今日無茶しないのよ」
セレナが言う。
「それはわかってる」
その返事は、思ったより素直だった。
◇
まずエドガーとガイルが、洞窟の主の討伐証明になる部位を切り取った。
主の皮膚は硬かったが、完全に死んだあとは少しだけ作業しやすかった。
ガイルが短く息を吐きながら言う。
「こいつ、死んでても固いな」
「生きてる時に正面から切っても通らんわけだ」
エドガーのその言葉に、少しだけ実感が追いつく。
たしかに危なかった。
あと少し噛み合わなければ、こっちが崩れていてもおかしくなかった。
セレナは露出した鉱脈の一部を慎重に見て、指先に小さな火を灯した。
「表面だけなら、ここを薄く落とせるわ」
「頼む」
火が走る。
青みを帯びた鉱石の表面が、薄く削れるように剥がれた。
ナディアが布を広げて受け止める。
「素手では持たない方がいいかもしれません。熱だけではなく、魔力反応も残っています」
「助かる」
俺はその小片を見つめる。
大きくはない。
でも、十分だった。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《高魔力伝導鉱石・小片》
《分析価値:高》
《加工適性:要検証》
やっぱりだ。
これだけでも持ち帰れれば、工房や魔道具研究に繋がる。
少なくとも、“ただの珍しい石”では終わらない。
ヴィクトルは周囲の状況を簡易帳面に書き留めていた。
「位置、空洞の広さ、主の特徴、鉱脈露出、空気の温度差……こんなもんか」
「細かいね」
俺が言うと、彼は当然のように返す。
「あとで話が大きくなるほど、最初の記録は効く」
それは、妙に重かった。
確かにそうだ。
ここで見たものが本当に価値を持つなら、あとから絶対に話は大きくなる。
◇
撤退を決めると、動きは早かった。
主の部位。
鉱石の小片。
採取できる範囲の目標素材。
それぞれを手分けして回収する。
ガイルは最後まで何度か奥を振り返っていた。
セレナも同じだった。
たぶん、俺も似たような顔をしていたと思う。
でも、今はそれでいい。
穴をくぐって元の実習洞側へ戻る時、最後にもう一度だけ振り返る。
暗い。
静かだ。
主を失った空洞は、さっきまでよりずっと広く、そしてずっと不気味に見えた。
視界の端に、また文字が浮かんだ。
《綻び:鉱脈はまだ続いている》
《推奨:再調査》
再調査。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
◇
実習洞の入口近くまで戻った頃には、さすがに全員の疲労が隠せなくなっていた。
セレナの火球も、最初より明らかに小さい。
ガイルは平然を装っているが、肩で息をしている。
ナディアも回復魔法を使ったぶん、額に薄く汗が浮いていた。
エドガーが歩きながら言う。
「学院へ戻ったら、まず事実だけを報告する」
「どこまで話す?」
ヴィクトルが聞く。
「主の存在。未記録の空洞。異常鉱脈。
その三つは外せない」
「全部だな」
「隠す理由がない」
それはそうだ。
ただ、この話がどこまで広がるのかは、まだわからない。
学院の中で収まるのか。
公爵家や王家まで話が上がるのか。
あるいは工房や商会が絡むのか。
でも少なくとも、今日持ち帰るものははっきりしている。
洞窟の主を倒した証拠。
未開空洞の存在証明。
そして、あの青い鉱石の小片。
課外活動初日。
ただの素材採取実習だったはずなのに、気づけば俺たちはそれ以上のものを抱えて戻ることになっていた。
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