第62話 行き止まりの先
洞窟の奥から、ほんのわずかにぬるい風が流れてくる。
それは気のせいで片づけるには、妙に肌に残る温度だった。
ガイルが剣を下ろさないまま、通路の先を睨む。
「行き止まりに見えるんだが」
実際、俺たちの前にあるのはただの壁だ。
白っぽい鉱質がまだらに走る岩壁。
人一人通れるような裂け目はない。
学院の管理札も、この壁の手前までで終わっている。
だが、綻びの目ははっきり告げていた。
《洞内構造:学院把握範囲と差異》
《奥部:未記録反応あり》
「……風がある」
俺が言うと、セレナが壁際へ寄ってきた。
「どこから?」
「このあたり」
岩壁の右寄り、腰の高さあたりを指す。
セレナは手をかざし、目を細めた。
「……たしかに、少しだけ空気が流れているわ」
ナディアも静かに壁へ触れる。
「温度も違います。この部分だけ、内側から熱が来ているみたいです」
「じゃあ、裏に空間があるってことか?」
ガイルがあっさり言う。
「壊してみるか?」
「待って」
セレナがすぐ止めた。
「何でもかんでも斬ればいいわけじゃないでしょう。崩落したらどうするのよ」
「ならどうする」
「まず、壁の状態を見るの」
言い返しながらも、セレナの声は少しだけ上ずっていた。
たぶん、興奮している。
それは俺も同じだった。
ヴィクトルがしゃがみ込み、壁の根元を観察する。
「面白いな」
「何が」
「ここの粉だよ」
指先で壁際の白い粉を拾い、光にかざす。
「手前の洞壁鉱粉より細かい。しかも、少し重い」
「わかるの?」
思わず聞くと、ヴィクトルは肩をすくめた。
「見慣れてるからな。工房に出入りしてると、粉でも音でも違いは残る」
エドガーは壁全体を見て、それから短く言った。
「一点だけ薄い場所がある」
彼が指したのは、俺が風を感じた位置の少し上。
たしかに、色が違う。
周囲よりわずかに明るく、湿り方も異なる。
視界の端に文字が浮かぶ。
《岩質:後補修》
《強度:低》
《綻び:中央下部》
後補修。
「ここ、自然の壁じゃない」
俺が言うと、全員の視線が集まった。
「あとから塞がれた跡だ」
「学院が塞いだのか?」
ガイルが聞く。
「そこまではわからない。でも、元からこうじゃない」
ナディアが小さく頷いた。
「削れ方が周囲と違います。自然の割れではありません」
エドガーは少しだけ考え、すぐに判断した。
「開けるぞ。ただし、無理に壊すな。最小限で様子を見る」
「異論ある?」
ヴィクトルが聞く。
「ない」
セレナは即答だった。
ガイルも剣を肩から下ろす。
「なら俺がやる」
「斬るなよ」
「わかってる」
ガイルは剣を鞘に戻し、代わりに腰の短い鉄棒を抜いた。
柄尻で壁の薄い部分を、まず軽く叩く。
ごつ、ごつ。
鈍い音。
だが三打目で、音が変わった。
奥が空いている音だ。
「やっぱり空洞だな」
ヴィクトルがにやりと笑う。
ガイルは今度は力を込めて、しかし一点だけを狙って打ち込んだ。
ばき、と亀裂が走る。
粉が落ちる。
その隙間から、たしかにぬるい空気が流れ出した。
全員が少しだけ息を止める。
「……当たりね」
セレナが低く言う。
ガイルがもう一撃。
今度は拳大の穴が開いた。
そこから先を覗き込むと、向こう側は真っ暗だった。
だが、壁一枚の先に小さな空洞があるのは間違いない。
「灯り」
エドガーの声で、セレナが小さな火球を指先に灯す。
それを穴へ近づけると、向こうの空間がわずかに照らされた。
狭い。
だが、自然にできた小空洞というより、岩の裂け目が奥へ続いているように見える。
そして、壁の向こうの岩肌には、こちら側にはない鉱質の光沢が走っていた。
白ではない。
灰でもない。
青みを帯びた、鈍い金属光沢。
ヴィクトルの目が変わる。
「……おい」
「なに?」
「見えるか、あれ」
俺も穴へ顔を寄せる。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《鉱質:高魔力伝導反応》
《純度:不明》
《綻び:奥へ続く》
高魔力伝導。
胸の奥が、どくんと鳴った。
普通の洞壁鉱粉じゃない。
魔石とも少し違う。
でも、もしこの反応通りなら――
「リオン?」
セレナが呼ぶ。
「……これ、普通の鉱石じゃないかもしれない」
「価値があるのか」
エドガーが聞く。
「たぶん、かなり」
そう答えた瞬間、ヴィクトルが低く笑った。
「それはいいな。“かなり”はお前の中では高評価だ」
ガイルはもう半分、身体を穴へ向けていた。
「だったら中を見ようぜ。こんなところで止まる理由がない」
「慎重に、って言ってるでしょう」
セレナがぴしゃりと言う。
「ここから先は学院の管理外かもしれないのよ」
「でも行かなきゃ何もわからない」
「それはそうだけど、勢いだけで入るなって話!」
「二人とも」
エドガーがまた短く止める。
それだけで、妙に空気が整う。
「狭い。全員では入れないな」
たしかにそうだった。
壁の穴をもう少し広げても、一度に並んで進める幅はない。
「先に俺とリオンが見る」
エドガーが言う。
「必要ならすぐ戻る。後ろはセレナとナディアが灯りと索敵。ヴィクトルは記録と回収判断。ガイルは入口側を抑えろ」
「了解」
返事は揃った。
この短さで決まるのは、やっぱりエドガーの資質なんだろう。
壁の穴を人が通れる程度まで広げ、俺とエドガーが先に入る。
狭い裂け目だ。
肩をすぼめるようにして通る。
向こうへ抜けた先は、小さな空洞だった。
天井は低い。
でも奥に向かって、ゆるく下っている。
岩肌には、さっき見えた青みのある鉱質が断続的に露出していた。
足元には白い殻のようなものが散らばっている。
「これ……抜け殻か?」
俺がしゃがみ込む。
乾いている。
だが新しくはない。
何かがここに棲んでいたか、今も棲んでいる。
エドガーが低く言う。
「匂いが変わったな」
その瞬間だった。
空洞の奥、さらに下へ続く暗がりの向こうから、ずるり、と何かを引きずるような音が響いた。
反射的に背筋が固まる。
セレナの火球の光が届くぎりぎりの暗がりで、岩肌に沿うように長い影が動いた。
「……下がれ!」
エドガーが鋭く叫ぶ。
次の瞬間、暗闇の奥からそれは現れた。
太い。
長い。
蛇に似ている。
だが頭部の左右から、洞窟の岩を引っかくような鉤爪じみた角が伸びている。
目は濁った金色。
喉元の奥で、熱を含んだ音が鳴る。
「なっ……」
ガイルが穴の向こうで息を呑む。
「洞窟の主かよ!」
そいつは頭をもたげ、俺たちを見た。
その視線だけで、わかる。
強い。
授業用の小型魔物なんかじゃない。
この場所に棲みついて、この空洞ごと縄張りにしている側の生き物だ。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《脅威:高》
《属性:熱》
《綻び:喉元深部》
《警告:単独対処非推奨》
喉元。
だが、そこへ届く前にこっちがやられる。
蛇型の主が、喉奥を赤く光らせた。
「まずい!」
俺が叫ぶのと、セレナが火球を散らして光を増やすのが同時だった。
ガイルが剣を抜き、エドガーが俺の肩を強く引く。
次の瞬間――
洞窟の主が、ぬるい風の正体みたいな熱い息を吐いた。




