第61話 管理林区の異変
課外活動の初日は、朝から妙に空気が澄んでいた。
王都の北西門近く。
学院生用の集合場所には、すでに何人もの生徒が集まっている。
剣術実習へ向かう者。
文官補佐の説明を受ける者。
工房見学用の馬車に乗り込む者。
その中で、俺たちは少しだけ目立っていた。
エドガー・アルスレイン第二王子。
セレナ・ヴァレスト。
ヴィクトル・ローデン。
ガイル・ベイルン。
ナディア・セルヴァン。
そして俺。
「朝から濃い顔ぶれだな」
ヴィクトルがそう言いながら肩をすくめる。
「自分もその中に入ってる自覚はある?」
「当然ある。だから言ってるんだ」
その横でガイルは、肩に担いだ剣の具合を確かめていた。
「顔ぶれがどうでも、やることは同じだろ。森へ行って、採って、戻る」
「それで済めばいいけどな」
ヴィクトルが言う。
「済まないと思ってるの?」
「学院の実習で、“ただ行って帰るだけ”では済まないだろう」
それはたしかにそうだった。
ローヴェン先生が管理している以上、何かしら見るつもりなのは間違いない。
しかもこの顔ぶれで一緒に動かすということは、素材採取の腕だけではなく、現場で何を考えるかまで見たいのだろう。
少し離れた位置にいたセレナが、こちらへ歩いてくる。
「遅れてないわね」
「おはよう、が先じゃない?」
「今したでしょう」
「してないけど」
「したことにしておきなさい」
相変わらずだ。
でも、こうして自然にこっちへ来るあたり、もう初日の距離感ではなかった。
ナディアは一歩後ろで、今日の班用に配られた簡易地図を見ている。
「管理林区から第二実習洞まで、思ったより距離がありますね」
「半日で往復できるはずだ」
エドガーが静かに答える。
「だが、寄り道や判断の遅れは想定しているだろう。訓練としてはその方が自然だ」
その時、ローヴェンが現れた。
相変わらず無駄のない足取りで、全員を一度見回す。
「揃ったな」
それだけで、場の空気が引き締まる。
「今日の課外活動は、王都北西・管理林区、および第二実習洞で行う」
学院職員が手際よく小袋を配る。
中には簡易記録札、小型ナイフ、採取用の布、そして回収目標一覧。
俺は一覧に目を通した。
薄青苔
灰葉草
洞内白晶茸
小型魔石片
洞壁鉱粉
薬用もある。
工房用もある。
洞内素材も混じっている。
「全部回収する必要はない」
ローヴェンが言う。
「だが、何を優先し、何を捨てるかの判断は見る。
加えて、採取経路、危険判断、班行動も評価対象だ」
「質問」
ヴィクトルが手を挙げる。
「目標以外の素材を拾ったら?」
「価値を説明できるなら減点しない」
「いいね」
ヴィクトルが笑う。
ガイルは鼻を鳴らした。
「結局、見つけたもの勝ちですか。」
「そうとも言える」
ローヴェンは否定しなかった。
「ただし、無理に奥へ入るな。
管理区域を外れるな。
そして何より――“授業だから安全だ”と思うな」
短いその一言が、妙に重かった。
「では行ってこい」
◇
管理林区へ入ってすぐ、森の空気が王都の外と少し違うことに気づいた。
深い森ではない。
人の手が入っている。
細い管理道も通っているし、危険な区域には目印も立っている。
それでも、森は森だ。
湿った土の匂い。
葉擦れ。
遠くの鳥の声。
木漏れ日。
その全部の下に、王都の近くとは思えない静けさがある。
「これなら素材採取の訓練としてはちょうどいいな」
ガイルが前方を見ながら言った。
「戦うにも狭すぎず、見通しも悪すぎない」
「君はすぐ戦いの話になるね」
セレナが言う。
「戦えるかどうかは大事だろ」
「否定はしないけど、今日は採取よ」
「採りながら戦うこともある」
「だからあなたは脳筋寄りなのよ」
「何だと?」
「静かに」
エドガーの一言で、二人とも口を閉じた。
短い。
だが効く。
先頭はガイル。
その少し後ろにエドガー。
俺とセレナとナディアが中央。
ヴィクトルが最後尾寄りで周囲を見ている。
自然とそうなった。
誰かが決めたわけじゃない。
でも、悪くない並びだった。
「最初の採取地点はこの先の沢沿いです」
ナディアが地図を見ながら言う。
「灰葉草がまとまって取れるはずですが――」
そこで、彼女は少しだけ眉を寄せた。
「どうしたの?」
「いえ。少し、湿り方が違う気がして」
その言い方に、俺も周囲を見る。
たしかに、沢へ近づいているわりに、土が思ったほど湿っていない。
逆に、少し乾いている。
目的の場所へ出た。
浅い沢。
石。
低木。
本来なら、このあたりに灰葉草が群れているはずだ。
だが――少ない。
「少ないな」
ガイルが先に口にした。
「一覧では“容易”になっていたぞ」
ヴィクトルもしゃがみ込んで、草を指で避ける。
「採られた跡じゃないな。そもそも生えてない」
セレナが一本だけ見つけた灰葉草を摘み、葉裏を確認する。
「枯れてはいないわね。
でも、育ちが悪い」
ナディアは沢の上流側を見る。
「水の質が少し変わったのかもしれません」
「水?」
「ええ。湿地系の草は、水が変わると露骨に出ます」
そこへ俺の視界の端に、薄青い文字が浮かんだ。
《灰葉草:生育不足》
《沢水:微量鉱質増》
《綻び:上流側、流入変化》
上流側。
「原因は上の方かも」
俺が言うと、ヴィクトルがすぐ反応する。
「そうなのか?」
「たぶん、水の流れが少し変わってる」
「また“たぶん”か」
「でも、外れてる感じはしない」
エドガーが沢へ視線を向けた。
「第二実習洞はこの沢の上流寄りにあるな」
「繋がってるってこと?」
セレナが聞く。
「可能性はある」
エドガーは短く答える。
「なら、先へ進む価値はある」
最初の採取地点から、もう違和感が出た。
ローヴェンがこれを完全に把握していたのか、それともあえて選んだのかはまだわからない。
だが少なくとも、目録通りに回収するだけで終わる実習ではなさそうだった。
◇
第二実習洞の入口は、岩場の陰にひっそりとあった。
人工的に整えられてはいる。
入口には学院の管理札も打たれているし、外から見れば訓練用の小規模洞窟に見える。
だが、近づいた瞬間に違和感があった。
空気が少しぬるい。
「……あれ?」
俺が足を止める。
「どうした」
エドガーがすぐに聞く。
「ちょっと温かい」
セレナも洞口に立って、息を吸い込んだ。
「言われてみれば、少しだけ」
ナディアは壁面に触れる。
「内部の湿度も、資料より高そうです」
「ただの洞窟って感じじゃないな」
ヴィクトルが呟く。
「いいね。面白くなってきた」
「お前は何でも面白がるな」
ガイルが言う。
「面白くないよりはいい」
そう返しながら、ヴィクトルは洞口の脇にしゃがみ込んだ。
「足跡がある」
「学院生のじゃないの?」
セレナが言う。
「それもある。けど、それだけじゃないな」
俺もしゃがみ込む。
踏み荒らされた土。
靴跡。
獣の爪痕に近いもの。
そして、壁際にこすれた痕。
視界の端に文字が浮かぶ。
《出入り:複数》
《学院記録外反応:微》
《綻び:洞内奥部、流入あり》
学院記録外。
胸の奥が少しだけざわつく。
「普通の実習洞にしては、出入りが雑だ」
俺が言うと、エドガーが短く頷く。
「入る。だが、速度は落とす」
ガイルが先頭。
エドガーがそのすぐ後ろ。
俺たちは中央。
ヴィクトルが最後尾。
洞窟の中は、思ったより広かった。
狭い一本道ではない。
奥に行くほど枝分かれするタイプだ。
壁には白っぽい鉱質の筋が走っている。
ところどころに薄青苔がついているが、目録にあった洞内白晶茸はあまり見当たらない。
「資料と生え方が違うわね」
セレナが壁際を見ながら言う。
「こっちは減って、代わりにこっちの苔が増えてる」
「条件が変わったんだろうな」
俺が答える。
足元で小石が転がる。
その瞬間、前方でガイルが低く声を出した。
「止まれ」
全員が止まる。
通路の先。
曲がり角の向こうから、かすかな音がした。
擦れる音。
爪のようなものが石を引っかく音。
次の瞬間、小型の魔物が飛び出してきた。
犬ほどの大きさ。
だが身体は細く、洞窟向きに四肢が長い。
目がやけに明るい。
「資料にある洞穴鼠型じゃないぞ!」
ガイルが叫ぶ。
飛びかかってきた一体目を、ガイルが剣の腹で横へ弾く。
そこへ二体目が壁を蹴って頭上から来る。
セレナの火弾が一瞬で走り、魔物の進路をずらした。
着地したところへ、エドガーが短剣で喉元を正確に突く。
「右壁!」
ナディアの声が飛ぶ。
見ると、壁の窪みからもう一体這い出そうとしていた。
しかも一体じゃない。二体。
ヴィクトルが舌打ちする。
「数が多いな!」
「下がるな!」
エドガーの声が鋭い。
「ここで下がると通路が詰まる!」
その判断が速い。
たしかにこの幅では、後退すると逆に動きにくい。
前衛が前で止めて、後ろが捌く方がいい。
俺は風を細く走らせる。
洞窟内で火を使いすぎるのは危険だ。
なら、まずは足を止める。
風刃が魔物の前脚を払う。
体勢を崩したところへ、ガイルが踏み込んで斬り下ろした。
「いい連携だ!」
ガイルが叫ぶ。
「お前が言うか」
ヴィクトルが言いながら、足元の石を拾って奥へ投げる。
石が壁に当たる。
その反響で、さらに一体が潜んでいた位置がわかった。
「左奥にもいる!」
「助かる」
エドガーが短く返す。
ナディアは洞窟の壁面に目を走らせ、すぐに言う。
「右側へ寄りすぎないで! 床が脆いです!」
その言葉に、ガイルが咄嗟に踏み込みを修正する。
次の瞬間、右側の石がぱきりと割れた。
「……危なっ」
「どうしたの?」
セレナが聞く。
「色が違いました」
ナディアは静かに答える。
その間にも、最後の一体が通路の奥から飛び出してくる。
速い。
だが、一直線だった。
視界の端に、綻びが走る。
《跳躍軌道:固定》
《綻び:眉間直下》
右手を出す。
火を小さく。
そこへ風を細く重ねる。
赤白い線が一瞬だけ走り、魔物の額を貫いた。
乾いた音とともに、魔物が地面へ落ちる。
洞窟の中が静かになった。
荒い息。
焦げた匂い。
石の冷たさ。
その全部が、数秒遅れて戻ってくる。
「……予定外の“戦闘”にしては、十分すぎるな」
ヴィクトルが息を吐く。
「授業用の実習洞に、あんなのがまとまって出るの?」
セレナが眉を寄せる。
「普通は出ないだろう」
エドガーが即答した。
「少なくとも、学院側の想定通りではないはずだ」
ガイルが剣についた血を払う。
「なら、やっぱりおかしいな」
ナディアはしゃがみ込み、倒れた魔物の爪先を見た。
「足裏が削れています」
「何が言いたい」
ガイルが聞く。
「浅い洞窟を歩き回った個体というより、もっと岩の多い場所を通ってきた個体に見えます」
俺はその言葉に、洞窟のさらに奥を見た。
暗い。
曲がっている。
学院の管理札が立っているのは、今いるこのあたりまでだ。
その先は、資料より少し長い気がした。
そして、その時だった。
視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。
《洞内構造:学院把握範囲と差異》
《奥部:未記録反応あり》
《綻び:奥にまだ何かある》
――奥にまだ何かある。
背筋が、ぞくりとした。
「リオン?」
セレナの声が近くで響く。
俺はすぐには答えられなかった。
洞窟の奥から、ほんのわずかにぬるい風が流れてくる。
管理された実習洞の空気じゃない。
もっと奥で、何かが変わっている空気だ。
「……この洞窟」
小さく呟く。
「学院が把握してる実習洞と、少し違う」
全員の視線が奥へ向いた。
暗い通路。
見えない先。
そして、説明にない異変。
課外活動初日。
ただの素材採取実習のはずだったが
そんな空気はもうどこにも残っていなかった。
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