第624話 失ったもの、残ったもの
新連載はじめました!
『王女殿下、まずは拳をお下げください ~転生執事と最強王女の成り上がり~』という作品です。
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それから数日後。
俺はルッツさんに呼ばれ、蒸気機関車の試験場を訪れていた。
前回、ボイラーの改良について話し合ってから二週間以上が経っている。
「リオン様。こちらをご覧ください」
ルッツさんが机の上に二本の管を置いた。
一方は鉄製。
もう一方は、赤みを帯びた銅製だ。
「おお! 銅管ができたんだね!」
「はい。まだ試作品ですが、ようやく比較試験ができるようになりました」
「それで、どうだったの?」
「よい結果が出ています」
ルッツさんが嬉しそうに笑った。
近くにはヴァイスさんもいた。
「ハル。まずはこれを見てくれ」
ヴァイスさんが二枚の紙を差し出した。
そこには、鉄管と銅管の試験結果が記されている。
「同じ条件で熱を加え、どれほど速く熱が伝わるかを比較してみたんだ」
「へえ!」
「結果は明らかだった。銅管の方が熱を伝えやすい」
やっぱりそうなんだ。
「じゃあ、ボイラーの性能もよくなりそうですね!」
「可能性はある。ただ、熱が伝わりやすいことと、ボイラーとして優れていることは同じではない」
「そうなんですか?」
「ああ。管の厚さや形状、それに熱を受ける面積によっても結果は変わる。高い温度に長く耐えられるかも重要だ」
「なるほど」
……そうか。
銅なら何でもいいというわけじゃないんだ。
「ルッツさん。実際に使えそう?」
「その確認のため、小型の試験装置を作りました」
ルッツさんが奥へ案内してくれた。
そこには、鉄製の箱のような装置が置かれていた。
銅管が取り付けられ、下から熱を加えられるようになっている。
「いきなり蒸気機関車に取り付けるのは危険ですので、まずはこちらで試験を行いました」
「うん。それがいいね」
「同じ量の水を温めたところ、従来の鉄管を使った場合より、温度の上がり方が速くなりました」
「おお!」
それは嬉しいな!
「じゃあ、成功?」
「熱を伝えるという点では、よい結果です」
ルッツさんが頷いた。
でも、その表情は少し硬かった。
「……何か問題があったの?」
「はい」
やっぱり。
「こちらをご覧ください」
ルッツさんが装置の一部を指さした。
銅管と鉄製の部材がつながっている場所だ。
「ここですか?」
「はい。加熱と冷却を繰り返したところ、接合部分にわずかな隙間が生じました」
「……隙間?」
「冷えた状態では目立たないのですが、温度が上がると漏れが生じることがあります」
前にも心配していた問題だ。
「銅と鉄って、温まったときの膨らみ方が違うんだよね?」
「はい。その違いが原因の一つと考えています」
ヴァイスさんが頷いた。
「接合方法そのものに問題がある可能性もある。今は原因を一つに決めるべきではない」
「なるほど」
「まずは接合方法を変え、同じ条件で比較してみたいところだ」
……さすがだな。
ヴァイスさんは、すぐに原因を決めつけない。
「でも、銅管の方が熱を伝えやすいことは確認できたんですよね?」
「ああ。それは確かな成果だ」
「よかった!」
性能が向上する可能性は見えてきた。
でも、安全に使えるかどうかは別の問題なんだ。
「ルッツさん。この部分、もう少し詳しく見せてもらえる?」
「もちろんです」
俺は、加熱を終えて冷えた接合部分を覗き込んだ。
そして、《綻びの目》を使う。
《接合部:負荷集中》
《形状:繰り返し加熱により変形》
やっぱり、ここに負担がかかっているんだ。
「この辺りに、力が集中しているみたい」
「接合部ですか?」
「うん。それから、何度も熱を加えることで変形しているみたいだね」
ルッツさんが接合部分を見つめた。
「なるほど……」
ヴァイスさんも興味深そうに身を乗り出す。
「ふむ。実際の試験結果とも一致しているわけだ」
「そうですね」
ルッツさんが腕を組んだ。
「接合方法を変える必要がありそうですね」
「何か考えはある?」
「いくつかあります。ただ、実際に作って確かめてみなければわかりません」
「うん。お願い!」
「それから、今の段階では蒸気機関車への取り付けは見送ります」
「そうだね」
圧力のかかるボイラーで蒸気が漏れれば、大きな事故につながりかねない。
性能がよくなっても、安全に使えなければ意味がないんだ。
「急ぐ必要はないよ。まずは安全に使えるようにしよう」
「承知しました」
ヴァイスさんが笑った。
「一つ問題が解決すると、次の問題が見えてくるものだな」
「あはは。本当にそうですね」
「だが、確実に前には進んでいる」
……うん。
銅管の性能は確かめられた。
次は、安全につなぐ方法だ。
蒸気機関車の改良には、まだ時間がかかりそうだな。
◇
その日の夕方。
政務所へ戻って仕事をしていると、アストンが訪ねてきた。
「リオン様。少々ご報告がございます」
「どうしたの?」
「領都の酒場で、困った客がいるそうです」
「困った客?」
「はい。ここ一週間ほど、たびたび姿を見せるようになった男だそうです」
「へえ」
「最初は普通に酒を飲んでいたそうですが、最近は店員を怒鳴りつけたり、ほかの客に絡んだりしているとのことです」
「それは困るね」
「店主も何度か注意しようとしたそうですが、強く出られずにいるようでして」
「どうして?」
アストンが少し言いにくそうに口を開いた。
「その男が、グレイヴ伯爵家の息子だと名乗っているそうです」
「……えっ?」
グレイヴ伯爵家?
まさか……。
「名前はわかる?」
「ガレスと名乗っているようです」
「……ガレス?」
俺は思わず聞き返した。
ガレス・グレイヴ。
王立学院で同じ年に入学した男だ。
固有スキルは《剣豪》。
入学当初は家柄を鼻にかけた嫌なやつだった。
でも、王都武闘大会の学院代表選考で戦ったときには、ずいぶん腕を上げていた。
父親のグレイヴ伯爵は、その後、爵位を剥奪された。
……そうか。
ガレスがこの領に来ているのか。
「店主は、グレイヴ家が爵位を失ったことを知らないの?」
「詳しいことは何とも言えません。ただ、かつての伯爵家の息子ということで、やはり恐れがあるのでしょう」
「なるほど……」
貴族に逆らえば何をされるかわからない。
そんな気持ちが、簡単になくなるわけじゃないのかもしれない。
「それで、今もその酒場にいるの?」
「はい。先ほども騒ぎを起こしていると報告がありました」
「そっか」
……仕方ないな。
「じゃあ、行ってみようか」
「リオン様がお出になるのですか?」
「うん。ガレスとは知り合いだからね」
「承知しました。私も同行いたします」
◇
酒場に着くと、中から怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい! 酒がなくなったぞ!」
「お、お客様。もうずいぶんお飲みですので……」
「誰に向かって口を利いている!」
……うわ。
これはひどいな。
俺が扉を開けると、店内にいた客たちがこちらを見た。
「あっ……男爵様!」
店主が慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「そ、それが……」
店主が店の奥へ視線を向けた。
そこには、椅子にふんぞり返っている男がいた。
乱れた髪。
酒で赤くなった顔。
そして、不機嫌そうに歪んだ表情。
間違いない。
「……ガレス?」
俺が声をかけると、男がこちらを向いた。
「……あ?」
ガレスは俺の顔を見るなり、目を見開いた。
「……リオン?」
「久しぶりだね」
「……何でお前がここにいるんだよ」
「ここ、俺の領地だからね」
「……ちっ」
ガレスが舌打ちした。
学院で最後に会ったときとは、ずいぶん雰囲気が違う。
「ガレス。何やってるの?」
「見りゃわかるだろ。酒を飲んでるんだよ」
「それはわかるけど、お店の人が困ってるでしょ」
「うるせえ!」
ガレスが机を叩いた。
店主がびくりと肩を震わせる。
「俺が誰だかわかってんのか!」
「うん。ガレス・グレイヴでしょ」
「俺はグレイヴ伯爵家の跡取りだぞ!」
「……もう、伯爵家じゃないよね?」
「っ……!」
ガレスの顔が引きつった。
「ふざけるな……!」
低い声が漏れる。
「お前に……お前に何がわかる!」
「ガレス?」
「俺は全部失ったんだぞ!」
ガレスが椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「家も! 学院も! 何もかもだ!」
「……学院?」
俺が聞き返すと、ガレスが吐き捨てるように言った。
「辞めたんだよ! 王立学院なんて!」
「……そうだったんだ」
退学したのか。
でも……。
「だからって、関係ない人に迷惑をかけていい理由にはならないよ」
「黙れ!」
ガレスがこちらへ踏み出した。
「お前さえ……お前さえいなければ!」
その右手が振り上がる。
「リオン様!」
アストンがすぐに俺の前へ出ようとした。
「アストン、いいよ!」
「しかし!」
「大丈夫!」
次の瞬間、ガレスが殴りかかってきた。
だけど、動きが大きい。
酒に酔っているせいか、以前のような鋭さもない。
俺はその拳をかわした。
そして。
パァン!
乾いた音が酒場に響いた。
俺はガレスの頬を平手で打っていた。
「……っ!」
ガレスがよろめき、目を見開いた。
店内が静まり返る。
「……何しやがる!」
「ガレス。いい加減にしなよ」
「……何だと?」
「君がつらい思いをしたことはわかる。でも、だからって、この店の人たちに迷惑をかけていいわけじゃない」
「うるせえ!お前に何がわかるんだ!」
「全部はわからないよ」
俺はガレスを見据えた。
「でも、今の君が情けないことくらいはわかる」
「……っ!」
「王都武闘大会の学院代表選考で戦ったときの君の方が、まだずっとマシだったよ」
「……何?」
「あのときの君は強かった。前に戦ったときより、ずっとね」
ガレスが黙り込んだ。
「たくさん練習したんでしょ?」
「…………」
「立ち方も、剣の振り方も変わってた。君が努力してきたことは、戦えばわかったよ」
「……だったら、何だよ」
「その努力まで、なくなったわけじゃないでしょ?」
ガレスが唇を噛んだ。
「父親が爵位を失ったからって、君が剣を振ってきた時間まで消えるわけじゃない」
「……うるせえ」
「なのに、今はどうだ?」
俺は周囲を見回した。
怯えた店主。
こちらをうかがっている客たち。
そして、酒の入った杯が散らばった机。
「元伯爵家の息子だって名乗って、みんなを怖がらせてる」
「…………」
「学院代表選考で戦った頃の君は、少なくとも自分の剣で勝とうとしてたよ」
俺はもう一度、ガレスを見た。
「今の君は、昔の家柄にすがっているだけじゃないか」
「……っ!」
ガレスが拳を握りしめた。
でも、今度は振り上げなかった。
「……お前には、わからねえよ」
小さな声だった。
「そうかもしれない」
「……何もかも失ったんだぞ」
「うん」
「今さら、どうしろっていうんだよ……」
……そうか。
ガレスは、本当に行き場を失っているのかもしれない。
だけど。
「ガレス。まずは、お店の人に謝りなよ」
「……は?」
「迷惑をかけたんでしょ。だったら、謝らないと」
「ふざけるな!」
ガレスが顔を上げた。
「俺に頭を下げろっていうのか!」
「うん。そうだよ」
「俺を誰だと思ってる!」
「だから、ガレス・グレイヴでしょ」
「……っ!」
「誰の息子だったとしても、謝らなければならないときはあるよ」
ガレスは拳を握りしめたまま、何も言わなかった。
「それに、壊したものがあるなら弁償すること」
「……俺に命令するつもりか?」
「うん。ここは俺の領地だからね」
俺が答えると、ガレスが顔を歪めた。
アストンが一歩前へ出た。
「ガレス殿。リオン様への暴行未遂も含め、これ以上騒ぎを起こすのであれば拘束いたします」
「……何だと?」
「貴族であったかどうかは関係ありません。この領では、領地の決まりに従っていただきます」
「…………」
ガレスが俺を睨みつけた。
「……くそっ!」
机をもう一度叩こうとして、手を止める。
そして、店主を見た。
「……迷惑をかけた」
吐き捨てるような声だった。
店主は驚いたように目を見開く。
「い、いえ……」
「……これでいいんだろ!」
ガレスが俺を睨んだ。
……うーん。
とても反省しているようには見えないな。
「ガレス。謝れば全部終わりってわけじゃないよ」
「……何だよ、まだ文句があるのか!」
「お店の人が許してくれるかどうかは、君が決めることじゃないでしょ」
「…………」
ガレスは何も言わなかった。
◇
その後、アストンが店主に被害を確認した。
幸い、怪我をした人はいなかった。
ただ、割れた杯や、こぼれた酒があったらしい。
ガレスには、その分を弁償してもらうことになった。
「……金なら払う」
ガレスが懐から小さな袋を取り出した。
店主が金額を確かめている間も、ガレスは不機嫌そうに顔を背けていた。
……まだ、かなり怒ってるな。
でも、それは仕方ない。
俺だって、さっき平手打ちしたことが正しかったとは言い切れない。
ガレスの拳を避けたところで、アストンに任せることもできたはずだ。
……少し感情的になってしまったかな。
それでも、店主たちが怯えている姿を見たら、黙っていられなかった。
「ガレス」
「……何だよ」
「これからどうするつもりなの?」
「……知るか」
「王立学院は辞めたんだよね?」
「ああ」
「家には戻らないの?」
「……戻る場所なんてねえ」
「じゃあ、仕事は?」
「してねえよ」
「そうなんだ」
俺は少し考えた。
ガレスは《剣豪》の持ち主だ。
王都武闘大会の学院代表選考では、確かに強くなっていた。
あれだけ努力したんだから、剣の腕は今でも相当なはずだ。
「ガレス。君、剣はまだ振ってるの?」
「……いや」
「そっか」
「何だよ。説教ならもう十分だろ」
「いや、ちょっと聞きたいことがあって」
「……何だ?」
「ハル領では今、騎士を募集してるんだ」
「……騎士?」
「うん。鉱山も増えたし、街道を使う人も増えたからね。領地を守る人が必要なんだ」
ガレスが俺を見た。
「……俺に、騎士になれっていうのか?」
「いや。決めるのは君だよ」
「…………」
「ただ、剣を使って働きたいなら、応募してみてもいいんじゃないかな」
ガレスが顔をしかめた。
「……俺を雇うのか?」
「それはわからない」
「……は?」
「選考を受けてもらうからね」
俺はアストンを見た。
「そうだよね?」
「はい。志願者は皆、同じ基準で選考いたします」
「……俺が落ちるとでも思ってるのか?」
「剣の腕だけで決まるわけじゃないからね」
俺はガレスを見た。
「騎士は領民を守る仕事でしょ? 今日みたいに領民を怖がらせていたら、採用できないよ」
「…………」
「それに、仲間と協力できるかどうかも大切だと思う」
ガレスは何も言わなかった。
「だから、君が本気でやり直したいなら、考えてみて」
「……簡単に言うなよ」
「簡単じゃないと思うよ」
俺は頷いた。
「でも、ずっと酒場で荒れていても、何も変わらないでしょ?」
「…………」
ガレスが顔を伏せた。
しばらくして、小さく口を開く。
「……余計なお世話だ」
「そっか」
「俺は……お前の世話になんかならねえ」
そう言うと、ガレスは店を出ていった。
……うーん。
やっぱり、簡単には変わらないか。
でも、それでいい。
どうするかは、ガレス自身が決めることだからな。
◇
「リオン様」
アストンが声をかけてきた。
「何?」
「ガレス殿は、かなりの腕前なのですか?」
「うん。王立学院では、強い方だったと思う」
「なるほど」
「でも、今のままだと難しいよね?」
「はい」
アストンがはっきりと答えた。
「剣の腕がいかに優れていても、領民を守る意思がなければ騎士にはなれません」
「そうだよね」
「それに、本日の振る舞いは看過できません。再び騒ぎを起こさないよう、しばらく動向を確認させます」
「うん。お願い」
……ガレス。
王立学院で会った頃は、本当に嫌なやつだった。
でも、代表選考で戦ったときには、努力して強くなっていたことがわかった。
だからこそ、今日の姿は残念だった。
父親が爵位を失った。
王立学院も辞めた。
きっと、いろいろあったんだろう。
それでも、これからどう生きるかはガレス自身が決めることだ。
……騎士団に応募してくるかな?
正直、わからない。
でも、もし本気でやり直したいと思うなら。
もう一度、あの頃のように剣を振る姿を見てみたいな。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
久しぶりのガレス登場です。
ガレスは自分で自分のスキルを大っぴらに言う奔放なキャラクターです。




