第620話 学ぶ理由
新連載はじめました!
『王女殿下、まずは拳をお下げください ~転生執事と最強王女の成り上がり~』という作品です。
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数日後。
王宮から、スパイを護送する者たちが到着した。
政務所の前には、護衛の騎士たちと、一台の馬車が停まっている。
「リオン様。王宮からの命令書と、護送担当者の身元を確認しました」
アストンが報告してくれた。
「問題なかった?」
「はい。王宮から事前に伝えられていた内容とも一致しております」
「そっか。よかった」
ノルとテオも、周囲を警戒している。
男が捕まった際、自害しようとしたことは忘れていない。
もし仲間がいるなら、口封じを狙ってくる可能性だってある。
だからこそ、引き渡しの最後まで気を抜けない。
しばらくして、拘束された男が連れてこられた。
俺の姿を見ると、一瞬だけ足を止める。
「こんにちは。体調は大丈夫?」
「……」
男は顔を背けた。
……まあ、そうなるよね。
俺は護送隊の責任者に向き直った。
「この男は、捕まったときに自害しようとしています。それから、何者かが口封じを狙う可能性もあります」
「承知しております。王都までの護送は、我々が責任を持って行います」
「よろしくお願いします」
責任者が一礼する。
アストンから護送隊へ、男の身柄が正式に引き渡された。
やがて、馬車がゆっくりと動き始める。
騎士たちに守られながら、王都へ向かっていった。
……ふう。
これで、こちらでの引き渡しは完了だ。
王都では、専門の人たちが改めて尋問することになる。
ドラン帝国との関係についても、詳しく調べてもらえるだろう。
ただ、今回の男だけで終わりとは限らない。
領内の警備体制は、引き続き見直していかないとな。
◇
それから、およそ二週間後。
政務所で書類を確認していると、ローレンがやってきた。
「リオン様。クルストが参りました」
「クルストが?」
「はい。学校の件で、ご報告があるそうです」
「ああ! もちろん、入ってもらって」
「承知しました」
しばらくすると、クルストが何枚もの紙を抱えて入ってきた。
「リオン様。お時間をいただき、ありがとうございます」
「うん。学校の準備はどう?」
「順調に進んでおります。ただ、一つご相談したいことがありまして」
「何?」
「夜間学校のことです」
……夜間学校?
「何か問題があった?」
「問題というほどではありませんが、申し込みが思っていたほど増えていないのです」
「そうなんだ」
「昼間学校については、子供を通わせたいという声が少しずつ集まっております。しかし、夜間学校の方は……」
クルストが困った顔をした。
「何か理由があるのかな?」
「仕事が終わった後では疲れてしまうという声がありました。それから……」
「それから?」
「今さら子供と同じことを習うのは恥ずかしい、と」
「ああ……」
なるほど。
気持ちはわかるな。
読み書きや計算ができなくても、長年働いて家族を養ってきた人たちだ。
今さら学校へ行くとなれば、抵抗がある人もいるだろう。
「ほかには?」
「商店で働く者からは、忙しい時間を削ってまで通う意味があるのか、と」
……なるほどね。
これは、ちょっと考えないといけないな。
「それで、今日は授業の計画を持ってまいりました」
「おお!」
クルストが机の上に紙を並べる。
「昼間学校と夜間学校、それぞれで教える内容をまとめております」
「カリキュラムだね」
「……かりきゅらむ?」
「あっ、授業の計画のことだよ」
「なるほど。便利な言葉ですな」
俺は資料を受け取った。
これはすごい。
何を、どの順番で教えるのか。
どのくらい時間をかけるのか。
理解できたかどうかを確かめる方法まで書いてある。
「クルスト、ずいぶん詳しく調べてくれたんだね」
「はい。領内の仕事や生活について、できる限り聞き取りを行いました」
「へえ!」
「農村では収穫量の計算、商店では売上や商品の数量の記録、工房では材料の寸法や個数の管理が必要です」
「うん」
「そこで、まずは読み書きと計算を身につけることが重要だと考えました」
「なるほど」
俺は資料を読み進める。
自分の名前を書く。
簡単な単語や文章を読む。
数字を覚え、足し算や引き算を練習する。
その後、掛け算や割り算へ進む。
……いいね。
基礎から順番に学べるようになっている。
「先生の人数は足りそう?」
「最初は十人程度の教室から始める予定です。教師の負担も考え、一度に多くの生徒を受け入れることは避けます」
「うん。それがいいと思う」
「それから、授業の進め方も記録します。教師が代わっても、同じ内容を教えられるようにするためです」
「すごいよ、クルスト!」
「ありがとうございます」
クルストが少し照れくさそうに頭を下げる。
……さすがだな。
ここまでしっかり考えてくれているとは。
ただ、少し気になることがある。
俺は、昼間学校と夜間学校の資料を並べた。
「うーん……」
「どうされました?」
「クルスト。昼間と夜間って、授業の内容がほとんど同じなんだね」
「はい。どちらも基礎的な読み書きと計算が必要ですので」
「それはそうだよね」
確かに、文字の書き方が変わるわけじゃない。
足し算だって、大人と子供で答えが違うわけじゃないしね。
でも……。
「大人向けの授業は、もう少し仕事に関係する内容にしてみない?」
「……仕事に、ですか?」
「うん。例えば、数を数える練習をするとするでしょ?」
「はい」
「子供なら、果物が三つあって、二つ増えたらいくつになるか。そんな問題でもいいと思う」
「なるほど」
「でも、大人の人なら、実際の仕事に近い方がよくないかな?」
クルストが首を傾げる。
「例えば?」
「商人なら商品の代金。農家の人なら収穫量。鉱山で働く人なら、運び出した鉱石の量とか」
「ああ……」
「覚える計算は同じでも、自分の仕事に役立つと思えた方が、勉強したくならないかな?」
クルストが腕を組んだ。
「……確かに、おっしゃるとおりかもしれません」
「でしょ?」
「ですが、リオン様」
「何?」
「それでは、教師の負担が大きくなりませんか?」
「……え?」
「農家、商人、鉱夫、職人。生徒の仕事はそれぞれ違います」
「ああ、そうだね」
「その全員に合わせた授業を用意するとなれば、教師は相当な準備をしなければなりません」
確かに、そのとおりだ。
「しかも、最初は少人数とはいえ、教える者も十分ではありません」
「うん」
「仕事ごとに教室を分けるのは、現実的ではないかと」
……うーん。
そうか。
たしかに、いきなり職業別の学校を作るのは難しいな。
でも、教室を分ける必要はないんじゃないか?
「クルスト」
「はい」
「授業そのものは、同じでいいと思うんだ」
「……同じ、ですか?」
「うん。まず、みんなで足し算を覚えるでしょ?」
「はい」
「その後に、練習する問題だけ変えたらどうかな?」
クルストが顔を上げる。
「練習問題だけ?」
「そう。農家の人には収穫量の問題。商人には売上の問題。鉱山で働く人には鉱石の数を計算する問題」
「……なるほど」
「もちろん、全部を用意するのは大変だから、最初は何種類かでいいと思うんだ」
「ほう……」
「それに、仕事が違う人の問題を解くのも、勉強になると思うよ」
「……確かに」
クルストが資料を見つめる。
「つまり、教える知識は共通にして、練習する題材を変えるわけですな」
「そういうこと!」
「それなら、教師の負担もそれほど増えません」
「うん。問題も、一度作れば何度も使えるでしょ?」
「はい。難しさごとに整理しておけば、別の教室でも使えますな」
「それに、読み書きだって同じだよ」
「と、申しますと?」
「例えば、自分の名前を書けるようになったら、仕事で使う言葉を書いてみる」
「ほう」
「商品の名前とか、材料の数とか。給料の記録を読めるようになるのもいいよね」
「……なるほど!」
クルストが大きく頷いた。
「確かに、それなら学ぶ意味を実感してもらえそうです」
「うん。明日の仕事に役立つと思えたら、夜でも通いたくなるかもしれないでしょ?」
「……そうですな」
クルストが笑った。
「夜間学校の計画は、その方向で見直してみます」
「ありがとう」
クルストが現実的な問題を指摘してくれたおかげで、具体的な方法まで考えられた。
こういう話し合いは大切だな。
◇
「ところで、クルスト」
「はい」
「学校のことで、もう少し話してもいい?」
「もちろんです」
俺は椅子に座り直した。
「これから、この領地は大きく変わると思うんだ」
「……変わる、ですか?」
「うん。今は農業をしている人が多いでしょ?」
「そうですな」
「でも、鉱山の開発が進んで、工房も増えてきた」
「はい」
「これからは、もっといろんな仕事が増えると思うんだ」
クルストが頷く。
「蒸気機関車の開発も進めておられますな」
「そう。いつか鉄道ができれば、鉱石や農作物を遠くまで運べるようになる」
「いまだに想像できませんが、もし、そうなれば商売の形も変わるでしょうな」
「うん。それに、ほかの領地から働きに来る人も増えると思う」
「……移住者ですか?」
「そう。場合によっては、他国から来る人もいるかもしれない」
クルストが少し驚いた顔をした。
「他国からも、ですか?」
「うん。もちろん、簡単なことじゃないと思うけどね」
この大陸はほとんどの国が同じ言語だ。
だけど、文化や習慣の違いはある。
仕事の取り合いが起こるかもしれないし、昔から住んでいる人が不安に感じることもあるだろう。
だからこそ、準備が必要だ。
「人が増えれば、いろんな考え方の人が一緒に暮らすことになるでしょ?」
「はい。意見が対立することも増えるでしょうな」
「そうだね」
「それを、学校で教えるおつもりですか?」
「うん。少しずつね」
「……どのようなことを?」
「例えば、自分と違う考えの人の話を聞くこと」
「なるほど」
「わからないことがあったら、最初から否定せずに質問すること」
「はい」
「それから、意見が違ったときに、話し合って解決する方法も学べたらいいな」
クルストが考え込んだ。
「……リオン様」
「何?」
「それは、読み書きや計算とは、ずいぶん違う教育ですな」
「そうだね」
「言うなれば、この領地で暮らすための考え方を教える、ということでしょうか」
「うん。そういうこと。色々な考え方があっていいと思うけど、この領で生きるための前提は教育を通して伝えたいんだ」
クルストがゆっくり頷く。
「では、領主様のお考えを、領民に広めるということですな」
「……うーん」
それは、少し違うかな。
「もちろん、俺がどんな領地にしたいのかは、知ってもらいたいよ」
「はい」
「でも、みんなが俺と同じ考えになる必要はないと思うんだ」
「……え?」
「だって、俺だって間違えるからね」
クルストが目を丸くした。
「リオン様が、ですか?」
「もちろん。これまでもいろんな人に助けてもらってきたでしょ?」
「それは、そうですが……」
「だから、自分で考えて、意見を言える人が増えてほしいんだ」
クルストが黙って聞いている。
「みんなが黙って領主に従うより、自分の頭で考えられる人が多い方が、この領地は強くなると思うんだ」
「……強い領地、ですか」
「うん。何か問題が起きたとき、俺の命令を待つだけじゃなくて、自分たちで考えて解決できる人が増えてほしい」
クルストが深く頷いた。
「なるほど……。学校の役割が、少し見えてきました」
「そう?」
「はい。文字や計算を教えるだけではなく、これからの領地を支える人を育てるわけですな」
「うん!」
ただ、もう一つ大切なことがある。
「それにね、クルスト」
「はい」
「学校は、領地のためだけにあるわけじゃないと思うんだ」
「……と、おっしゃいますと?」
「学んだ人自身が、もっといろんなことをできるようになる。それが一番大切なんじゃないかな」
クルストが俺を見る。
「でも、勉強した人が必ずこの領地に残るとは限りませんぞ?」
「うん。それでもいいと思う」
「……よろしいのですか?」
「もちろん。学んだ知識は、その人のものだからね」
クルストが少し考える。
「せっかく領地で教育に費用をかけても、別の場所へ行かれてしまっては……」
「まあ、領地としては少し残念かもしれないね」
「はい」
「でも、できればここで暮らしたいと思ってもらえる領地にしたいんだ」
「……なるほど」
「働く場所があって、安心して暮らせて、もっと勉強することもできる。そんな場所なら、残りたいと思う人も増えるんじゃないかな?」
クルストがゆっくり頷いた。
「……確かに、そのとおりですな」
「それに、ほかの土地で学んだことを持って、いつか戻ってくる人がいるかもしれないしね」
「ほう……」
「そういう人たちが、新しい考え方や技術を持ち込んでくれたら、面白いでしょ?」
「……なるほど。そこまで考える必要があるのですな」
クルストが資料を見つめた。
◇
「それから、もう一つ」
「まだあるのですか?」
クルストが驚いた顔をした。
「あはは。ごめんね」
「いえ。ぜひお聞かせください」
「将来的には、もっと高度なことも教えたいんだ」
「高度なこと、ですか?」
「うん。例えば、数学や自然科学とか」
「……数学?」
「今教える計算より、もっと複雑なことを学ぶんだ」
「ほう……」
「物がどうして動くのか。どうして熱くなるのか。そういうことも勉強できたらいいと思う」
クルストが目を見開いた。
「それは、王立学院で学ぶような内容ではありませんか?」
「そうだね」
「それを、この領地で?」
「いつかはね」
もちろん、今すぐできる話じゃない。
教師も教材も必要だし、学ぶための場所も用意しないといけない。
でも。
「例えば、今は蒸気機関車の開発をしているでしょ?」
「はい」
「ルッツさんみたいに金属を加工できる人や、ヴァイスさんみたいに研究できる人がもっと増えたら、開発も進むと思うんだ」
「……確かに」
「農業や医療だって同じだよ」
「と、申しますと?」
「新しい栽培方法を考える人が増えれば、収穫量が増えるかもしれない。病気を研究する人が増えれば、助けられる人も増えるかもしれない」
「なるほど……」
「もちろん、全員が研究者になる必要はないよ」
俺は笑った。
「でも、興味を持った人が、もっと学びたいと思ったときに、学べる場所があったらいいなって」
クルストがしばらく黙った。
「……リオン様」
「何?」
「そのような教育を始めれば、今まで思いもしなかった仕事が生まれるかもしれませんな」
「うん!」
「今は農業をしている子供が、将来は研究者になることもある」
「そうだね」
「工房で働く者が、新しい機械を考えることも……」
「うん。十分あり得ると思う」
クルストが大きく頷いた。
「なるほど……。学校とは、十年後、二十年後の領地を作る場所でもあるのですな」
「そういうことだね」
俺は机の上の授業計画を見た。
最初は、文字を一つ覚えるところから。
数字を数えられるようになるところから。
でも、その先には、いろんな可能性がある。
「クルスト」
「はい」
「まずは、今の計画をしっかり進めようか」
「承知しました」
「昼間学校では、子供たちが楽しく基礎を学べるように」
「はい」
「夜間学校では、大人たちが仕事や生活に役立つことを学べるように」
「わかりました」
「それから、いつかもっと高度な教育ができるように、少しずつ準備していこう」
クルストが深く頭を下げた。
「リオン様。お任せください」
「ありがとう」
「まずは夜間学校の教材を見直します。それから、申し込みを迷っている者たちにも、授業の内容を改めて伝えてみましょう」
「うん。お願い!」
「それと、最初の授業が始まったら、ぜひ一度ご覧になってください」
「もちろん!」
クルストが資料をまとめ、部屋を出ていく。
その後ろ姿を見ながら、俺は考えた。
蒸気機関車も、鉱山も、工房も。
領地を発展させるためには、いろんなものが必要だ。
でも、それらを作り、動かし、さらによくしていくのは人なんだよな。
……教育か。
すぐに結果が出るものではないかもしれない。
でも、十年後、二十年後。
今、学校で学んだ人たちが、この領地を支えてくれているかもしれない。
そう考えると、何だか嬉しくなった。
よし!
まずは、学校を無事に始めるところからだな。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
教育大事です。今回は領民への教育だけでなくクルストへの教育も含まれています。




