第619話 三人の知恵
数日後。
政務所で仕事をしていると、ルッツさんが訪ねてきた。
「リオン様、少しお時間をいただけますか?」
「もちろん。どうしたの?」
「蒸気機関車のことで、ご相談がありまして」
「おっ。何か進展があった?」
「はい。ヴァイスさんのおかげで、これまでわからなかったことが、いろいろと見えてきたんです」
「そうなの?」
「ただ、困ったこともありまして……」
ルッツさんが苦笑する。
「そっか。じゃあ、試験場へ行こうか」
「お願いします」
◇
試験場へ到着すると、ヴァイスさんが机に向かっていた。
机の上には、何枚もの図面と記録用紙が広げられている。
「おお、ハル。来たかね」
「こんにちは、ヴァイスさん」
「ああ。ちょうどよいところだ」
「今日は苔の研究じゃないんですか?」
「午前中はアノー山の苔について調べておったよ。午後はこちらじゃ」
……忙しい人だな。
でも、何だか楽しそうだ。
「蒸気機関車のことで、新しいことがわかったんですよね?」
「うむ。まずは、これを見てくれたまえ」
ヴァイスさんが記録用紙を差し出した。
……ん?
数字がびっしり並んでいる。
「これは?」
「大型化に向けた試験の記録だよ」
ルッツさんが隣から説明してくれた。
「これまでは、車体の重さや蒸気の圧力が、試験のたびに少しずつ違っていたんです」
「ああ、そうだったね」
「ヴァイスさんに助言していただいてから、条件を揃えるようにしました」
「条件?」
「例えば、積む荷物の重さを一定にする。燃やす石炭の量を記録する。それから、走り始めるときと、しばらく動かした後の蒸気の圧力を比べるんです」
「なるほど!」
そうか。
同じ条件で試さないと、何を変えた結果、よくなったのかわからないもんな。
「それで、何がわかったの?」
「問題が二つあったのだよ」
ヴァイスさんが紙を二枚並べた。
「まず、車軸や動力を伝える部分には、まだ改善の余地がある」
「そうなんですね」
「だが、それだけでは説明できない現象があった」
「どんな現象ですか?」
「荷物を重くすると、最初は動くのに、しばらくすると力が落ちてしまうのだよ」
「ああ……」
それは困るな。
鉱石を満載した列車が、途中で動けなくなったら大変だ。
「車軸が悪いんじゃないの?」
「最初は私もそう思ったんです」
ルッツさんが答える。
「ですが、負荷を変えずに試験を続けると、あることがわかったんです」
「何?」
「蒸気の圧力が下がっていくんです」
「……あっ」
なるほど。
「蒸気を使う量に、作る量が追いついていないってこと?」
「その可能性が高いな」
ヴァイスさんが頷く。
「車輪へ力を伝える仕組みを改良しても、蒸気が足りなければ出力は落ちる」
「そいうことか……」
「そこで、燃料を増やす試験もした」
「どうでした?」
「多少は改善した。だが、燃やす量を増やしたほどには、蒸気の発生量が増えなかったのだよ」
「うーん」
難しいな。
石炭をたくさん燃やせば、それだけ蒸気が増えると思っていたけど。
「火をもっと強くするのは?」
「それも考えました。しかし、金属への負担が増えます」
ルッツさんが答えた。
「今のボイラーも、決して余裕のある作りではありませんから」
「そっか」
すると、ヴァイスさんが口を開いた。
「ハル。問題は、火の強さだけではないのかもしれん」
「どういうことですか?」
「せっかく発生させた熱を、十分に水へ伝えられていない可能性がある」
……熱を水へ?
「例えば、熱い煙がそのまま煙突から出ていくとしたら、その熱はどうなると思う?」
「……外に逃げちゃいますね」
「そのとおりじゃ」
ヴァイスさんが笑う。
「燃料を増やす前に、熱をもっと利用できないか考えるべきではないかね?」
「なるほど!」
……ん?
熱をもっと利用する?
ちょっと待てよ。
そういえば、前世で見た蒸気機関車の断面図って、どんな形だったっけ?
丸いボイラーの中に……。
あっ。
「ヴァイスさん!」
「どうした?」
「ボイラーの中に、細い管を何本も通したらどうでしょう?」
「……管?」
「はい。熱い煙を、その管の中に通すんです」
俺は紙とペンを借りた。
大きな筒を描き、その中に細い線を何本も引いていく。
「こんな感じです」
ヴァイスさんとルッツさんが図を覗き込む。
「これは……」
「管の周りには水があるんです。そこへ熱い煙を通せば、水に熱が伝わりますよね?」
……たぶん、こういう構造だったはずだ。
正確なことは覚えていないけど。
「待ちたまえ!」
ヴァイスさんが突然、声を上げた。
「は、はい!」
「その図をもう少し見せてくれ!」
ヴァイスさんが紙を引き寄せた。
そして、しばらく黙り込む。
「……なるほど」
「どうですか?」
「なるほど、なるほど!」
おお。
何だか興奮してるな。
「これは面白い!」
「えっ?」
「今までは、主にボイラーの外側から水を加熱しておった。だが、熱い気体を何本もの管に通せば……」
「はい」
「熱を伝える面積を、大幅に増やせるではないか!」
「そういうことです!」
「しかも、煙突へ向かう途中の熱も利用できる!」
ヴァイスさんが机を叩いた。
「なぜ今まで思いつかなかったんだ!」
「ええっ?」
「いや、実に面白い! これは試してみる価値があるぞ!」
……よかった。
どうやら、前世のうろ覚えの知識が役に立ったらしい。
「ただし、問題もあるのだよ」
「問題?」
「管を増やせば、煙の通り道が複雑になる。煙がうまく流れなければ、かえって燃焼を妨げるかもしれん」
「ああ……」
「それに、どのくらい熱が伝わるのかは、試してみなければわからん」
なるほど。
構造を思いついたからといって、簡単に完成するわけじゃないのか。
すると、ルッツさんが口を開いた。
「リオン様。その管ですが、アーシタ山の銅を使ってみてはどうでしょう?」
「……銅?」
「はい」
「どうして銅なの?」
「銅は、鉄よりも熱を伝えやすい金属なんです」
「温水暖房の時もそんな話をしていたね」
「ええ。それに、加工もしやすい。細い管を作るなら、鉄より向いているかもしれません」
「なるほど!」
ヴァイスさんが顔を上げた。
「ほう。銅か。それはよい着眼点じゃな」
「ありがとうございます」
ルッツさんが少し照れくさそうに笑う。
「ただ、簡単な話ではありません」
「そうなの?」
「はい。銅は加工しやすい反面、鉄より柔らかいんです」
「ああ、そっか」
「ですから、何でも銅に置き換えればよいわけではありません。特に、蒸気の圧力を受ける部分には注意が必要です」
……なるほど。
熱をよく伝えることと、丈夫であることは別なのか。
「でも、煙が通る管ならどうかな?」
「そこを調べたいんです」
ルッツさんが図を指さした。
「管の外側には水があり、内側には熱い煙が通る。でしたら、まずは管そのものが温度の変化に耐えられるかを確かめたいですね」
「うん」
「それから、もっと難しいのが、管を取りつける部分です」
「取りつける部分?」
「ここです」
ルッツさんが、管とボイラーの端がつながる場所を指さした。
「何本も管を通すなら、その数だけ接合する場所が増えます」
「ああ」
「ここに隙間ができたら、水が漏れるかもしれません」
「……それは困るね」
「はい。しかも、蒸気機関は運転中に温度が上がりますから」
……温度か。
そういえば、以前の試験でも接合部から蒸気が漏れたことがあったな。
あのときは、金属をつなぎ直して補強したんだった。
俺は、試験場に置かれている蒸気機関へ目を向けた。
……ちょっと見てみよう。
《綻びの目》。
すると、蒸気機関の一部に文字が浮かんだ。
《接合部の負荷集中》
《繰り返し加熱による変形》
そういうことか。
「ルッツさん」
「はい?」
「この前、蒸気漏れを直した部分なんだけど」
「ああ。接合部ですね」
「何度も熱くなったり冷たくなったりすると、金属が変形したりするの?」
「しますよ」
「やっぱり」
「金属は、温めると膨らみ、冷えると縮みますから」
「じゃあ、鉄と銅をつないだらどうなるの?」
ルッツさんが少し考える。
「……ああ!」
「何かわかった?」
「鉄と銅では、熱による膨らみ方が違うんです」
「えっ?」
「冷えているときはしっかりつながっていても、温まると接合部に負担がかかるかもしれません」
……なるほど!
「それって、何度も使ううちに隙間ができる可能性があるってこと?」
「ええ。十分に考えられます」
ヴァイスさんが身を乗り出した。
「待て。それは重要だな」
「はい」
「管の材料だけを調べても不十分ということか」
「そうですね。管と接合部を組み合わせて試験する必要があります」
ヴァイスさんが頷く。
「では、試験を分けよう」
「分ける?」
「まず、銅と鉄で熱の伝わり方を比較する。次に、それぞれの材料が加熱でどう変形するかを調べる」
「なるほど」
「その後、実際に接合した小さな試作品を作る。漏れや変形を確かめるのは、それからじゃ」
「それなら、加工方法も比較できますね」
ルッツさんが答える。
「管の厚さや、取りつけ方を変えて試してみます」
「うむ。結果はすべて記録しよう」
……おお。
二人とも、話が早いな。
「でも、ヴァイスさん」
「何かね?」
「これって、本当にうまくいくんでしょうか?」
「わからん!」
「ええっ?」
ヴァイスさんが笑った。
「だから、試すのだよ!」
「……あはは」
「成功すれば、新しい蒸気機関車への大きな一歩になる。失敗しても、なぜうまくいかなかったのかを調べれば、次につながる」
……なるほど。
さすが研究者だな。
「ルッツさんは、どう思う?」
「私は、ぜひ挑戦してみたいですね」
「そうなの?」
「はい。アーシタ山で採れた銅が、新しい機関車に使えるかもしれないんです」
ルッツさんが図面を見つめる。
「今までは、鉄を中心に加工してきました。でも、銅には銅のよさがあります」
「うん」
「せっかく領内で採れるようになった金属ですから、できるだけ生かしてみたいんです」
……そっか。
いいな。
資源を採るだけじゃなくて、加工して新しいものを作る。
それができれば、領地の産業も発展していくはずだ。
「じゃあ、お願いできる?」
「もちろんです!」
「どのくらい時間がかかりそう?」
「まずは材料の準備と加工方法の検討ですね。短い銅管を何本か試作するだけでも、二週間ほどは見ていただきたいです」
「うん」
「その後、接合部を含む試験用の装置を作るなら、さらに数週間は必要かと」
「そっか。それくらいはかかるよね」
何しろ、新しいものを作ろうとしているんだ。
数日でできるような話じゃない。
「じゃあ、安全第一でお願いね」
「承知しました」
「私も試験計画をまとめておこう」
ヴァイスさんが楽しそうに言った。
……本当に楽しそうだな。
「ヴァイスさん」
「何かね?」
「蒸気機関車の研究も、ずいぶん気に入ったみたいですね」
「もちろんだ!」
即答だった。
「君が持ち込む話は、いつも面白い。まったく、退屈する暇がないよ」
「あはは……」
「しかも、研究者だけでなく、職人と一緒に考えられるというのがよい」
ヴァイスさんがルッツさんを見る。
「ルッツ君。君の金属加工の知識には驚かされたよ」
「いえ、そんな……」
「いやいや。材料の性質を知っていても、それをどう加工するかは別の話じゃ。私には君の経験が必要だ」
「……ありがとうございます」
ルッツさんが嬉しそうに頭を下げる。
「私も、ヴァイスさんから学ぶことばかりです」
「そうかね?」
「はい。今までは、実際に作って、うまく動かなければ直す。それを繰り返してきました」
「ふむ」
「でも、試験条件を揃えて記録するようになってから、なぜ失敗したのかが、以前よりわかるようになりました」
「それはよかった!」
二人が笑い合う。
いい感じだな。
すると、ヴァイスさんが俺を見た。
「それにしても、ハル」
「はい?」
「君は、どこからあの管の構造を思いついたのだね?」
「えっ?」
「私は、熱を伝える面積を増やすことまでは考えておった。しかし、煙を何本もの管に通すとは思いつかなかった」
「何となく、そういう構造を思いついたんですよ」
「何となく?」
「はい」
ヴァイスさんが俺を見つめる。
それから、声を上げて笑った。
「ははは! 君は本当に面白いな!」
「そうですか?」
「ああ。だが、今回の発想は実に興味深い!」
ヴァイスさんが図面を手に取る。
「まさか、この歳になって、これほど次々と新しい課題に出会えるとは思わなかったよ」
「……そうなんですね」
「うむ!」
ヴァイスさんが嬉しそうに笑う。
「研究とは、やはり面白いものだな!」
……そっか。
この人は、本当に研究が好きなんだな。
◇
試験場を出る前に、開発中の機関車をもう一度見た。
まだ、大量の鉱石を運ぶには力が足りない。
車軸や動力を伝える部分にも課題がある。
そして、蒸気を作る仕組みも改良しなければならない。
でも、今日、新しい可能性が見えてきた。
もちろん、まだ成功すると決まったわけじゃない。
材料を加工し、何度も試験して、安全性も確認しなければならない。
それでも、確実に一歩前へ進んだ気がする。
ビダン山では、すでに蒸気機関を使ってトロッコを引き上げている。
小さな蒸気機関車だって走らせることができた。
次は、大量の鉱石を運べる機関車だ。
いつか、ノア山脈から領都、そして、そこからさらに線路が延びていく。
……楽しみだな。
次にここへ来るときには、どんなものができているかな。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
リオン×ルッツにヴァイスが加わり盛り上がっていますが、そこにさらにヴィクトルが加わったらどうなるか。
4人の起こす化学反応が楽しみな作者でした。




