第613話 研究者の目
翌朝。
政務所へ行くと、ヴァイスさんが廊下で領地の地図を眺めていた。
「おはようございます。早いですね」
「おはよう。昨日はあの苔のことが気になってな」
「もしかして、眠れなかったんですか?」
「いや、ぐっすり眠ったよ。ただ、起きたらすぐに続きを考えたくなった」
「だったら、今日は苔を調べますか?」
「それもいいが、先に君の領で進んでいる研究を見ておきたい。蒸気機関に共鳴石、硬化石だったか」
「はい。じゃあ、順番に案内しますね」
まだ正式な雇用契約の手続きは終わっていない。
だから、今日は各現場の責任者に了承を得たうえで、公開して差し支えない設備や試作品を見てもらうことにしている。
「ひとつ、お願いがある」
「何でしょう?」
「私が元所長だからと、職人たちが遠慮しないようにしてほしいのだよ」
「……分かりました」
「私は、彼らの仕事を教わりに行くのだからな」
ヴァイスさんは楽しそうに笑った。
◇
政務所の裏手にある蒸気機関車の試験場では、ルッツさんと年配の職人が図面を広げていた。
屋敷の庭では、小型の蒸気機関車を走らせることに成功した。
でも、人や荷物を運べる大きさにするのは、想像以上に難しいらしい。
「ルッツさん、おはよう」
「男爵様。おはようございます」
ルッツさんが顔を上げた。
そして、隣にいるヴァイスさんを見て目を丸くする。
「……あの……もしかして、王立研究所のヴァイス所長ですか?」
「今はただのアルベルト・ヴァイスだよ。今日は見学に来た。少し話を聞かせてもらえないかね?」
「も、もちろんです!」
ルッツの様子をみて年配の職人も慌てて姿勢を正した。
「どうか普段どおりに。私はこの機関車を作ったことがない。あなた方の方が詳しいのだから」
そう言われても、二人ともまだ緊張しているようだ。
「実は、大型化でかなり苦戦しているんです」
俺がそう伝えると、ルッツさんが図面を示した。
「小型のものなら動くのですが、車体を重くすると、同じようにはいきません」
「どこが難しいのかね?」
「力が足りないだけではないんです。車輪に動きを伝える部分にも負担が掛かりますし、部品のずれも大きくなります」
年配の職人が、車軸につながる金属の部品を持ち上げた。
「少し寸法が違うだけで、動きが引っ掛かるんです。小さい時は平気だったところが、大きくすると駄目になりましてな」
「なるほど。最初からそうなると分かっていたのかね?」
「いえ。実際に動かして、ようやく分かりました」
「では、その試験は無駄ではなかったわけだ」
職人がきょとんとする。
「壊れた場所も、動きが悪くなった条件も分かったのだろう? 次に何を確かめるべきか、手がかりを得たではないか」
「……そう言っていただけると、ありがたいです」
ヴァイスさんは部品を眺めながら、さらに尋ねた。
「試した時の車体の重さや蒸気の圧力は、記録しているのかね?」
「一応、書き残しております。ただ、毎回同じ条件ではありません」
「ふむ。ならば、次は条件を揃えてみたいな。一度にいろいろ変えると、何が効いたのか分からなくなる」
それを聞いて、ルッツさんが図面の余白に何かを書き始めた。
「そういえば、ハルが学院生の頃に作った温水暖房は、王立研究所でも調べていたな」
「あ、はい」
「水を温めて使う仕組みなら、私にも多少は分かる。しかし、蒸気の力を車輪へ伝えて、重い車体を動かすとなると別の難しさがあるのだな」
「そうなんですよ」
「ならば、皆で考えるしかないな」
ヴァイスさんがルッツさんたちを見た。
「私は実験の組み立て方なら協力できる。だが、機械の仕組みは、これからも教えていただきたい」
年配の職人が少し照れたように頭をかいた。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
俺は試験場の杭を見渡した。
「ところで、どれくらいの重さを運べるようにするかも、決めないといけないよね」
「はい。今は大きくすること自体が目標になっておりますので」
「まずは平らな線路で、荷物の重さを変えて試してみようか。坂道は、その後だね」
「承知しました」
「それと、安全性もちゃんと調べたいんだ」
「蒸気の圧力でございますか?」
「それもあるけど、ほかにもいろいろ。車輪や車軸が壊れないか、きちんと止まれるか、脱線しないか」
人や荷物を運ぶ乗り物だ。
動けばそれで完成、とはいかない。
「それに、乗る人の体への影響も気になるんだよね」
「体への影響、ですか?」
「熱い蒸気が漏れたら危ないし、石炭の煙だって心配なんだ。目に見えない有害な気体が出ることもあるから」
特にトンネルの中なら、煙がこもる可能性がある。
前世では、燃焼で生じる一酸化炭素が危険だということも知っていた。
ただ、俺にはこの世界でそれを測る道具の作り方までは分からない。
「運転する人はもちろん、駅で働く人や線路沿いの領民のことも考えたいんだ」
ヴァイスさんが真剣な表情になった。
「それは重要だな。しかし、安全を確かめるために人を煙の中へ入れるわけにはいかん。
まずは、どんな条件で危険が増えるのか、装置の側から調べる方法を考えよう」
「はい。人を乗せる試験は、その後ですね」
「うむ。まずは止める技術と、異常を見つける仕組みが必要だろう」
ルッツさんが大きく頷く。
「動かすことばかり考えておりました。止めるための試験も、早めに始めます」
大きな機関車が走るのは楽しみだ。
でも、その前にやらなければならないことが、こんなにある。
……本当に簡単じゃないな。
◇
次は、共鳴石通信機を作る工房へ向かった。
ここでは、すでに通信機の量産体制が整っている。
作業台には加工途中の共鳴石が並び、職人たちが決められた手順で組み立てを進めていた。
「これは王宮でも使わせてもらったことがあるよ」
ヴァイスさんが完成した通信機を眺める。
「同じ原石から分けた共鳴石を使い、離れた場所へ合図を送る。初めて報告を聞いた時は驚いたものだ」
「ありがとうございます。でも、今のままだと不便なことも多いんですよ」
「ほう。例えば?」
「連絡先を変えられないんです」
今の通信機は、基本的に決まった相手との通信に使う。
別の相手へ連絡したければ、その相手用の通信機が必要になる。
「だから将来は、一台で連絡先を選べるようにしたいんです」
「……一台で、複数の相手に?」
「はい。簡単じゃないと思いますけど」
ヴァイスさんが、通信機をもう一度見た。
「共鳴する組み合わせを切り替える必要があるな。今の仕組みから、かなり変わるかもしれん」
「そうなんですよね。だから、すぐには無理かなって」
「いや、目指すものがあるのはよいことだ。それで、ほかには?」
「着信です」
「着信?」
「今は相手から連絡がきたら光るだけでしょ。机に置いたまま別の仕事をしてたら、気づかないことがあるんですよ」
これでは、急ぎの連絡が届いても見逃してしまうかもしれない。
「できれば、音が鳴るようにしたいんです」
「音か」
「はい。それから、もっと先の話ですけど、通信機が震えて知らせてくれたら便利だなって」
「……震える?」
「音を出したくない場所でも、手に持っていれば気づけるでしょ?」
ヴァイスさんが黙った。
しばらくして、ゆっくりと笑う。
「ハル。君は、通信できるようになった先のことを考えているのだな」
「え?」
「遠くへ合図を送れた。それだけでも大きな成果だ。だが君は、使う人が困らないところまで考えている」
「便利な方がいいですからね」
「……そうか。使う人の立場から考えるわけか」
ヴァイスさんが職人たちへ目を向けた。
「今の装置は、どうやって光を出しているのかね?」
職人が、組み立て途中の通信機を使って説明する。
ヴァイスさんは最後まで聞いてから、尋ねた。
「その反応を使って、何かを動かせるかは試したことがあるかね?」
「いえ。今は光で知らせる仕組みだけです」
「ならば、音や振動に使えるかは、これからの研究だな。光ることと、部品を動かすことは同じではないから」
なるほど。
前世の電話や携帯電話を知っている俺は、つい完成した姿を思い浮かべてしまう。
でも、この世界には、その途中に必要な技術がまだない。
「まずは音からかな。小さな鐘みたいなものを鳴らせたら、それだけでも便利だし」
「うむ。そのために何が必要か、職人たちと考えてみたいな」
工房の職人が嬉しそうに頭を下げた。
「私どもも、作れるようになった通信機を、もっとよくしていきたいと思っておりました」
「その気持ちは大切だよ」
ヴァイスさんが答える。
「量産できるようにしたのは、君たちの成果だ。その土台があるから、次の研究ができるのだからな」
職人の表情が少し明るくなった。
……こういう人と一緒に仕事ができるのは、心強いな。
◇
最後は、硬化石を使った資材を扱う作業場だ。
領都からアナハイムへ向かう道路では、すでに硬化石を使った舗装が進められている。
ただ、建物や水路に使うための実験は、まだ手を付けられていない。
「硬化石は、道路のほかにも使いたいのかね?」
「はい。建物とか、水路とか」
「ほう。それはまた、求められる性質が違いそうだな」
「そうなんですよ」
道路なら、馬車が何度も通っても傷みにくいことが大切だ。
建物なら、上から掛かる重さや、横からの力にも耐えなければならない。
水路なら、長い間水に触れても傷まず、漏れないことが必要になる。
「今は道路の工事が忙しくて、そっちの実験ができていないんです」
「ならば、小さな試料から始めればよい。いきなり建物を造って試す必要はあるまい」
「そうですね」
俺は並んだ硬化石の資材を見た。
「それと、前から考えていることがあるんです」
「何かね?」
「鉄と組み合わせて、もっと強い建物を造れないかなって」
「鉄?」
前世には、鉄筋コンクリートというものがあった。
鉄の棒を組んだところに、コンクリートを流し込む。
大まかな姿は覚えている。
でも、材料の配合も、鉄の組み方も、詳しくは知らない。
「鉄の棒を骨組みみたいにして、その周りを硬化石を使った材料で固められないかなと思ってるんです」
「なるほど。鉄と硬化石に、それぞれ違う役割を持たせるわけか」
「そういう感じです。でも、どうすれば一体になるのかまでは分からなくて」
ヴァイスさんは、作業場の職人を振り返った。
「今の加工方法で、鉄の周りを隙間なく固めることはできるのかね?」
「試したことはございません。硬化石の材料が、鉄にどれほどなじむのかも分かりません」
「では、まずはそこからだな」
「鉄と硬化石が別々に動いたら、強い建物にはならなそうですよね」
「うむ。それに、どちらか一方だけが壊れてしまう可能性もある」
俺は前世の知識を思い返した。
コンクリートは、押される力には強いけど、引っ張られる力には弱かったはずだ。
だから鉄筋を入れるんだったかな。
ただ、硬化石を使った材料が同じ性質なのかは分からない。
「鉄を入れたものと、入れないものを作って比べるのはどうでしょう?」
「よいと思うぞ。まずは小さな試作品を作り、重さを掛けたり、曲げようとしたりして違いを確かめればよい」
「水路用なら、水に浸してみる必要もありますね」
「ああ。水が染み込むか、鉄が傷まないかも見たいところだ」
鉄はヴァレスト公爵家から輸入することになる。
無駄に使うわけにはいかないけど、小さな試作品なら始められるかもしれない。
「職人さん。作業の邪魔にならない範囲で、試作品を作れそうですか?」
「少量でしたら、何とか時間を取れると思います」
「ありがとう。無理のないところからお願いね」
ヴァイスさんが、その職人へ頭を下げた。
「私も、加工の方法を教えていただきたい。現物を見ながらでないと、考え違いをするかもしれんのでな」
「は、はい。喜んで!」
やっぱり、偉そうにしない人だな。
王立研究所の元所長なのに、知らないことを聞くのをためらわない。
それも、この人が多くの研究者に慕われていた理由なのかもしれない。
◇
政務所へ戻る頃には、午後もだいぶ過ぎていた。
「どうでした、ヴァイスさん?」
「実に有意義だった。ルッツ君たちも、共鳴石や硬化石の職人たちも、よくここまで進めてきたものだ」
「みんな、頑張ってくれているんです」
「うむ。だからこそ、これまでの成果を大切にしたい。私が来たからといって、現場のやり方を勝手に変えるつもりはないよ」
その言葉を聞いて、安心した。
「ただ、一つ気になったことがある」
「何でしょう?」
「どの現場も、日々の製作や工事に忙しい。新しいことを試したくても、十分な時間を取れないのだな」
「そうなんですよ。だから研究所が欲しいんです」
「ならば、建物より先に、研究するための時間と記録を残す仕組みを考えよう」
「時間と記録、ですか?」
「誰が何を試すのか。結果をどこに残すのか。失敗した時に、次の人が同じ失敗を繰り返さずに済むか。それが大切だと思うのだよ」
なるほど。
確かに、立派な建物だけあっても研究は進まない。
必要なのは、研究を続けられる環境だ。
「ローレンさんに相談してみます。現場ごとに、実験のための時間も確保したいですね」
「それがよかろう。もっとも、研究所の管理を私に任せるのは勘弁してくれたまえよ」
「あはは。分かってますって」
その約束は忘れていない。
ヴァイスさんには、思う存分研究してもらいたいんだから。
「ところで、ヴァイスさん自身は何から研究したいですか?」
「決まっている」
「え?」
「アノー山の苔だよ」
即答だった。
「蒸気機関も、共鳴石も、硬化石も興味深い。現場の者たちとは、これからも話し合いたいと思っている」
「はい」
「だが、私自身が腰を据えて取り組みたいのは、あの苔だ」
ヴァイスさんの目が、昨日と同じように輝き始めた。
「一日で岩肌に広がったという繁殖力。かすかに感じられる魔力。そして、魔物を見かけない山。分からないことばかりではないか」
「川の水も、すごく澄んでいたんですよ」
「そうだったな。水のことも気になる」
少し考えたあと、ヴァイスさんが顔を上げた。
「ハル。明日、アノー山へ案内してくれないかね?」
「もちろんです。でも、足場が悪い場所もありますよ」
「転移で近くまで行けるのだろう?」
「はい。安全な場所に転移印を残してあります」
「では、無理をせず、周囲を見られる範囲から始めよう」
「分かりました。アストンたちにも護衛をお願いしておきますね」
「頼むよ」
ヴァイスさんは、窓の外へ目を向けた。
「……楽しみだな」
「そんなにですか?」
「ああ。昨日まで存在すら知らなかった苔が、何をしているのか。その手がかりを自分の目で確かめられるのだからな」
そう言って、子供のように笑った。
王立研究所の所長だった頃も、この人はこんなふうに研究をしたかったんだろうな。
でも、今は違う。
自分の研究に、時間を使える。
「ハル」
「はい」
「君の領へ来て、正解だったようだ」
……嬉しいことを言ってくれるな。
明日は、もう一度アノー山だ。
何も出ないと思っていた、あの山。
でも今は、何が見つかるのか楽しみで仕方がない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
リオンはルッツに仕事を任せすぎていましたね。




