第608話 三つの知らせ
数日後。
政務所で、ローレンさんと学校の開設について話していた。
「先生になってくれそうな人、見つかった?」
「候補は何人かおります。商店で帳簿を任されていた者や、子供に文字を教えた経験のある者ですな」
「いいね」
「ただ、昼も夜も教えるとなると、負担が大きいかもしれません」
「じゃあ、先生は別々でもいいんじゃないかな。最初から一人に全部任せなくても」
「なるほど。では、その方向で話を進めましょう」
先日、ミラと見た政務所の空き部屋。
机を並べれば、小さな教室にできそうだった。
昼は子供たち。夜は仕事を終えた大人たち。
教える内容も、年齢ではなく一人ひとりの理解度に合わせる。
父上の領地で使っている教材の見本も、取り寄せることにしていた。
「最初は十人くらいからでいいと思うんだ。先生が教えやすい人数で始めよう」
「承知しました。候補者との面談を進めます」
「お願い。子供たち、集まってくれるといいな」
先日、麺料理店で会った男の子の顔を思い出す。
料理の名前を全部書けるようになりたいと言っていた。
あの子が通える学校になるといい。
そんなことを考えていた時だった。
「男爵様!」
扉が開いた。
通信室の文官だ。
「王宮から緊急通信が届いております!」
「王宮から?」
「サハル王国の戦況についてです!」
ローレンさんと顔を見合わせる。
「……分かった。すぐ行くよ」
◇
通信室では、二人の文官が共鳴石通信機に向かっていた。
すでに何枚かの紙が机に並んでいる。
「こちらです」
差し出された紙を受け取る。
サハル王国がドラン帝国軍を撃退した模様。
帝国側は侵攻を断念し、停戦交渉が始まったとの情報。
「……え?」
もう一度読む。
「ドラン帝国が、負けたの?」
「正確には、侵攻失敗の可能性が高いという速報でございます。王宮も詳細を確認しているところです」
「そっか。でも、停戦交渉まで?」
ついこの間まで、サハルから大勢の人が逃れてくるかもしれないと話していた。
それが、こんなに早く戦況が変わるなんて。
「一体、何があったんだろう」
「続報がございます」
文官が、もう一枚の紙を差し出した。
帝国の将軍と皇子が敗れたという。
その戦いで、アレンという冒険者が大きな役割を果たしたらしい。
「……アレン?」
知っている名前だ。
いや、直接会ったわけじゃない。
「ガイルが言ってた冒険者と同一人物かな」
「お知り合いなのですか?」
ローレンさんが聞いた。
「いや、面識はない。前にベイルン領で会ったAランク冒険者の話をしてくれたんだ」
確か、普通の剣で太い木を一振りで斬ったとか。
ガイル自身も相当強いのに、そのガイルが驚いていた。
ノア山脈を調べる時に手伝ってもらえないか、なんて話もしたっけ。
「その冒険者が、帝国の将軍と皇子を?」
「同じ人物であれば、ですがな」
「そうだね。まだ情報が足りないか」
それにしても、ガイルの話が本当なら、確かに普通じゃない。
どんな人なんだろう。
「男爵様。難民に関する報告も届いております」
「何て?」
「アルスレインへ向かう人数は、依然として不明。王宮は各地の状況を調査中、とのことです」
「……なるほど」
戦争が終わりそうだからといって、家を失った人たちがすぐに元の暮らしへ戻れるとは限らない。
それに、停戦の話だって、まだ正式に決まったわけじゃない。
「難民の準備は、まだ全部やめない方がよさそうだね」
「はい。追加の情報を待つ必要がございます」
◇
王宮からの報告を整理していると、別の通信機を担当していた文官が顔を上げた。
「男爵様。ヴァレスト公爵家からも通信です!」
「ヴァレスト公爵から?」
続くな。
新しい合図が届き、文官が紙に書き取っていく。
少しして、内容がまとまった。
ヴァレスト公爵家が集めた情報でも、帝国軍の後退はほぼ確実とみられる。
そのため、アルスレインへ大勢の難民が押し寄せる可能性は、当初の想定より低くなったとの見方だった。
「へえ……」
「王宮とは、少し異なる内容ですな」
「王宮は戦況を伝えてくれた。公爵様は、その先の見通しまで考えてるんだね」
ヴァレスト公爵家でも、難民の受け入れ準備を進めていると聞いていた。
難民がどれくらい来るのかは、あちらにとっても重要だろう。
「もっとも、これは公爵様の見立てだよね」
「はい。確定した人数ではございません」
「じゃあ、それは分けておこう」
王宮から届いた情報と、公爵様から届いた情報を並べた。
その時、別の共鳴石が光った。
「……今度は?」
「ガイル様からです!」
「ガイルから?」
思わず顔がほころんだ。
ベイルン領へ戻る時、ガイルには共鳴石通信機を渡してある。
戦争の話もあったし、連絡が取れるようにしておいてよかった。
文官が符号を読み取る。
ベイルン領とドラン帝国の国境付近に展開していた帝国軍が、撤退を開始。
ベイルン家の騎士団が確認。警戒は継続。
「……そっちも撤退してるんだ」
どうやら帝国内でなにかあったのは間違いなさそうだ。
「男爵様。まだ続きがございます」
「続き?」
文官が新しい紙を差し出した。
今度は、戦況とは関係のない文章だった。
『他にもいろいろ話したいことがある。落ち着いたら、おまえの領に行くぞ』
「……ガイルらしいな」
思わず笑ってしまった。
何を話したいんだろう。
戦争のことか。
アレンという冒険者のことか。
それとも、ほかに何かあったのかな。
「男爵様。ご返信なさいますか?」
「お願い。『知らせてくれてありがとう。こっちはいつでも歓迎するよ。気をつけて』って送ってもらえる?」
「承知しました」
文官が返信の準備を始めた。
遠く離れた場所にいる友人と、こうして言葉を交わせる。
それも、共鳴石通信機があればこそだ。
◇
三つの通信文を机の上に並べる。
王宮。
ヴァレスト公爵家。
ガイル。
それぞれ違う場所から、短い時間のうちに知らせが届いた。
「……すごいね、これ」
「通信機でございますか?」
「そう。少し前なら、王宮からの知らせが届くまで何日もかかったでしょ?」
「場合によっては、もっとかかりましたな」
「それが今は、ほとんど同じタイミングで三か所からだよ」
馬で手紙を運ばなくても、離れた土地の様子が分かる。
しかも、国王からの知らせだけじゃない。
公爵様の見通しも、ガイルの短い一言も届く。
自分たちで作ってきたものだけど、実際にこうして使ってみると、その便利さに驚かされる。
「男爵様の発案が、こうして役立っているわけですな」
「いや、作ってくれた人たちのおかげだよ。それに、もっと通信先を増やせたら便利になるだろうね」
「ええ。ますます忙しくなりそうですが」
「……それは困るな」
二人で少し笑った。
でも、便利になればなるほど気をつけなければいけないこともある。
「ローレンさん。この三つの報告、似てるけど同じじゃないよね」
「はい?」
「ガイルの報告で分かるのは、ベイルン領の国境にいた帝国軍が撤退を始めたこと」
ガイルからの紙を指さす。
「王宮からは、サハルで帝国軍が敗れて、停戦交渉に入ったらしいという話」
「はい」
「公爵様は、そこから難民が来る可能性が低くなったと見てる」
「なるほど。現地の報告と、戦況の報告と、今後の予測ですな」
「そう。別々に見た方がいいと思うんだ」
前世で経営していた時も、数字や報告をたくさん集めた。
でも、情報が多いから正しく判断できるとは限らなかった。
誰かの予測が、いつの間にか確定した事実として伝わってしまう。
そんなこともある。
「情報が早く届くのは助かる。でも、どう受け取って、何をするかは、俺たちが考えないとね」
「おっしゃるとおりですな」
少なくとも、今分かっていることはある。
帝国の侵攻は失敗した可能性が高い。
アルスレインの国境に迫っていた軍も退いた。
ただし、正式な停戦の成立も、難民の行き先も、まだ分からない。
それなら、今できる判断も見えてくる。
◇
「ローレンさん。難民の件だけど」
「はい」
「一度に大勢来る前提で、新しい支出を増やすのは、もう少し待とうか」
「それがよろしいでしょうな」
「でも、長屋や井戸、道路の整備は続けたい」
「難民が来られなくても、必要になるということですな」
「そう。アナハイムでは鉱山の仕事が増えてるし、工房もまだ建設途中だよね」
領都にも新しい商店が増えた。
今後、他の領地から移住してくる人もいる。
これから先も、人口は少しずつ増えていくと思う。
「急いで全部建てる必要はないけど、今いる人たちが困らないように整備は進めたいな」
「承知しました。必要なものから順に進めます」
「あと、学校もね」
「もちろんでございます。教師候補との面談を進めておきます」
「ありがとう。そういえば、その話の途中だったね」
戦争の知らせですっかり話が飛んでしまった。
それにしても。
「……よかった」
「何がでございますか?」
「戦争が広がらずに済みそうなこと」
サハルでは、まだ大変な思いをしている人が大勢いるはずだ。
それでも、帝国軍が後退したのなら、少なくともアルスレインが近いうちに戦場になる危険は小さくなったと思う。
「ええ。まずは一安心ですな」
ローレンさんも少し表情を緩めた。
◇
「……そうだ」
「今度は何でしょう?」
「ノア山脈の地図、見せてもらっていい?」
「ノア山脈ですか?」
ローレンさんが少し眉を上げた。
「まだ何も決めてないよ。ただ、そろそろ残りの山も気になってきて」
地図棚から一枚取り出し、机に広げてもらう。
アーシタ山。
ビダン山。
リンクス山。
そして、アノー山とエヴィン山。
五つとも、すでに名前は決めてある。
アーシタ山では銅。
ビダン山では共鳴石と硬化石。
リンクス山では石炭。
これだけでも、領地の産業はずいぶん変わった。
だけど、残る二つの山は、まだ本格的な調査ができていない。
「アノー山とエヴィン山ですな」
「何があるんだろうね」
「何もない可能性もございますぞ」
「それも調べてみないと分からないでしょ?」
「……確かに」
そういえば以前、ヴァレスト公爵様に山の名前を伝えた時、少し不思議な反応をしていたな。
何か思い当たることでもあったのか?
「近いうちにアストンと行ってくるよ」
ローレンさんが、机の端に置いた学校の書類へ目を向けた。
「男爵様。教師探しもお忘れなく」
「忘れてないよ。学校は予定どおり進めてね」
「では、そちらを優先して手配いたします」
やれやれ、とでも言いたげな顔だ。
そんなに仕事を増やすつもりはないんだけどな。
……いや、増やしてるか。
つい笑ってしまった。
ふと、ガイルから届いた紙を思い出す。
落ち着いたら、俺の領に来るらしい。
その頃には、学校も始まっているかな。
できれば、山の調査も少し進んでいるといい。
戦争の話で始まった一日だったけど、気づけばまた、これからのことを考えている。
さて。
アノー山とエヴィン山。
次は、どんなものが見つかるだろう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
情報が多く入る様になることで、その情報を判断する力が求められるのは現代日本にも言えることだと思います。




