第607話 懐かしい味
翌日の昼前。
政務所での仕事が一段落した。
「……ふう」
机の上の書類をまとめる。
まだ仕事は残っているけど、急ぎのものは片づいた。
今日は少し休もうかな。
そうだ。
昨日はミラにずいぶん助けられたし、たまには外の食事に誘ってみよう。
最近は仕事の話ばかりだったし。
◇
「ミラ、ちょっといい?」
屋敷に戻ると、ちょうどミラが廊下を歩いていた。
「あ、リオン。どうしたの?」
「よかったら、一緒に外で昼ご飯を食べない?」
「えっ!」
ミラの顔がぱっと明るくなった。
「いいの?」
「もちろん。最近、あんまりゆっくりできてなかったでしょ?」
「うん! 行きたい!」
「あはは。よかった」
「どこに行くの?」
「まだ決めてないんだ。最近、新しいお店も増えてるみたいだし、歩きながら探そうかなって」
「楽しそう!」
ミラが嬉しそうに笑う。
その時だった。
「ピー!」
足元から元気な声がした。
「あ、ピコ」
「ピー!」
「ピコも行く?」
「ピー!」
「まだ何を食べるか決まってないよ?」
「ピー!」
ミラが笑った。
「ふふっ。ピコは何でも食べたいんだよね」
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
「ピー!」
◇
昼前の領都は、なかなか賑やかだった。
商店の前には商品が並び、荷車が行き交っている。
以前は空いていた建物にも、少しずつ新しい店が入っていた。
「あ、リオン!」
「何?」
「あのお店、前はなかったよね?」
ミラが指さした先には、小さな菓子店があった。
窓際に焼き菓子が並んでいる。
「本当だ。おいしそうだね」
「うん!」
「帰りに寄ってみる?」
「いいの?」
「もちろん」
「やった!」
ミラが笑顔になる。
……こういう時間もいいな。
仕事の時のミラも頼もしいけど、今みたいに楽しそうにしている姿を見ると、俺まで嬉しくなる。
しばらく歩いていると、どこからかいい匂いが漂ってきた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「この匂い、どこかで……」
肉と香草を煮込んだような匂い。
少し酸味のある、食欲をそそる香りだ。
「ピー!」
ピコも反応した。
「あはは。ピコも気になる?」
「ピー!」
匂いのする方へ歩いていく。
通りを一本曲がったところに、新しい食堂があった。
店の前には、何人かの客が並んでいる。
「へえ。流行ってるね」
「おいしいお店なのかな?」
「そうかも」
入口には、料理を紹介する木板が立てかけられていた。
細長い麺に、いろいろな具材やソースを合わせた料理が描かれている。
「……あっ!」
「どうしたの?」
「ここ、もしかして!」
店員に声をかける。
「すみません。このお店って、王都にもありますか?」
「はい! 王都で営業している麺料理店の支店でございます」
「やっぱり!」
「ご存じなのですか?」
「うん。以前、王都で食べたことがあるんだ」
ヴィクトルと一緒に行った店だ。
ローデン商会が出資していて、昼前から客が並ぶ人気店だった。
そういえば、あの時はフィーネが店員として働いていたな。
それから、食事のあとにヴィクトルが言っていた。
ハル領にも店を出さないかって。
あの時は父上の領地への出店を考えていたはずだけど、今度は俺の領地にも支店ができたらしい。
……本当に出したんだ!
「ミラ、ここにしない?」
「リオンが行ったことのあるお店?」
「うん。すごくおいしかったんだよ」
「じゃあ、ここにしよう!」
「ピー!」
「ピコも覚えてる?」
「ピー!」
本当に覚えてるのかな。
◇
少し待ってから、店内へ案内された。
木製のテーブルと椅子が並び、客たちが楽しそうに食事をしている。
商人らしい男性たち。
作業着姿の人たち。
小さな子供を連れた家族もいた。
「いらっしゃいませ!」
店員が明るい声で迎えてくれる。
「あ、男爵様とミラ様!こちらへどうぞ」
「ありがとう」
窓際の席に案内された。
「素敵なお店だね」
「うん。王都のお店とよく似てる」
「そうなの?」
「もう少し広かったけど、雰囲気はこんな感じだったかな」
店員が料理の説明をしてくれる。
細長い麺に、いろいろなソースや具材を合わせる料理だ。
前世でいうパスタに近い。
「俺はこれにしようかな」
挽き肉と細かく刻んだ野菜を、赤いソースでじっくり煮込んだ麺料理。
前世でいうミートソースだ。
王都でもこれを食べた。
「ミラは?」
「うーん……」
ミラが真剣な顔で料理の説明を見ている。
「どれもおいしそうで迷っちゃう」
「あはは。分かる」
「……決めた!」
「何にするの?」
「香草ときのこの麺料理!」
「いいね」
店員に注文する。
ピコには、味付けを控えた肉料理を少しお願いした。
「ピー!」
「ピコ、まだ来てないよ」
「ピー!」
ミラが笑う。
「ふふっ。待ちきれないんだね」
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
「お待たせいたしました!」
「わあ!」
ミラが目を輝かせる。
俺の前には、赤いソースのかかった麺料理。
ミラの前には、香草ときのこを使った麺料理が置かれた。
「いただきます」
「いただきます!」
フォークで麺を巻き、一口食べる。
……ああ。
「おいしい!」
思わず声が出た。
肉の旨味。
野菜の甘さ。
少し酸味のあるソース。
王都で食べた時の味だ。
「そんなにおいしいの?」
「うん。懐かしいな」
「懐かしい?」
「あ、いや。王都で食べた時のことを思い出して」
「そっか」
ミラも自分の料理を食べ始めた。
「……!」
「どう?」
「これ、すごくおいしい!」
「よかった」
「香草の匂いがいいね。きのこもおいしいし!」
ミラがもう一口食べる。
そして、何か思いついたように顔を上げた。
「ねえ、リオン」
「何?」
「一口食べてみる?」
「いいの?」
「うん!」
ミラが皿を少しこちらへ寄せてくれた。
一口もらう。
香草の香りが広がり、きのこの旨味が麺によく絡んでいる。
「おお。こっちもおいしいね」
「でしょ!」
「ミラも俺の食べる?」
「食べたい!」
少し取り分けると、ミラが嬉しそうに口へ運んだ。
「……おいしい!」
「あはは。よかった」
「これ、どっちも好き!」
「じゃあ、次に来た時は違う料理も頼んでみようか」
「うん! それもいいね!」
……楽しいな。
美味しいものを食べて、二人で笑って。
最近は鉱山や工房のことばかり考えていたけど、たまにはこういう時間も必要だ。
その時だった。
「ピー……」
「ピコの分もあるよ」
取り分けてもらった肉料理を、小皿ごと鞄の中へ差し出す。
「はい」
「ピー!」
ピコが嬉しそうに食べ始めた。
……と思ったら。
「ピー!」
「……もう食べたの?」
「ピー!」
「早いね」
ミラが吹き出す。
「ふふっ。ピコ、本当においしそうに食べるね」
「そうだね」
ピコは、まだこちらを見ている。
「……おかわり?」
「ピー!」
「あはは。ちょっと待ってね」
追加で少しだけ肉を取り分ける。
すると、ピコが勢いよく顔を出した。
「ピー!」
「ピコ、声が大きいって!」
隣の席の男性が、こちらを振り向いた。
ミラは楽しそうに笑っている。
「リオン、大変だね」
「ミラも笑ってないで助けてよ」
「ふふっ。ごめんね」
「ピー!」
「ピコも!」
……まったく。
王都で食べた時も、こんなことがあった気がする。
◇
食事を終える頃。
「男爵様でいらっしゃいますか?」
店の奥から、一人の男性がやってきた。
店の責任者らしい。
「こんにちは」
「本日はご来店いただき、ありがとうございます!」
「こちらこそ。とてもおいしかったです」
「ありがとうございます!」
男性が嬉しそうに頭を下げた。
「このお店、ローデン商会が関わってるんですよね?」
「はい。出店にあたって、大変お世話になりました」
「そうだったんですね」
「王都から料理人を招き、こちらでも新しく従業員を雇っております」
「へえ」
「最近は領都も賑やかになりましたから、おかげさまで多くのお客様に来ていただいております」
「それはよかった」
……ヴィクトル、ちゃんと進めてたんだな。
王都で食事をした時は、地方への出店を調べてみるという話だった。
それが、こうして本当に店になっている。
商会が客の数や仕入れを調べ、商売になると判断して店を出したんだ。
「ヴィクトルにも、おいしかったって伝えておこうかな」
「ぜひお願いいたします!」
男性が笑った。
その時。
「お父さん!」
店の奥から、小さな男の子が顔を出した。
八歳くらいだろうか。
手には木板を持っている。
「こら。今はお客様とお話ししているんだぞ」
「あっ!」
男の子が慌てて口を閉じた。
「あはは。大丈夫ですよ」
「申し訳ございません。私の息子でして」
「そうなんですね」
男の子が持っている木板を見る。
そこには、いくつかの文字が並んでいた。
「何を書いてるの?」
俺が尋ねると、男の子は少し照れくさそうに木板を見せてくれた。
「お店の料理の名前です!」
「へえ!」
「でも、まだ全部は書けないんだ」
「そうなの?」
「うん。お父さんに教えてもらってるけど、難しくて」
木板を見る。
少し曲がった文字もあるが、料理の名前がいくつか書かれていた。
「上手だね」
「本当?」
「うん。ちゃんと読めるよ」
男の子が嬉しそうに笑った。
「もっと覚えたいの?」
「うん!」
「どうして?」
「だって、料理の名前を全部書けるようになったら、お店の手伝いができるでしょ?」
「ああ、そうだね」
「それに、お金の計算も覚えたい!」
「へえ。すごいね」
男の子が得意そうに胸を張った。
父親も笑っている。
「店が忙しくて、なかなか教える時間が取れないんです」
「そうなんですね」
「仕事が終わってから教えようと思うのですが、本人も眠くなってしまいますから」
「ああ……」
なるほど。
学校があればいいんだけどな。
「ねえ」
ミラが男の子に声をかけた。
「学校があったら、行ってみたい?」
「学校?」
「うん。文字や計算を教えてくれるところ」
「行きたい!」
即答だった。
「でも、お店の手伝いもあるんだ」
「そうなの?」
「うん。だから、毎日は行けないかもしれない」
……そっか。
ハル領で学校を始めた時も、同じようなことがあった。
家の仕事がある子。
弟や妹の世話をしている子。
毎日決まった時間に通えない子。
だから、来られる時間に来てもらって、自分の続きから勉強できるようにした。
「それなら、毎日じゃなくても勉強できる学校があったらどう?」
「そんな学校もあるの?」
「うん。前に作ったことがあるんだ」
「すごい!」
男の子の目が輝いた。
「この町にもできる?」
「……そうだね」
以前から、この領地にも学校を作りたいとは思っていた。
でも、鉱山や道路、工房の仕事が続いて、後回しになっていた。
「そろそろ始めたいな」
「本当?」
「うん。まだ準備が必要だけどね」
「やった!」
男の子が嬉しそうに笑った。
その姿を見て、なんだか懐かしくなった。
◇
店を出る。
「ごちそうさまでした!」
「こちらこそ、ありがとうございました!」
責任者の男性と男の子が、揃って頭を下げた。
俺たちも挨拶をして、通りへ出る。
「おいしかったね!」
「うん。また来たいな」
「私も!」
「ピー!」
ピコも賛成らしい。
「そうだ。ミラ、帰りに菓子店にも寄る?」
「本当? 行きたい!」
「あはは。じゃあ行こうか」
さっき見つけた菓子店へ向かう。
焼き菓子をいくつか買い、ミラと一緒に領都を歩いた。
ピコは菓子の包みをじっと見ている。
「ピコ、さっき食べたばっかりでしょ」
「ピー……」
「帰ってからね」
「ピー!」
……本当に食べることが好きだな。
そんなピコを見ていると、ミラが声をかけてきた。
「ねえ、リオン」
「何?」
「さっきの学校の話なんだけど」
「ああ」
「そろそろ始めてもいいんじゃない?」
「やっぱり、そう思う?」
「うん!」
ミラが頷く。
「ハル領でも、うまくいってたでしょ?」
「そうだね」
「私、西の森の学校を見に行った時、すごくいいなって思ったんだ」
「ああ、あの時ね」
「子供たちが、みんな違うことを勉強してたよね」
「うん。できるところから始める方式だから」
文字を覚えている子。
計算を練習している子。
短い文章を読んでいる子。
年齢で分けるのではなく、一人ひとりの理解度に合わせて進める。
前世の公文式に近いやり方だ。
「それなら、さっきの子みたいに毎日来られない子も勉強できるよね」
「うん。前回の続きから始められるから」
「いいね!」
「それに、今度は大人の学校も一緒に始めたいんだ」
「夜間学校?」
「そう。仕事が終わってから、読み書きや計算を勉強できる場所だね」
荷札を読む。
数を確かめる。
帳簿を書く。
そういうことができるようになれば、任せられる仕事も増える。
もちろん、仕事のためだけじゃない。
文字が読めれば、今まで分からなかったことも分かるようになる。
新しいことを知る楽しさだってある。
「……そういえば」
「どうしたの?」
「政務所に、まだ空いてる部屋があったよね?」
「あったと思うけど」
「あそこを使えないかな」
「学校に?」
「うん。ちょっと見に行ってみようか」
「行こう!」
◇
政務所へ戻り、ローレンさんに声をかけた。
「ローレンさん、ちょっと相談してもいい?」
「もちろんでございます」
「政務所の空いてる部屋って、まだあるよね?」
「はい。いくつかございますが」
「その一つを学校に使えないかなと思って」
「学校、でございますか?」
「うん」
ローレンさんが少し考えた。
「以前、お話しされていた子供と大人のための学校ですな?」
「そう。それをそろそろ始めたいんだ」
「なるほど」
「まずは、使えそうな部屋を見せてもらえる?」
「承知しました」
ローレンさんに案内され、廊下を進む。
政務所には、まだ使用していない部屋がいくつか残っている。
そのうちの一つへ入った。
「こちらはいかがでしょう?」
「おお……」
思っていたより広い。
窓もあり、昼間なら十分に明るい。
机と椅子を並べれば、十人くらいは勉強できそうだ。
「いいね!」
ミラも部屋を見回している。
「ここなら、学校にできそう!」
「うん」
俺も頷いた。
「昼間は子供たちに使ってもらって、夜は仕事が終わった大人たちに使ってもらおうと思うんだ」
「同じ部屋を使うわけですな」
「そう。新しい建物を建てなくても始められるでしょ?」
「確かに」
ローレンさんが頷いた。
「ただ、教師役が必要になりますな」
「うん。そこは探さないとね」
「教材も必要でございましょう」
「父上の領地で使っているものを参考にしたいな。できれば、同じ教材をこちらでも使いたい」
あちらでは、番号を付けた木板を使っていた。
文字を書く練習。
簡単な計算。
それぞれ、どこまでできたかを記録している。
その仕組みなら、教える人が変わっても前回の続きから始められる。
「最初は十人くらいからでいいと思うんだ」
「まずは小さく始めるわけですな」
「うん。まずは実際にやってみて、問題がないか確認したい」
「承知しました」
ローレンさんが部屋を見回す。
「夜間に使用するのであれば、照明や出入りの管理も必要になりますな」
「ああ、そうだね」
ここは政務所だ。
大切な書類も保管されている。
誰でも自由に出入りできるようにはできない。
「教室以外には立ち入れないようにした方がいいね」
「はい。この部屋でしたら入口からも近いので、対応できると思います」
「お願い」
「では、教師役と教材、運営に必要な費用を確認いたしましょう」
「ありがとう」
……いいな。
新しく建物を作る必要もない。
前の経験も使える。
それなら、今の領地でも十分に実現できそうだ。
「リオン」
「何?」
「子供たち、喜ぶだろうね」
ミラが嬉しそうに笑う。
「そうだといいな」
「きっと喜ぶよ!」
「うん」
今は何もない部屋だ。
でも、ここに机が並び、子供たちが文字や計算を覚えていく。
夜には、仕事を終えた大人たちが勉強しに来る。
そう考えると、なんだか嬉しくなった。
今日食べた麺料理だって、以前は王都まで行かなければ食べられなかった。
それが、今はこの領でも食べられる。
学校も同じだ。
「ピー!」
「分かった分かった。そろそろ帰ろうか」
「ふふっ。今日は楽しかったね」
「うん。また食事に行こうね」
「約束だよ?」
「もちろん」
ミラが嬉しそうに笑った。
三人で部屋を出る。
さて、まずは先生を探さないとな。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
リオン、ようやく教育に着手します。
教育は本当に大事だと思います。




