第606話 受け入れたくない理由
翌朝。
ルッツさんと話した後に執務室へ行くと、ローレンさんとミラが何かを話していた。
「どうしたの?」
「あ、リオン」
「おはようございます、男爵様。領民から嘆願書が届いております」
「嘆願書?」
受け取った紙には、何人もの名前が並んでいた。
内容を読んで、思わず顔を上げる。
「……難民のことか」
「はい。サハルからの難民受け入れについて、再考を求めるものです」
ただ、書かれていることは、単純な反対ではなかった。
領地に人が増えることは歓迎する。
鉱山や工房で働く人が集まり、商売が盛んになるのもありがたい。
しかし、戦争で住まいや仕事を失った人々が、一度に大勢やってくるとなれば話は別だ。
受け入れを急がないでほしい。
そういう内容だった。
「人口が増えるのはいい。でも、戦争難民は受け入れたくない、か……」
「うん。そこが気になったの」
ミラが言った。
「この前、一緒に領民の話を聞いたでしょ?」
「ああ。食料とか、家とか、いろいろ心配してたね」
「今回は、何が嫌なのかをもう少し詳しく聞いた方がいいと思う」
「どういうこと?」
「サハルの人が来ること自体が嫌なのか、一度に大勢来るのが怖いのか。それによって、考えることも変わるでしょ?」
「確かに」
ローレンさんが別の紙を差し出した。
「こちらは、以前の聞き取りで領民の方々から伺った内容です。嘆願書に署名された方の中にも、お話を聞いた方が何人かおります」
木工職人。
食堂の店主。
農家。
立場も、心配していることも違う。
「できれば、直接話を聞きたいな」
「私もそう思ってた」
ミラが頷いた。
「それと、リオン。今日は説得しようとしなくていいと思うの」
「え?」
「まだ何人来るかも分からないんだよ? 今すぐ安心してって言われても、安心できないと思う」
……そのとおりだ。
「分かった。まずは聞こう」
「では、代表の方々にご都合を確認いたします」
ローレンさんが席を立った。
◇
午後。
嘆願書を出した領民のうち、三人が政務所を訪れた。
四十代くらいの木工職人の男性。
食堂を営む女性。
それから農家の男性だ。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
木工職人が深く頭を下げる。
「こちらこそ、来てくれてありがとう。掛けてください」
三人が席に着いた。
俺の隣にはミラ。ローレンさんも同席している。
「嘆願書は読ませてもらったよ。まず、どうしてそう思ったのか聞かせてもらえる?」
「はい」
木工職人が口を開いた。
「男爵様が領主になられてから、私たちの暮らしは少しずつ良くなっております」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「長屋や倉庫の建設が増えまして、私のところにも仕事が来るようになりました」
「そうなんだ」
「最近は人手が足りなくて、王都から来た若者を一人雇ったほどです」
「へえ。どう?」
「よく働いてくれています。まだ教えることは多いですが、助かっております」
男性が少し笑った。
「ですから、移住してくる方々を歓迎していないわけではございません」
「うん」
「ただ、戦争難民となれば、事情が違うと思うのです」
表情が引き締まる。
「家も仕事もない方々が、何百人、何千人とやってくるかもしれないのでしょう?」
「可能性はあるね。ただ、人数も時期も、まだ王国から知らされていないんだ」
「そうですか……。では、その方々の暮らしは誰が支えるのでしょうか」
俺は少し考えた。
「当面は領で支援する必要があると思う。でも、どれだけ必要になるかは、まだ計算できていない」
「そのお金は、私たちの税金から出るのでしょうか?」
「領の財政から出すことになれば、そういう面もあるね」
「……それが心配なのです」
当然の疑問だ。
鉱山事業の収入が増え始めたとはいえ、あの資金を何にでも使えるわけじゃない。
領地の通常財政だって、まだ厳しい。
「一つ、聞いてもいい?」
ミラが声をかけた。
「はい、ミラ様」
「さっき、王都から来た人を雇ったって言ってたよね?」
「はい」
「もしサハルから来た職人さんが、一人で仕事を探していたらどう?」
「一人ですか? 仕事ができる方なら、私は構いません」
「家族と一緒だったら?」
「住む家があって、暮らしていけるなら……反対する理由はありません」
「じゃあ、何が一番心配?」
男性はしばらく考えていた。
「……何人来るのか、分からないことです」
「うん」
「働けない方もいるでしょう。子供や年寄りもいる。困っているから助けたいというお気持ちは分かります。
でも、どこまで支えればいいのか、誰にも分からないじゃありませんか」
「そうだね」
ミラは男性の言葉を遮らなかった。
「つまり、サハルから来た人が全員嫌だということではないんだね」
「少なくとも、私はそうです。ただ、大勢受け入れることには反対です」
「分かった。ありがとう」
ミラが頷く。
なるほど。
難民という言葉だけでは、相手が何を心配しているのか分からない。
◇
「あなたはどうかな?」
ミラが食堂の女性に尋ねた。
「私は食料です」
女性はすぐに答えた。
「お客さんが増えて、商売は以前より良くなりました。でも、仕入れの値段も少しずつ上がっているんです」
「ああ……」
「ローデン商会がたくさん運んでくれているのは知っています。それでも、急に何千人も増えたら足りなくなるんじゃないかって」
「そうだよね」
「店のことも心配ですが、家族が食べるものまで高くなったら困ります」
ミラが頷いた。
「じゃあ、食料の量と値段を確認できれば、少しは安心できる?」
「はい。ただ、今は大丈夫と言われるだけでは……」
「これから増えても大丈夫なのか、知りたいんだね」
「そうなんです!」
女性の声が少し大きくなった。
「そのことが、ずっと気になっていたんです」
ミラはローレンさんに目を向けた。
「今の食料の量だけじゃなくて、人が増えた場合に追加でどれくらい運べるのかも、ヴィクトルに確認してもらえるかな?」
「承知しました。人数ごとに分けて整理いたしましょう」
「ありがとう」
……ああ、そうか。
俺たちは何人受け入れられるかを計算していた。でも、領民が知りたいのは、自分たちの暮らしがどう変わるかなんだ。
最後に農家の男性が口を開いた。
「私は、治安が心配です」
「治安?」
「はい。文化や習慣が違えば、揉め事も起こるでしょう。それに、戦争から逃げてきた方々がどんな人なのか、私たちには分かりません」
「うん」
「もし盗みや暴力が起きたら、どうされるのですか?」
男性が俺をまっすぐ見た。
「つらい目に遭った人たちだから、仕方ないと言われるんじゃないか。それが怖いんです」
「そこは、はっきりさせておきたいね」
俺は答えた。
「この領で守るべき決まりは、昔から住んでいる人も、新しく来た人も同じだよ」
「サハルから来た方々もですか?」
「もちろん。何か起きたら、誰が何をしたのか調べて、決まりに従って対処する。出身で扱いを変えるつもりはないよ」
「……絶対に、問題は起きませんか?」
「それは約束できない」
男性が黙る。
「でも、問題を放っておかないことは約束する。訴えがあれば、きちんと確認するよ」
「ありがとうございます」
「それとね」
ミラが口を開いた。
「サハルから来た人が、逆に嫌がらせを受けることもあるかもしれないでしょ?」
「……はい」
「その時も、同じように守らないといけないと思うの」
「そうだね」
俺が頷くと、農家の男性は少し考えてから言った。
「それなら、筋は通っていると思います」
ただ、表情はまだ硬い。
当然だ。言葉だけで不安がなくなるわけじゃない。
◇
「男爵様。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
木工職人がもう一度口を開いた。
「もちろん」
「人手が必要なのは、私たちにも分かります。でしたら、仕事を求める移住者を増やせばよいのではありませんか?」
「……うん」
「なぜ、わざわざ戦争難民を受け入れるのです?」
昨日見たアナハイムを思い出す。
建設中の工房。
新しくできた店。
硬化石の道路を行き交う荷馬車。
仕事は、これからもっと増えるだろう。
「俺は、この領の人口を増やしたいと思ってるんだ」
「はい」
「鉱山も工房も、これからまだ大きくなる。人が増えれば、働く人だけじゃなく、買い物をする人も増える。新しい仕事だって生まれると思う」
「それは賛成です」
「ありがとう」
「ですが、それと戦争難民を受け入れることは、別ではありませんか?」
……そのとおりだ。
働き手を増やすことだけが目的なら、仕事を探している人に移住してもらう方が、準備しやすい。
「別の話だと思う」
俺は頷いた。
「でも、戦争で家を失った人たちも、できるだけ助けたいんだ」
「そのために、領民が負担を負ってもですか?」
「負担が出ないなんて言うつもりはないよ」
男性がこちらを見る。
「だから、どれだけ負担がかかるのか調べてる。以前、ローレンさんに五百人、二千人、五千人の場合を分けて考えてもらったんだ」
「五千人も……?」
「今のままでは無理だって、はっきり言われたよ」
「……そうなのですか」
「うん。受け入れると決めるだけなら簡単だけど、来た人たちが暮らしていけなければ意味がないからね」
前世でも、移民や難民の受け入れを巡る対立は何度も見聞きした。
住居が足りなくなる。
仕事や生活習慣を巡って、住民同士が反発する。
一方で、移り住んだ人たちが技術を持ち込み、産業を育てた例もある。
だから、受け入れれば成功するとも、必ず失敗するとも言えない。
経営していた頃だって、人を増やすだけでは会社はよくならなかった。
仕事の仕組みも、教える人も、必要な設備も整えなければならない。
領地なら、なおさらだ。
「俺は受け入れるための準備を進めたい。でも、何も考えずに何千人も迎えるつもりはないよ」
木工職人は、しばらく黙っていた。
「……男爵様のお考えは分かりました」
「うん」
「ですが、私は今でも反対です」
はっきりした声だった。
「そうなんだね」
「申し訳ございません」
「謝らなくていいよ。家族のことが心配なんでしょ?」
「……はい」
男性が深く頷いた。
◇
「それなら、一つお願いしてもいいかな?」
ミラが言った。
「お願い、ですか?」
「これからも、私たちに意見を聞かせてほしいの」
三人が顔を見合わせた。
「……受け入れに反対しているのに、ですか?」
「うん。反対してるからこそ、気づくこともあると思う」
「しかし……」
「無理に賛成してほしいわけじゃないよ」
ミラが笑った。
「皆さんだって、この領がもっと良くなってほしいと思ってるんでしょ?」
「それは、もちろんです」
「だったら、同じだね」
「同じ……ですか?」
「うん。目指しているところは同じでも、考えが違うことはあると思うの」
木工職人が黙って聞いている。
「今日も、話を聞かなかったら分からなかったことがあったでしょ? これから何か決める時にも、知らないままだったら困るから」
「……」
「それにね。私たちが間違っていると思ったら、ちゃんと言ってほしいの」
男性が驚いた顔をした。
「男爵様やミラ様に、ですか?」
「もちろん。言ってもらえなかったら、気づけないこともあるもの」
「……厳しいことを申し上げるかもしれません」
「それでいいよ」
ミラはローレンさんに向き直った。
「ローレンさん。今日の質問、全部書き留めてもらえた?」
「はい」
「答えが出ているものと、まだ分からないものを分けて、皆さんに返事をできるかな?」
「もちろんでございます」
「まだ分からないことは、分からないって書いてほしいの。それから、いつ頃もう一度確認するかも」
「承知しました」
「今日来られなかった人たちにも、同じ内容を知らせたいな。嘆願書を出した人だけじゃなくてね」
「掲示と、各地区への連絡を考えましょう」
「ありがとう」
……なるほど。
ミラは、反対する人たちを説得しようとしていたわけじゃない。
意見を聞き続けることと、領からきちんと返事をすること。その両方を考えていたんだ。
「俺からもお願いしたいな」
三人に向き直る。
「今日みたいに、また話を聞かせてほしい。賛成してもらうためじゃなくて、俺たちが見落としていることを教えてほしいんだ」
木工職人は少し考えてから、頷いた。
「……分かりました。受け入れへの反対は変わりませんが、それでもよろしければ」
「もちろん」
「では、また意見をお伝えします」
食堂の女性も頷く。
「私は食料のことを、引き続き気にしておきます」
「ありがとう」
農家の男性は、まだ難しい顔をしていた。
「私は治安の件が心配です。それだけは、何度でも申し上げます」
「うん。大事なことだからね」
三人が、ようやく少しだけ表情を和らげた。
◇
三人を見送ったあと、執務室へ戻った。
「……ふう」
思わず息が出る。
「お疲れさま、リオン」
「ミラもお疲れさま」
「ありがとう」
ミラは、ローレンさんの書いた紙を覗き込んでいる。
「この質問は、食料の仕入れを確認してからだね」
「はい。ヴィクトル殿に問い合わせましょう」
「治安の件は、騎士団にも相談したいな」
「承知しました」
「それから、住居のこと。新しく来る人だけじゃなくて、今いる人たちが困っていることも知りたいの」
……まだ仕事をしている。
「ミラ、すごいね」
「何が?」
「反対してる人たちに、これからも話を聞かせてほしいって言えるところ」
「だって、反対してる人も、この領を大切に思ってるんでしょ?」
「そうだね」
「それなら、話を聞かないのはもったいないよ」
ミラが紙を置いた。
「それに、リオン。もし皆が何も言わなくなったら、どうする?」
「え?」
「本当は困ってるのに、言っても無駄だと思われたら」
「……ああ」
前世の会社を思い出した。
社員が不満を言わなくなったからといって、問題がなくなったわけじゃない。
言っても変わらないと諦めていたことだってある。
そういう時ほど、こちらからは何も見えなくなる。
「確かに。それが一番困るね」
「でしょ?」
「うん。でも、ミラはもう一つ考えてたよね」
「何?」
「話を聞くだけじゃなくて、返事をすること」
ミラが頷いた。
「聞いただけで終わったら、次は話してくれないかもしれないもの」
……なるほどな。
俺は、どうすれば受け入れられるかを考えていた。
でもミラは、その前に領民との信頼を失わない方法を考えていたんだ。
「ローレンさん」
「はい」
「今日の質問への回答を、領民に知らせる仕組みを整えよう。まだ決められないことも、そのまま伝えてほしい」
「承知しました」
「受け入れ人数や時期は、王国からの情報と準備の状況を見て判断する。それまでは、決まっていないことを決まったように伝えないようにしよう」
「はい」
ミラが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、これからも一緒に考えていこうね」
「うん。頼りにしてるよ」
人口を増やしたい。
困っている人も助けたい。
その考えは変わらない。
でも、領地が大きくなることと、そこに暮らす人たちが安心できることは、同じじゃない。
昨日、アナハイムでは硬化石の道路を見た。
昔は通れなかった場所を、今は何台もの馬車が行き交っている。
道路なら、地面を整え、排水路を掘り、硬化石を敷けば形にできる。
でも、人と人の間に道を作るのは、そんなに簡単じゃない。
ミラを見る。
彼女はもう、次に誰の話を聞くか、ローレンさんと相談していた。
……俺も頑張らないとな。
まずは、今日聞いたことに、きちんと答えよう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
「それに、リオン。もし皆が何も言わなくなったら、どうする?」
本当にその通りだと思います。
賛否両論を含めて様々な感想を頂けるのは本当にありがたいことだと思っています。




