第599話 来る前に
翌朝。
執務室には、ローレンさんとミラに来てもらっていた。
「昨日、王宮でサハルからの難民を受け入れるって答えてきた」
「やはり、そうなりましたか」
ローレンさんは驚かなかった。
ドラン帝国がサハルへ侵攻したと分かった時から、この可能性は話していた。
「何人来るかは、まだ分からないけどね」
「でしたら、以前ご指示いただいた件をご報告いたしましょう」
「ああ。五百人、二千人、五千人で調べてもらってたやつ?」
「はい」
ローレンさんが何枚かの紙を机に置いた。
「まず五百人であれば、準備を進めれば対応できると思われます」
「今ある家だけで?」
「空き家や長屋を使えます。ただし、井戸や便所などは増やす必要がありますな」
「なるほど」
「二千人になりますと、新しい住居だけでなく、水や食料、政務所の人員まで増やす必要が出てきます」
「今のままじゃ無理?」
「一度に来られれば厳しいでしょう」
「一度に?」
「はい。数週間、数か月と分かれて来るのであれば、その間に受け入れる側も準備できます」
「ああ……」
言われてみれば当然だ。
明日二千人来るのと、何か月かに分かれて来るのでは全然違う。
「五千人は?」
「今のままでは無理ですな」
即答だった。
「やっぱり」
「今の領民の半分を超える人数ですからな」
この領の人口は八千人ほど。
そこへ五千人。
簡単に受け入れられる人数じゃない。
「ただし」
「うん?」
「時間をかけて住居や水、仕事を増やせるのであれば、可能性がないとは言えません」
「そっか」
何人来るのか。
それだけじゃない。
どれくらいの期間で来るのか。
それも重要になる。
「それと、男爵様」
「何?」
ローレンさんの表情が少し険しくなった。
「以前調べた時より、気になっていることがあります」
「何?」
「病です」
「病気?」
「はい」
ミラもローレンさんを見る。
「サハルからここまで逃れてくるのであれば、長い距離を移動することになります」
「そうだね」
「毎日十分に食べられるとは限りません。野宿する者もいるでしょう」
「……うん」
「当然、身体も弱ります」
それは十分あり得る。
戦争から逃げてくるんだ。
食事をして、毎晩安全な場所で眠りながら来られるわけじゃない。
「その状態で大勢が一か所に集まれば、病が広がる危険があります」
「そうだよね……」
「特に、水や便所が足りなくなれば危険でしょうな」
ミラが口を開く。
「食べられてない人は、病気にもなりやすいよね」
「うん」
「それに、大勢で同じ場所に寝ることになるかもしれない」
王都の東地区で調べた時のことを思い出す。
食事が足りない。
衛生状態が悪い。
病気になる。
働けなくなる。
さらに生活が苦しくなる。
全部がつながっていた。
あの時は一つの地区だった。
今回は、何百人。
もしかすると何千人だ。
「病気になってから治すだけじゃ遅いね」
「そう思います」
「食料、家、水、仕事、治安。それに衛生と医療も、最初から考えておこう」
「はい」
「誰が来たのかを記録する仕組みも必要ですな」
「家族とか、前に何をしてたとか?」
「ええ。名前、年齢、出身地、家族。それから以前の仕事も分かれば、その後の仕事を決める時にも使えます」
「それは必要だね」
何千人も来てから、一人ずつ何ができるのかを調べ始めたら大変だ。
家族とはぐれる人だっているかもしれない。
「治安についても準備は必要でしょう」
「うん。ただ、来る人たちを警戒するって意味じゃないよ」
「もちろんです」
人口が急に増えれば、それだけ混乱も起きる。
騙そうとする人間が現れるかもしれない。
難民自身が盗みや詐欺の被害に遭う可能性だってある。
「私は、やっぱり人同士のことも心配かな」
ミラが言った。
「昨日の話?」
「うん」
昔からこの領に住んでいる人。
王都から最近来た人。
これからサハルから来る人。
「それぞれ別々になっちゃったら嫌だなって」
「そうだね」
住む家を作るだけでは足りない。
仕事を用意するだけでも足りない。
「男爵様」
「何?」
「そこまで分かった上でも、できるだけ多く受け入れるお考えですかな?」
「うん」
そこは変わらない。
「でも、何も考えずに受け入れるつもりはないよ」
「では?」
「来る前にできることをやろう」
机の上の紙を見る。
「水はすぐ確認できるよね」
「はい」
「今ある井戸と、追加で掘れそうな場所を確認しておこう。便所やごみを集める場所も」
「承知しました」
「住居は?」
ミラが聞く。
「長屋を増やすなら、建てる場所と木材だけでも先に確認しておこう」
「難民用?」
「いや」
首を振る。
「普通の長屋でいいと思う」
「どうして?」
「難民が来なくても、この領はこれから人を増やしたいから」
人口が増えれば、いずれ必要になる。
「誰でも住める家なら、無駄にはならないでしょ?」
「確かに。ただ長期間人が住まないと家は朽ちるので時期の見極めは必要ですね」
「うん。とりあえず急いで建てましたってのはやめよう」
食料については、ヴィクトルに在庫と追加で仕入れられる量を確認してもらう。
ただし、一気に買い集めるのは駄目だ。
市場から食料が消えたら、今いる人たちが困る。
「仕事も、どこで人が必要になりそうかだけ出しておこう」
「鉱山とか?」
「うん。鉱山、アナハイム、道路、倉庫、工房、農業」
「来たらそこに働いてもらうの?」
「それは本人に聞いてからだね」
「どうして?」
「元鍛冶職人の人に、何も聞かず道路工事をお願いしたらもったいないでしょ?」
「ああ」
ミラが笑う。
「それはそうだね」
「だから、前に何をしていたのかも最初に聞こう」
「承知しました」
ローレンさんが紙に書き加える。
「あと医療か」
「教会に相談できないかな?」
ミラが言った。
「教会?」
「うん。領都に教会を作ることになってるでしょ?」
「ああ」
ミラディアから神官を送ってもらうことになっている。
中には病人や怪我人を診られる神官もいるらしい。
「まだ教会はできてないけど……」
「治療のできる人だけでも、先に来てもらえないか聞いてみたら?」
「それいいね」
病人が出てから探すよりずっといい。
「相談してみよう」
「薬や包帯なども確認しておいた方がよろしいでしょうな」
「うん」
「石鹸もいるね」
ミラが言った。
「東地区でも使ったもんね」
「うん」
やることは多い。
でも。
「まだ誰も来てないからね」
「はい?」
「だから今なら準備できる」
「午後は、昨日話したことをやろうか」
「領民の話を聞く?」
「うん」
俺たちが考えていることと、ここで暮らしている人たちが感じていることが同じとは限らない。
まず聞いてみよう。
◇
午後。
ミラと一緒に領都へ出た。
最初に向かったのは、新しく整備した長屋の一つだ。
「ここ?」
「うん」
王都の東地区から移ってきた人たちも、何家族か住んでいる。
その中に、以前会ったことのある一家がいた。
家を訪ねる。
「はい」
扉が開いた。
出てきた男性の顔を見る。
「あ……」
すぐに思い出した。
「王都の東地区で会いましたよね?」
「はい!」
男性の顔が明るくなる。
「覚えていてくださったんですか?」
「もちろんです」
十年以上、倉庫で荷物を運んでいた人だ。
身体を壊して重い物を運べなくなり、仕事ができなくなっていた。
「あの時より、ずいぶん元気そうですね」
「はい。かなり良くなりました」
確かに顔色が違う。
以前は少し話すだけでも苦しそうだった。
「今は仕事もしています」
「どんな仕事を?」
「倉庫です」
「倉庫?」
「前みたいに重い物は運べませんけどね」
男性が笑う。
「荷物の数を確認したり、仕分けを手伝ったりしています」
「そうなんですね」
「まだ簡単なものだけですけど」
荷物を扱ってきた経験は十年以上ある。
重い物を持てなくても、できることはあった。
「家はどうですか?」
「前よりずっといいです」
男性が長屋の中を見る。
「広いわけじゃありません。でも雨漏りもしませんし、前に住んでいた家より湿気も少ないです」
奥から妻も顔を出した。
「ここに来てから、夜もしっかり眠れるようになったんですよ」
「そうなんですね」
「それで体調も少しずつ良くなって」
「よかった」
本当にそう思う。
王都で会った時とは全然違う。
「あの」
男性が俺を見る。
「今日はどうされたんですか?」
「ああ。実は聞きたいことがあって」
「私に?」
「はい」
少し間を置く。
「サハル王国で戦争が起きているのは知っていますか?」
「ええ。聞いています」
「家を失った人が大勢出ているそうです」
男性の表情が変わった。
「その人たちの一部を、この領でも受け入れるかもしれません」
「……そうですか」
「まだ何人になるかは分かりません」
俺は男性を見る。
「俺は、できる限り受け入れたいと思っています」
「はい」
「でも、今ここで暮らしている人たちがどう思っているのかも知っておきたいんです」
男性はすぐには答えなかった。
妻を見る。
少し考えてから、口を開く。
「私は、来てもらっていいと思います」
「本当ですか?」
「はい」
「どうしてですか?」
「私たちも、ここに来させてもらったからです」
「……」
「王都にいた頃は、この先どうなるのか分かりませんでした」
働けない。
住んでいる家も悪い。
生活も苦しい。
「でも、ここに来て住む場所があって、仕事も見つかりました」
「はい」
「だから、同じように困っている人がいるなら、助けてあげてほしいです」
「ありがとうございます」
「ただ……」
「はい?」
「住む場所も仕事もないまま呼ぶのは、違うと思います」
男性が真剣な顔で言った。
「私たちは、ここに来た時に住む場所がありました」
「はい」
「仕事も見つけてもらえた」
一度、自分の家の中を見る。
「だから、やり直せたんだと思います」
その言葉が残った。
「そうですね」
分かっていたつもりだった。
それでも、実際にここへ移ってきた人から言われると重みが違う。
「ありがとうございます。聞けてよかったです」
「いえ」
家を出る。
「元気になってたね」
ミラが言った。
「うん」
それが何より嬉しかった。
◇
その後も何人かに話を聞いた。
「戦争から逃げてくるんでしょう? 助けてあげたいです」
そう言う人もいた。
でも。
「何人くらい来るんですか?」
「まだ分かりません」
「百人くらい?」
「もっと多い可能性もあります」
「千人とか?」
「あります」
「……それは、ちょっと怖いですね」
別の人は食料を心配した。
「最近、人が増えて少し値段が上がった物もあるでしょう?」
「はい」
「もっと増えて、食べ物が足りなくなったら困ります」
商人は違うことを言った。
「人が増えれば、お客も増えます。それ自体はありがたいですよ」
「でも?」
「一度に大勢来られたら、仕入れが追いつきません」
「やっぱりそうですよね」
「何人来るのか早めに分かれば、こちらも動けるんですが」
王都から移ってきた別の男性は、少し言いにくそうに話した。
「私は……少し不安です」
「何がですか?」
「仕事です」
「仕事?」
「こちらへ来て、やっと仕事が決まったんです」
「はい」
「そこへまた何千人も来たら、自分の仕事がなくならないかって」
「なるほど」
反論はしなかった。
仕事は増やすつもりだ。
でも今日は、俺の考えを説明しに来たんじゃない。
話を聞きに来た。
ほかにも何人かに聞いた。
助けたい。
怖い。
人数次第。
準備できるなら賛成。
意見は一つじゃなかった。
でも。
皆が気にしていることは、俺たちが想定していたものとほとんど同じだった。
食料。
家。
水。
仕事。
治安。
病気。
そして、自分たちの今の暮らしがどうなるのか。
当然だと思う。
◇
夕方。
政務所へ戻った。
ローレンさんもまだ執務室にいる。
「どうでしたかな?」
「いろいろ聞けたよ」
領民たちから聞いたことを説明する。
「心配してることは、俺たちが考えてたこととほとんど同じだった」
「そうでしたか」
「うん」
難民そのものが嫌だから反対している。
そんな人ばかりじゃない。
むしろ、自分や家族の暮らしがどうなるのか。
そこが怖いんだ。
「でしたら、その不安を一つずつ減らしていくしかありませんな」
「うん」
机の上を見る。
住居。
食料。
水。
衛生。
医療。
仕事。
治安。
それから、人同士の関係。
「やることが増えたね」
「今さら?」
ミラが笑った。
「確かに」
「ですが」
ローレンさんが言う。
「まだ何人来るかも、いつ来るかも分かっておりませんぞ」
「うん」
何人来るか分からない。
いつ来るかも分からない。
だから、待つ。
それも一つの考え方だ。
でも。
「来てからじゃ遅いこともあるからね」
「はい」
「今できることから始めよう」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
リオン達の生活しているエルディア大陸ではすべての国で同じ言語が使われています。




