第597話 庭を走る
翌朝。
執務室へ行く前に、ルッツさんの工房へ寄った。
「これで全部かな?」
机の上に紙を広げる。
実際の鉱山で使っている大きさのトロッコ。
鉄製の車輪と車軸。
縄を回すための大きな車輪や滑車。
線路へ加工するための長い鉄材。
それから、蒸気機関を大きくするための鉄板や鉄棒、管。
「ひとまずはこれで大丈夫だと思います」
「長さは?」
「こちらに書いてあります」
「分かった。じゃあヴァレスト公爵に聞いてみるよ」
「お願いします」
紙を持って通信室へ向かった。
◇
通信担当の文官にお願いして、ヴァレスト公爵邸へつないでもらう。
しばらくすると返事が来た。
こちら側が必要としているものは全部用意してくれるらしい。
「よかった」
さらに、どれくらいでこちらへ送れるか確認する。
今度の返事は少し時間が掛かった。
最短でも二週間ほど。
「二週間か……」
量が多いうえに、かなり重い。
準備するだけでなく、それを何台もの荷馬車でこの領まで運ばなければならない。
むしろ二週間で届けば早い方なのかもしれない。
最後に、完成したら見せてほしい。
そんな返事も届いた。
「もちろんです」
思わず声に出してしまった。
通信室を出る。
二週間か。
でも、その間ずっと待っている必要はない。
「よし、今のうちにあれを試してみるか」
◇
その後、午前中は政務所で仕事をした。
最近は、以前ほど慌ただしくなく、落ち着いてきている。
「こちらが今朝までの状況です」
ローレンさんが書類を渡してくれる。
「ありがとう」
新しく来た人たちの多くは、道路整備や倉庫、工房などで働き始めていた。
まだ仕事を覚えている途中の人もいる。
昔から住んでいる人たちと、全員がすぐに打ち解けたわけでもない。
それでも、領都を歩く人は以前より増えた。
店に入る客も増えているようだ。
「食料の値段は?」
「多少上がった物もありますが、今のところ大きな値上がりはありませんな」
「よかった」
人口が増えれば、食料や日用品の需要も増える。
でも、ヴィクトルたちローデン商会が仕入れ先を増やし、以前より多くの商品を領内へ運び込んでくれていた。
そのおかげで、心配していたほど物価は上がっていない。
急に何もかも良くなったわけじゃない。
それでも、以前よりこの領地で暮らしていけそうだと思ってくれる人は増えている気がした。
「こちらもありますぞ」
「まだある?」
「共鳴石通信機についての問い合わせです」
「ああ」
書類を受け取る。
他領からの問い合わせは、少しずつ増えていた。
すでにいくつかの領や商会には少数を購入してもらい、実際に使ってもらっている。
硬化石についても同じだ。
道路だけではない。
倉庫の荷物置き場や、馬車が頻繁に通る場所へ使えないかという問い合わせも届いていた。
「工房も忙しくなってきたね」
「ええ」
だから、面白そうだからといって職人全員を俺の試作へ回すわけにはいかない。
共鳴石通信機と硬化石を担当している職人たちには、そのまま仕事を続けてもらっている。
「午後はまた庭ですかな?」
「うん。その予定」
ローレンさんが少し笑った。
「午前の仕事を終えてからなら、何も申しませんよ」
「ありがとう。屋敷の庭にいるから何かあったらいつでも声をかけて」
「承知いたしました」
◇
昼食を済ませると庭へ出た。
昨日作った斜面も、二組の木製レールもそのまま残っている。
年配の職人たちも集まっていた。
「今日は何をするんです?」
「線路をもう一つ作りたいんだ」
「また坑道ですか?」
「いや。今度は一周させたい」
庭に大きな形を描く。
真円ではない。
二本の直線を、両端の緩いカーブでつなぐ。
「こんな感じ」
「かなり大きいですな」
「曲がるところが急だと走りにくいと思うから」
まず杭を打ち、縄を張って距離を測る。
直線部分の長さを決め、カーブになる場所には中心となる杭を打った。
そこから一定の長さの縄を伸ばし、地面に緩やかな曲線を描いていく。
「こっちはもう少し外かな」
「そこまで行くと庭の端ですぞ」
「じゃあ、少し内側にしよう」
何度か測り直す。
線路の位置が決まると、そこだけ土を浅く掘った。
「ここに細かい石を敷こう」
「石ですか?」
「うん。木を直接土の上に置くより、重くなった時に沈みにくいと思うんだ」
前世で見ていた鉄道のイメージだ。
「なるほど」
砕いた石を運び、掘った場所へ敷いていく。
もちろん、一日では終わらない。
今日はほんの一部だ。
「その上に横木を置くんですね?」
「うん。その上にレールを置こう」
真っすぐな部分は普通の細長い木材でいい。
問題はカーブだ。
「曲がるところは、この線に合わせてレールも曲げたいんだけど」
地面に描いた曲線を指す。
職人の一人がしゃがみ込む。
「この形に木を削り出すということですな」
「できる?」
「できます。ただ、内側と外側では曲がり方が違いますぞ」
「あ、そっか」
二本のレールの間隔は、どこでも同じでなければならない。
内側と外側では、必要な曲線も違う。
「じゃあ、ちゃんと測って作ろう」
「それがよろしいでしょう」
幅のある木材へ曲線を写し、鋸で大まかに切る。
そこから鉋で少しずつ形を整えるらしい。
一枚の長い木を無理に曲げるのではなく、曲線に加工した木製レールを何本かつないでいく。
直線よりずっと手間がかかりそうだ。
「ルッツさん」
「はい」
「こっちは俺たちで進めるから、こっちの方をお願いしてもいい?」
昨晩作っていた設計図をルッツさんに渡した。
「これを作るんですか?」
「できそう?」
「やってみますが、その前に、これがどういうものなのか聞かせてください」
「あ、そうだった」
「昨日は蒸気機関を地面に置いたよね」
「はい」
「蒸気で軸を回して、その軸で縄を動かした」
「そうですね」
「今度は蒸気機関そのものを車輪の上に載せるんだ」
「……載せる?」
「うん。縄を引くんじゃなくて、蒸気の力で自分の車輪を回す」
地面に簡単な絵を描く。
「機械そのものが線路の上を走る」
ルッツさんが絵を見る。
「なるほど」
「まずは小さくていいよ。この庭を一周できれば十分」
「わかりました。やってみます」
ルッツさんは職人を二人連れて工房へ戻っていった。
俺たちはまた石を運び始めた。
◇
それから数日。
午前は政務所。
午後は庭。
そんな日が続いた。
石を運ぶ。
地面を均す。
横木を置く。
その上に木製レールを固定する。
直線部分は順調に進んだ。
やっぱり時間がかかったのはカーブだった。
「もう少し削った方がよさそうですな」
「こっちは?」
「少し外へずれています」
地面に描いた曲線と合わせる。
削る。
また置く。
二本のレールの間隔も何度も測った。
少しでも狭かったり広かったりすれば、車輪がうまく走らない。
「これならどう?」
「大丈夫そうです」
「じゃあ固定しよう」
曲線に加工した木製レールを、横木の上へ固定する。
その続きをまた作る。
昨日より今日。
今日より明日。
庭の中に少しずつ線路が伸びていった。
「男爵様」
「何?」
振り返ると、ケーラがいた。
「今度は何を始めたのですか?」
「蒸気機関車を作ろうとしてるんだよ」
「は?……そうでございますか」
「……」
「ケガの無いよう、お気をつけください」
ケーラはそれだけ言うと屋敷へ戻っていった。
たぶん、もう諦めている。
◇
「今度は何を作ってるの?」
別の日の午後。
職人たちと石を均していると、ミラがやってきた。
「蒸気機関車」
「この前のとは違うの?」
「うん。この前のはその場から動かなかったでしょ?」
「うん」
「今度は機械そのものが走るんだ」
「機械が?」
「そう」
ミラが少しずつ伸びている線路を見る。
「また楽しそうだね」
「そう?」
「うん」
その時。
「リオン!」
「あ、ヴィクトル」
ヴィクトルが歩いてくる。
最近は領都での仕事がかなり増えた。
ローデン商会の物流拠点や、アナハイムへ向かう荷物の手配もある。
とうとう領都にも家を用意して、今はそこを拠点にしていた。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃない」
ヴィクトルが庭を見る。
坑道を真似して作った斜面。
二組の木製レール。
さらに、その周りには砕いた石が大きな輪を描くように少しずつ敷かれ、木製の線路が伸び始めている。
「……何してるんだ?」
「線路を作ってる」
「線路?今度は何を作るんだ?」
ヴィクトルが俺を見る。
「今度は蒸気機関車を走らせるんだ」
「蒸気機関車?」
蒸気の力で車輪を回す。
その機械を車体に載せる。
そうすれば、馬がいなくても線路の上を走れる。
簡単に説明した。
「それで、何が変わるんだ?」
「うまくいけば、かなり変わるよ」
「どれくらい?」
少し考える。
「例えば、今まで馬車で三日かかってた距離を、半日くらいで移動できるようになるかもしれない」
「……は?」
「車両を何台もつなげれば、一度に百人とか二百人を運べるようになると思う」
「待て」
ヴィクトルの顔が変わった。
「人だけじゃないよな?」
「うん」
「鉱石も?」
「運べる」
「穀物は?」
「もちろん」
「木材も、石炭も?」
「たぶんね」
ヴィクトルが庭の線路を見る。
さっきまでとは目が違う。
「リオン」
「何?」
「それが本当にできたら、人や物の流れの考え方そのものが変わるぞ」
「たぶん変わるよ」
「……本気なのか?」
「本気だよ」
ヴィクトルがしばらく俺を見る。
「お前、またとんでもないことを始めたな」
「まだ走ってないけどね」
ミラが横で笑った。
「ピー!」
ピコは庭を楽しそうに跳ね回っていた。
◇
しばらく工房に籠っていたルッツが職人と二人で箱を抱えてやってきた。
「あ、できたんだね」
「まだ動くかわかりませんが、まずは試してみましょう」
車体を線路の上に置く。
木製の台。
小さな鉄の車輪。
木片と薪へ火をつける。
そこへ石炭を加える。
水が温まる。
やがて、白い蒸気が上がり始めた。
シュウウウ……。
ガコン。
少しだけ進んで止まった。
二回目。
少し進んだところで蒸気が漏れて止まった。
「またここですな」
「締め直しましょう」
ルッツさんと職人たちが、すぐに試作機を囲む。
一番大きな問題は、蒸気の出し入れだった。
これまでは、人が金具を開け閉めしていた。
蒸気を入れる。
筒の中の板が押される。
蒸気を抜く。
車輪の勢いで板を戻す。
それでは、人が横についていなければ走り続けられない。
「車輪が回る動きで、この金具も動かせませんかね」
職人の一人が言った。
「車輪で?」
「はい。車輪が回るたびに、蒸気を入れたり抜いたりできれば」
ルッツさんが黙って考える。
「なるほど……」
俺も車輪を見る。
「車輪が一周する間に、開けるところと閉じるところを決めるのか」
「そういうことになります」
「やってみよう」
そこから、また試行錯誤が始まった。
棒をつなぐ。
金具の位置を変える。
動かしてみる。
うまくいかなければ外す。
また作る。
俺には蒸気機関車という完成した物の姿は分かる。
でも、一つ一つの部品がどう動いているのかまでは知らない。
そこはルッツさんと職人たちが考えてくれた。
何度も失敗した。
それでも少しずつ、人が金具を操作しなくても動ける時間が長くなっていった。
◇
ヴァレスト公爵へ連絡してから、二週間ほどが過ぎた。
まだヴァレストからの荷は届いていない。
最短でも二週間。
重い物を運ぶのだから、もう少しかかってもおかしくない。
その日の午後。
庭の木製レールの上に、小さな車体が載っていた。
その上には、何度も作り直した蒸気機関がある。
ヴィクトルも来ていた。
ミラもいる。
ケーラは少し離れた場所からこちらを見ている。
「準備できました」
「じゃあ、やろう」
水が温まる。
やがて、白い蒸気が上がり始めた。
シュウウウ……。
ルッツさんが最初の金具を開く。
ガコン。
車輪が動いた。
その先は、車輪の動きにつないだ仕組みが蒸気の出入りを切り替える。
蒸気が入る。
抜ける。
また入る。
ガコン。
ガコン。
「お」
小さな蒸気機関車が前へ進んだ。
「動いた!」
「まだです!」
ルッツさんが機械から目を離さない。
シュウウウ……。
ガコン。
ガコン。
機関車はゆっくり進む。
ものすごく遅い。
普通に歩けば追いつける。
でも、止まらない。
誰も押していない。
縄もない。
馬もいない。
直線を進み、最初のカーブへ入る。
「曲がれ……」
曲線に合わせて加工した木製レールの上を、鉄の車輪がゆっくり進んでいく。
外れない。
「いけた!」
また直線。
次のカーブも曲がった。
シュウウウ……。
ガコン。
ガコン。
小さな機関車が、庭に作った線路を一周して戻ってきた。
「やった!」
「おお!」
「走りましたぞ!」
「ピー!」
職人たちが一斉に声を上げる。
ルッツさんも大きく息を吐いた。
「やっとですね」
「うん」
まだ小さい。
遅い。
人も乗れないし、荷物だってほとんど運べない。
それでも、馬ではなく、石炭と水を使って、自分の力で線路の上を走った。
「……リオン」
ヴィクトルが呼ぶ。
「何?」
ヴィクトルが、まだ白い蒸気を吐いている小さな機関車を見る。
「これが、馬車で三日かかる距離を半日で走るのか?」
「今は無理だよ」
「だろうな」
「でも、理屈の上ではできると思う」
「これで?」
「まだ小さいし、遅い。直さなきゃいけないところもたくさんあるよ」
試作機を見る。
「でも、二週間前は自分で走ることすらできなかったからね」
「……」
「少しずつ大きくして、速くして、もっと重い物を引けるようにする」
ヴィクトルが黙って試作機を見る。
「……本当にやるつもりなんだな」
「うん」
その時。
「男爵様!」
庭の外から声がした。
通信室の文官が走ってくる。
「どうしたの?」
「王宮から連絡です」
「王宮から?」
「はい。至急です」
差し出された紙を受け取る。
書かれていたのは、短い文章だった。
至急、王都へ来てほしい。
「……何があった?」
庭では、小さな蒸気機関車が白い蒸気を吐いていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
坑道に続いて蒸気機関車まで庭に走らせてしまったリオン。
庭や白い壁の屋敷は大変なことになってそうです。




