第596話 庭の坑道
翌朝。
ルッツさんの工房へ行くと、昨日作った小さな装置が作業台の上に置かれていた。
水を熱して蒸気を作り、その力で筒の中の板を押す。
板につながった棒が動き、その動きを車輪の回転に変える。
まだ蒸気を入れたり抜いたりする金具を人が操作しなければならない。
それでも昨日、車輪は確かに回った。
「今日は、これで実際に物を運んでみたいんだ」
「物を、ですか?」
「うん。ビダン山にあったトロッコを小さく作って、動かしてみよう」
ルッツさんが装置を見る。
「本物ほど大きくする必要はありませんよね?」
「もちろん。今回は石を運べるか分かればいいから」
「でしたら、作れそうです」
話を聞いていた年配の職人たちも集まってきた。
「今度は何を作るんです?」
「鉱山の小さいやつ」
「鉱山?」
「正確には、鉱山で使う運搬設備かな」
職人たちが顔を見合わせる。
「また変わったものを考えますな」
「俺もちゃんと動くかは分からないよ」
まず、昨日の装置を確認する。
今日は一から作り直さない。
筒や棒は昨日のものを使い、車輪を少し重くする。
装置自体も木の台へしっかり固定することにした。
「これなら午前中にはいけます」
「うん。よろしく」
次はトロッコだ。
工房には加工前の木材がある。
今回確かめたいのは、蒸気の力でトロッコを坂の上まで運べるかどうかだ。
「レールは木でいいよね?」
「はい。実験なら十分でしょう」
職人たちが細長い木材を選び、表面を削っていく。
トロッコの車体も木製にした。
人が乗るほど大きくはない。
両手で抱えるには少し大きいくらいの木箱だ。
その下に、工房に残っていた小さな鉄の車輪を四つ取り付ける。
「ちょうどいい車輪があってよかったね」
「別の台車用に作ってあったものです」
「使っちゃって大丈夫?」
「また作ればいいですから」
「それならお願い」
同じものをもう一台作る。
今回使うのは二台だ。
俺はその間に紙へ絵を描いた。
「線路も二組にしよう」
「二組ですか?」
「うん。一つは石を積んだトロッコを上へ運ぶ。もう一つは空のトロッコを下へ戻す」
紙に二組の線路を並べて描く。
「縄は一本の輪にできないかな?」
「輪に?」
「上と下に車輪を置いて、その周りをぐるっと回すんだ」
両端に丸を描き、その間を一本の縄でつなぐ。
「この軸を同じ方向に回し続ければ、片方の縄は上に動くよね」
「はい」
「反対側は下に動く」
ルッツさんが紙を見る。
「なるほど。二台を反対方向へ動かすわけですね」
「そう。石を積んだ方が上る間に、空の方を下へ戻せる」
職人たちも紙を覗き込む。
「面白そうですな」
「滑車も作りましょう」
「縄ならありますぞ」
朝は半信半疑だったはずなのに、もうみんな作る気になっている。
午前中いっぱいかけて、二台の小さなトロッコと二組の木製レールができた。
線路の長さは数メートルほど。
模型というより、本物を小さくした実験用の設備だ。
トロッコには、小石ならかなり載せられる。
「よし」
あとは実際に動かすだけだ。
「問題は、どこで試すかだね」
工房の床を見る。
平らだ。
これでは鉱山で石を引き上げる実験にならない。
「斜面が必要ですね」
「うん」
工房から近くて、ある程度の広さがある場所。
何かあってもすぐ修理できる場所。
「屋敷の庭にしよう」
ルッツさんが俺を見る。
「屋敷の庭ですか?」
「うん」
「ケーラさんに怒られますよ?」
「でも、すぐ工房に戻れるでしょ? 壊れたら直して、またすぐ試せる」
「それはそうですが」
「大丈夫だよ」
「何を根拠にです?」
「……終わったら戻すから」
ルッツさんは何も言わなかった。
◇
昼食を済ませると、道具を持って屋敷の庭へ向かった。
「この辺がいいかな」
「ここですか?」
「うん」
スコップを地面へ入れる。
ザクッ。
深い穴を掘るつもりはない。
片側を少し低くして、その土を反対側へ盛る。
それだけでも短い斜面ができる。
「もう少しこっちを掘ろう」
「分かりました」
俺とルッツさんで土を掘る。
ザク。
ザク。
掘った土を運び、上側へ盛る。
「思ったより大変だね」
「そうですね」
またスコップを入れる。
「リオン様」
「何?」
「領主様が自分の屋敷の庭を掘っているというのも、不思議な光景ですね」
「俺もそう思う」
それでも掘る。
しばらくすると、緩い斜面らしい形になってきた。
そこへ木製レールを置こうとしていると、後ろから声がした。
「男爵様」
「あ」
振り返る。
ケーラが立っていた。
その隣にはミラもいる。
二人とも庭を見ていた。
掘り返された土。
スコップ。
木材。
二組の小さな線路。
二台のトロッコ。
そして泥だらけの俺とルッツさん。
「何してるの?」
ミラが聞く。
「坑道を作ってる」
「ここに?」
「小さいやつだけどね」
「へえ」
ミラは興味深そうに斜面を見る。
一方、ケーラはしばらく何も言わなかった。
「男爵様」
「はい」
「ここは工房ではなく、庭でございます」
「うん。知ってるよ」
「では、なぜ庭を掘っておられるのでしょうか」
「実験に斜面が必要だから」
「……」
ケーラが今度はルッツさんを見る。
「ルッツさん」
「はい」
「お止めにはならなかったのですか?」
「ケーラさんに怒られますよとは申し上げました」
「言ったんだ」
ミラが笑う。
「何の実験なの?」
「昨日話した蒸気のやつ。馬を使わずに、石を坂の上まで運べるか試してみたいんだ」
「それで庭を掘ってるんだ」
「うん」
ミラが俺を見る。
「楽しそうだね」
「そう?」
「うん」
そんなに顔に出ていたのだろうか。
ミラはもう一度、庭を見る。
「まあ、いいんじゃない?」
「ミラ様」
「ちゃんと元に戻すなら」
「もちろん戻すよ」
ケーラは何か言いたそうだったが、最後には小さく息を吐いた。
「庭全体を掘り返すことだけは、おやめくださいませ」
「分かった」
◇
年配の職人三人も庭へやってきた。
午前中に作った二組の木製レールを、斜面へ並べていく。
「こっちが少し高いですな」
「土を足そう」
「もう少し間も空けた方がいい」
短い木材を横に置き、その上へレールを固定する。
実際の鉱山ほど頑丈にする必要はない。
何度もトロッコを転がして、引っ掛かる場所がないか確認する。
最初は途中で止まった。
「ここですな」
「少し削ります」
レールを外す。
削る。
また置く。
「今度は?」
トロッコを放す。
カラカラカラ。
下まで走った。
「よし」
斜面の下には、縄を折り返すための滑車を固定する。
上には蒸気の装置につなぐ回転軸。
その間を丈夫な縄で大きな輪にした。
二台のトロッコは、それぞれ反対側の縄へつなぐ。
「これで、一台が上ればもう一台は下るはずです」
「やってみよう」
次は蒸気だ。
今日は薪だけでなく、リンクス山から持ち帰った石炭も少し用意してある。
「これも試してみたかったんだ」
「石炭ですね」
まず木片に火をつける。
そこへ薪を足し、しっかり火を作る。
その上に砕いた石炭を少しずつ入れた。
しばらくすると、黒い塊にも火が移った。
「おお」
「燃えましたな」
薪とは少し違う火だ。
その上で水を入れた金属容器を温める。
しばらく待つ。
やがて。
シュウウウ……。
蒸気が出始めた。
「来ました」
「じゃあ、やろう」
片方のトロッコに石を積む。
反対側は空のまま。
「いきますよ」
「うん」
ルッツさんが蒸気を送る金具を開く。
ガコン。
車輪が動く。
蒸気を止め、反対側を開いて中の蒸気を抜く。
また入れる。
ガ……。
止まった。
「……」
「……」
「止まったね」
「止まりましたな」
白い蒸気が、筒と管のつなぎ目から漏れている。
「ここですね」
ルッツさんが指を差す。
「力が逃げています」
「直せそう?」
「やってみます」
すぐに職人たちも集まる。
「こっちも少し緩いぞ」
「この金具は替えた方がいいな」
「工房にあります」
一人が走って取りに戻る。
金具を交換し、つなぎ目を締め直した。
「もう一度いこう」
再び火を強くする。
シュウウウ……。
蒸気が溜まる。
「いきます」
ガコン。
蒸気を抜く。
車輪が勢いで回り、棒が戻る。
また蒸気を入れる。
ガコン。
「動いてる!」
車輪が続けて回る。
縄も動き始めた。
石を積んだトロッコが少しずつ斜面を上る。
反対側の空のトロッコは下っていく。
「おお!」
ところが。
ガタン!
「あ!」
空のトロッコが止まった。
見ると、縄が滑車から外れかけている。
「今度はこっちか」
「縄の張りが弱いですな」
「滑車も少し曲がっています」
「直そう」
また作業が始まった。
滑車の位置を変える。
縄を張り直す。
線路も少し調整する。
「これくらいかな?」
「もう少し張ってみましょう」
「分かった」
二回目の修正が終わる。
また火を強くした。
三回目。
今度は二台とも最後まで動いた。
「いけた!」
「石を増やしてみますか?」
「うん」
トロッコへ小石を追加する。
さっきよりかなり重い。
蒸気を送る。
ガコン。
ガコン。
満載側がゆっくり上る。
でも。
ギギ……。
途中で止まった。
「重いか」
「今の力では足りませんね」
ルッツさんが装置を見る。
「もう少し火を強くしますか?」
「いや」
首を振る。
火を強くすれば、圧力も上がる。
どこまで容器や管が耐えられるか分からない。
無理に力を出すのは危ない。
別の方法はないか。
斜面を見る。
石を積んだトロッコ。
その横にある空のトロッコ。
「……待って」
「どうしました?」
「空のトロッコも重いよね?」
「もちろんです」
「だったら、その重さも使えるんじゃないかな」
ルッツさんが二台を見る。
「下へ進もうとする力を、上る方の助けにするということですか?」
「うん」
空だから軽い。
それだけで満載のトロッコを引き上げられるわけじゃない。
でも、下へ進もうとする力が少しでも加われば、その分だけ蒸気の装置が出す力を減ら
せる。
「二台の動きがちゃんと縄に伝わるようにしたい」
「でしたら、もう一度滑車を見直しましょう」
「縄ももう少し張った方がいいですな」
「車輪の抵抗も減らせそうだ」
また全員が動き始めた。
滑車を外す。
位置を直す。
縄を張り直す。
トロッコの車輪を外して、軸へ油を差す。
蒸気が漏れている場所も探した。
「ここ、まだ少し出てますな」
「本当だ」
「締め直しましょう」
何度試したか分からなくなった頃、空が赤くなっていた。
「もうこんな時間か」
顔を上げる。
でも、誰も帰ろうとしない。
「もう一回やりましょう」
「今度はいけますぞ」
「ここの抵抗もかなり減りました」
朝は半信半疑だった職人たちまで、すっかり夢中になっている。
ルッツさんも装置から目を離さない。
「リオン様。ここの位置をもう少しだけ変えたいです」
「うん。やろう」
さらに時間が過ぎた。
庭が暗くなってくる。
「さすがに見えなくなってきたね」
「今日はここまでにしますか?」
「そうだね」
残念だけど仕方ない。
そう思った時。
ふわっと辺りが明るくなった。
「え?」
庭の上に光が浮かんでいる。
振り返ると、ミラが立っていた。
「ミラ?」
「あと一回なんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、これで見えるよね」
柔らかな光が庭を照らす。
「ありがとう」
「頑張って」
職人たちの顔も明るくなる。
「よし!」
「もう一回ですな!」
「やりましょう」
最後とは誰も言っていない。
石を積んだトロッコを下へ置く。
空のトロッコを上へ置く。
縄の張りを確認する。
滑車。
車輪。
線路。
蒸気の装置。
ルッツさんと職人たちが一つずつ確認した。
「大丈夫です」
「じゃあ、やろう」
薪の火を強くする。
石炭を足す。
黒い塊が赤くなっていく。
水が温まり、やがて蒸気が管を通る。
シュウウウ……。
「いきますよ」
「うん」
ルッツさんが金具を開く。
ガコン。
車輪が回る。
蒸気を抜く。
棒が戻る。
また入れる。
ガコン。
縄が動き始めた。
「……」
石を積んだトロッコがゆっくりと斜面を上る。
その横では、空のトロッコが下っていく。
「動いてる」
「まだです」
ルッツさんが装置から目を離さない。
ガコン。
ガコン。
満載のトロッコがさらに上る。
半分。
その先。
さっき止まった場所も越えた。
「おお……」
誰かが小さく声を漏らす。
でも、誰も騒がない。
ミラの光に照らされた庭を、小さなトロッコが少しずつ上ってくる。
あと少し。
ガコン。
そして。
コトン。
上まで着いた。
「……」
一瞬、静かになった。
「やった!」
「おおお!」
「動いたぞ!」
職人たちが一斉に声を上げる。
「ピー!」
ピコも飛び跳ねる。
ルッツさんを見る。
「できたね!」
「はい!」
ルッツさんも笑っていた。
石炭を燃やす。
水を温める。
蒸気で軸を回す。
軸が縄を動かし、石を積んだトロッコを斜面の上まで運ぶ。
まだ小さな実験設備だ。
本物の坑道とは距離も、運ぶ重さもまったく違う。
人が金具を操作しないと動かないし、何度も止まった。
それでも、馬を使わずに石を運べた。
「もう一回やろう」
「え?」
俺が言うと、職人の一人が笑った。
「私も同じことを言おうと思っていました」
「次は石を増やしますか?」
「いや、まずは同じ重さでもう一回確認しよう」
「そうですな」
「ピー!」
その時。
「男爵様」
声がした。
振り返ると、ケーラが立っていた。
「何?」
「この設備は、いつまでここに置かれるのでしょうか」
「もう何日か使うかも」
「……」
ケーラは呆れた顔でこちらを見る。
「男爵様、実験が終わりましたら必ず元に戻してください。ルッツさんもです」
「わかりました」
隣で、ルッツさんも黙って頷いた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
昔、家の前にある山の中でプラレールのトロッコを作ろうとしましたが、全然うまくいきませんでした。
もしあそこにリオンとルッツがいたらどうなっていたことか。




