第595話 逃がしていた力
ビダン山から戻ると、そのままルッツさんの工房へ向かった。
「ルッツさん」
「リオン様?」
作業台の前にいたルッツさんが顔を上げる。
「今日はビダン山へ行かれたのでは?」
「行ってきたよ。そこで、ちょっと面白いものを見たんだ」
「面白いもの?」
「はい」
「ピー!」
ピコも俺の後ろから工房へ入ってくる。
作業台には共鳴石通信機の部品がいくつも並んでいた。
「通信機の方、忙しい?」
「忙しいですが、少しくらいなら大丈夫ですよ」
「じゃあ、相談してもいいかな?」
「もちろんです」
紙を一枚借りる。
「ビダン山で、トロッコを見たんだ」
「トロッコ?」
「坑道の奥から石を運び出すための台車みたいなのだよ」
紙に簡単な絵を描いた。
二本のレール。その上を走るトロッコ。
外には二頭の馬がいて、円を描くように歩く。
すると中央の軸が回り、縄が巻き取られて、坑道の奥からトロッコが引き出される。
「なるほど」
ルッツさんが紙を見る。
「ヴァレストでは、こうやって鉱石を運んでるみたい」
「へぇ。よく考えられていますね」
「そうそう。それを見て思ったんだ」
「何をです?」
「この馬を、別のものにできないかなって」
「別のもの?」
「うん」
工房の炉を見る。
前にもここで、何度も火を使った。
「前に一緒に暖房を作ったよね?」
「もちろんです」
「最初の頃、火を強くしたら中の圧力が上がったのは覚えてるかな?」
「ああ」
ルッツさんもすぐに思い出したようだ。
温めた水を管へ流した時、密閉した状態で火力を上げると内部の圧力が高くなった。
危険だった。
だから最後は、圧力が上がりすぎないように逃がす仕組みをつけた。
「あの時は、圧力を外へ逃がしたよね」
「ええ。そうしないと危なかったですから」
「今回は、その力を逃がす前に使えないかな」
「使う?」
「うん。何かを押してもらうんだ」
まだ頭の中にあるのは、ぼんやりとした形だけだ。
紙に横長の筒を描く。
「こういう金属の筒を作る。その中に、筒よりほんの少しだけ小さい丸い板を入れる」
「板を?」
「うん。板には棒をつける。それで、こっちから圧力をかけたら」
筒の左側から右へ指を動かす。
「中の板が押されて、棒も動かないかな」
ルッツさんが紙をじっと見る。
「暖房の時は、圧力が管や接合部を押していました」
「そうそう」
「でしたら、考え方としては分かります。ただ、筒と板の間に隙間があれば、そこから抜けます」
「あ」
「逆に隙間がなければ、板そのものが動きません」
「なるほど」
そこは俺には分からない。
「作れそう?」
「小さなものなら試せます」
「本当?」
「材料はあります。ただし、寸法はこちらで決めさせてください」
「もちろん。お願い」
ルッツさんが工房の棚を見る。
鉄板、金属管、棒、金具。
ここにある材料だけでも、小さな実験装置なら作れるらしい。
「ちゃんと動くかは分かりませんよ」
「それでいい。まずはやってみよう」
「ピー!」
そこから作業が始まった。
俺が動きのイメージを説明し、ルッツさんが実際の大きさや形を決めて金属を加工する。
作るのは、作業台の上に載る程度のものだ。
筒。
その中で動く丸い板。
板から伸びる棒。
蒸気を送り込むための管。
「まだきついですね」
ルッツさんが板を筒から抜く。
「もう少し削ります」
「うん」
削っては入れ、また抜く。
何度か繰り返した。
「これなら動きます」
「隙間は?」
「かなり小さくできました」
「じゃあ、一回やってみよう」
小さな金属容器に水を入れ、管を筒へつなぐ。
圧力が上がりすぎた時に、すぐ外へ逃がせる口もつけてもらった。
「前みたいになるのは怖いからね」
「そこは私も同感です」
炉に火を入れる。
しばらくすると水が温まり、やがて管の先から音がし始めた。
シュウウウ……。
「来ました」
「うん」
「入れますよ」
「うん!」
蒸気を筒へ送る。
シュウウウウ……。
「……」
「……」
動かない。
「動かないね」
「ですね」
「ピー?」
見ると、筒の横から白い蒸気が漏れていた。
「隙間かな?」
「そうですね。もう少し調整しましょう」
一度火を弱め、ルッツさんが板と筒を調整する。
再び取り付けた。
「これで試しましょう」
「お願いします」
もう一度水を温める。
シュウウウ……。
蒸気を送った。
次の瞬間。
ガコン!
「うわっ」
筒から伸びた棒が一気に動いた。
俺とルッツさんが顔を見合わせる。
「……動いた」
「動きましたね」
「ピー!」
もう一度、棒を元の位置へ戻す。
蒸気を送る。
ガコン!
また動いた。
「本当に押した」
「ええ。少なくとも、この大きさなら」
でも、これだけではビダン山では使えない。
「真っすぐ動くだけじゃ駄目だな」
「軸を回したいのですよね」
「うん」
紙をもう一枚取って丸を書く。
真ん中を指で押してみる。
当然、回らない。
「……」
ビダン山で見た装置を思い出す。
馬は軸そのものを押していたわけじゃない。
軸から横木が長く伸びていた。
「真ん中じゃないのか」
「はい?」
丸の中心から少し外れた場所を指す。
「ここに棒をつけたら?」
「中心ではなく?」
「うん。ここを押したら、丸ごと回らないかな」
ルッツさんが手近にあった円盤と棒を組み合わせる。
「試してみましょう」
中心には軸。
棒の先は、中心から少し外れた場所につけた。
棒を押す。
円盤が動いた。
「あ」
さらに押すと、くるりと回る。
「回った」
「回りますね」
「これだ」
あとは、さっき作った筒の棒につなぐ。
接続する位置や金具の形はルッツさんが調整した。
しばらくして、作業台の上に不格好な小さな装置ができた。
水を温める容器。
そこから伸びる管。
筒の中で動く板。
そこから伸びた棒と、小さな車輪。
「やってみよう」
「はい」
再び水を温める。
「いきます」
蒸気を送る。
シュッ。
ガコン!
「おお!」
棒が動き、その力で車輪がぐっと回った。
半分ほど回ったところで止まる。
「回った!」
「回りましたね」
「でも止まった」
「はい」
棒は押されたままだ。
次に動かすには、元へ戻さなければならない。
車輪を手で回してみる。
一度勢いをつけると、すぐには止まらず少し回り続けた。
「……これ」
「どうしました?」
「もっと重い車輪なら、勢いでもう少し回るよね」
「そうですね」
「だったら、押した後もその勢いで回って」
車輪を一周させる。
棒が引かれ、元の位置へ戻る。
「これで戻せないかな」
ルッツさんも車輪を回して動きを確かめる。
「試してみましょう」
少し重い円盤へ交換する。
さらに蒸気を送る口には、手で開け閉めできる金具をつけた。
板を押す時だけ蒸気を入れる。
車輪の勢いで戻す時は蒸気を止め、筒の中に残った蒸気を別の口から外へ逃がす。
「やりますよ」
「はい」
蒸気を入れる。
ガコン!
車輪が回る。
「閉じます」
ルッツさんが蒸気を止め、もう一つの口を開く。
シュッと蒸気が抜け、回り続ける車輪に引かれて棒が戻った。
「あ!」
「戻りましたね」
「もう一回!」
蒸気を入れる。
ガコン。
回る。
蒸気を抜く。
戻る。
「もう一回」
ガコン。
車輪がまた回る。
「……できた」
「私が毎回開け閉めしていますけどね」
「あ」
確かに。
ルッツさんが手を離せば止まる。
「ここもいつか自動でできるようにしたいな」
「まだ先は長そうですね」
「うん。でも今日はこれで十分」
蒸気の圧力で棒が動いた。
その動きを回転に変えられた。
それだけでも大きい。
小さな車輪を眺めていると、もう一つ気になることが浮かんだ。
「……トロッコ」
「はい?」
「鉱石を外へ出したあと、空になったトロッコを坑道の奥へ戻さないといけない」
「そうですね」
この装置を反対向きに回せればいい。
でも、それでは仕組みがさらに複雑になる。
「いや……」
ビダン山で見た縄と軸を思い出す。
「機械そのものを反対に回さなくてもいいのか」
「どういうことです?」
紙に二つの丸を書き、その間を一本の縄で輪になるようにつなぐ。
「この縄を輪にしよう」
「はい」
「こっちの軸をずっと同じ方向に回す」
指で丸を回す。
「そうすると、こっち側の縄は手前に動く。でも反対側の縄は奥へ動きますよね」
ルッツさんが紙を見る。
「ああ」
「手前へ来る方に石を積んだトロッコ。奥へ行く方に空のトロッコをつける」
「それなら、軸を逆に回す必要がありませんね」
「だよね」
ルッツさんが紐と二つの小さな金具を持ってきた。
輪にして掛け、片方を回す。
片側の紐は手前へ、もう片側は反対方向へ動いた。
「考え方としてはいけそうです」
「よかった」
もちろん、実際の坑道で使うなら考えなければならないことはいくらでもある。
縄の強度。
トロッコとのつなぎ方。
止める場所。
安全に外す方法。
「リオン様」
「何?」
ルッツさんが試作機を見る。
「これを鉱山で使えるほど大きくするのは、かなり大変ですよ」
「やっぱり?」
「はい。大きくなれば筒と板の隙間も問題になりますし、容器や管にも今より大きな力がかかるでしょう。長い時間動かせるかも分かりません」
「そうだね」
簡単じゃない。
でも。
「動いたね」
俺が言うと、ルッツさんも少し笑った。
「……はい。動きました」
「じゃあ次は、大きくする方法を考えよう」
「すぐですか?」
「駄目?」
「いえ」
ルッツさんが回る車輪を見る。
「私も少し面白くなってきました」
「でしょ?」
「ピー!」
ピコが大きく跳ねた。
炉を見る。
「これを長い時間動かすなら、燃料もかなり必要になりますね」
「そうだね」
そこで、また一つ思い浮かんだ。
「……石炭」
「石炭?」
「リンクス山の」
あそこで採れる石炭を燃料に使えるかもしれない。
「それも、いずれ試してみよう」
「はい」
もう一度、小さな装置を動かす。
ガコン。
車輪が回る。
蒸気を抜くと、その勢いで棒が戻る。
前に暖房を作った時は、どうやって圧力を逃がすかを考えた。
今度は、その圧力を逃がす前に仕事をしてもらっている。
「ルッツさん」
「はい」
「これ、大きくしてみよう」
ルッツさんは小さな車輪を見たまま頷いた。
「やってみましょう」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ルッツは新しいことに挑戦するのが好きな人なので、リオンの思いつきには好意的です。
もしルッツがいなかったらリオンの領はどうなっていたのか。




