第589話 再び山へ
それから数日。
俺は領都で仕事を続けていた。
ローレンは政務所の権限整理。
ヴィクトルは共鳴石の採掘量を増やす準備と、新しい工房の計画。
ルッツさんは通信機と道路。
アーロンは食料の備蓄量や、これからの収穫見込みを調べている。
ミラも政務所を手伝ってくれていた。
やることは以前より増えている。
それなのに。
「……終わった」
最後の書類を置く。
窓を見る。
まだ外は明るい。
「ピー?」
足元にいたピコが跳ねた。
「いや。ちょっと驚いただけ」
少し前なら、ここからさらに何時間も仕事をしていた。
夜になっても書類が残っていることも珍しくなかった。
別に仕事が減ったわけじゃない。
ただ、俺がやらなくてもいい仕事を、みんなが進めてくれるようになった。
「……少しは良くなったかな」
「ピー!」
「そうだね」
椅子にもたれ、机の横に置いた地図を見る。
ノア山脈。
「……そろそろかな」
「ピー?」
「山、見に行こうか」
「ピー!」
この前決めたことの一つ。
まだ本格的に調べていない山を見る。
立ち上がった。
◇
廊下へ出ると、アストンがいた。
「アストン」
「はい」
「明日、山へ行こう」
「ノア山脈ですか?」
「うん。馬はいらないから」
「承知しました」
即答だった。
もう慣れたな。
そのままヴィクトルのところへ向かう。
「ヴィクトル」
「何だ?」
机いっぱいに書類を広げていた。
「明日、時間ある?」
「ない」
「山に行こう」
「人の話を聞いてるか?」
「聞いてるよ」
「なら、なんで山に行くんだよ」
「残りの山を見たいから」
「……」
「何か見つけたら、ヴィクトルにも見てほしい」
ヴィクトルが手を止めた。
「何かって?」
「まだ分からない」
「分からないのに俺を連れていくのか?」
「そう」
「……」
しばらく俺を見る。
それから書類をまとめ始めた。
「いつ出る?」
「明日の朝」
「わかった」
そこへ、
「どこへ行くの?」
ミラが入ってきた。
「山」
「どの山?」
「まだ調べてないところ」
「そうなんだ」
少し考えてから、
「私も行きたい」
「ミラも?」
「うん。駄目?」
「全然」
明日は本格的な採掘をするわけじゃない。
下見だ。
「じゃあ一緒に行こう」
「うん!」
ミラが嬉しそうに笑った。
◇
翌朝。
屋敷の裏。
「じゃあ行くよ」
「うん」
「頼む」
「はい」
「ピー!」
魔力を流す。
景色が変わった。
◇
ビダン山の麓。
「……」
ヴィクトルが周囲を見る。
「何度やっても慣れないな」
「便利でしょ?」
「便利すぎる」
ミラも周囲を見回していた。
一瞬で景色が変わる感覚はやっぱり不思議らしい。
「大丈夫?」
「うん。平気」
「よかった」
「ピー!」
ピコはいつも通りだ。
「まず、これを消しておこう」
地面へ手を触れる。
以前残しておいた魔力印。
そこへ魔力を流した。
「消してしまうのですか?」
アストンが聞く。
「うん。アナハイムに作り直す」
「なるほど」
「そっちの方が使いやすいからね」
そのままアナハイムへ向かった。
◇
「また増えてる」
アナハイムへ着くと、ミラが周囲を見る。
「うん」
建設途中の建物。
資材を積んだ荷馬車。
行き交う人。
少し前までほとんど何もなかった場所とは思えない。
「こっち」
俺用に用意してもらった小さな屋敷へ向かう。
屋敷といっても、領都にあるものとは比べものにならない。
俺が泊まる部屋。
小さな食堂。
護衛が休める部屋。
それくらいだ。
裏へ回る。
周囲に人がいないことを確認して、地面へ手を置く。
魔力を流した。
「これで次からは、直接ここへ来られる」
「ますます便利になるな」
ヴィクトルが言う。
「でしょ?」
◇
アナハイムを出て西へ向かう。
ノア山脈には五つの山がある。
すでに調べているのは二つ。
ビダン山では共鳴石と硬化石。
アーシタ山では銅。
残りは三つ。
今日はその中でも、一番西にある山を見る。
「なあ」
「何?」
「本当に今日だけで何か見つけるつもりじゃないだろうな」
ヴィクトルが言う。
「今日は下見だよ」
「お前と山に来ると、毎回何か出てくるからな」
「俺のせいじゃないでしょ」
「どうだかな」
後ろでミラが笑った。
◇
山の麓に着く。
「さあ、山に入ろう」
「はい」
アストンが剣の位置を確認する。
ミラを見ると、小さなかごを持っていた。
「それ何?」
「お昼」
「持ってきたの?」
「うん」
「いつの間に?」
「山に行くって聞いてから」
「ピー!」
ピコがすぐにかごへ近づいた。
「まだ駄目だよ」
「ピー……」
「そんなに落ち込まなくても」
ミラが笑った。
山へ入る。
◇
最初は緩やかだった斜面も、少しずつ険しくなっていく。
木の根。
岩。
小さな沢。
どこにでもありそうな山だ。
「何か見えるか?」
ヴィクトルが聞く。
「今のところ何も」
「そんな簡単にはいかないか」
「それが普通だよ」
「お前が言うと変な感じだな」
「どういう意味?」
「そのままだ」
一時間以上歩いても、特に変わったものはない。
さらに奥へ進んだ時だった。
アストンが足を止める。
「お待ちください」
「どうしたの?」
「何かいます」
剣へ手を掛ける。
ガサッ。
茂みが揺れた。
「グルル……」
狼に似た灰色の魔物が姿を現す。
一匹。
その後ろから二匹。
「下がってください」
アストンが前へ出る。
「俺もやる」
「リオン様」
「大丈夫」
剣を抜く。
一匹が飛びかかってきた。
身体強化。
そのまま剣を振る。
「ギャッ!」
一匹が地面へ倒れた。
アストンもすぐに一匹を斬り伏せる。
残った一匹が横へ回った。
「ミラ!」
「うん!」
強い光が弾ける。
「ギャウッ!」
魔物が顔を背けた。
その隙にアストンが踏み込む。
一閃。
最後の一匹も倒れた。
「……終わった?」
「はい。他に気配はありません」
アストンが周囲を確認する。
「ミラ、大丈夫?」
「うん」
「怖くなかった?」
「少しだけね。でも私だって魔物と戦ったことはあるから」
「ああ、そうだった」
「もう」
ミラが笑う。
つい心配してしまう。
ヴィクトルが倒れた魔物を見る。
「山の入口に近い場所でこれか」
「うん」
「本格的に調査するなら、護衛は増やした方がよさそうだな」
「冒険者もいた方がよろしいでしょうな」
アストンが言う。
「そうだね」
イレーナたちにも相談しよう。
◇
しばらく歩いたところで、木々が少し開けた。
大きな木の下に、腰掛けられそうな平たい岩がある。
「そろそろお昼にしない?」
ミラが言った。
「賛成」
「ピー!」
「ピコが一番元気だな」
ヴィクトルが笑う。
みんなで木陰に腰を下ろした。
ミラが膝の上にかごを置く。
「開けるね」
「うん」
ふたを開ける。
「おお」
布に包まれたサンドイッチが並んでいる。
薄く切った肉。
チーズ。
野菜。
卵を挟んだものもある。
「結構作ったね」
「みんなで食べるから」
「ピー!」
「ピコの分もあるよ」
「ピー!」
ピコが跳ねる。
ミラが笑った。
「ミラが作ったの?」
「うん。ケーラと一緒に作ったの」
「すごいね」
「そんなに難しくないよ」
一つ取る。
「いただきます」
一口。
柔らかいパン。
肉の塩気。
野菜の食感。
「美味しい」
「本当?」
「うん。すごく」
ミラの表情が明るくなる。
「よかった」
ヴィクトルも食べる。
「うまい」
「本当?」
「ああ」
「ヴィクトル、もう二つ目だよ」
「歩いたから腹が減ったんだ」
「まだあるよ」
「じゃあ、もらう」
「三つ目じゃん」
「うるさい」
ミラが笑いながら渡す。
アストンも二つ目を手に取った。
「アストンも気に入った?」
「はい。大変美味しいです」
「よかった」
「ピー!」
「ピコはもう食べたでしょ」
「ピー……」
「そんな顔しても駄目だよ」
風が吹く。
木々の葉が揺れた。
遠くで鳥の声が聞こえる。
少し前まで魔物と戦っていたとは思えないくらい静かだ。
「気持ちいいね」
ミラが空を見上げる。
「うん」
「こういうの、久しぶりな気がする」
「最近ずっと忙しかったからね」
「リオンは特に働いてばかりだからね」
「最近は前より早く終わってるよ」
「屋敷に帰ってきてからも仕事の話ばかりだけどね」
ミラが笑う。
俺もサンドイッチをもう一つ取った。
戦争。
食料。
道路。
鉱山。
金。
最近は、ずっと何かを考えている。
でも今は違う。
木陰に座って。
ミラが作ったサンドイッチを食べて。
ヴィクトルが三つ目を食べているのを見て。
ピコがまだ欲しそうに跳ねている。
「……」
「どうしたの?」
ミラが聞く。
「いや」
「また考え事?」
「今は違う」
「本当?」
「うん」
もう一口食べる。
「こういう時間もいいなと思って」
ミラが少し笑った。
「私も」
それから少しの間。
誰も急いで立ち上がろうとはしなかった。
◇
「そろそろ行こうか」
「うん」
ミラがかごを片づける。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「また作るね」
「本当?ミラのサンドイッチ食べたいな」
「うん。いいよ」
「お前、目的変わってないか?」
ヴィクトルが言う。
「変わってないよ」
笑いながら、再び山へ入った。
◇
午後。
さらに歩いた。
山肌を見る。
岩を確認する。
沢沿いも少し歩いた。
それでも、何も見つからない。
「今日はここまでにするか?」
ヴィクトルが聞く。
「そうだね」
何時間も歩いた。
今日は下見。
何も見つからなくても、それが普通だ。
戻ろうとして、何となく近くの岩壁を見る。
「……ん?」
文字が浮かんだ。
《岩壁内部:空隙》
《表層:亀裂》
足を止める。
「どうした?」
「ちょっと待って」
岩壁へ近づく。
一見すると普通の岩だ。
でも。
《亀裂:内部へ継続》
《地層境界:露出》
「……地層?」
「何かあったの?」
ミラも来る。
「あそこ」
岩の間に細い裂け目がある。
人一人が通れるくらい。
普通なら、わざわざ覗こうとも思わない場所だ。
アストンが前へ出る。
「私が確認します」
「お願い」
入口まで進む。
「足元は問題ありません。ただ、奥までは見えませんな」
「ミラ」
「うん」
ミラが手を上げた。
小さな光が浮かぶ。
光がゆっくりと裂け目の奥へ進んだ。
暗かった岩壁が照らされる。
「……」
「何だ?」
ヴィクトルが目を細める。
奥の壁。
そこだけ色が違う。
黒い。
帯のような黒い層が、岩壁の中を走っていた。
「黒いね」
ミラが言う。
「うん」
何だろう。
いや。
見覚えがある。
「……もしかして」
アストンを先頭に、入口から少しだけ中へ入る。
黒い層の一部を崩した。
欠片が地面へ落ちる。
「ヴィクトル」
「ああ」
ヴィクトルが拾い上げる。
手の中で見る。
指で擦る。
割れた断面にも目を向けた。
「……」
「どう?」
ヴィクトルが顔を上げる。
「石炭だ」
「やっぱり」
「分かってたのか?」
「たぶんそうかなって」
「何で?」
「昔、見たことがある」
ミラも黒い石を見る。
「石炭って、燃やすものだよね?」
「ああ」
ヴィクトルが答える。
「燃料になる」
「珍しいの?」
「石炭そのものは他でも採れる」
もう一度、手の中の石を見る。
「これは質も悪くない」
「本当?」
「ああ」
でも、すぐに表情を戻した。
「ただ、勘違いするなよ」
「何?」
「石炭が見つかったことと、鉱山として価値があることは別だ」
「うん」
「どれだけあるか。掘りやすいか。水が出ないか。運び出せるか」
「そこまで調べてから?」
「ああ」
「分かった」
もう一度、黒い地層を見る。
《地層境界:奥へ継続》
「……この層、まだ奥へ続いてる」
「どこまで?」
「そこまでは分からない」
「なら外からも確認するぞ」
裂け目を出る。
岩壁沿いに歩いた。
少し離れた場所。
「ここ」
「また?」
「うん」
表面の土や石を少しどける。
黒い層が現れた。
ヴィクトルが欠片を取る。
「同じだ」
さらに離れた場所。
もう一つ。
また黒い。
「……」
ヴィクトルが山肌を見る。
「一か所だけじゃないな」
「うん」
「これだけ離れた場所から同じものが出るなら、本格的に調べる価値はある」
「やっぱり?」
「ああ。ただ、量については専門家を入れてからだ」
「そうしよう」
手元の黒い石を見る。
石炭。
「……」
その瞬間。
頭に浮かんだものがあった。
ルッツさんと一緒に作った温水暖房機。
火で水を温める。
温まった水を管の中へ流す。
最初の試作では、火を強くしすぎた。
水の一部が蒸気になった。
そして――。
《内部圧力:上昇》
《接合部:破損予兆》
《高温水噴出危険》
危なかった。
あの時は、とにかく圧力を逃がすことを考えた。
壊れないようにすることしか頭になかった。
「……」
でも、逆に考えたら?
あの圧力を、ただ逃がすんじゃなくて。
何かを動かす力に変えられたら?
「リオン?」
ミラの声で顔を上げる。
「何?」
「また何か考えてる」
「ちょっとね」
もう一度、石炭を見る。
強い火。
水。
蒸気。
圧力。
そして、その力で物を動かす。
前世には、それを使った機械があった。
蒸気機関だ。
もちろん、名前と仕組みを知っているだけで作れるほど簡単じゃない。
高い圧力を閉じ込める。
壊れないようにする。
その力を動きへ変える。
一つ間違えれば危険だ。
でも、俺たちはもう一から始めるわけじゃない。
温水暖房機を作った。
「……ルッツさんに見せたいな」
「これを?」
ミラが聞く。
「うん」
「また何か作るの?」
「まだ分からないよ」
「その顔は何か考えてる顔だよ」
「そう?」
「うん」
ヴィクトルが呆れたように言う。
「作る話は後だ」
「あ」
「まず、この山を調べる」
「分かってるよ」
「本当か?」
「本当」
「なら、場所ごとに分けて持ち帰るぞ」
「お願い」
「専門家も入れる」
「うん」
「量と採りやすさ、それから運び出す方法も調べる」
「そうしよう」
何か所かで採った石炭を、別々の袋へ入れて、亜空間収納に入れる。
ノア山脈。
まだ本格的に調べていない山は、あと二つ。
「……」
「リオン」
「何?」
「今日は帰るぞ」
ヴィクトルが言った。
「うん。わかってる」
「帰りたくなさそうだぞ?」
ミラが笑う。
「次もお昼作ってくるね」
「本当?」
「うん」
「じゃあ、また行こう」
「おい」
ヴィクトルが呆れた声を出す。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
リオンの「綻びの目」と、ヴィクトルの「鑑定」が組み合わさると非常に便利ですね。




