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ハズレスキル「綻びの目」で領地を立て直します  作者: コバチ
第6章 アルスレイン王立学院一年生

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第58話 Sクラス初日

 入学式の翌朝、寮の廊下は昨日よりもずっと早く目を覚ましていた。


 制服姿の生徒たちが行き交う。

 足音。

 話し声。

 扉の開閉。

 まだ新しい学院生活に慣れていないぎこちなさと、それでも今日から授業が始まるという張りつめた空気が混ざっている。


 俺も制服の襟を軽く整え、教室棟へ向かった。


 王立学院の校舎は、入学式の時に見た式場とはまた違う顔をしている。

 広い廊下。

 高い窓。

 磨かれた床。

 壁には王国史や地図、古い学院卒業生の名を刻んだ額まで飾られていた。


 ただ学ぶための場所というだけじゃない。

 ここで学んだ者たちが、その後どこへ行ったのかまで含めて見せつけてくる建物だ。


 Sクラスの教室は二階の奥にあった。


 扉の前で一度だけ息を整え、開ける。


 ◇


 教室の中は、思っていたより静かだった。


 すでに何人か来ている。

 だが、誰も無駄に騒がない。


 席の並びはゆったりしていた。

 一人分の机が大きく、前方には普通の黒板とは別に、魔法理論用らしい淡い光沢を持つ板が立てられている。


 窓際にはセレナがいた。

 もう着席していて、机の上には筆記具と本がきっちり並んでいる。


「おはよう」


 そう声をかけると、彼女はこちらを見て小さく頷いた。


「おはよう」


「早いね」


「初日から遅れるわけにいかないでしょう」


 それはまあ、その通りだった。


 教室の後方にはヴィクトル・ローデン。

 肘をついて窓の外を眺めていたが、俺に気づくと軽く手を上げる。


「よう、首席」


「その呼び方やめてくれない?」


「じゃあリオンでいいか」


「そっちの方がまだいい」


「助かる。商人は呼びやすさも大事なんだ」


 相変わらずだな、と思う。


 その少し離れた席には、エドガー第二王子が座っていた。

 姿勢がまっすぐで、目線の動かし方まで無駄がない。

 昨日の入学式でも感じたが、年が同じでも発する雰囲気が同世代とは違う。


 さらに前方の席には、異国の王女ナディア・セルヴァン。

 背筋を伸ばして座る姿は静かだが、ただ静かなだけではない。

 教室の中を一度ずつ見ている目が鋭い。


 他のSクラスの面々も、どこかしら普通じゃなかった。


 成績で選ばれた顔ぶれだけあって、目に力がある。

 昨日までなら「優秀そうな人間が多い」で済んだかもしれない。

 でも同じ教室に入ってみると、それぞれが自分のやり方で上を狙う空気をまとっているのがわかる。


 誰もまだ正面からぶつかってはいない。

 けれど、遠慮しているわけでもない。


 そんな中、ヴィクトルがわざとらしく周囲を見回して言った。


「いやあ、濃いな」


「昨日も同じこと言ってたね」


 セレナが本を閉じてこちらを見る。


「どうせなら、自己紹介でもしたら?」


「お、建設的な提案だな」


「うるさいわね。どうせこの空気のままだと、誰かが教師に言われるまで黙ってるでしょう」


 それもたしかにありそうだった。


 教室の空気は静かだが、快適というよりは探り合いに近い。

 なら、最初に少しだけ崩しておいた方がいいのかもしれない。


「じゃあ、俺から?」


 そう言って立ち上がる。


 数人の目線がこっちへ向いた。


「リオン・ハル。ハル領の出身です。……たぶん、入試で顔は知られてると思います」


 そこで教室のあちこちから小さく笑いが漏れた。

 まあ、あれだけ目立てばそうなるか。


「得意なのは魔法と、何か変だと思った時にそこを見ることです。よろしく」


「ふわっとしてるな」


 ヴィクトルがすぐに言った。


「そっちは?」


 そう返すと、彼はあっさり立ち上がる。


「ヴィクトル・ローデン。ローデン大商会の跡取り。得意なのは計算と交渉と、儲かる匂いを嗅ぐことだ」


「最後のは学院で役立つの?」


 セレナが半眼で言う。


「役立つ。世の中の大半は、役立つかどうかより、役立てるかどうかだ」


 こいつはたぶん、ずっとこんな調子なんだろう。


 そのあとセレナが立った。


「セレナ・ヴァレスト。よろしく」


「短いね」


 俺が言うと、彼女は当然のように返す。


「長ければいいというものでもないでしょう」


 そこへ、エドガー第二王子が静かに立ち上がった。


「エドガー・アルスレインだ。王家の名を背負っているが、ここでは一生徒として学ぶつもりでいる。以上だ」


 短い。

 でも、妙に場が締まる。


 ナディアは椅子を引く音も小さく、静かに立った。


「ナディア・セルヴァンです。セルヴァン王国より参りました。どうぞよろしくお願いします」


 やわらかい声だった。

 けれど、その言葉の選び方はかなり慎重だ。

 “異国の王女”であることを隠さず、同時にそれを必要以上に押し出してもいない。


 やっぱり、簡単な相手じゃない。


 その後も何人かが名乗る。

 武に秀でた辺境伯家の子息。

 代々学院で上位を出してきた文官家の娘。

 平民出身ながら筆記満点に近かったらしい少年。


 自己紹介はそれだけなのに、十分だった。

 この教室にいるのが、ただ成績が良かっただけの人間ではないことがよくわかる。


 そしてその時、教室の扉が開いた。


 ◇


 入ってきたのは、四十代半ばくらいの男だった。


 背は高くない。

 派手さもない。

 だが、目が鋭い。


 教師にありがちな柔らかさというより、むしろ軍人か実務家に近い空気をまとっていた。


 教室のざわめきが自然に消える。


 男は教壇の前に立ち、出席簿のようなものを机に置いた。


「Sクラス担任、ローヴェンだ」


 短い名乗りだった。


「自己紹介は済んだか?」


「はい」


 誰かが答える。


 ローヴェンは教室を一度見回した。

 一人ひとりを確認するような視線だ。


「結構。では最初に一つだけ言っておく」


 そこで少しだけ間を置く。


「Sクラスは、選ばれた者の席ではない」


 空気が変わる。


 誰かが息を呑んだのが聞こえた。


「今この時点で、上にいる者の席だ。

 次もそこにいられる保証はない」


 はっきりしている。


 入学式の高揚感を削る言い方だ。

 でも、嫌いじゃない。


「この学院は実力主義を掲げている。

 ならば最上位のクラスが固定である理由はない」


 ローヴェンは教壇の端に置いてあった箱を取り上げ、机の上へ置いた。


 四角い木箱だった。

 蓋は外されていて、中には金属枠と石板、それに小さな魔石らしきものが組み込まれている。


 訓練用の簡易魔道具か。


「Sクラス最初の課題だ」


 教師はそう言って、魔道具へ軽く魔力を流した。


 装置の表面に薄い光が走る。

 だが、途中でぶつりと途切れた。


 石板の一角から煙のようなものがわずかに立つ。


「これは学院の基礎訓練用魔道具だ。

 不具合を起こしている」


 ローヴェンが言う。


「観察し、原因を見抜け」


 教室が静まり返った。


「Sクラスに必要なのは、力だけではない。

 知識だけでもない。

 見えていないものを、限られた手がかりから拾う力だ」


 そして、教師は装置の横へ一歩下がった。


「始めろ」


 ◇


 最初に動いたのはセレナだった。


 席を立ち、迷いなく装置の前へ出る。

 不用意に触れず、距離を取ったまま石板と魔石の位置関係を見ている。


「魔力の流路が一度切れてる……?」


 小さく呟いた。


 エドガーも近づく。

 彼は石板の表面ではなく、外枠や接合部を見ていた。


「表面の焦げ跡は結果だな。原因ではない」


「同感です」


 文官家の娘が静かに応じる。


 ヴィクトルはというと、しゃがみ込んで装置全体を斜めから眺めていた。


「こいつ、壊れ方が妙だな」


「壊れ方?」


 俺が聞くと、彼は顎をしゃくる。


「学院の訓練用なんだろ。なら、もっと単純に止まる方が自然だ。

 途中で流れが乱れて、しかも表面だけ焦げるってのは、部品の価値に対して挙動が変だ」


 価値、で見るのか。

 やっぱりこいつの頭は面白い。


 ナディアは装置を一周し、石板の裏面に近い側をじっと見ていた。


「この国の魔道具は、表の刻印を重視するのですね」


 それは誰に向けた言葉でもなかったが、ローヴェンの眉がわずかに動いた。


 何か見えているらしい。


 俺も席を立ち、装置の前へ出る。


 近くで見ると、たしかに外見上はそこまでひどく壊れていない。

 石板も割れていない。

 魔石も濁ってはいない。

 なのに、流れが途中で死んでいる。


 視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。


 《魔力流:断続》

 《表面刻印:正常》

 《外枠:軽微歪み》

 《綻び:内部接続、右奥》


 右奥。


 俺は装置の横へ回る。

 金属枠の角、石板と固定具の境目。

 ぱっと見ではほとんどわからない。

 でも、そこだけわずかにずれていた。


 ほんの少し。

 だが、その少しのせいで、内部の接続が甘くなっている。


「そこか」


 小さく呟くと、すぐ横から声がした。


「見つけたか?」


 エドガーだ。


「たぶん」


「私もそこは怪しいと思った。だが、表の刻印ばかり見ていたら気づきにくい」


 それに対してナディアが静かに言う。


「石板そのものではなく、固定している側の問題ですね」


「たしかに」


 セレナもこちらへ来て、眉を寄せる。


「右奥の留めが、わずかに歪んでる」


 そこまで見えるのか。

 まあ、このメンバーなら不思議でもないか。


 ヴィクトルは後ろから覗き込み、面白そうに言った。


「なるほど。石板じゃなくて、止めてる方が原因か」


「流れが切れるのもそのせいだと思う」


「なら、壊れ方の割に部品が高く見えた理由もわかるな。

 中身はまだ生きてるのに、周辺の雑さで全体が死んでる」


 表現がいちいち商人っぽい。


 そこへ、ローヴェンが口を開いた。


「答えは?」


 俺は一度だけ皆の顔を見る。

 誰が言ってもよかった。

 けれど、ここで黙るのも違う気がした。


「原因は石板そのものじゃありません。右奥の固定具に軽い歪みがあって、内部の接続がずれています。

 そのせいで、魔力の流れが途中で不安定になってる」


 教師は少しだけ目を細めた。


「続けろ」


「表の刻印や魔石はたぶん生きてます。だから途中までは動く。

 でも、接続が甘くなってるから、負荷がかかると流れが乱れる」


 ナディアが静かに補足する。


「表面の焦げは原因ではなく結果、ですね」


「はい」


 エドガーも短く言った。


「石板交換ではなく、固定具の見直しが先だ」


 ローヴェンはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「正解だ」


 教室の空気が少しだけほどける。

 だが、安堵というよりは、むしろ各自が今のやり取りを頭の中で整理している感じだった。


「表の異常だけを見れば、石板交換と考える者もいただろう」


 ローヴェンは言う。


「だが、問題は常に“見えている場所”にあるとは限らない。

 しかも厄介なのは、原因が小さいほど結果は大きく見えることだ」


 その言葉は、どこか学院の授業というより、もっと広い何かに向けたもののように聞こえた。


「覚えておけ。

 この学院では、知識も、魔法も、身分も、全部試される。

 Sクラスならなおさらだ」


 教室は静かだった。


 誰も反論しない。

 できないのではなく、する必要がないのだろう。


 この教師の言葉は、たぶん脅しじゃない。

 事実だ。


 ◇


 課題が終わったあと、教室の空気は入室時とは明らかに違っていた。


 まだ打ち解けたわけではない。

 でも、お互いが“ただの優等生ではない”ことは、少なくとも共有できた気がする。


 ヴィクトルが椅子に座り直しながら言う。


「初日からこう来るか」


「嫌だった?」


 俺が聞くと、彼は笑う。


「逆だよ。面白くなってきた」


 その台詞、さっきまで俺が思っていたことに少し似ていた。


 セレナは本を開き直しながら言う。


「少なくとも、退屈はしなさそうね」


「そっちは最初から楽しそうだったけど」


「失礼ね。私はちゃんと警戒してるわ」


 エドガーは席に戻っても、無駄に会話へは入ってこなかった。

 だが、こっちを一度だけ見て、短く言う。


「悪くない観察だった」


「そっちも」


「当然だ」


 短い。

 でも、少しだけ人柄が見えた気がした。


 ナディアはそんなやり取りを見て、小さく口元を和らげる。


「この教室は、静かな方が怖いのかもしれませんね」


 たしかにそうかもしれない。


 皆が静かなままでも、水面下ではずっと何かを測っている。

 そして必要な時には、一気に踏み込んでくる。


 このSクラスは、そういう場所だ。


 ローヴェンは出席簿を閉じ、最後に一言だけ残した。


「午前はここまでだ。

 午後からは通常授業に入る。遅れるな」


 それだけ言って教室を出ていく。


 教師がいなくなっても、誰もすぐには騒がなかった。


 窓の外から、学院の鐘の音がかすかに聞こえる。

 春の風が、少しだけ教室へ入ってきた。


 俺は席に座り直しながら、静かに息を吐く。


 競争がある。

 衝突がある。

 見抜く力も、魔法も、知識も、全部試される。


 そして、この教室には、たぶん俺が思っている以上に才能ある生徒たちが揃っている。


「……やっぱり、簡単な場所じゃなさそうだ」


 小さくそう呟くと、すぐ横でセレナが言った。


「今さら何を言ってるのよ」


 それには、少しだけ笑ってしまった。


 たしかに、今さらだ。

 王立学院Sクラス。

 その初日は、思っていた通り、いや思っていた以上に面白い始まりだった。


本日もお付き合いいただき有難うございます!

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