第582話 人と物と金
翌朝。
アストン、ピコとトラウゼン侯爵領へ向かった。
馬車で一日。
これまで王宮、ヴァレスト公爵家、ハル家、ハーウェイ侯爵家と回ってきた。
残る必要資金は金貨七千枚だ。
◇
「ミラ嬢との婚約が決まったそうだな」
「はい」
「王都でもダイヤモンドの婚約指輪は評判みたいじゃないか。おめでとう」
「ありがとうございます」
トラウゼン侯爵が笑う。
ハーウェイ侯爵家とは昔から付き合いがあるからか、とても嬉しそうだ。
「それで、今回は金の話だったな」
「はい」
これまでの出資状況を説明する。
王家から二万枚。
ヴァレスト公爵家から一万枚。
ハル家から五千枚。
ハーウェイ侯爵家から八千枚。
「すごい金額と、顔ぶれだな。で、残り七千枚か」
「はい」
侯爵が資料を見る。
「いいだろう。我が家で出そう」
「本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます!」
これで五万枚。
必要としていた資金が全部決まった。
「ただ、金だけ出して終わりというのもつまらんな」
「え?」
「道路を作るのだろう?」
「はい」
「うちは王都に繋がる街道もあり、道路整備に慣れた者がいる。大工も何人か出そう」
「いいんですか?」
「人も必要なのだろう?」
「助かります」
金だけじゃない。
トラウゼン侯爵家からは、大工と道路整備に慣れた人たちにも来てもらえることになった。
「あ」
「どうした?」
「一つお見せしてもいいですか?」
「何だ?」
持ってきた通信機を机の上に置く。
「共鳴石か?」
「はい。これを使って、俺の領と通信できます」
「……ここから?」
「はい」
侯爵が通信機を見る。
「やってみますね」
事前にトラウゼン侯爵邸から通信すると政務所へ伝えてある。
共鳴石を三回押す。
少し待つと、三回光った。
「今のは?」
「向こうからの返事です」
符号表を見ながら送る。
《トラウゼンリョウ》
しばらくして返事が来た。
《カクニンシマシタ》
侯爵が身を乗り出す。
「本当に君の領から返事が来ているのか?」
「はい。うちの政務所とつながっています」
「馬車で一日離れているぞ?」
「そうですね」
「……」
侯爵がしばらく通信機を見つめた。
「これはすごいな」
「まだ試作ですけど」
「十分すごい」
「この通信機は置いていきます」
「いいのか?」
「はい。何か急ぎの連絡がある時に使ってください」
基本的な使い方と符号表を説明する。
「これで何かあれば、すぐ連絡できます」
「分かった。ありがたく使わせてもらおう」
翌朝、トラウゼン侯爵領を出た。
その日の夕方、リオン領へ戻った。
◇
そのまま政務所へ向かう。
「トラウゼン侯爵家から金貨七千枚出してもらえることになった」
「七千枚……」
ローレンが俺を見る。
「ということは」
「五万枚、全部決まった」
「……」
「どうしたの?」
「わずかこれだけの期間で、金貨五万枚を集められるとは思っておりませんでした」
「まだ全部届いたわけじゃないけどね」
出資が決まっただけだ。
実際にすべての金貨が届くまでは終わりじゃない。
「いまだに信じられません」
「そう?」
「はい」
ローレンが小さく笑う。
「それと、大工と道路整備に慣れた人たちにも来てもらえる」
「それは助かりますな」
「うん」
これから道路も家も倉庫も必要になる。
人はいくらいても足りない。
「リオン様」
「何?」
「ちょうどハル領から第一陣が到着しております」
「本当?」
「はい」
「見に行こう」
◇
政務所の外には何台もの荷馬車が並んでいた。
「おお……」
荷台には見覚えのあるものが積まれている。
「井戸のポンプ」
「はい。こちらには街灯もございます」
「こんなに送ってくれたんだ」
その横には大量の紙。
「これも助かるな」
政務所で使う紙の量は以前より増えている。
「リオン様」
一人の男が近づいてくる。
「ハル領より参りました。街灯などの設置を担当します」
「よろしくお願いします」
「はい」
職人たちも来ている。
さらに若い騎士が何人か並んでいた。
「研修で来た人たち?」
「はい!」
「ベイルン騎士団もいるから、かなり大変だと思うよ」
「望むところです!」
「……頑張って」
少し離れたところには家族連れもいた。
「この人たちは?」
「以前、旧グレイヴ領からハル領へ移った方々です。こちらへ戻ることを希望されたそうです」
「あ」
近づくと、年配の男が頭を下げた。
「リオン男爵様」
「無理に戻ってきたわけじゃないですよね?」
「もちろんです」
男が笑う。
「ここが良くなると聞きましてな」
「まだ全然ですよ」
「だから戻ってきました」
「え?」
「仕事があるなら、もう一度ここで暮らしてみようかと」
「……ありがとうございます」
少しだけ。
領に人が戻り始めている。
「それから、こちらを」
ハル領から来た文官が箱を示す。
「金貨五千枚です」
「分かりました」
すぐに金庫室へ運んでもらう。
金庫室も間に合った。
「通信室へ行こう」
「はい」
◇
ローレンが用意した部屋には、各地とつながる通信機が並んでいた。
まだ仮の運用だ。
ハル領の通信機を呼び出す。
三回。
すぐに返事が来た。
《ブジトドイタ アリガトウ》
送る。
しばらくすると、
《ヤクニタテロ》
「……」
短い。
ローレンが笑う。
俺も少し笑った。
「ローレン」
「はい」
「通信室の担当を決めよう」
「承知しました」
候補になりそうな文官の資料を机へ並べる。
「仕事ができる者から選びますか?」
「いや。能力だけでは決めない方がいい」
「と申しますと?」
ここには王宮からの連絡も入る。
他領との話もある。
鉱山。
人事。
金。
これから重要な情報はもっと増えていく。
「まず身元がきちんと確認できること。他国や他領との親族関係や金銭的なつながりも確認しよう」
「全員ですか?」
「うん。親族がいるだけで駄目ってわけじゃない。でも、多少なりとも利害関係がある人には任せない方がいい」
「なるほど」
「次に口が堅いこと。読み書きが正確で、決められた手順を守れること。確認を面倒がらないこと」
ローレンが書き留める。
「借金が多い人や賭け事で問題を起こしている人も外そう」
「金で動かされる可能性がありますか」
「うん」
前世でもそうだった。
重要な仕事ほど、単純に能力だけを見て配置してはいけない。
「噂話が好きな人も避けたい」
「確かに」
「六人選ぼう」
「六人ですか?」
「二人一組で三組。一人が通信機を扱って、もう一人が内容を記録して確認する」
「間違いも減りますな」
「一人だけで全部できるようにしない方が、不正もしにくい」
朝、昼、夕方で交代する。
夜は通常の通信を行わず、緊急時だけ宿直者が対応することにした。
「通信量が増えたら人数も増やそう」
「承知しました」
資料を見ながら考える。
「……通信室だけじゃないな」
「何がでしょう?」
「重要な場所が増えてきた」
金庫室。
通信室。
鉱山の資料。
出資契約。
「場所と情報を、重要度で分けよう」
「重要度?」
「四段階くらいでいい」
紙を一枚取る。
「レベル一は受付や面会室。領民や来客も入れる場所」
「はい」
「レベル二は普通の執務室や一般の書庫。基本的に政務所の職員だけ」
「なるほど」
「レベル三は会計、人事、重要な契約書、それから俺の執務室。
入れる人を決めて、誰が出入りしたかも残す。ここからは事前申請が必要」
「はい」
「一番上のレベル四は通信室、金庫室。鉱山の詳しい資料や出資契約の原本もここ」
「最高機密ということですな」
「うん。金庫室への出入りや大きなお金を動かす時は、原則二人以上で確認する」
ローレンが紙を見る。
「ここまで分けますか」
「金庫だけ固くしても駄目だからね」
「情報ですか?」
「うん。知られたら困る情報は、金貨と同じくらい価値がある」
「……なるほど」
これから領が大きくなれば、守るものも増える。
◇
翌日。
アストンとレイ湿原へ転移した。
「……」
以前と景色が変わっている。
今回、米作りに挑戦する北西部。
水と草ばかりだった場所に、何本もの溝が伸びていた。
「すごいな」
「リオンさん」
「ナディア」
ナディアがこっちへ来る。
「戻ったんですね」
「うん。水路、かなり進んだね」
「予定よりずっと早いです」
「ベイルン騎士団?」
「はい。リオン騎士団の方々も手伝っています」
少し離れたところでは、騎士たちが泥だらけになって土を運んでいる。
「レコア川まで掘ったわけじゃないよね?」
レイ湿原の東にはレコア川がある。
「もちろんです」
「だよね」
レコア川までは馬車で一日近い距離がある。
ナディアの隣にいたセルヴァンの専門家が地図を広げる。
「こちらをご覧ください」
北西部の試験区。
その少し北には穀倉地帯があり、その手前を小川が東へ流れている。
「この小川は最終的にレコア川へ合流します」
「そこへ流す?」
「はい」
「自然に?」
「調べました。平常時なら、こちらの水面より小川の水面の方が低く、十分に勾配を取れます」
「じゃあ、ここから小川まで排水路を作ればいいんだ」
「はい。レコア川まで新しく掘る必要はありません」
「なるほど」
地形を使う。
その方がずっと早い。
「ただし、問題もあります」
「何ですか?」
「大雨などで小川の水位が上がった時です。場合によっては、こちらへ逆流します」
「あ」
「そのため接続部分に簡単な水門を設けます」
「どんなものですか?」
「溝に厚い板を落とし込んで水を止める程度のものです。複雑な仕組みではありません」
「それなら早く作れる?」
「はい」
「じゃあ最優先でお願いします」
「承知しました」
「ベイルン騎士団にも手伝ってもらおう」
セルヴァンの専門家が頷く。
構造を専門家が決め、ベイルン騎士団が木材の加工や据え付けを手伝う。
できるだけ短期間で完成させることになった。
◇
さらに試験区の中へ進む。
「これは?」
「田んぼの区画です」
「もう作ってるんだ」
「排水が進んだところから少しずつです」
専門家たちが杭を打ち、その線に沿って騎士たちが土を動かしている。
畦になる部分。
田ごとに水を抜くための細い溝。
まだ完成した田んぼには程遠い様だが、少しずつ四角い区画が見え始めている。
「湿原全部をやるわけじゃないんだよね?」
「もちろんです。まずは北西部の試験区だけです」
「そうだよね」
最初から全部開発しようとしたら、何年掛かるか分からない。
「土はどうでした?」
「かなり良いです」
「本当?」
「はい。ここは厚い泥炭地ではありません。山から流れてきた細かな土が長い間堆積しています。
粘土分もあり、水を保つ力があります」
「じゃあ、米には向いてる?」
「排水と揚水がきちんとできれば、かなり良い土地だと思います」
「揚水?」
「水を抜くだけでは米は作れません」
「あ」
「必要な時には入れる必要がありますから」
「そっか」
水を抜く。
田を作る。
必要な時には水を入れる。
そしてまた抜く。
「水はどこから?」
「候補があります」
専門家が南を見る。
ノア山脈。
「ビダン山から流れてくる水です」
「あれ?」
「はい。山から流れた水が湿原を通り、そのままレコア川へ向かっています」
「それを使う?」
「流量と高さをもう少し調べます。
自然に引ける場所もあるでしょうし、高さが足りない場所では揚水が必要になります」
「なるほど」
排水は北側の小川へ。
用水はビダン山から流れてくる水を候補にする。
全部を一つの水路で済ませるわけじゃない。
「よく考えてますね」
リオンは専門家に顔を向ける。
「そのために来ましたから」
「ありがとうございます」
専門家が笑った。
◇
「うおおおお!」
「……」
遠くから大きな声が聞こえた。
「何?」
「ガイルさんですね」
「やっぱり?」
声の方へ向かう。
「もっと運べ!」
「は、はい!」
「足を止めるな!」
「はい!」
泥の中。
ガイルが大きな籠を担いで歩いている。
その後ろには、泥だらけのリオン騎士団。
「ガイル!」
「おお! リオン!」
「何やってるの?」
「見れば分かるだろ!」
「土運び?」
「最高の訓練だ!」
「……これが?」
「ああ!」
ガイルが楽しそうに笑う。
「足場が悪い! 足を取られる! 重い物を持つ! 全身を使う!」
「そうなんだ」
「こういう場所でも体勢を崩さず動けるようになれば、戦場でも役に立つぞ!」
後ろを見る。
「はあ……はあ……」
「もう……無理……」
リオン騎士団は全然楽しそうじゃない。
アストンが小さく笑う。
「皆さんは、ガイル殿ほど楽しんでいないようですな」
「そうみたい」
「リオン!」
「何?」
「お前もやるか?」
「やらない」
「いい訓練だぞ!」
「今日は見るだけ」
「そうか!」
ガイルがまた泥の中へ戻っていった。
元気だな。
◇
主排水路の終点へ向かう。
北側の小川までは、あと少しだった。
「今日つなげるんですか?」
「はい。ただし、最初から大量には流しません」
セルヴァンの専門家が答える。
「少しずつ流して、水路が崩れないか、小川の水位がどう変わるか確認します」
「なるほど」
最後に残していた土を、ベイルン騎士団が少しずつ取り除いていく。
「ゆっくり!」
「はい!」
土が削られる。
やがて、
「あ」
水が動いた。
湿原側から主排水路へ。
ゆっくり。
でも確実に流れていく。
「流れた……」
「はい」
掘った水路を通り、水が北へ向かう。
「これで水位が下がる?」
「少しずつです」
「全部抜くわけじゃない?」
「もちろんです。抜きすぎても駄目です。土の状態を見ながら調整します」
「分かりました」
まだ田んぼには見えない。
畦も途中。
水門もこれから。
用水の準備も必要だ。
それでも、湿原の水が初めて俺たちの作った道を流れていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
昔、家の近所に田んぼがあり、そこでおたまじゃくしを100匹以上捕まえました。
玄関前で飼っていたのですが、ほぼすべてのおたまじゃくしがカエルに育ちました。




