第581話 戻って早々
それから三日後の昼。
馬車はハル領へ入った。
「もうすぐだね」
ミラが窓の外を見る。
「うん」
ここまで来れば、リオン領までもう遠くない。
◇
ハーウェイ侯爵領を出る前には、一つやってきたことがある。
王都でやったのと同じように、領都にあるあまり高くない宿の一室を三カ月分借りた。
「三カ月も?」
「うん。何かあった時、すぐ来られるようにしておきたいから」
「それなら私も賛成」
部屋には転移用の魔力印を残した。これでハーウェイ侯爵や侯爵夫人に何かあった時も、すぐに向かえる。
「いずれ領の財政に余裕ができたら、王都にもハーウェイ侯爵領にも別邸を買いたいけどね」
「別邸?」
「うん。でも今はそんな余裕ないから、それまでは宿屋でね」
「リオンらしいね」
ミラが笑う。
別邸を持つのはまだ先だ。今は一枚でも多くの金貨を領の再建に使いたい。
◇
ハル領を抜け、昼過ぎには見慣れた領都が見えてきた。
「帰ってきた」
「ピー!」
ピコも窓際で跳ねる。
「ピコも嬉しい?」
「ピー!」
馬車が屋敷の前で止まった。
ケーラが出迎えに来た。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
荷物を任せ、そのまま政務所へ向かう。
「帰ってすぐ行くの?」
ミラが聞いた。
「報告だけ」
「ふーん」
ミラはどうやら信じていないようだ。
◇
「お帰りなさいませ、リオン様」
執務室へ入ると、ローレンが立ち上がった。
「ただいま。何かあった?」
「大きな問題はございません」
「よかった。こっちも上手くいったよ」
「ハーウェイ侯爵家ですか?」
「うん。金貨八千枚出してもらえることになった」
「八千枚ですか」
「これで四万三千枚。残り七千枚」
「あと少しですな」
「それと、食料もかなり送ってもらえることになった」
ローレンの表情が変わる。
「それはありがたいですな」
「やっぱり?」
「はい。これから人が増えれば、真っ先に不足するのは食料でしょうから」
「侯爵も同じこと言ってた」
小麦を中心に、保存の利く食料を送ってもらえる。
鉱山や道路工事が始まれば人が一気に増える可能性がある。
最初の受け入れを食料面で支えてもらえるのは大きい。
「こちらからもご報告があります」
「何?」
「王宮とヴァレスト公爵家から通信が入りました」
「通信機で?」
「はい。どちらも出資金を発送したとのことです」
「もう?」
「王宮から金貨二万枚、ヴァレスト公爵家から一万枚です。護衛を付けてこちらへ向かっております」
「いつ着く?」
「王宮からは四日後、ヴァレスト公爵家からは五日後の予定です」
「そっか」
思わず笑う。
「通信機、置いてきてよかったな」
「本当にそう思います」
以前なら、発送を知らせる手紙が届くまでにも何日か掛かる。
今は金貨が到着する前に、いつ届くのかまで分かる。
「そういえば、領内でも通信機を使う機会が増えております」
「どこと?」
「アーロン殿から村の状況が届きます。イレーナ殿たちからはノア山脈周辺の報告。それから湿原にいる文官からも」
「そんなに?」
「はい。以前なら人を走らせていた報告が、すぐ届くようになりました」
「便利?」
「非常に」
「そっか」
今はまだ数カ所だが、これから鉱山が動けば通信先はさらに増える。
村や湿原、山だけでなく、王宮、ヴァレスト公爵家、ハーウェイ侯爵家、ハル家ともつながっていく。
「専用の部屋を作ろうか」
「専用の部屋?」
「通信機をまとめて置く部屋。誰から何時に連絡が来たか記録して、必要な人へ伝える」
「なるほど。通信を担当する者も必要になりますな」
「うん。最初は三人くらいからでいいと思う」
「分かりました。人員と場所を確認します」
「お願い」
通信室。
政務所にまた一つ新しい仕事が増えることになるが、これからは必要になるはずだ。
◇
その後、ナディアたちのところへ向かった。
「お帰りなさい、リオンさん」
「ただいま、ナディア。水路作りはどう?」
「予定よりかなり進みました」
「もう?」
「はい。ベイルン騎士団の方々が手伝ってくださっているので、土を掘る作業が早いんです」
「そっか」
「まだ実際に水を流してみないと分からないところはありますが、形はかなりできてきました」
「そっか。でも進んでるね」
「はい」
「ありがとう」
次にガイルとノルのところへ行く。
「騎士団は?」
「問題ないぞ!」
ガイルが答えた。
「ノル殿とベイルン騎士団がかなり鍛えている」
「かなり?」
「かなりだ」
嫌な予感がする。
訓練場へ行くと、大きな声が響いていた。
「前へ」
「はい!」
「遅い。もう一度」
「はい!」
ノルが俺に気づく。
「リオン様、お帰りなさいませ」
「ただいま。みんな元気?」
「はい」
騎士たちの動きを見る。
「前より良くなったね」
「まだまだです」
「十分すごいと思うけど」
「ベイルン騎士団を見てしまうと、そうは思えません」
「基準が高すぎない?」
「目標は高い方がよろしいかと」
「まあ、そうだけど」
俺が領を離れていた一週間も、農業も騎士団も動いていた。
俺がいなくても、領は止まっていない。
◇
政務所へ戻ると、机の上には留守中の書類が積んであった。
「……」
「リオン様。今日はお休みになられては?」
ローレンが言う。
「少しだけやる」
「少しですか?」
「うん」
人員、食料、工事、村からの報告。何枚か確認しているうちに、それなりの時間が経った。
「あ、ルッツさんのところ行ってくる」
「まだ働かれるのですか?」
「確認だけ」
ローレンが何か言いたそうだったが、そのまま工房へ向かった。
◇
「ルッツさん」
「あ、リオン様。お帰りなさい」
「ただいま。どう?」
「かなり進みました」
「防犯設備?」
「はい」
机の上には共鳴石を組み込んだ小さな装置が置かれている。
「仕掛けが動くと、離れた場所に置いた共鳴石が反応するようにしました」
「できたんだ」
「まだ試作です。実際に取り付けてみないと」
「じゃあ金庫室で試そう」
「はい」
「金庫室の方は?」
「問題ありません」
「本当?」
「試験片にひび割れはありません。壁と床も十分に固まっています。型枠も外して大丈夫です」
「よかった」
王宮とヴァレスト公爵家から金貨が届くまで四、五日。これなら間に合う。
「それと、こちらも」
ルッツさんが別の試験片を出した。
「道路用です」
「どうだった?」
「問題ありませんでした。金庫室用より硬化石の割合を減らしていますが、道路に使うなら十分な強度だと思います」
手に取る。
かなり固い。
「じゃあ、次は外で試そう」
「はい」
「少しだけ実際の道に敷いて、馬車を何度も通す」
「私もそれがいいと思います」
試験室の中だけで大丈夫でも意味がない。雨や荷重にも耐えられるか確かめる必要がある。
「ただ……」
「何?」
ルッツさんが棚を見る。
「硬化石のサンプルがあまり残っていません。共鳴石もかなり減っています」
「ああ……」
通信機、防犯設備、金庫室、道路。試験するたびに使ってきた。
「どれくらい欲しい?」
「できれば、今ある量の倍くらいは」
「分かった」
「どうされます?」
「取ってくる」
「え?」
「ビダン山にあるから」
「今からですか?」
「うん。試験用のサンプルだけだから、そんなに時間掛からないよ」
◇
「リオン様」
「何?」
アストンが俺を見る。
「本当に今から行かれるのですか?」
「うん」
「今日、ハーウェイ侯爵領から戻られたばかりですが」
「転移だからすぐだよ」
「そういう問題ではない気がしますが……」
「テオも行ける?」
「はい」
「じゃあ三人で行こう」
「どちらへ?」
「ビダン山」
アストンが小さく息を吐く。
「分かりました」
屋敷裏に移動する。
「じゃあ、行くよ」
「はい」
一瞬で景色が変わった。
◇
ビダン山。
以前掘った場所はすぐに見つかった。
「ここだね」
穴の中を見ると、硬化石が残っている。その奥には共鳴石も見えた。
「取ろう」
三人で作業を始める。
硬化石と共鳴石を掘り出し、順番に亜空間収納へ入れていく。
「これ、本当に便利だな」
重さを気にする必要がない。
「リオン様、こちらにもあります」
テオが壁を指す。
「本当だ。そこもお願い」
掘った穴の中は少し湿っていて、作業を続けるうちに服や膝に泥が付いていく。
気にせず掘っていると、
「そこで何をしている!」
声が響いた。
「ん?」
三人で振り返る。
武器を持った男がこちらへ走ってくる。
「この山は立ち入りを――」
途中で足が止まった。
「……あれ?」
「こんにちは」
「リオン男爵じゃないですか!」
「うん」
「何やってるんですか?」
「ちょっと試験用の石を取りに来た」
「ちょっとって……」
男が穴を見る。
イレーナの仲間だ。
「ちゃんと見つけたね」
「え?」
「警備してくれてありがとう」
肩を軽く叩く。
「しっかり見回ってくれて助かるよ」
「い、いえ。それが仕事ですから」
「ここは俺たちだけだから、持ち場へ戻って大丈夫」
「分かりました。何かあったら呼んでください」
「うん」
男が離れていく。
アストンがその背中を見る。
「イレーナ殿たちに警備をお願いしたのは正解でしたね」
「うん。俺たちが来てもすぐ見つかったからね」
知らない人間なら、きちんと止めてもらえるはずだ。
「続けよう」
「はい」
さらに硬化石と共鳴石を掘り、亜空間収納へ入れていく。
「これくらいあれば当分大丈夫かな」
「十分ではないでしょうか」
テオが言う。
アストンは穴の中を見る。
「リオン様の場合、その『当分』がどのくらいなのか分かりませんが」
「そんなに使ってる?」
「使っています」
「……そっか」
通信機も増やす。防犯設備も作る。道路試験も始める。
たしかに、またすぐ必要になるかもしれない。
「足りなくなったら、また取りに来よう」
「そう言われると思いました」
◇
だいぶ暗くなってきたので採掘を止め、領都屋敷裏へ転移する。
「ふう」
なんだかんだ働いたな。
屋敷のドアを開けたところで服を見る。
泥だらけだ。
手もかなり汚れている。
「リオン?」
「あ」
ミラが玄関まで来た。
「ただいま」
「……」
ミラが俺を上から下まで見る。
「さっきハーウェイ領から帰ってきたばかりだよね?」
「うん」
「どうしてもう泥だらけなの?」
「山に行ってた」
「……」
「硬化石が足りなくて」
ミラがため息をつく。
「本当にじっとしてないね」
「必要だったから」
「分かった」
「怒ってる?」
「怒ってないよ」
ミラが少し笑う。
「でも、次は私も連れていってね」
「山に?」
「うん」
「危ないよ?」
「リオンがいれば大丈夫でしょ?」
「……そうかな」
「ピー!」
いつの間にかピコも来ていた。
「ピコも行きたい?」
「ピー!」
「じゃあ、次はみんなで行こうか」
「うん」
ハーウェイ侯爵領から戻ったその日のうちに、俺はまたノア山脈へ行っていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
作者の話になりますが、資金調達をして口座にお金が入ってきた日は通帳を見ながらニヤニヤしていました。




