第580話 ミラの兄
翌朝。
目を覚ます。
「……よく寝た」
三日間馬車に揺られていたからか、久しぶりによく眠れた。
「おはようございます、リオン様」
「おはよう、ミア」
ミアが朝の準備をしている。床ではピコがゆっくり動いていた。
「ピー」
「ピコもおはよう」
「ピー!」
ベッドから降りる。
今日はハーウェイ侯爵と出資の話をする。お願いする金額は金貨八千枚だ。
「ミラは?」
「もう起きていらっしゃると思います」
「そっか」
顔を洗おうとした時だった。
「ミラ!」
廊下から大きな声が聞こえた。
「……何?」
思わず扉を見る。
「兄上! 声が大きいです!」
今度はミラの声。
「兄上?」
そういえば、ミラには兄がいた。
「行ってみますか?」
「うん」
扉を開けて廊下へ出る。
少し離れたところにミラがいた。
その前には、俺よりずっと背の高い男が立っている。
侯爵家の人間らしい上等な服を着ている。
だが、少し日に焼けていて、屋敷の中だけで過ごしている貴族には見えない。
「やっと帰ってきたな!」
「手紙は送っていたでしょう?」
「手紙と顔を見るのは違うだろ」
「もう……」
ミラが呆れたように笑う。
「あ」
男が俺に気づいた。
こっちへ歩いてくる。
近くで見ると、さらに大きい。
「お前がリオンか」
「はい。はじめまして。リオン・ハルです」
「ミラの婚約者か」
「はい」
じっと見られる。
「思ったより普通だな」
「え?」
「兄上!」
「何だ?」
「初対面で失礼でしょう!」
ミラが珍しく少し感情的になっている。
「悪い意味じゃないぞ」
「ど、どういう意味ですか?」
「もっと変わった奴だと思ってた」
「それも失礼です!」
「そうか?」
男が笑う。
「私はタント・ハーウェイだ」
「よろしくお願いします」
「ああ」
「ピー!」
足元でピコが鳴いた。
「ん?」
タントさんが下を見る。
「何だ、このスライムは」
「ピコです」
「ピー!」
タントさんがしゃがむ。
「触っていいか?」
「ピコがよければ」
「ピー……」
手を伸ばすと、ピコが少しだけ後ろへ下がった。
「……嫌われた?」
「いきなり近づくからです!」
ミラもこんな感じになるんだな。
「そうなのか?」
「ピー」
「あとで仲良くなろうな」
「ピー?」
ピコが体を揺らした。
◇
「昨日はいらっしゃらなかったんですね」
朝食へ向かいながら聞く。
「ああ。南の村に行ってた」
「村へ?」
「知り合いの家で牛が子を産むって聞いてな」
「それで見に行ったんですか?」
「そう」
侯爵家の跡取りが牛の出産を見るために村へ行く。
「兄上は昔からこんな感じです」
ミラが言った。
「面白いぞ。領内は日々、色々あるからな」
「色々?」
「昨日も帰りに東の村へ寄ったんだけど、橋の板が一枚駄目になってた」
「橋?」
「ああ」
近くを歩いていた使用人が足を止める。
「どちらの橋でしょうか?」
「東の村を出てすぐの小さい橋。右側の三枚目だ。まだ渡れるけど、あのままだとそのうち割れる」
「分かりました。すぐ担当へ伝えます」
「頼む」
使用人が頭を下げて離れていった。
「よく気づきましたね」
「馬で通った時に音が違ったからな。降りて見たら板が浮いてた」
「音で?」
「何度も通ってる道だから分かる」
ミラを見る。
「いつもこんな感じ?」
「はい。兄上より領内に詳しい人は、たぶん侯爵家にはいません」
「へえ……」
この人、思っていたより面白い。
◇
朝食の席には、ハーウェイ侯爵、侯爵夫人、タントさん、ミラ、俺が揃った。
ピコも俺の足元にいる。
「それで、母親の具合はどうなんだ?」
タントさんが料理を運んできた使用人に聞いた。
「おかげさまで、随分良くなりました」
「そうか。よかったな」
「ありがとうございます」
少しすると、別の使用人にも声を掛ける。
「そういや、弟は?」
「騎士団の試験を受けまして」
「どうだった?」
「合格しました」
「本当か。よかったな」
「ありがとうございます」
本当によく知っている。
侯爵が俺の顔に気づいた。
「驚いたか?」
「少し」
「こいつは領内の人間のことなら、私より詳しい」
「父上は屋敷にいることが多いからな」
「その熱心さを、もう少し勉学にも向けてくれればいいのだが」
「座って本を読んでるより、外を歩いてる方が性に合ってるんだよ」
「お前が次の侯爵なのだが」
「それは分かってる」
侯爵がため息をつく。
「兄上……」
ミラも呆れている。
ただ、誰も本気で怒ってはいない。昔からこうなのだろう。
「ピー」
ピコが俺の足元からタントさんを見る。
「お、ピコ。こっち来るか?」
「ピー」
来ない。
「まだ駄目か」
タントさんが残念そうな顔をした。
◇
朝食後、侯爵の執務室へ移った。
侯爵と俺、ミラが席につく。
「タント、お前も残れ」
「俺も?」
「ああ。いずれこの領を継ぐのだ。聞いておけ」
「分かった」
タントさんも椅子へ座った。ピコは俺の足元にいる。
机の上に資料を広げる。
「今回お願いしたいのは、ノア山脈の開発への出資です」
「ああ」
「手紙にも書きましたが、俺の領側の山でいくつか資源が見つかりました」
「そのことなのだが」
「はい?」
侯爵が資料へ目を落とす。
「ノア山脈はこちら側からも、以前何度か調査したことがある」
「そうなんですか?」
「ああ。しかし、大きな鉱床らしいものは見つからなかった」
「何も?」
「少なくとも、採掘事業を始めるほどのものはな」
タントさんも頷く。
「俺も聞いたことあるぞ」
侯爵が俺を見る。
「だから少し不思議なのだ。君の領側では、本当にそれほどのものが見つかったのか?」
「はい」
資料を指す。
「今のところ確認できているのは、硬化石、共鳴石、銅です」
「硬化石?」
「道路や建物に使えそうな魔石です」
「共鳴石は?」
「通信に使えます」
侯爵が少し眉を動かした。
タントさんは首を傾げる。
「通信?」
「あとでお見せします」
「あるのか?」
「はい」
侯爵がもう一度資料を見る。
「同じ山脈でも、場所によって違うということか」
「まだ分かりません。俺の領側にある五つの山も、全部詳しく調べたわけではありませんから」
「なるほど」
「開発資金は、予備費を含めて金貨五万枚を見ています」
「五万枚か」
「はい。現在決まっているのは、王家から金貨二万枚、ヴァレスト公爵家から一万枚、ハル子爵家から五千枚です」
タントさんが俺を見る。
「もう三万五千枚集まってるのか?」
「はい」
「すごいな」
「残りは一万五千枚です」
侯爵が顔を上げる。
「それで、我が家にはいくら求める?」
「金貨八千枚をお願いしたいです」
「八千枚か」
「はい」
侯爵はすぐには答えなかった。
「リオン殿」
「はい」
「金の話を決める前に、一つ聞いておきたい」
「もちろんです」
「君の領は、今もかなり厳しい状況なのだろう?」
「……はい」
誤魔化す必要はない。
「人口も少ないです。財政にも余裕はありません。
食料も十分とは言えませんし、領都もここに比べればかなり小さいです」
「そうだろうな」
少し間が空く。
「ミラが君との結婚を望んでいることは知っている。だから私は婚約に反対しなかった」
「はい」
侯爵が娘を見る。
「だが、父親として気にならないわけではない。侯爵令嬢として育った娘が、これまでとは全く違う生活をすることになる」
「父上……」
「リオン殿。それでも本当に大丈夫なのか?」
当然の心配だと思う。俺が父親でも同じことを考える。
「今すぐ、ミラがこれまでと同じ暮らしをできるとは言えません」
正直に答える。
「でも、このままにするつもりもありません。農業も道路も鉱山も、少しずつですが動き始めています」
「うむ」
「それに、俺がミラの人生を全部決めるつもりもありません。これからも、ミラがどうしたいかは本人と話します」
ミラが俺を見る。
「……そうか」
侯爵が今度は娘を見る。
「ミラ」
「はい」
「今回は、このままこちらへ残るか?」
「え?」
俺もミラを見る。
「無理にリオン殿の領へ戻る必要はない。しばらくこちらで過ごしてもいい」
ミラは少し黙ったが、答えは早かった。
「いいえ。リオンと一緒に戻ります」
「そうか」
「はい」
「理由を聞いてもいいか?」
ミラが俺を見る。
「リオンがあの領を変えていくところを、一番近くで見ていたいんです」
「……」
「まだ大変なことばかりです。でも、少しずつ変わっています。それをリオンの隣で見たいです」
侯爵が娘を見つめる。
やがて小さく頷いた。
「分かった」
今度は俺を見る。
「金貨八千枚、出そう」
「本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます!」
これで金貨四万三千枚。残り七千枚だ。
「ただし、それだけでは足りないだろう」
「え?」
「ヴァレスト公爵家からは多くの人員が来るのだろう?」
「はい」
「ハル子爵家からも、人や物を送ってもらうと聞いた」
「はい」
侯爵が腕を組む。
「これから君の領には人が増える。なら、最初に不足するのは食料ではないか?」
「あ」
その通りだ。
「ハーウェイ領から送ろう。小麦を中心に、保存の利く食料を用意させる」
「いいんですか?」
「ああ。ただし、いつまでもこちらに頼られては困るぞ」
「もちろんです。人が増え始める時期を支えていただければ十分です」
「なら、そうしよう」
「ありがとうございます」
これは大きい。
人を呼んでも食べさせられなければ意味がない。
金貨八千枚だけでなく、当面の食料まで確保できる。
「そうだ」
鞄を見る。
「さっき話した通信機をお見せしてもいいですか?」
「ああ」
通信機を取り出して机へ置く。
侯爵が覗き込んだ。
「これが共鳴石?」
「はい」
タントさんも身を乗り出す。
「これが通信機?」
「そうです」
「これで何ができるんだ?」
「俺の領と連絡できます」
「ここから?」
「はい」
侯爵の表情も変わった。
「ノア山脈の向こうだぞ?」
「昨日もここへ来る途中で通信できました」
「本当か?」
「はい。今からやってみますね」
「ピー!」
ピコも机の近くへ寄ってくる。
「ピコ、お前も見るのか?」
「ピー!」
「今度は逃げないな」
タントさんが笑う。
「最初に呼び出します」
共鳴石を三回押す。
少しすると、石が三回光った。
「光ったぞ」
「向こうからの返事です」
「もう?」
「はい」
符号表を見ながら一文字ずつ送る。
《オハヨウ》
しばらくすると返事が届いた。
《オハヨウゴザイマス》
「……」
侯爵が通信機を見る。
さらに石が光った。
《リョウハモンダイナシ》
「領も問題ないそうです」
「本当に今、君の領とやり取りしているのか?」
「はい。政務所の責任者が受けています」
侯爵が窓の向こうへ目を向ける。
「ノア山脈の向こうと……」
「はい」
タントさんはもっと分かりやすかった。
「すげえ!」
「ピー!」
「ピコもそう思うよな!」
「ピー!」
いつの間にか仲良くなっている。
「侯爵」
「何だ?」
「この通信機は、ここへ置いていきます」
「いいのか?」
「はい。何か急ぎの用事があれば、これで連絡してください」
「ミラとも話せるのか?」
「俺の領にいれば」
侯爵が通信機を見る。
「……そうか」
その一言だけ少し柔らかかった。
「使い方を説明します」
呼び出し方、符号表の見方、送信と受信の方法を説明する。
「基本はこれだけです。決まった時間にこちらと政務所の両方で通信機の前にいるようにしておけば、もっと確実に連絡できます」
「分かった」
「何かあったら使ってください」
「ああ。ありがたく使わせてもらおう」
◇
「あと、もう一つ困っていることがあります」
話が一段落したところで言った。
「何だ?」
「人です」
「人?」
タントさんが聞く。
「これから鉱山だけじゃなく、道路や倉庫、家も作ります。農業もあります」
「仕事だらけだな」
「そうなんです」
商売についてはローデン商会に任せる予定だが、実際に働く人が足りない。
「新しい仕事を探している人や、もっと仕事のある場所へ移りたい人を知りませんか?」
「いるぞ」
「本当ですか?」
即答だった。
「南の村に土地を継げない奴が何人かいる。町にも仕事を探してる奴はいるぞ」
「大工は?」
「いる」
「荷物を運べる人は?」
「いるな」
「農業をやりたい人は?」
「それも何人かいる」
「……そんなに知ってるんですか?」
「村を回ってれば聞くだろ」
「普通はそこまで知らないと思います」
「そうか?」
本人は本当に分かっていないらしい。
侯爵が笑う。
「こいつは領内の人間に関することだけは異常に詳しい」
「父上、その言い方は褒めてるのか?」
ミラも笑う。
「でも、本当にすごいと思います」
俺が言うと、タントさんがこっちを見る。
「何が?」
「誰が何をできるのか、誰がどんな仕事をしたがっているのか、それを知っていることです」
「そんなこと?」
「仕事は結局、人にやってもらわないと進まないので」
前世でもそうだった。会社が大きくなるほど、一人でできることなんて少なくなる。
「必要な時に必要な人へ声を掛けられるのは、大きな力ですよ」
「そういうものか?」
「はい」
タントさんが少し照れたように頭を掻く。
「初めて言われたな」
侯爵も息子を見る。
「……なるほどな」
「父上まで何だよ」
「いや。リオン殿の言う通りかもしれん」
タントさんが俺を見る。
「なら、何人か会ってみるか?」
「え?」
「仕事を探してる奴」
「会えるんですか?」
「今からなら」
「今から?」
「明日帰るんだろ?」
「はい」
「だったら今日しかないだろ」
「……」
何だろう。すごく聞いたことのある考え方だ。
「リオン」
ミラが笑っている。
「何?」
「兄上とちょっと似てるね」
「どこが?」
「どこが?」
タントさんと声が重なった。
「ほら」
「ピー!」
◇
昼過ぎ。
タントさんに連れられて領都へ出た。アストン、ミラ、ミア、ピコも一緒だ。
「タント様!」
歩いていると、あちこちから声を掛けられる。
「おう!」
「昨日はありがとうございました!」
「気にすんな!」
「タント様、今度また村へ来てください!」
「行く!」
本当に顔が広い。
「すごいですね」
「何が?」
「みんな知ってる」
「この辺ならな」
最初に向かったのは、領都の端にある大工の工房だった。
「おーい!」
「誰だ!」
中から若い男が出てくる。
「あ、タントか」
「仕事探してたよな?」
「いきなり何だ?」
「紹介したい人がいる」
タントさんが俺を指す。
「リオン男爵だ」
「……男爵?」
男の顔が固まった。
「リオン・ハルです」
「し、失礼しました!」
「大丈夫です」
話を聞くと、大工の家の次男で、工房は兄が継ぐ予定らしい。
腕はあるものの、このまま兄の下で働き続けるか迷っているという。
「リオン領では、これから家や倉庫をかなり作る予定です」
「そんなに?」
「人が増える予定なので」
「仕事はある?」
「むしろ人が足りません」
男が少し考える。
「……ちょっと興味あるな」
「一度見に来てもいいですよ」
「いいのか?」
「もちろんです。実際に見てから決めてください」
次に会ったのは、馬車を扱う仕事をしている若い男だった。
「鉱山が動き始めれば、かなりの量の物を運ぶことになります」
「長く仕事はあるのか?」
「鉱山が本格的に動けば、長く続くと思います」
「住む場所は?」
「今、増やしているところです」
「なるほど。一度見てみたいな」
「ぜひ」
最後に、領都近くの村で農家の次男にも会った。
「土地はありますか?」
「あります。むしろ耕す人が足りません」
「何を作るんです?」
「小麦もありますし、これから新しく米も始めます」
「米?」
「湿原を使います」
「へえ……よくわかりませんが、面白そうですね」
興味はあるようだが、すぐには決めなかった。
「家族と相談してみます」
「もちろんです。無理に決めなくて大丈夫ですよ」
それでいい。
一度領を見てもらって、それから決めてもらえばいい。
◇
夕方、侯爵家へ戻った。
「疲れた」
「三人しか会ってないぞ?」
タントさんが言う。
「タントさんが元気すぎるんです」
「そうか?」
「そうです」
「ピー!」
「ピコは元気だな」
「ピー!」
いつの間にか完全に仲良くなっている。
今日会った三人が全員来るとは限らない。
それでも大工と荷運びの二人は、一度リオン領を見たいと言ってくれた。
農家の次男も家族と相談してくれる。
「タントさん」
「何だ?」
「助かりました」
「これくらいならいつでもいいぞ」
「本当ですか?」
「ああ」
「また色々紹介してください」
「いいぞ」
即答だった。
ミラが笑う。
「兄上、楽しそうですね」
「面白そうだからな」
「そうですか?」
「ああ。お前たちの領、これから色々作るんだろ?」
「はい」
「なら、人はいくらいても困らないだろ」
「そうですね」
金貨八千枚に、当面の食料。それに、新しく来てくれるかもしれない人たちまで見つかった。
ハーウェイ侯爵領へ来てよかった。
「明日は帰るんだよな?」
「はい」
「また来いよ」
「もちろんです」
「ピー!」
「ピコもな」
「ピー!」
タントさんが手を出す。
今度はピコが逃げなかった。
「おお!」
タントさんが嬉しそうに笑い、ミラもそれを見て笑った。
明日はリオン領へ帰る。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ミラの兄、タントが登場しました。
作者の周りの話ではありますが、タントみたいなタイプの経営者は成功している人が多い印象です。




