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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第1章 リオン・ハル

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第6話 筆頭家臣バスク

 バスクは、自室の扉が閉まるのを待ってから、ようやく笑みを消した。


 机の上には、まだ乾ききっていない帳簿が開かれている。

 倉庫の出入り、徴税の記録、兵糧の割り振り。表向きは整っている。だが、その中のいくつかは、長年かけて少しずつ手を入れてきたものだった。


 北倉庫の横流しも、そのひとつだ。


 それが、たった十二の子どもに嗅ぎつけられた。


「……妙な子だとは思っていたが」


 低く呟く。


 ガルド・ハルは昔から頼りなかった。身体は弱く、決断も鈍い。領主の器などないと、若い頃から思っていた。実務を回し、家臣を動かし、領地を持たせてきたのは自分だ。そういう自負が、バスクにはあった。


 名ばかりの主君。

 ならば、いずれ実権をすべて握るのは当然だと考えるようになったのも自然だった。


 だが、誤算があった。


 リオンだ。


 幼いころから妙に目ざとかった。

 庭師が怠けているのを見抜き、使用人同士の嘘を見抜き、数字も妙に早く覚えた。まだ子どもだと笑って済ませられるうちはよかったが、年を重ねれば重ねるほど、その“勘の良さ”は不気味さに変わっていった。


 もしこいつが無事に育ち、ハル家を継げば。


 ――自分の野望は、そこで終わる。


 だからガルドを先に弱らせる必要があった。

 病で倒れた領主のもとで、実務を支える筆頭家臣。そうなれば自然に権限は集まる。ガルドが死ねば、幼い後継ぎを補佐する立場にもなれる。何年かけても構わない。そう思っていた。


 帳簿をいじって作った裏金で、王都の闇ギルドに手を伸ばしたのはそのためだ。


 思い出すのは、王都の裏路地にあった薄暗い店。

 顔に傷のある男が、小さな紙包みを机の上へ置いた。


『即死毒じゃない。じわじわ削る。食が細くなり、身体が弱り、顔色が落ちる。病人に使えば、誰も気づかねえ。上等な品だ』


 高かった。

 だが、それだけの価値はあった。


 実際、ガルドは少しずつ弱っていった。

 誰も疑わなかった。侍医ですら、持病の悪化だと考えていた。


 それを、リオンが見抜いた。


 しかも、倉庫の件まで嗅ぎつけている。


 このまま調べられれば、北倉庫の出入り、帳簿の改竄、裏金の流れ、闇ギルドとの接触――すべてが芋づる式につながりかねない。


 バスクはゆっくりと椅子に座り、指先で机を叩いた。


 《人生が終わる》


 その言葉が、頭の中に冷たく浮かぶ。


 失敗は許されない。

 レナは使えなくなった。倉庫係のロドも脅せば黙るだろうが、長くは持たない。


 ならば、先に潰すべきは誰か。


 決まっている。


「……リオン」


 小さく名を吐く。


 ガルドより先だ。

 あの子どもを生かしておけば、綻びは広がる。自分の足元まで裂け目が届く。


 だったら、その前に切る。


 扉の外で、控えめな足音がした。


「入れ」


 現れたのは、灰色の外套をまとった痩せた男だった。屋敷の使用人ではない。表向きは行商人だが、実際は王都と地方をつなぐ連絡役のひとりだ。


 男は部屋へ入るなり、机の帳簿をちらりと見たが、何も言わなかった。


「例の侍女は?」


「まだ生きておりますが、奥方の監視下です」


「役に立たんな」


 バスクは短く吐き捨てた。


「想定より早く火がついた。予定を変える」


 男の目が細くなる。


「ほう」


「次は、息子のほうだ」


 沈黙が落ちた。


 男はすぐには返事をしなかった。代わりに、窓の外を一度だけ見てから、低く問う。


「事故か。病か。消失か」


「目立つな」


 バスクは即答した。


「派手なことは要らん。十二の子どもが、足を滑らせる。馬から落ちる。夜道で盗賊に襲われる。そういうので十分だ」


「だが今は、周囲の目が集まってる」


「だからこそだ」


 バスクは冷たく笑った。


「今なら誰もが“あの子は賢すぎた”“領地のことに首を突っ込みすぎた”と納得する。身の程をわきまえぬ子どもは、こういう時に死ぬものだ」


 男は肩をすくめた。


「高くつくぞ」


「構わん」


 即答した自分の声に、バスク自身がわずかに安堵した。


 まだ決断できる。

 まだ遅くない。


「金は用意する。必要なら北倉庫だけでなく、徴税のぶんからも回す」


「わかった」


 男は短く頷いた。


「ただし、今度はへまをするなよ。王都まで火が飛べば、こちらも困る」


「言われるまでもない」


 男が去ると、部屋はまた静かになった。


 バスクは机の引き出しを開け、二冊の帳簿を見下ろした。

 表向きの帳簿。

 そして、本当の金の流れを記した裏帳簿。


 少し考え、裏帳簿の一部だけを抜き取る。全部を焼けば不自然だ。だが要所だけ消しておけば、追われても時間は稼げる。


 火皿の上で紙が丸まり、黒く縮れた。


 その匂いを嗅ぎながら、バスクは過去を思う。


 若いころ、自分は本気でこの家を支えるつもりだった。

 だが主は弱く、領地は痩せ、何をするにも遅かった。


 ならば、食う側に回るしかなかった。

 そう決めたのは、自分だ。


 今さら引き返す道などない。


 ◇


 そのころ、リオンは父の部屋に近い小さな書庫で、薬の記録と倉庫の出納帳を並べていた。


 完全な証拠はまだない。

 だが、流れは見え始めている。


 薬が増えた時期。

 父の衰弱が進んだ時期。

 北倉庫の不足が目立ち始めた時期。


 全部が、薄く重なる。


「……やっぱり繋がってる」


 小さく呟く。


 金の漏れがあり、毒の混入があり、その両方にバスクの影がある。

 確信はまだ足りない。けれど、綻びはもう十分に見えている。


 その時、扉の外から小さなノックがした。


「リオン様」


 ミアだ。


「入って」


 ミアは部屋へ入るなり、顔をこわばらせて言った。


「さっき、見慣れない行商人が裏門から出ていきました。兵でも使用人でもない人です。……バスク様のお部屋のほうから来たみたいで」


 リオンの目が細くなる。


「特徴は?」


「灰色の外套です。顔は細くて、左の頬に小さな傷が」


 リオンはゆっくりと帳簿を閉じた。


 動いたな。


 北倉庫を突き、薬を止めた。

 だから相手も次の手に入った。


 視界の奥で、何かが静かに繋がる。


 バスクはもう、守りに入っていない。

 切り捨てるものを決め、先にこちらを潰しにくる。


 なら、急がなければいけない。


「ミア」


「は、はい」


「今夜から一人で動かないで。君ももう見られてる可能性がある」


 ミアの顔が強張った。


「わ、私もですか」


「うん。バスクにとって、君はもう邪魔だ」


 その一言に、ミアは青ざめた。だが逃げなかった。少しずつだが、強くなっている。


「じゃあ、リオン様は……」


 リオンは立ち上がった。


 窓の外では、夕方の風が痩せた畑を揺らしている。


「俺もだよ」


 静かに答える。


「たぶん、次は俺が狙われる」


 その言葉は重かった。

 だが、不思議と怖くはなかった。


 前の人生では、敵に気づくのが遅れた。

 けれど今は違う。相手が動き出す前に、綻びが見えている。


 なら、先に読む。


 先に切る。


 リオンは窓の外から目を離し、静かに拳を握った。


 一方その頃、屋敷の暗い廊下を歩くバスクの口元には、また穏やかな笑みが戻っていた。


 そしてその胸の内では、ただ一つの言葉だけが冷たく固まっていた。


 ――もう、あの子どもを生かしてはおけない。

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