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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第1章 リオン・ハル

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第5話 許してはいけない

 部屋の空気は、凍りついていた。


 膝をついたレナは顔面蒼白のまま震え、母エマは薬盆を見つめたまま息を呑んでいる。

 父ガルドは寝台にもたれた姿勢のまま、信じられないものを見るように俺とレナを交互に見た。


 そして扉の向こうには、筆頭家臣バスク。


 いつもと変わらぬ穏やかな顔。だが、視界の端に浮かぶ文字は、その内側を隠してはいなかった。


 《敵意:高》

 《証人切り捨てを検討》

 《先制の意図あり》


 やはり、こいつだ。


「……どういうことだ」


 最初に声を出したのは父だった。弱々しい声だったが、領主としての重みはまだ消えていない。


「レナ。今のは、どういう意味だ」


 レナは泣きそうな顔で唇を震わせた。


「わ、私は……っ、命じられただけで……!」


「落ち着きなさい」


 バスクが一歩、部屋の中へ入ってきた。


「ガルド様、ご病身の前でこのような騒ぎ、まことに申し訳ございません。どうやら侍女が取り乱しているようです。まずは薬を下げさせ――」


「下げさせないで」


 俺が言うと、バスクの足が止まった。


 部屋の全員がこちらを見る。


「その薬は、この部屋から動かさない」


「リオン様」


 バスクは困ったように眉を下げた。


「お気持ちはわかります。ですが、侍女が錯乱して妙なことを口走ったからといって、旦那様のお薬まで疑っては――」


「妙じゃない」


 俺は薬碗へ目を向けた。


 《毒性反応:微量》

 《継続摂取で衰弱進行》


 見るたびに、胸の奥が冷えていく。


「父上の身体は、病気だけでこうなってるわけじゃない」


 母がはっと顔を上げた。


「リオン……」


「最近、父上は急に食が細くなったよね。立ち上がるだけで息が切れるし、手も少し震えてる。前より眠る時間が長くなってるのに、むしろ顔色は悪い」


 父が目を細める。

 母は明らかに思い当たるところがある顔だった。


「……それは、病が進んだからでは」


 バスクの声は穏やかだった。

 だが、その視界には別の文字が浮かぶ。


 《警戒:上昇》

 《話題逸らしを試行》


「そう見せたいんでしょ」


 俺はバスクをまっすぐ見た。


「でもおかしい。薬を飲んで良くなるはずなのに、少しずつ削られてる。しかも一気にじゃない。ゆっくりだ」


 父の寝台のそばまで進み、顔色、指先、目の下のくまを見る。


 前世で医者だったわけじゃない。

 だが、体調を崩した社員、無理をして壊れていく自分自身、薬で誤魔化しながら働く人間は何人も見てきた。


 そして何より、この目が見せてくる。


「すぐに殺すつもりなら、こんなやり方はしない」


 静かに言う。


「少しずつ弱らせて、まるで病が悪化したように見せる。そうすれば周りは“仕方なかった”って思う」


 母の顔色が変わった。


「……そんな」


 レナが涙をこぼしながら叫ぶ。


「本当に、私は命じられただけなんです! ほんの少しだって、毎回、ほんの少しだけ入れろって……! そうすれば誰にも気づかれないって……!」


 父の表情が固まる。


 部屋の温度が、一段下がった気がした。


 バスクが低い声で言う。


「その侍女は、明らかに混乱しております。旦那様、ご安心ください。このような者はすぐに拘束し、誰にそそのかされたのか厳しく――」


「駄目だ」


 俺は即座に遮った。


「レナをあんたに渡さない」


 初めて、バスクの作り笑いがわずかに歪んだ。


「……私に、とは?」


「この人は主犯じゃない」


 《主犯ではない》

 《恐怖対象:バスク》


 視界の文字が、それを告げている。


「脅されて動いてる。ここであんたに預けたら、口を塞がれるだけだ」


「リオン」


 母が、少し震えた声で俺の名を呼ぶ。


「あなた、それは……」


「母上」


 俺は母のほうを見た。


「父上を弱らせてるのは、ただの事故じゃない。このまま見過ごしたら、本当に取り返しがつかなくなる」


 母は数秒、何も言わなかった。

 その視線は父、薬碗、泣いているレナ、そしてバスクの順に動く。


 やがて、ゆっくりと頷いた。


「……レナは、この部屋から出させません」


 その一言で、空気が変わった。


 母はこの家の女主人だ。

 父が弱っている今、その言葉の意味は重い。


 バスクの視界に、新しい文字が浮かぶ。


 《誤算》

 《奥方の介入を警戒》

 《別経路を検討》


 父が苦しげに息をつき、それでも言った。


「薬は……飲まぬ」


 弱い声だった。

 だが、決定の言葉だった。


 俺は胸の奥で小さく息を吐く。


 これで最低限は止められる。


「それから」


 父は俺を見た。


「リオン。お前は……本当に、それがわかるのか」


 病名まではわからない。

 混ぜられたものの正確な名も、まだ断定できない。


 だが、ここで必要なのはそこじゃない。


「全部はまだ」


 正直に答える。


「でも、少しずつ身体を削るものが入ってる。そう考えないと、父上の弱り方は不自然すぎる」


 父は目を閉じた。


 長い沈黙のあと、低く言う。


「……バスク」


「はっ」


「今日から、私の薬はエマとリオンの確認を通せ。侍医も、記録も、運ぶ者も、全てだ」


 その場の空気が、また変わった。


 命令だ。

 しかも、バスクの手から一つ権限を引き剥がす命令。


 母が息を呑み、レナは顔を上げた。

 バスクだけが、数拍遅れて頭を垂れる。


「……かしこまりました」


 だが視界に出る文字は違う。


 《敵意:増大》

 《障害認定:高》

 《早急な排除を検討》


 もう隠す気もないか。


 それでいい。


 倉庫の横流しだけなら、まだ腐った家臣で済んだ。

 父上を削っているとなれば、話は別だ。


 こいつは、この家の病巣そのものだ。


 様子を見る相手じゃない。

 追い込む相手だ。


「母上、薬は全部保管して」


「ええ」


「レナは母上の部屋つきに。誰にも一人で会わせないほうがいい」


 レナがびくりと肩を震わせたが、俺は続ける。


「安心して。今は君を責めるより、命令した人間を見つけるほうが先だ」


 その瞬間、レナの視界に浮かぶ文字が変わる。


 《恐怖:微減》

 《保護対象として認識》


 少しは落ち着いたか。


 父が疲れたように目を閉じる。


「……皆、下がれ。リオンとエマは残れ」


 バスクが一礼して部屋を出る。

 出ていく直前、ほんの一瞬だけこちらを見た。


 柔らかな笑み。

 だがその奥は、冷たかった。


 扉が閉まる。


 静かになった部屋で、母がようやく震える声を漏らした。


「リオン……あなた、いつからあの人を疑っていたの」


「昨日から」


「昨日?」


「北倉庫の不正を見つけた」


 母の目が大きく開く。


 俺は短く説明した。

 倉庫の横流し。

 ミアへの濡れ衣。

 今朝の一件。

 そして、今日の毒。


 母は最後まで黙って聞いていた。


 父は寝台の上で目を閉じたまま、低く呟く。


「……私が、甘かった」


 その言葉は、思っていたより重かった。


 父は何も知らなかったわけではないのだろう。

 ただ、病で弱る中で、見て見ぬふりをしてきた綻びがあった。


 それが今、破綻しかけている。


「父上」


 俺は静かに言った。


「まだ間に合う」


 前世では遅かった。

 気づいた時には、会社はもう崩れていた。


 でも今は違う。


 倉庫の不正も、毒も、まだ綻びの段階だ。

 見えているなら、止められる。


 父がゆっくり目を開き、俺を見た。


「……なら、やれ」


 短い一言だった。


 だが、それで十分だった。


 初めて、父が俺に任せた。


 俺は小さく頷く。


「やるよ」


 部屋の片隅に置かれた薬盆へ、もう一度視線を向ける。


 《毒性反応:微量》

 《継続摂取で衰弱進行》


 見えてしまった以上、もう戻れない。


 俺はこの家の中にいる敵を、綻びの段階で潰す。


 倉庫も。

 薬も。

 そして、バスクも。


 こいつを、このままにしてはいけない。

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