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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第1章 リオン・ハル

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第4話 父の薬

 その日の昼過ぎ、俺は自室に戻ってからも、ずっと父の薬盆のことを考えていた。


 《身体衰弱》

 《毒性反応:微量継続》

 《投薬経路を要確認》


 見間違いではない。


 父は病で弱っている。

 それ自体は本当だろう。


 だが、それとは別に、少しずつ身体を削る何かが混じっている。


 問題は、どこで混ざっているかだ。


 薬そのものか。

 器か。

 水か。

 あるいは、最後に運ぶ人間か。


 前世でも同じだった。

 数字の不正を見つけても、それだけでは足りない。

 どこで手が入ったのか、誰が触れたのか、流れを掴まなければ潰せない。


 扉を小さく叩く音がした。


「……リオン様」


 声を潜めたミアだった。


「入って」


 部屋へ入ってきた彼女は、朝よりも少しだけ顔色がいい。だがまだ緊張している。


 無理もない。

 今朝、あのまま俺が口を挟まなければ、倉庫泥棒の濡れ衣を着せられていたのだから。


「呼んでくださったと聞いて……」


「うん。頼みたいことがある」


 ミアの肩がぴくりと揺れる。

 それでも逃げなかった。


「父上の薬のこと、どこまで知ってる?」


「お薬、ですか?」


「誰が作って、誰が運んで、誰が最後に手を触れるか。そこを知りたい」


 ミアは少し考え、慎重に言葉を選んだ。


「薬自体は侍医の先生が調合しています。いつも奥の薬室で……。それを侍女が薬盆にのせて旦那様のお部屋へ運びます」


「同じ侍女?」


「いえ……日によって違います。でも、最近はレナが多いです」


「レナ」


「はい。奥方様付きの侍女でしたけど、旦那様のお世話も手伝うようになって……」


 視界の端に文字が浮かぶ。


 《記憶照合:有用》

 《協力適性:高》


 よし。


「薬室には誰でも入れる?」


「基本は侍医の先生と補助の人だけです。勝手には……無理だと思います」


「じゃあ、運ぶ途中は?」


 ミアは少し迷ってから答えた。


「旦那様のお部屋へ行く廊下の途中に、小さな控え間があります。侍女さんたちが盆を置いたり、お湯を足したりすることもあります」


 俺は小さく頷いた。


 薬そのものではなく、最後の一手。


 可能性は高い。


「ミア。俺と一緒に、その流れを見たい」


「……私もですか?」


「一人だと目立つし、屋敷の細かい動きは君のほうが詳しい」


 ミアは強く唇を結んだ。

 怖いのだろう。


 それでも、しばらくしてから、はっきり頷いた。


「……やります」


 いい返事だ。


「ただし無理はしない。危ないと思ったらすぐ離れろ」


「はい」


「それと、朝のことで誰かに何か言われた?」


「少しだけ……。でも、前よりは」


「前よりは?」


「みんな、私を見てすぐ泥棒みたいな顔はしなくなりました」


 そうか。


 小さいが、意味はあった。


 この家では、弱い立場の人間はすぐ切り捨てられる。

 だからこそ、最初の一人を守るのは大事だった。


「だったら次は、もっとはっきりさせよう」


 ミアは驚いたように俺を見たが、その目の奥には、もう朝ほどの絶望はなかった。


 ◇


 夕方。

 父の薬が運ばれる時間を狙って、俺とミアは使用人通路の影に立っていた。


 正面から行けば怪しまれる。

 だから見るだけだ。


 しばらくして、白衣姿の侍医が薬室から出てきた。銀の盆には、湯気の立つ薬碗がひとつ。


 視界の端に文字が浮かぶ。


 《通常薬効》

 《毒性反応なし》

 《調合段階は正常》


 やはりか。


 薬そのものには、まだ異常がない。


 侍医は無表情のまま廊下を進み、途中の控え間へ入った。そこに待っていたのは、若い侍女だった。


 レナか。


 栗色の髪をきっちりまとめ、所作も綺麗だ。いかにも手際の良い侍女に見える。


 侍医が盆を置き、何事か二言三言交わして去る。

 レナは一人になった。


 その瞬間、視界に文字が走った。


 《恐怖:強》

 《命令による行動》

 《主犯ではない》

 《混入機会:有》


 来た。


 俺は息を止めた。


 レナは周囲を気にするように一度だけ廊下へ視線を向け、それから袖の内側に手を滑り込ませた。


 小さな紙包み。


 それをごく自然な動きで開き、薬碗へ指先ほどの粉を落とす。


 ミアが隣で小さく息を呑んだ。


 俺はすぐに彼女の手首を軽く押さえる。今飛び出しても駄目だ。


 まだ証拠が弱い。

 そして、ここでレナ一人を捕まえても、命令した側に逃げられる。


 粉が落ちた瞬間、薬碗に向けて文字が変わった。


 《毒性反応:微量》

 《継続摂取で衰弱進行》

 《即効性なし》


 やはりこれだ。


 父を一気に殺す毒じゃない。

 じわじわ削って、病の悪化に見せかけるためのもの。


 胸の奥が冷えた。


 前世で見たことがある。

 一発で壊すより、周囲に「仕方ない」と思わせながら弱らせるやり方。


 汚い。

 だが、実にやり口がうまい。


 レナは何事もなかったように薬盆を持ち上げ、父の部屋へ向かった。


 ミアが小声で言う。


「い、今の……!」


「見た。間違いない」


「じゃ、じゃあ止めないと……!」


「止める」


 俺は即答した。


「でも、やり方を間違えると証拠が消える」


 レナは主犯ではない。

 文字がそう言っている。


 つまり本命は別にいる。


 俺は素早く頭の中で順番を組み立てた。


 今やるべきことは三つ。


 父にその薬を飲ませない。

 レナを潰さず押さえる。

 そして、命令した側へ繋げる。


 前世ならこういう時、焦って全部を一度にやろうとして失敗した。

 今度は違う。


「ミア。今すぐ母上を呼んで」


「奥方様を?」


「うん。『父上の薬のことで、すぐ来てほしい』とだけ言って。余計なことは言うな」


「は、はい!」


 ミアは走った。


 俺は回り道をして、父の部屋の前へ向かう。


 ちょうどレナが中へ入るところだった。

 俺もそのまま扉を押して部屋へ入る。


「父上」


 父は寝台にもたれ、弱々しく目を向けてきた。


「……リオン? どうした」


 レナがぎくりとした顔をした。すぐに恭しく頭を下げるが、視界の端に浮かぶ文字は取り繕えない。


 《動揺:大》

 《逃避願望》

 《命令違反を恐れる》


 命令違反、か。


 やはり誰かの指示だ。


「ちょうどよかったです、リオン様。旦那様のお薬を――」


「その薬、少し見せて」


 レナの指がわずかに震えた。


「え……ですが、冷めてしまいます」


「少しくらいなら平気だよね」


 俺は薬碗に視線を落とす。


 《毒性反応:微量》


 くそ、見るたびに腹が立つ。


 父は首を傾げた。


「何をしているんだ?」


「確認です」


 短く答えた、その時だった。


 後ろから母の声が飛んだ。


「リオン!」


 振り返ると、息を切らせた母が立っていた。ミアも後ろにいる。


 ちょうどいい。


「母上、この薬、今は飲ませないで」


 母の顔が強張る。


「……どういうこと?」


 レナの顔色が、一気に失われた。


「お、お待ちください! そのようなことを言われては――」


「だったら説明して」


 俺は侍女をまっすぐ見た。


「控え間で、何を混ぜたの?」


 部屋の空気が止まった。


 父が目を見開く。

 母も息を呑んだ。


 レナは一歩下がる。

 その視界の端には、これ以上ないほどわかりやすい文字が浮かんでいた。


 《恐怖:極大》

 《発覚》

 《主犯名の秘匿を優先》


 当たりだ。


「わ、私は……!」


「見たよ」


 俺は静かに言った。


「侍医から受け取った時、その薬には異常がなかった。でも控え間で、君は袖から紙包みを出して粉を入れた」


「ち、違――」


「じゃあ、その袖を見せて」


 レナの動きが止まる。


 母の顔から血の気が引いていた。


「……レナ」


 その一言で、侍女は完全に崩れた。


 薬盆を落としそうになりながら膝をつき、泣きそうな声で言う。


「わ、私は命じられただけです! 私がやれって、逆らったら弟を仕事から追い出すと……!」


 来た。


 だが、肝心の名前は出ない。


 視界の文字が揺れる。


 《主犯名の秘匿を継続》

 《恐怖対象:近くにいる》


 近くにいる?


 俺はゆっくりと振り返った。


 開いたままの扉の向こう。

 廊下の奥に、いつの間にか立っている人影があった。


 筆頭家臣、バスク。


 相変わらず穏やかな顔をしている。

 だが、その視界の端には、これまでよりもずっと濃い文字が浮かんでいた。


 《敵意:高》

 《証人切り捨てを検討》

 《次の手:先制》


 ――やっぱりお前か。


 俺は薬碗から目を離さず、静かに息を吐いた。


 この家の本丸が、ようやく輪郭を見せ始めた。

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