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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第1章 リオン・ハル

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第3話 濡れ衣

翌朝、屋敷の空気は朝から張り詰めていた。


 使用人たちが廊下を行き交う足音は妙に早く、ひそひそ声は聞こえても、笑い声はひとつもない。


 何かあったのだ。


 いや、起こされたのだろう。


 俺が食堂へ向かう途中、角を曲がった先で、甲高い怒鳴り声が響いた。


「だから、私ではありません!」


 ミアの声だった。


 俺は足を止めず、そのまま声のする方へ向かう。


 北倉庫の前には、人だかりができていた。倉庫係、使用人、兵が数人。そして、その中心で青ざめた顔のミアが立っている。目の前には、腕を組んだバスク。その隣には、眠そうな顔をした倉庫係の男――たしかロドだ。


「言い逃れは見苦しいぞ、ミア」


 バスクはあくまで穏やかな口調だった。怒鳴らない。だからこそ質が悪い。


「鍵を持っていたのはお前だ。見張りも任されていた。今朝になって不足が見つかったのも北倉庫。疑われるのは当然だろう」


「で、でも……私は中に入っていません!」


「鍵を持っていて、中に入っていない? それを信じろと?」


 人だかりの中に、重たい沈黙が落ちる。


 弱い立場の者は、それだけで不利だ。


 しかも相手は筆頭家臣。誰も正面から逆らえない。


 ミアの肩が震えていた。泣くのを必死でこらえているのがわかる。


 視界の端に文字が浮かぶ。


 《恐怖:極大》

 《虚偽なし》

 《責任転嫁先として選定済み》


 やはりな。


「金に困っていたのではないか?」


 バスクが追い打ちをかけるように言った。


「下働きの娘なら、少し物資を売れば銀貨にもなる。魔が差したとしても不思議ではあるまい」


 周囲の何人かが顔をしかめた。だが、誰も口は開かない。


 その時だった。


「その話、おかしいよ」


 俺の声に、場の空気がぴたりと止まった。


 全員の視線がこちらへ向く。


「り、リオン様……」


 ミアの目が大きく開く。バスクは一瞬だけ眉を動かしたが、すぐにいつもの穏やかな顔に戻った。


「おはようございます、リオン様。お見苦しいところを――」


「見苦しいのはそっちだ」


 俺は人垣の中へ進み出た。


 父はいない。まだ寝室だろう。母もこの場にはいない。だからこそ、バスクは朝一番で片をつけるつもりだったのだ。


 昨日のうちに、ミアへ濡れ衣を着せる筋書きを整えた。そういう顔をしている。


 視界の端にまた文字が走る。


 《虚飾》

 《早期処分を希望》

 《証拠隠滅猶予:短》


 思ったより切迫しているな。


 なら、こちらも遠慮はいらない。


「ミアが犯人だと言うなら、まず確認したいことがある」


 バスクが細く目を眇めた。


「確認、でございますか?」


「うん。北倉庫の物資不足が見つかったのは今朝なんだよね?」


「その通りです」


「じゃあ、湿気で傷みが増えたって話は、いつから出てた?」


 バスクがわずかに間を置いた。


「……数日前からですが、それが何か?」


「おかしいよね」


 俺は北倉庫の扉を指差した。


「雨は降ってないのに、急に北倉庫だけ傷みが増えた。しかも今朝になって不足が見つかった。傷みの話と盗難の話が、都合よく同じ場所で重なりすぎてる」


 ロドが顔をしかめる。


「そ、それは偶然かもしれません」


「偶然ね」


 俺はそのまま続けた。


「じゃあ次。ミアがやったって言うなら、一人で塩樽や乾燥肉をどう運んだの? 北倉庫の塩樽は、十二歳の女の子が一人で抱えて持ち出せる重さじゃないよね」


 人だかりの中から、小さなざわめきが起きた。


 そうだ。

 誰でも少し考えればわかる。


 だが、最初に「犯人はこいつだ」と示されると、人はそこから考えるのをやめる。


 バスクがゆっくりと言う。


「何度かに分けて運んだのかもしれませんな」


「無理だよ」


 俺は倉庫の前の地面を指した。


「樽を引きずった跡が残ってる。でも途中で薄くなってる。つまり途中で持ち上げ直してるんだ。あの重さをミア一人でやるのは無理。少なくとも大人の手が必要だ」


 ロドの顔色が変わった。


 昨日見た時より、さらに悪い。


 視界に文字が浮かぶ。


 《動揺:大》

 《主犯ではない》

 《指示に従った可能性:高》


 ほう。

 ロドは使われた側か。


 バスクは相変わらず表情を崩さない。だが、目だけが俺を測り始めていた。


「リオン様は、ずいぶんと倉庫をよくご覧になったようですな」


「うん、見たよ」


 わざとあっさり答える。


「ついでに言うと、塩樽の縄の締め方も混ざってる。乾燥肉の箱も釘穴がずれてる。開けて詰め直した跡だよね。これ、一回だけじゃない。何度もやってる」


 今度ははっきりと、人垣がざわついた。


「な、何度も……?」

「じゃあ、ミアじゃなくて……」

「最初から横流しされてたってことか?」


 ミアが信じられないものを見るように俺を見つめている。


 泣きそうな顔だった。けれど今度は、絶望でではない。


 助かるかもしれない、という顔だ。


 バスクが、初めて少しだけ声の温度を下げた。


「たしかに興味深い指摘です。ですが、それでミアが無実と決まるわけではありますまい」


「そうだね」


 俺は頷いた。


「でも、少なくとも“ミアが一人でやった”は無理がある」


 一歩、バスクへ近づく。


「そして、もっとおかしいことがある」


「……何でしょう」


「鍵だよ」


 その場の全員が、一瞬だけ息を止めた。


「北倉庫の鍵をミアが持ってたのは、見張りだからでしょ。でも、そもそもミアに見張りを命じたのは誰?」


 俺は視線をまっすぐバスクへ向けた。


「あなたですよね、バスク」


 空気が凍りついた。


 誰も声を出さない。


 バスクだけが、静かに俺を見返している。


「お言葉ですがリオン様、それは私が管理を任せたというだけの話です」


「そうだね。でも変だよ。物資不足が見つかった朝に、真っ先にミアへ罪を被せる準備ができてた。まるで、誰を犯人にするか最初から決めてたみたいに」


 ミアがはっと顔を上げる。


 ロドは完全に青くなっていた。


 視界の端に、バスクへ向けた文字が走る。


 《怒気:微増》

 《警戒対象に認定》

 《現時点での断罪は不可》


 そう。

 まだ足りない。


 ここでバスクを倒すことはできない。証拠も権限も不足している。


 だが、十分だ。


 この場で必要なのは、ミアを守ること。

 そして、バスクの思い通りに“話を終わらせない”ことだ。


「少なくとも、ミアを犯人扱いするのは早すぎる」


 俺ははっきり言った。


「本当に調べるなら、北倉庫の出入り、鍵の管理、物資の帳簿、全部を見直すべきだよ。……違う?」


 人垣の中から、小さな同意のざわめきが起きる。


「た、たしかに……」

「これでミアだけ処分は……」

「帳簿も見ないと……」


 流れが変わった。


 バスクはそれを感じ取ったのだろう。そこで初めて、少しだけ唇の端を引き結んだ。


「……承知いたしました。リオン様がそうおっしゃるのであれば、ミアの処分はひとまず保留といたしましょう。改めて調査を――」


「いや」


 俺は遮った。


「調査は父上の前でやるべきだ。ハル家の物資管理の話なんだから、勝手に片づけないで」


 今度こそ、バスクの目がわずかに細くなった。


 周囲の使用人たちも、兵たちも、その変化を見逃さなかったはずだ。


 この男は今まで、こうやって全部を自分の裁量で処理してきたのだ。


 だが、今日は違う。


 俺がそれを止めた。


「……かしこまりました、リオン様」


 バスクは頭を下げた。


 恭しく。実に見事に。


 だが、その視界の端に浮かぶ文字は、まるで別のことを語っていた。


 《敵意:上昇》

 《排除優先度:中》

 《次の手を検討中》


 やっと本性を見せ始めたか。


 ミアが小さく震える声で言った。


「リオン様……ありがとうございます……」


「まだ終わってないよ」


 俺は小さく返した。


「でも、少なくとも今日は終わらせない」


 それだけで、ミアは泣きそうな顔のまま何度も頷いた。


 人垣が少しずつ散っていく。


 完全勝利ではない。

 バスクはまだ立っているし、こちらは奴の不正の一端を見たにすぎない。


 だが、意味はあった。


 今日この場で、この家の中に敵がいると示せた。

 そしてミアを、最初の犠牲者にさせずに済んだ。


 その時だった。


 廊下の奥から、咳き込む声が聞こえた。


 父だ。


 侍女に肩を貸されながら、ガルドがゆっくり歩いてくる。その後ろに、薬盆を持った侍医が続いていた。


 俺は何気なく父へ視線を向けた。


 次の瞬間、視界に新たな文字が浮かぶ。


 《身体衰弱》

 《毒性反応:微量継続》

 《投薬経路を要確認》


 心臓が一拍、遅れた。


 ――毒?


 父はただ病で弱っているんじゃないのか。


 俺は無意識のうちに、侍医の持つ薬盆へ視線を向ける。


 そこにも文字が浮かんだ。


 《通常薬効》

 《混入痕跡の可能性》

 《継続摂取で衰弱進行》


 ぞっとした。


 倉庫の横流しだけじゃない。


 この家は、もっと深いところまで食われている。


 父が弱々しく俺を見る。


「……リオン?」


 俺はすぐに表情を消した。


「なんでもありません、父上」


 そう答えながら、拳を強く握る。


 見えた。


 また一つ、綻びが。


 なら、今度こそ見逃さない。


 北倉庫の不正。

 濡れ衣。

 そして父の衰弱。


 全部つながっているのなら、もう遠慮はいらない。


 俺は静かに、薬盆から目を離さなかった。

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