第56話 王都での支度
王都の城壁をくぐった時、最初に思ったのは「やっぱり人が多いな」だった。
これからここで準備をして、学院へ入る。
しばらくの間、この街を生活の拠点として見ることになる。
そう思って眺める王都は、以前よりずっと細かく目に入った。
人の流れ。
店の並び。
荷車の多さ。
通りごとに違う空気。
王都は大きい。
でも、大きいだけじゃない。
いろんなものが詰まっている。
◇
門を抜けてしばらく進んだところで、隊列が分かれた。
セレナと侍女、そして公爵家の護衛二人は、そのまま王都の公爵邸へ向かう。
冒険者三人組も、ここで依頼はひとまず終了だった。
道中の魔物騒ぎがあったせいか、別れ際の空気は少しだけ前より柔らかい。
槍の冒険者がこちらを見て言った。
「王都の中なら、さすがにもう大きな護衛はいらんだろうが、気をつけろよ」
「はい。道中、助かりました」
「助けられたのはこっちもだ」
双剣の男が、少しだけ苦笑する。
三人が去っていくのを見送りながら、俺は小さく息を吐く。
短い旅だったが、道中の危険を越えて一緒に王都まで来たとなると、ただの雇われ護衛という感じでもなくなる。
「じゃあ、私たちもここで」
セレナが言った。
彼女はいつものようにきちんとしている。
でも、道中ずっと同じ馬車に乗ってきたせいか、別れの言葉がいかにも事務的という感じではなかった。
「うん。そっちは公爵邸だよね」
「ええ。あなたは宿でしょう?」
「そう。入寮までの間だけだけど」
セレナは少しだけ間を置いてから言う。
「入学式の当日、時間には遅れないでよ」
「いきなりそこ?」
「大事なことでしょ」
「まあ、そうだけど」
「それと――」
そこでほんの少しだけ言葉を選ぶようにしてから、彼女は続けた。
「何か足りないものがあったら、無理しないで言いなさい。王都は見栄を張ると面倒な街だから」
その言い方が、いかにもセレナらしかった。
「わかった」
「ならいいわ」
素っ気なく見えるけど、たぶんこれでも十分気を回している方なのだろう。
ミアが横で丁寧に頭を下げる。
「道中、ありがとうございました」
セレナ付きの侍女も礼を返し、そこで自然に一行は分かれた。
公爵家の馬車が王都邸の方へ向かっていく。
それを見送りながら、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
◇
俺たちが向かった宿は、王立学院へも行きやすく、公爵邸からも離れすぎていない場所にあった。
表通りに面した、木と石でできた三階建ての宿。
豪華すぎるわけではない。
でも、入口も廊下もきちんと掃除が行き届いていて、客層も悪くなさそうだ。
宿主は、公爵家の紹介だとわかると態度をすっと整えた。
「お待ちしておりました。二部屋、ご用意しております」
その言葉に、ミアがほんの少しだけ目を瞬かせる。
二部屋。
つまり、俺の部屋とミアの部屋が分かれている。
当然といえば当然だ。
でも、昔のハル領なら、こうはいかなかっただろう。
ミアも同じことを考えたらしく、小さな声で言った。
「……少し前なら、こういう宿に二部屋なんて、考えられませんでしたね」
「うん」
俺も短く頷く。
別に贅沢をしたいわけじゃない。
でも、こういうところで「以前より少しまともになった」という実感が来る。
宿の部屋は、どちらも広すぎず狭すぎずだった。
机があり、衣装棚があり、窓からは王都の通りの一部が見える。
ミアは荷を置くなり、すぐに動き始めた。
「リオン様、まず今日のうちに宿の周辺と、学院までの大まかな道だけ確認しておきたいです」
「うん。あと、制服の採寸の予定もだね」
こういう時のミアは本当に頼りになる。
道中では少し怯えていたが、宿に入るころにはいつもの調子に戻っていた。
◇
王都での日々は、思っていたより忙しかった。
まず制服の採寸。
学院指定の仕立て屋には、同じような年頃の子どもや、その家の者らしき人たちが何人も来ていた。
貴族らしい者もいれば、裕福な商家らしい者もいる。
王立学院へ入る人間は、やはりそれなりに多いのだと実感する。
「肩幅、もう少し上ですね」
仕立て屋が布を当てながら言う。
「成長も見越して、少しだけ余裕を持たせます」
「お願いします」
鏡の前に立ちながら、俺は何とも言えない気持ちになった。
制服を作る。
教材を揃える。
寮へ入る。
こういう一つ一つが、いよいよ学院が現実になる感じを強くしていく。
教材もまた、なかなかの量だった。
本。
ノート。
地図。
計算板。
魔法理論の初級教材。
「教材は学院の入寮する予定の部屋へ送る様に手配します。」
全部を抱えて宿へ戻るわけにもいかないので、ミアの気遣いはありがたい。
ミアは帳面を見ながら、ひとつずつ確認していく。
「これで主要なものは揃いました。あとは細かい文具と、入寮後すぐ使う日用品ですね」
「王都って、金が飛ぶのが早いね」
「そうですね……」
ミアも少し苦笑した。
「でも、必要なものを必要な時に揃えられるだけ、今はだいぶましです」
その通りだった。
金がかかる。
でも、払えないわけじゃない。
それだけでも、今のハル領が少しずつ前に進んでいる証拠だ。
◇
準備の合間、俺は王都近郊で受けられる簡単な冒険者依頼もいくつかこなした。
王都の冒険者ギルドは、ハル領のそれよりずっと大きくて整理されている。
依頼の種類も細かく分かれていた。
薬草採取。
街道近くの害獣まがいの弱小魔物の討伐。
農地周辺の見回り。
荷運び補助。
どれも危険は低い。
でも、そのぶん管理が行き届いている感じがした。
「王都近郊は、依頼の切り分けが上手いんだな」
掲示板を見ながら俺がそう言うと、受付の男が答える。
「中心に近いほど、危険は早めに潰しますからね。大きな問題に育てない方が得なんですよ」
なるほど。
それはそれで、すごく王都らしい考え方だ。
大きな魔物討伐のような派手さはない。
でも、街の近くを“安全なまま保つ”ための細かい仕事がきちんとある。
薬草採取の依頼で王都郊外の草地へ出た日は、風がよく抜けて気持ちがよかった。
ミアは採取依頼にはついてこず宿で待っていたが、戻るとすぐに成果を確かめる。
「これはちゃんと指定されたものですか?」
「たぶん」
「たぶん、は駄目です」
「……大丈夫。たぶんじゃなくて合ってる」
そんなやり取りを何度か繰り返すうちに、王都での仮住まいにも少しずつ慣れていった。
朝、宿の食堂で食事を取る。
その日の予定を確認する。
仕立て屋へ行く。
ギルドへ寄る。
教材を揃える。
夕方には宿へ戻る。
公爵家の庇護の外側で、自分で動いて準備をしている感じが、思ったより悪くなかった。
◇
前々日、俺たちは王立学院の寮へ入った。
宿屋での仮住まいはこれで終わりだ。
寮は、以前見た時よりもずっと“住む場所”として目に入ってきた。
廊下。
部屋割り。
共有の水場。
規則の張り紙。
生活の音。
ミアが手配してくれた教材も無事に届いている。
入試の時にはただ通り過ぎたような場所が、今はこれから毎日使う場所になる。
案内役の学院職員が淡々と説明していく。
「消灯はこの時間。外出の届けはここ。寮内での私物管理は自己責任です」
ミアは寮には入れないので入寮後はハル領へ戻ることになる。
入寮の日を境に、生活はまた少し変わる。
部屋に荷を運び終えたあと、ミアはいつも通りきちんと立っていたが、その顔には少しだけ寂しさが出ていた。
「ここから先は、しばらく毎日お世話できないんですね」
「まあ、完全に会えなくなるわけじゃないけどね」
「それでもです」
そう言いながら、彼女は最後に机の上と衣装棚を整えた。
「必要なものはすぐわかるようにしておきました。足りないものが出たら、遠慮なく知らせてください」
「うん。ありがとう」
そう言うと、ミアは小さく頭を下げた。
「リオン様なら大丈夫だと思います。でも……無理はしないでください」
「そこまで信用されてる感じでもないね」
「半分は信用です」
「残り半分は?」
「心配です」
それには、少しだけ笑ってしまった。
◇
そして、入学式の前日。
制服は整っていた。
教材も揃っている。
部屋の中も、最低限はもう生活できる形になっている。
窓の外では、夕方の光が王都の屋根を薄く染めていた。
ここへ来るまでに、公爵領で学んだこと。
王都へ来てからの支度。
道中の魔物。
宿屋での仮住まい。
冒険者依頼。
入寮。
一つずつは小さくても、積み重なるとちゃんと「ここまで来た」という感覚になる。
机の上に置いた制服へ目をやる。
明日からは、王立学院の生徒だ。
「……明日は入学式か」
小さく呟く。
部屋の中には、もう俺一人しかいない。
静かな夜だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
続きが気になったら、ブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




