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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第5章 ヴァレスト公爵領

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第55話 旅路の一閃

 公爵領を発ってから、三日ほどが過ぎていた。


 道中はおおむね順調だった。

 公爵家の馬車は頑丈で揺れも少なく、街道沿いの宿場町も、さすが王都へ通じる道だけあってそれなりに整っている。


 ただ、旅は旅だ。

 朝早くに発ち、昼に短く休み、日が傾く前には次の宿場か休憩地を目指す。

 城の中にいた時みたいな気楽さはない。


 馬車の中では、向かいにセレナ、その隣に彼女付きの侍女。

 俺の隣にはミアが座っている。


 外には、公爵家の護衛二人が騎乗で並走し、少し後ろには三人組の冒険者が乗る別馬車が続いていた。


 公爵家の用意した隊列だけあって、見た目にもかなりしっかりしている。

 これなら、よほどのことがない限りは問題ない――本来なら、そう思ってよかったはずだった。


 ◇


 その日の昼過ぎ、馬車は少しずつ人気の薄い地帯へ入っていた。


 左右の景色は、背の低い林と起伏のある草地が続いている。

 街道そのものは整備されているが、周囲には人の気配が少ない。


 護衛の一人が馬を寄せて、御者へ短く声をかけるのが聞こえた。


「この先は少し警戒を」


 それだけで、馬車の中の空気がほんの少し変わる。


「魔物が出やすい場所なんですか?」


 ミアが小声で聞くと、セレナ付きの侍女が外の気配をうかがいながら答えた。


「街道沿いなので滅多なことはありませんが、周囲に林が多い地帯は、どうしても出る時があります」


 セレナは窓の外へ目を向けたまま言う。


「公爵領の中でも、ここは少し厄介な場所よ。群れが流れてくることがあるって聞いたことがある」


「群れ?」


「縄張りが崩れた時とか、餌場が変わった時とか。普段なら街道まで寄ってこない魔物が、たまに押し出されるみたいに出てくるの」


 なるほど。


 ただ一匹、二匹じゃない可能性がある、ということか。


 そう思った矢先だった。


 前方で、馬が短くいななく。


 次の瞬間、馬車が急に止まった。


「きゃっ」


 ミアが小さく声を上げ、俺はとっさに手をついて身体を支える。


 外から、護衛の鋭い声が飛んだ。


「止まれ! 前方、魔物!」


 ◇


 馬車の扉が開かれるより早く、外ではもう動きが始まっていた。


 俺たちを乗せた馬車の前方、街道脇の林から、四足の魔物が次々に飛び出してくる。

 犬に似ているが、身体は一回り大きく、肩のあたりに硬そうな毛が逆立っている。

 目が赤い。

 数は――多い。


 六。

 いや、奥にもう二匹。


「街道沿いでこれは……!」


 護衛の一人が低く舌打ちする。


 もう一人はすでに剣を抜いていた。

 後ろの冒険者馬車も止まり、三人組が飛び降りてくる。


 一人は大剣。

 一人は短槍。

 そしてもう一人は双剣だ。


「数が多いな!」


「馬車から離すぞ!」


 判断が早い。


 護衛二人が前へ出て、冒険者たちが左右へ散る。

 道を塞がせず、馬車へ近づけさせないように動いているのがすぐにわかった。


 訓練されている。

 連携も悪くない。


 最初の一匹が飛びかかる。

 護衛の剣が斜めに閃き、肩口を深く裂いた。

 すぐ横では槍の冒険者が二匹の進路をずらし、双剣の男が懐へ潜って喉元を裂く。


 速い。

 さすがに場数が違う。


 けれど、数が多い。


 しかも街道脇の林が近いせいで、視界の外からもう一匹、もう一匹と出てくる感じがあった。


 俺は馬車の扉の陰から外を見ながら、魔物の動きを追う。


 視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。


 《個体数:八》

 《脅威:中》

 《包囲傾向:あり》

 《綻び:一体、右後方より接近》


 右後方。


 瞬間、背筋が冷えた。


 冒険者の双剣使いが前の一匹を仕留めた、そのすぐ後ろ。

 林の影から、もう一匹が低く身を沈めていた。


 気づいていない。


 護衛は前方に押し出されている。

 槍の男も別の個体を受けている。

 双剣の男の背中だけが、ほんの一瞬空いた。


「後ろ――!」


 叫ぶより早く、身体が動いていた。


 右手を出す。

 火を集める。

 そこへ風を細く、鋭く、逃がさないように重ねる。


 大きくはいらない。

 散らせば間に合わない。

 点だ。

 細く、真っ直ぐ。


 次の瞬間、指先から赤白い線が走った。


 火球じゃない。

 炎の塊でもない。


 細い。

 だが、一直線に伸びたそれは、空気を焼きながら魔物の眉間へ吸い込まれた。


 ぱし、と乾いた音がした。


 飛びかかった魔物の頭が後ろへ跳ね、そのまま地面へ叩きつけられる。


 一瞬だけ、戦場が止まった。


「……は?」


 冒険者の男が、振り返りながら間の抜けた声を漏らす。


 護衛も、槍の冒険者も、一瞬だけこちらを見た。

 その隙を作るほどではない。

 だが、明らかに動揺は走った。


 今の一撃で流れが崩れたのは、むしろ魔物の側だった。


「今だ、押し返せ!」


 護衛の一人がすぐに叫ぶ。


 そこから先は早かった。


 前に出ていた護衛が残りを切り崩し、槍の男が足を止め、双剣の冒険者が今度こそ確実に首筋へ刃を入れる。


 二匹が逃げようと林へ身をひるがえしたが、その一匹は護衛の投げた短槍で止まり、もう一匹も冒険者の大剣で叩き伏せられた。


 静かになった時には、街道の上に魔物の死体がいくつか転がっていた。


 血の匂い。

 焼けた匂い。

 土の匂い。


 心臓が、少し遅れて強く鳴る。


 ◇


「今のは何だ……?」


 最初にそう言ったのは、背後を救われた双剣の冒険者だった。


 息を整えながら、こっちを見ている。


 俺はまだ馬車のそばに立ったままだった。

 手の先に、じわりと熱が残っている。


 護衛の一人が、倒れた魔物と俺を見比べる。


「火魔法……いや、違うな。あんな魔法は見たことがない」


 もう一人も眉を寄せた。


「風を重ねたのか?」


 そこまで見えるのか。

 さすがに経験がある。


 セレナが馬車から半身を乗り出し、少し目を見開いていた。


「今の、あなたが?」


「……うん」


 自分で撃っておいて何だが、あまり長く説明する気にはなれなかった。


 双剣の冒険者が近づいてきて、真面目な顔で頭を下げる。


「助かった。あのままだったら、やられていたぞ」


「間に合ってよかったです」


「よくあの一瞬で撃てたな」


 それには答えに少し困る。


 見えたからだ。

 綻びの目で。

 でも、それをそのまま言うわけにもいかない。


「たまたまですよ」


 そう言うと、冒険者の男は一瞬だけ黙って、それから苦笑した。


「たまたまで済ませる威力じゃなかったぞ」


 護衛の一人が周囲を警戒しながら言う。


「まだ寄ってくる可能性があります。ここで長く止まるのは危険です」


「死体の確認だけして動こう」


 隊列はすぐに立て直された。


 そこもさすがだった。


 ◇


 その日の夕方、俺たちは予定していた宿場町へ入った。


 街道沿いのやや大きめの町で、宿や飲食なども整っている。

 宿の近くの厩に馬を預け、荷を運び込み、ようやく本当に一息ついた時には、

身体の奥に残っていた緊張がどっと抜けた。


 食堂の隅で遅い食事を取っていると、槍の冒険者がこちらへ来た。


 三人組の中では一番年長に見える男だ。


「昼の件、礼を言っておく」


「全員無事にここまでたどり着けてよかったです」


「普通の火魔法なら、火球で吹き飛ばす。だが、お前さんのは違ったな」


 彼はそこで少しだけ間を置いた。


「細いのに、妙に速い」


「……そうかも」


「学院へ入る前の子どもが使う魔法には見えん」


 率直だな、と思う。


 でも、嫌な感じはしなかった。


 セレナが横から静かに口を挟む。


「もともと、少し変わっているのよ」


「どこが変なんだよ」


 思わずそう返すと、セレナは肩をすくめた。


「少しじゃなくて、かなり、かもしれないわね」


 ミアはというと、まだ少し青い顔のまま湯気の立つ茶を両手で持っている。


「こ、怖かったです……」


「うん」


「でも、リオン様が撃った時、もっと怖かったです」


「え?」


「細かったのに、こう……一瞬で、すっと……」


 言いたいことはわかる。

 ルークがここにいれば絶対に騒いでいただろうな、と少しだけ思った。


 ◇


 そこから先の旅は、最初の数日よりも慎重になった。


 宿場町をいくつか経由しながら、隊列は街道を進む。

 大きな襲撃はもうなかったが、護衛も冒険者も以前より周囲をよく見ていた。


 あの地帯で、あれだけまとまった魔物が街道へ出てきたのは珍しい。


 馬車の中で、セレナがぽつりと言った。


「護衛が厚くて正解だったわね」


「うん」


「父上、やっぱり用心深いのよ」


「公爵家だしね」


「それだけじゃないわ」


 そう言ってから、彼女は少しだけ目を伏せた。


「たぶん、あなたがいるからでもあると思う」


 それがどういう意味なのか、少しだけ考える。

 でも今は、そこを言葉にする必要もなかった。


 ◇


 さらに二日ほど進んだ昼過ぎだった。


 街道が緩やかな丘を越えた、その先で、御者が小さく声を上げた。


「見えてきました」


 窓の外へ目を向ける。


 遠い。

 だが、確かに見えた。


 地平の向こうに、長く伸びる灰白色の線。

 その内側に、いくつもの塔。

 陽を受けて鈍く光る巨大な城壁。


「……王都」


 小さく呟くと、ミアが息を呑んだ。


「大きい……」


 セレナも、窓の外を見たまま言う。


「ええ。何度か来ていても、やっぱりそう思うわ」


 たしかに大きい。

 公爵領の城下町ともまた違う、国の中心の大きさだ。


 旅路の中で、危険もあった。

 魔物も出た。

 思っていたより早く、自分の魔法を命に関わる場面で使うことにもなった。


 でも、その全部を越えた先に、ようやく王都が見えている。


 馬車はそのまま街道を進んでいく。


 巨大な城壁が、少しずつ大きくなる。


 学院。

 新しい生活。

 新しい人間関係。


 胸の奥で、何かが静かに切り替わるのがわかった。


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