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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第5章 ヴァレスト公爵領

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第54話 公爵領で残したもの

 公爵領を発つまで、あと十日ほど。


 短いと思う気持ちと、思っていたより長くいられたのだという気持ちが同時にきた。


 公爵領へ来たばかりの頃は、ただ大きさに圧倒されていた。

 人の多さ。

 物の流れ。

 城の威圧感。

 城下町の賑わい。


 でも今は違う。


 ただ見上げるだけの場所じゃない。

 ここは、学び、考え、少しだけ手を入れ、その手応えを持ち帰る場所になっていた。


 朝は領軍の訓練に混ざりルークと剣。

 昼まではセレナと勉強。

 午後は鋳造の試作立ち合いか、ユリウスか筆頭執事について公爵領の運営を見る。


 気が付けばあっという間に十日間が過ぎていた。


 ◇

 

「最初よりは、ずっとましだよ」


 木剣を肩に担いだルークが、珍しく素直にそう言った。


「ほんとに?」


「うん。前は“剣を持ってるだけ”って感じだったけど、今はちゃんと“剣術をやろう”という感じかな」


「褒めてるようで、微妙にひどいな」


「だって本当だし」


 朝の訓練場には、いつものように冷たい空気が残っていた。


 三週間を過ぎ、さらに十日近く積み重ねた今でも、俺は剣が得意とはまったく言えない。

 ただ、それでも最初の頃よりは少しだけ身体が言うことを聞くようにはなった。


 構え。

 足運び。

 受ける時の力の逃がし方。


 どれもまだぎこちない。

 でも、まったくわからない状態ではもうなかった。


 教官も、以前ほど厳しい顔はしなくなっていた。


「今日はそこまで崩れていません」


「“そこまで”が気になります」


「昨日よりは良い、という意味です」


「慰めが下手ですね」


「剣は急に上手くなりませんので」


 相変わらず、身も蓋もない。

 でも、その言い方は嫌いじゃなかった。


 隣ではルークが、きちんと形のある打ち込みを返している。

 年齢を思えばかなりいい。

 そして何より、本人がそれを当然だと思っていないのがいい。


 剣のあとも、馬に乗り、兵たちと短く言葉を交わし、訓練の意味を聞いている。

 この大きな領をいずれ率いるつもりでいるからこそ、目の前のことを雑にしない。


 そこはやっぱり、素直にすごいと思った。


「リオン、王都へ行っても剣はやる?」


「たぶん少しは」


「よかった。やめたらもったいない」


「そんなに上手くなってないけど」


「でも、前より戦えなさそうな感じは減ったよ」


 戦えなさそうな感じ、という言い方はどうなんだと思ったが、否定もしにくい。


 それでも、少しだけ笑ってしまった。


 ◇


 鍛冶場の一角を借りて始めた鋳造の試みも、この十日で少しだけ前へ進んだ。


 もちろん、大きなものはまだ無理だ。


 剣も鎧も、いきなりどうにかなる話じゃない。

 でも、小さな留め具や環、単純な金具なら、型の改良でかなり安定して同じ形が取れるようになってきていた。


 最初は半信半疑だった職人たちも、今では露骨に見る目が変わっている。


「坊ちゃん、昨日の型、あっちに置いといたぞ」


「流し口の角度、少し変えてみた。こっちの方が回りがいいかもしれん」


「この大きさなら、二つ取りもいけるんじゃねえか?」


 そんな声が普通に飛んでくる。


 親方も、もう最初みたいに渋い顔ばかりはしない。


「全部これに変える気はねえ」


「わかってます」


「だが、同じもんを数欲しい時には使える」


「はい」


「軍の留め具なら、試験的に回してみてもいい」


 その一言が出た時、鍛冶場の空気はまた少し変わった。


 遊びではない。

 試しでも終わらない。

 仕事になるかもしれない。


 そう思った瞬間の職人たちの目の熱は、炉の熱よりずっとわかりやすかった。


 俺は手の中の小さな金具を見ながら思う。


 今はまだ、本当に小さい。

 でも、同じ形を揃えて何個も作れるというだけで、工房の景色は少しずつ変わる。


 鍛冶を消すんじゃない。

 鍛冶の腕を、もっと難しい場所に回せるようにする。


 それが、この一角で始まったことだった。


 ◇


 セレナとの勉強も、最初の頃よりずっと自然になっていた。


 相変わらず、彼女はきっちりしている。

 本もノートも整っているし、わからないところを曖昧にしたまま進まない。


 でも、前ほど無駄に突っかかってこなくなった。


「ここ、どう思う?」


 そう言って彼女が指したのは、王国の地方統治と徴税の仕組みに関する記述だった。


「この条文自体はわかるんだけど、実際の現場で運用すると、どこから崩れやすいのかが知りたいの」


「崩れやすいのは、たぶん全部を綺麗にまとめようとした時かな」


「またそれ?」


「またそれ」


 そう返すと、セレナは少しだけ笑った。


 公爵領の件があってから、彼女も“綺麗な報告”の危うさには少し敏感になったらしい。


「でも、あなたの言うことはわかるわ」


「珍しいね」


「失礼ね」


 彼女は本を閉じ、こちらを見る。


「あなたって、答えを覚えるのはもちろん速いけど、それより“どこが崩れるか”を見るのが上手いのよ」


「そうかな」


「そうよ。だから腹が立つことも多いの」


「褒めてるのか怒ってるのか、どっち?」


「両方」


 そこは即答だった。


 でもそのあと、セレナは少しだけ目を伏せる。


「……王都へ行ってからも、今みたいに話せるといいわね」


「学院でってこと?」


「そう」


 たぶん、それは彼女なりにかなり素直な言い方だった。


「話せると思うよ」


 そう答えると、セレナはわずかに肩の力を抜いた。


「ならいいわ」


 それだけ言って、また本を開く。


 でも、その声は前より少しだけ柔らかかった。


 ◇


 午後は、相変わらず公爵領の運営について学ぶ時間だった。


 執務区画。

 工房。

 街道。

 倉。

 城下町。

 各所の報告がどう上がり、どこで人と物と金が交わるのか。


 この十日で、前よりはっきり見えるようになったことがある。


 大きい領地は、豊かだから強いんじゃない。

 ちゃんとまわる仕組みがあるから強いのだ。


 ハル領ではまだ小さくて見えにくいものが、ここでは形になって並んでいる。


 ユリウスは、そういうものを見せる時、決して急がせなかった。


「全部を覚える必要はないよ」


 街道沿いの積み替え所を見た日、ユリウスはそう言った。


「でも、どこが“詰まりやすいか”だけは、見ておくといい」


「流れの太いところほど、少しの詰まりが響くからですか」


「そうだ」


 やっぱりこの人は、物事の見方が近い。


 だから話が早いし、学ぶ方としてもありがたい。


 いずれハル領へ戻った時、俺も同じことを考えないといけない。


 ◇


 公爵領を発つ前日夕方、ユリウスに呼ばれて執務室へ向かうと、そこにはクラリス夫人とセレナ、ルークまで揃っていた。


 ユリウスが穏やかに口を開いた。

「明日はいよいよ、王都へ向かう日だ」



 王立学院の入学式までは、まだひと月ある。

 だが、制服、教材、寮、諸々の手続きがある以上、その少し前には入っておく必要がある。


「君とセレナは、先に王都へ入って準備を進めることになる」


「はい」


 セレナも静かに頷く。


「私は入学式の少し前に王都へ向かう予定だ」


 ユリウスはそう続けた。


 つまり、公爵本人は後から来る。

 その前に、俺たちが先に動く形だ。


「移動の人員は、すでに整えさせた」


 筆頭執事が一歩前へ出る。


「公爵家の馬車には、リオン様とミア殿、セレナ様と侍女が乗ります」


 ミアが、少し緊張したように姿勢を正した。


「護衛二名は騎乗で随行。加えて、護衛として雇った三人組の冒険者が一隊、別の馬車で同行します」


 三人組の冒険者。

 おそらく王都までの道中を考えた上での補強だろう。


「随分しっかりしてますね」


 そう言うと、ユリウスは小さく笑った。


「学院へ入る前に何かあっては困るからね。備えは厚い方がいい」


 たしかにその通りだ。


 ルークが少ししょんぼりした顔をする。


「もう行っちゃうのか」


「まあ、ずっといるわけにもいかないし」


「わかってるけどさ」


 その顔は少し可愛かったが、こっちも笑ってばかりはいられない。


 ここで過ごした時間は短かった。

 でも、思ったよりずっと濃かった。


 クラリス夫人がやわらかく言う。


「王都へ入ってからも、何か足りないものがあればすぐ知らせなさい」


「ありがとうございます」


「セレナのことも、よろしくね」


 その言い方に、横でセレナがわずかに眉を寄せた。


「母上」


「だって本当でしょう?」


 セレナは何も言い返さず、少しだけ視線を逸らした。


 ◇


 出発の前夜、鍛冶場へ顔を出すと、親方が腕を組んだままこちらを見た。


「もう王都へ行くんだってな」


「はい」


「中途半端なとこで面白いものだけ置いていきやがる」


「すみません」


「褒めてるんだよ」


 そう言って、親方は机の上の小さな留め具を指で弾いた。


「こっちはこっちで、やれるところまでやってみる。

 お前さんがまた来るまでに、もう少しましな型にしといてやる」


「お願いします」


「次に来る時は、もう少し厄介な注文を持って来そうだがな」


「それはたぶん」


「たぶんじゃねえ。絶対だ」


 その言い方に、思わず少し笑ってしまった。


 鍛冶場の一角に残った型と、小さな試作品を見る。


 大したものじゃない。

 でも、ここに置いていくのは部品だけじゃない。


 これまでになかった鋳造の考え方だ。

 それが伝わったなら、十分だった。


 ◇


 出発の朝は、よく晴れていた。


 公爵家の前庭に、用意された馬車が二台並ぶ。


 一つは公爵家の紋章を入れた立派な馬車。

 そこに乗るのは、俺とミア、それからセレナと彼女付きの侍女だ。


 別に用意された馬車には、護衛として雇われた三人組の冒険者たちが乗る。

 そして公爵家の護衛二名は騎乗で同行する。


 思っていた以上に、しっかりした隊列だった。


「ずいぶん大人数になったね」


 俺が言うと、ミアが小さく頷く。


「公爵家ですから……」


 それはそうか。


 前庭には、見送りの顔ぶれが揃っていた。


 クラリス夫人。

 ルーク。

 ユリウス。

 使用人たちも少し離れて並んでいる。


 セレナはもう馬車のそばに立っていた。

 いつも通りきちんとしているが、まったく緊張していないわけではなさそうだ。


 ルークが駆け寄ってくる。


「王都行っても、剣やめるないでね、せっかく少しましになったんだから」


「少し、ね」


「うん、少し」


 最後まで容赦がない。


 でも、そのあとルークは少し真面目な顔になった。


「また戻ってきたら、今度はもっと強くなってるから」


「こっちも、何かしらは成長してると思うよ」


「剣で?」


「……それ以外も含めて」


 そこで二人とも少し笑った。


 クラリス夫人は俺とセレナを順に見て、やわらかく言う。


「体に気をつけてね。」


「はい」


「母上、子どもじゃないんだから」


「そう言う子ほど心配なのよ」


 セレナは小さく息を吐いていたが、完全に嫌そうではなかった。


 そして最後に、ユリウスがこちらへ歩いてくる。


「短い滞在だったけれど、君にはずいぶん領の中を見てもらった」


「こっちこそ、学ばせてもらいました」


「ならよかった」


 そのやわらかい声のあとで、彼は少しだけ真面目な目になった。


「王都へ入ったら、まずは学院の準備だ。

 だが、それだけで終わらず、見られるものは見ておくといい。王都は王都で、また別の学びがある」


「はい」


「君なら、そこからも何か持ち帰るだろう」


 そう言われると、少しだけ背筋が伸びる。


 期待されるのは、重い。

 でも嫌じゃない。


「入学式の前には、私も王都へ行く」


 ユリウスが続けた。


「その時にまた会おう」


「はい」


 それで十分だった。


 ◇


 馬車へ乗り込む。


 向かいにはセレナ。

 隣にはミア。

 セレナの侍女は控えめに座り直し、外では護衛が馬を整えている気配がする。


 ゆっくりと馬車が動き出した。


 白い城。

 整った前庭。

 見送りの人影。

 少しずつ遠ざかっていく。


 公爵領では、たくさんのものを見た。


 人。

 もの。

 金。

 軍。

 工房。

 報告の流れ。

 大きな領地の強さと、そこにある綻び。


 そして、鋳物。


 ほんのわずかな試作に過ぎない。

 でも、あれは確かに残してきたものだった。


 セレナが窓の外を見たまま言う。


「少し静かね」


「うん」


「ルークがいないと、朝からずっと騒がしくならないもの」


「寂しい?」


 そう聞くと、セレナはすぐには答えなかった。


 それから少しだけ、口元を緩める。


「少しだけ」


 その返事が、妙に印象に残った。


 馬車は公爵領の門を抜け、王都への街道へ乗る。


 これから先は、王都だ。

 学院だ。

 新しい人間関係と、新しい流れが待っている。


 でも、不思議と不安ばかりではなかった。


 公爵領で過ごした日々は、ただ圧倒されるための時間じゃなかった。

 ちゃんと吸収して、少しだけ残して、次へ進むための時間だった。


 窓の外の景色を見ながら、俺は小さく息を吐いた。


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