第559話 私は何?
お手すきの際に是非!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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「ミラ……?」
馬車から降りてきたのはミラだった。
「リオン」
「なんで?」
思わず、そのまま聞いてしまった。
ミラが少し眉を寄せる。
「なんでって……手紙、読んだよ」
「いや、読んだならなおさらだよ」
「何が?」
「もう少し待ってほしいって書いたよね?」
「書いてあったね」
「じゃあ、なんで来たの?」
「だからだよ」
「え?」
意味が分からない。
ミラは俺の顔をじっと見る。
「想像してたより大変だったって書いてあったから」
「うん」
「今は領地からほとんど離れられないって」
「書いたね」
「だから来たの」
「……」
やっぱり分からない。
「ミラには本当に申し訳ないんだけど」
「何?」
「今は、とてもじゃないけどミラを招けるような状況じゃないんだよ」
屋敷には使用人すらほとんどいない。
領地の財政は厳しい。
政務所も騎士団も立て直している途中だ。
俺自身、毎日どこかを走り回っている。
「せっかく来てくれたのに悪いけど、まともにもてなすこともできないし――」
「分かった」
「え?」
ミラが頷いた。
そして後ろを振り返る。
「ここまでありがとう。荷物を降ろしてください。馬車は戻って大丈夫です」
「……え?」
俺だけじゃない。
御者まで目を丸くした。
「ミラ様?」
「お父様には、しばらくこちらに滞在するって伝えてください。あとで私からも手紙を書くから」
「ちょっと待って」
慌てて口を挟む。
「馬車を帰すの?」
「うん」
「ミラは?」
「私は残るよ」
「いやいやいや」
「何?」
「今、ミラを招けないって話をしてたよね?」
「聞いてたよ」
「だったら――」
「リオン」
「何?」
「私、お客として来たんじゃないよ」
「……え?」
「遊びに来たわけでもないし」
ミラは当たり前のように言う。
「じゃあ、何しに来たの?」
「リオンの手伝い」
「……」
言葉が出なかった。
その横で、ミラと一緒に来た侍女が一歩前へ出る。
「ミラ様。私も残ります」
「え? 私は一人でも大丈夫だよ」
「大丈夫ではございません」
護衛の男もすぐに続いた。
「私も残らせていただきます」
「でも――」
「侯爵令嬢をお一人残して、我々だけ戻ることはできません」
「……分かった」
ミラが少し不満そうに頷いた。
結局、侍女一人と護衛一人だけは残ることになった。
それ以外の者たちは馬車と一緒にハーウェイ領へ戻っていく。
遠ざかる馬車を見ながら、俺はもう一度ミラを見る。
「本当に残るの?」
「うん」
「今の屋敷、本当に何もないよ?」
「寝るところはあるんでしょ?」
「あるけど」
「じゃあ大丈夫」
「そういう問題かな……」
「そういう問題だよ」
迷いがない。
「とりあえず、屋敷へ行こうか」
「うん」
「ピー!」
ピコは嬉しそうに飛び跳ねている。
◇
「……本当に人がいないんだね」
屋敷へ入ったミラが周囲を見る。
「うん」
以前なら、玄関を入れば何人もの使用人がいた。
今はケーラだけだ。
そのケーラも、この広い屋敷すべてに手が回るはずがない。
使っていない部屋は閉めている。
廊下の隅には少し埃も残っている。
庭も綺麗には整えられていない。
「だから言ったでしょ」
「何が?」
「今はミラを呼べる状態じゃないって」
「……これのこと?」
「これのことって」
「屋敷が少し汚れてること?」
「それだけじゃないけど」
「住めるよね?」
「住めるけど……」
「じゃあ大丈夫だよ」
「……」
本当に気にしていないらしい。
そこへケーラがやってきた。
「男爵様、こちらの方は……」
ミラが一歩前へ出る。
「はじめまして。リオンの婚約者のミラ・ハーウェイです」
「ケーラと申します。現在、男爵様のお屋敷のお世話をさせていただいております」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
互いに挨拶を交わす。
ミラが屋敷の中を見回した。
「今、この屋敷のことはケーラさんがお一人で?」
「はい。できる範囲ではございますが」
「そうなんですね」
ミラが少し驚いた顔をする。
「私の身の回りのことは、こちらの侍女がやります。
ですから、私のことでケーラさんの仕事を増やさなくて大丈夫です」
「ですが、ミラ様は男爵様のご婚約者ですので――」
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です」
ミラが柔らかく笑う。
「今まで通り、リオンのことをお願いします」
「……承知しました」
ケーラが頭を下げた。
そのやり取りを見ながら、胸の奥が少し痛んだ。
俺はケーラに無理をさせている。
昨日だって、余計な仕事を増やしたばかりだ。
ミラは屋敷へ来てすぐに、それに気づいた。
◇
その日の夕食。
テーブルに並んだのは、パンと野菜のスープ。
それに少しの肉。
侯爵家で出てくるような食事とは比べようもない。
「ごめんね」
「何が?」
「普段ミラが食べてるものとは、だいぶ違うでしょ?」
「普通においしいよ?」
ミラがパンをちぎる。
「でもさ」
「何?」
「食事って、何を食べるかも大事だけど、誰と食べるかも大事だと思わない?」
「誰と?」
ミラが俺を見る。
「うん。私はリオンと食べるなら、これで十分おいしいよ」
「……」
「私はそう思うよ」
「そっか」
「うん」
何でもないことのようにスープを飲む。
でも、俺はすぐに次の一口を食べられなかった。
「何?」
「いや……なんでもない」
「変なの」
ミラが笑った。
「ところで、リオン」
「何?」
「毎日何してるの?」
「毎日?」
「領地で」
「朝は政務所。午後は領内を見ることが多いかな。夜は書類」
「毎日?」
「うん」
「休みは?」
「まだ取ってないかな」
「……」
ミラの手が止まった。
「何?」
「やっぱり」
「何が?」
「無理してる」
「してないよ」
「してるよ」
「今はやることが多いから」
「何してるの?」
聞かれたので、一つずつ話した。
政務所の人員を減らしたこと。
無駄な仕事をなくし、働き方を変えていること。
騎士団も作り直していること。
農業の生産量を増やそうとしていること。
南には大きな湿原があり、米を作れるかもしれないこと。
さらにその先には、ほとんど調べられていないノア山脈があること。
「そんなに?」
「まだあるよ」
「……」
「だから時間が足りないんだ」
ミラはしばらく何も言わなかった。
◇
翌朝。
「私も行く」
「どこに?」
「政務所」
「ミラも?」
「うん。何してるのか見たい」
「……分かった」
こういう時のミラは、言っても聞かない。
◇
政務所へ着く。
ミラを見た文官たちが、明らかに緊張した。
侯爵令嬢。
しかも、俺の婚約者だということも知られている。
「皆さん、突然お邪魔して申し訳ありません。どうか私のことは気にしないでください。
今日は見せてもらうだけなので」
そう言って、ミラは俺の少し後ろに座った。
午前中。
いつものように仕事を進める。
そして。
「男爵様」
年配の文官が書類を持ってきた。
「こちらですが、やはり以前の方法へ戻した方がよろしいかと」
「また?」
「長年、この方法で問題なく行ってまいりましたので」
「でも、人が減ったんだから同じやり方じゃ回らないよ」
「しかし――」
「今の方法で何か問題が起きた?」
「それはございませんが……」
「だったら、しばらく続けよう」
「ですが、これまでとは違います」
「だから変えてるんだよ」
「……」
まただ。
何度説明しても、なかなか納得してもらえない。
「分かった。じゃあ――」
「少しいい?」
ミラが口を挟んだ。
「ミラ?」
「うん」
年配の文官を見る。
「ずっとこちらで働いているんですよね?」
「はい。二十四年になります」
「二十四年……長いですね」
「ありがとうございます」
「今まで、ずっと同じ方法で?」
「はい」
「じゃあ、急にやり方が変わったら不安ですよね」
「……はい」
文官の表情が少し変わった。
「そうなのです。これまで問題なくやってきたものを、急に変える必要があるのかと」
「うん」
ミラが頷く。
「でも、今まで通りにはできないことも分かっていますよね?」
「……」
「働いている人も減ったんですよね?」
「はい」
「領地のお金も厳しいって聞きました」
「……はい」
「だったら、変えなきゃいけないところもあると思います」
声は優しい。
でも、言っていることははっきりしている。
「今までやってきたことが全部間違ってたって言ってるわけじゃないと思います」
ミラが俺を見る。
「そうだよね?」
「もちろん」
「でも、今の人数でできるようには変えないといけない」
文官へ視線を戻す。
「二十四年も働いてるなら、私なんかより、この政務所のことをずっと知ってますよね?」
「それは……はい」
「だったら、新しいやり方で困りそうなところを教えてもらえませんか?」
「困りそうなところを?」
「はい。昔のやり方に戻すんじゃなくて、これからどうすればうまくいくのか」
「……」
文官が黙る。
しばらく考えてから、書類へ目を落とした。
「いくつか、気になっている点はございます」
「そうなんですね。それを教えてください」
「……承知しました。整理して参ります」
文官が頭を下げる。
戻っていく背中を見ながら、俺はミラを見る。
「何?」
「いや」
「変なこと言った?」
「言ってない」
むしろ逆だ。
俺と同じことを言っているはずなのに相手の反応が違った。
◇
その後もミラは政務所にいた。
仕事そのものには口を出さない。
でも、文官が不満そうな顔をしていると話を聞いていた。
「新しいやり方で、心配なことってありますか?」
「もしあったら、聞かせてもらえませんか?」
「そこを変えたら、どんな問題が起きそうですか?」
一つずつ聞いていく。
だからといって、全部を受け入れるわけでもない。
「それって、今までそうだったから、以外にも理由はありますか?」
「……ございません」
「だったら、一度新しいやり方で試してみてもいいんじゃないですか?」
柔らかい。
でも、何でも相手に合わせるわけじゃない。
昼を過ぎた頃。
「リオン」
「何?」
「ちょっと分かったかも」
「何が?」
「みんな、変わるのが嫌なだけじゃないと思う」
「そうなの?」
「うん」
ミラが少し声を落とす。
「今までやってきた仕事を『いらない』って言われると、自分までいらないって言われたみたいに感じる人もいるんじゃないかな」
「……」
思い当たる。
俺は何度も、『この仕事はいらない』『これはやめよう』と言ってきた。
俺は仕事の話をしていたつもりだ。
でも。
「そんなつもりはないんだけど」
「うん。分かってるよ」
「でも、そう聞こえる人もいるってこと?」
「たぶんね」
「……難しいな」
「難しいね」
ミラが笑う。
「でも、変える理由までちゃんと分かれば、納得してくれる人も増えると思うよ」
「そっか」
「うん」
そこは俺が足りていなかったところかもしれない。
何をやめるか。
どう変えるか。
そこばかり考えていた。
なぜ変えるのかを、相手がどう受け取るかまでは考えきれていなかった。
◇
夕方。
政務所の人が少なくなった頃。
「リオン」
「何?」
「私、ここなら手伝えるかも」
「政務所を?」
「うん」
「でも、ミラに仕事を任せるわけには――」
「全部やるなんて言ってないよ」
「え?」
「決めるのはリオンでしょ?」
「うん」
「実際の仕事はローレンさんたちがやる」
「そうだね」
「だったら私は、みんなの話を聞いたり、リオンが何をしたいのか説明したりする」
「……」
「それくらいならできると思う」
「でも」
「また?」
「何が?」
「一人でやろうとしてる」
「いや、これは俺の領地だから」
「うん。知ってる」
「だったら――」
「リオン」
ミラが俺を見る。
「私は何?」
「え?」
「私は、リオンの何?」
「……」
なんだ、その質問。
「婚約者……だけど」
「そう」
ミラが少し笑う。
「婚・約・者」
「……」
「だったら、これはリオンだけの問題じゃないんだよ」
「でも、領主は俺だよ」
「うん。領主はリオン」
「でも、だからって一人で全部抱え込まなくていいんだよ」
「……」
「困ってるなら頼ってよ」
「ミラ……」
「私にできることならやるからさ」
「でも――」
「私、何のための婚約者なの?」
「……」
何も言えなくなった。
領主になってから、ずっと考えていた。
俺がやらないと。
俺が決めないと。
俺が何とかしないと。
知らないうちに、そればかり考えるようになっていた。
でも、一人じゃない。
ローレンがいる。
アストンがいる。
ケーラがいる。
そして、目の前にはミラがいる。
胸の奥にずっとあった重いものが、少しだけ軽くなった気がした。
「……ミラがいてくれてよかった」
「え?」
「本当に」
「……」
ミラが少しだけ頬を赤くする。
「今さら?」
「ごめん」
「そこは『ごめん』じゃないでしょ」
そうだよな。
「じゃあ、『ありがとう』かな?」
思わず笑った。
久しぶりに、少しだけ肩の力が抜けた気がする。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「うん」
「政務所のこと」
「任せて、とは言わないよ」
「え?」
「まだ私も分からないことばっかりだから」
ミラが笑う。
「でも、一緒にやろ?」
「……うん」
「リオンは、リオンにしかできないことをやって」
「俺にしかできないこと?」
「あるんでしょ?」
湿原。
農業。
ノア山脈。
まだ調べたいことは山ほどある。
「ある」
「だったら、そっちもちゃんとやって」
「分かった」
ミラを見る。
一人で全部背負わなくていい。
そんな当たり前のことを、忘れていたのかもしれない。
「ありがとう、ミラ」
「うん」
ミラが笑った。
「婚約者だからね」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
この作品の中で一番のファンタジーなのはミラだと思います。




