第558話 休む暇もなく
お手すきの際に是非!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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「ここはまずかったか」
泥のついた床を見る。
その時、廊下から足音が聞こえた。
「今、大きな物音が――」
扉が開く。
ケーラが入ってきた。
「……」
止まった。
俺を見る。
アストンを見る。
それから、馬を見る。
「……」
もう一度、俺を見る。
「ただいま」
「……お帰りなさいませ」
とりあえず挨拶は返してくれた。
でも、明らかに状況を理解できていない。
無理もない。
少し前まで誰もいなかったはずの俺の部屋に、突然、泥だらけの俺とアストン。
そして馬が二頭いる。
一頭が落ち着かなそうに足を動かした。
べちゃ。
また泥が落ちる。
「……」
ケーラの視線がゆっくり床へ向かった。
泥だらけの絨毯。
その先には、蹄で擦れた床。
さらに別の場所にも泥。
「男爵様」
「はい」
「何が起きているのか、ご説明ください」
「……ごめんね」
「謝罪ではなく、ご説明をお願いしております」
「ちょっと事情があって」
「事情、ですか?」
「今はまだ詳しく言えないんだ」
「……」
「本当にごめん」
ケーラが俺を見る。
その後ろで、また馬が動いた。
べちゃ。
「あ」
「……」
ケーラは小さく息を吐いた。
「承知しました」
「怒ってる?」
「それよりも先に」
俺とアストンを見る。
「お二人とも、かなり汚れております」
自分を見る。
確かにひどい。
湿地を歩き回ったせいで、靴だけじゃなく服にも泥がついている。
アストンも同じだ。
「男爵様、すぐにお風呂の支度をしてまいります」
「ありがとう」
「その前に」
「何?」
「馬は外へお願いいたします」
「……はい」
◇
「ほら、こっち」
手綱を引く。
馬がなかなか動かない。
「男爵様。こちらから誘導いたします」
「お願い」
アストンと二人で、なんとか馬を部屋から出す。
今度は屋敷の中をこれ以上汚さないよう、ゆっくり進んだ。
「こっち、こっち」
「ブルルッ!」
「頼むから暴れないでね」
ようやく二頭とも外へ出した。
「……疲れた」
「湿原を歩いた時より疲れた気がいたします」
「俺も」
馬を厩舎へ連れていく。
戻ると、ケーラが廊下に立っていた。
「男爵様」
「何?」
「今後、馬を屋敷の中へお入れになるのは、お控えください」
「……はい」
「お願いいたします」
「分かりました」
それだけ言うと、ケーラは風呂の準備へ向かった。
何も言わなかった。
掃除が大変だとも。
仕事を増やされたとも。
でも、ケーラの状況は理解している。
というか、俺が原因だ。
「……やっちゃったな、俺」
部屋を見る。
泥だらけになった床。
絨毯。
傷までついている。
これを片づけるのはケーラだ。
「……反省しないとな」
「ピー」
「分かってるよ」
人には無駄な仕事を減らせと言っておきながら、自分で無駄な仕事を作ってどうするんだ。
◇
翌朝。
屋敷の裏庭へ出た。
「ここならいいな」
馬が何頭かいても十分な広さがある。
地面も固い。
多少泥が落ちても問題ない。
「ピー?」
「昨日みたいなことにならないようにするんだよ」
魔力を集中させる。
足元へ魔力を流す。
しばらくすると、転移のための魔力印が定着した。
「よし」
これで次から領都へ戻る時は、ここに転移すればいい。
馬を連れていても大丈夫だ。
「最初からこうすればよかったな」
「ピー」
「だから反省してるって」
◇
朝食後、西部政務所へ向かった。
希望退職も終わり、人員整理そのものはほとんど片づいた。
でも。
「ですから、こちらの書類は以前から三名で確認することになっております」
年配の文官が俺の前に立っていた。
「その三人って、何を確認してるの?」
「数字に誤りがないかを」
「全員同じところを?」
「はい」
「前に二人に減らそうって決めたよね?」
「しかし、これまでは三名で行ってまいりましたので」
「それは聞いた」
「でしたら――」
「二人にして何か問題は出た?」
「いえ。今のところは」
「なら、しばらく二人でやろう」
「ですが――」
「問題が出たら戻せばいいから」
「……承知しました」
納得していない顔で文官が出ていく。
「難しいな……」
思わず呟いた。
「何がでしょうか?」
ローレンが聞く。
「人を減らすより、残った人たちの働き方を変える方が大変かもしれない」
「長年続けてきた方法ですので」
「だよね」
机の上にある職員名簿を手に取る。
「ローレン」
「はい」
「今の人、仕事はできる?」
「任された業務は、問題なくこなしております」
「仕事の正確さとか、処理の速さは?」
「そこまで個別に比べたことはございません」
「人によって、仕事が早いとか間違いが少ないとかは?」
「現場では把握している者もいると思いますが、正式に評価する仕組みはございません」
「なるほど……」
名簿を見る。
名前。
年齢。
役職。
勤続年数。
「昇給とか役職は、何を基準に決めてたの?」
「勤続年数と、上役からの推薦が主になります」
「やっぱりか」
これじゃ、誰がどんな働きをしているのか分からない。
前世でも、人を評価するのは難しかった。
営業なら、売上という分かりやすい数字がある。
でも、仕事はそれだけじゃない。
処理が早い人。
ミスが少ない人。
周りを助ける人。
新人を育てるのがうまい人。
そういう人ほど、数字だけを見ていると埋もれることもある。
会社を経営する上で人事制度は絶対に必要なことだ。
採用。
評価。
育成。
別々に見えるけど、本当はつながっている。
どんな仕事をしてもらいたいのかを決める。
どこまでできているかを見る。
足りない部分があれば育てる。
そして、新しく人を採る時には、必要な能力を最初から考えておく。
それが簡単じゃないことも知っている。
ただ、評価の基準が曖昧なら上司に気に入られた人が得をすることもある。
逆に、評価するだけで教えなければ、人はなかなか育たない。
「評価する仕組みを作ろう」
「新たな制度を設けるのですか?」
「うん。でも、面倒なものにはしない」
評価のために大量の書類を書くようになったら本末転倒だ。
「まずは、どんな仕事を担当してるか。それを正確にできてるか。期限を守れてるか。
領民への対応はどうか。そのくらいでいい」
「承知しました」
「それと、評価して終わりじゃなくて、苦手な仕事は教える」
「教育も行うのですね」
「うん」
残った二十六人を、さらに減らしたいわけじゃない。
この人数で仕事を回せる組織にしたい。
「仕事のできる人に、経験の浅い人を教えてもらおう。
誰が誰に何を教えるのかだけでも決めておけば違うと思う」
「なるほど」
「まぁ、その前に、この領をどう立て直すのか。全体の方針も考えなきゃいけないけどね」
「方針、ですか?」
「うん。これから何をやるのかが決まらないと、どんな人が必要なのかも分からないから」
「なるほど」
「今すぐじゃないけど、人を採る時には採用する基準も作る」
「基準ですか?」
「うん。何の仕事をしてもらうのか。そのために何が必要なのか。最初から決めておく」
読み書き。
計算。
人と話す力。
必要な能力は仕事によって違う。
必要な人を、必要な場所へ入れる。
言葉にすれば簡単だ。
でも、組織が大きくなるほど難しい。
「……やること増えたな」
「男爵様?」
「いや、何でもない」
人を減らすと決めたのは俺だ。
だから、残った人たちが働ける仕組みまで作らないといけない。
人を減らして終わりじゃない。
◇
午後。
屋敷の裏庭へ戻る。
アストンも一緒だ。
「では、参りますか」
「うん」
アストンが俺の肩を掴む。
「昨日より慣れた?」
「何にでしょうか?」
「転移」
「……一度経験しただけです」
「でも、昨日より落ち着いてるよ」
「そう見えますか?」
「うん」
「それは何よりです」
肩を掴む手には、昨日より力が入っている。
「ピー!」
ピコはいつも通り俺の肩に乗っている。
目を閉じる。
レイ湿原。
昨日、小屋へ残した魔力印を探す。
すぐに見つかった。
「行くよ」
「はい」
魔力を流す。
次の瞬間、景色が変わった。
古い小屋の中。
「着いた」
「……」
「どう?」
「やはり、不思議な感覚です」
「そのうち慣れるよ」
「そうでしょうか」
外へ出る。
昨日と同じ湿原が広がっている。
今日は昨日見つけた場所を中心に、もう一度地面や水の流れを確認した。
少し離れた場所にも行ってみる。
でも。
「この辺までだな」
「もう調査を終えられるのですか?」
「俺たちだけでやるのはね」
湿原を見る。
水がある。
平らな土地もある。
条件だけ見れば、米を作れそうな場所はいくつかある。
でも、それ以上は分からない。
水をどの程度入れるのか。
いつ抜くのか。
どんな土が向いているのか。
そこまで俺には分からない。
「ここから先はナディアに頼ろう」
「セルヴァン王国から、詳しい者を紹介していただくのですね」
「うん。実際に米を作ってる人に見てもらった方がいい」
少し知っているからといって、何でも自分でやる必要はない。
前世でもそうだった。
分からないことを、詳しい人に聞けることも大事だ。
「となると……」
視線を上げる。
湿原の向こうに広がるノア山脈。
前から気になっていた。
「次はあっちかな」
「山脈ですか?」
「うん」
大きな山々が、ずっと先まで連なっている。
「アストン。あの山で昔、何か採ってたって話はない?」
「私は聞いたことがございません」
まぁ、アストンも俺と一緒にこの領へ来たばっかだ。
知らないのは当たり前だ。
「そっか」
山を見る。
何もないのかもしれない。
でも、調べた人がほとんどいないなら、それすら分からない。
何かしらの鉱石。
この世界なら、魔石だってあるかもしれない。
「一度、ちゃんと調べたいな」
「ノア山脈をですか?」
「うん。何があるのか知りたい」
「かなり奥になります」
「だから今まで手つかずなのかもしれないね」
もちろん、何か見つかったとしても、それで終わりじゃない。
ここには道がない。
採ったものを運べなければ、価値はない。
でも。
「まず何があるのか分からないと、考えようもないからね」
「確かに」
「戻ったら、昔の資料を探してみよう」
「承知しました」
湿原。
その向こうにある山脈。
この領地には、まだ俺の知らない場所がたくさんある。
◇
その日の夜。
机の上には、また書類が積まれていた。
税収の報告。
農村からの陳情。
食料支援の支出。
騎士団の訓練計画。
政務所の人員配置。
一枚ずつ確認する。
必要なものには署名する。
「……次」
また一枚取る。
コンコン。
「どうぞ」
ケーラが入ってきた。
「男爵様。夕食です」
「あ、ありがとう。そこに置いといて」
「冷める前にお召し上がりください」
「うん」
書類へ目を戻す。
「男爵様」
「何?」
「冷める前に、です」
「……食べます」
「はい」
ケーラに見られながら一口食べる。
ようやく部屋から出ていった。
「最近、ちょっと厳しくなったな」
「ピー」
「ピコまでそっち側?」
領主になってから、本当に時間が足りない。
◇
翌日も朝は政務所。
文官たちと話し、仕事のやり方を変えていく。
評価の仕組みも少しずつ作った。
誰がどの仕事を担当しているのか。
誰が何を教えるのか。
一つずつ決めていく。
午後は領内へ出た。
農村。
使われなくなった道。
戻れば、書類が待っている。
夜まで仕事をする。
そして翌朝。
また政務所へ行く。
「男爵様」
そんな日々が当たり前になった頃。
出かけようとすると、アストンに呼び止められた。
「何?」
「本日の視察はお休みになってはいかがでしょうか」
「なんで?」
「お疲れのように見えます」
「そう?」
「はい」
「でも、今日は見ておきたい村があるから」
「明日でもよろしいのでは?」
「明日は別のところへ行きたいんだ」
「……」
アストンが黙った。
「大丈夫だよ」
「男爵様がそうおっしゃる時は、あまり大丈夫には見えません」
「そうかな」
「はい」
それでも、その日は視察へ出た。
◇
夜。
「男爵様」
ローレンが俺の机から書類を何冊か持っていった。
「あれ? それ、まだ見てないよ」
「こちらは明日で問題ございません」
「今日できるなら今日やるよ」
「明日でも問題ございません」
「でも――」
「問題ございません」
「……最近、みんな強くなったね」
「男爵が休まれないからです」
「そんなに働いてるかな」
「働いております」
即答された。
屋敷へ戻れば。
「男爵様」
「何?」
「本日は、もうお休みください」
今度はケーラだった。
「あと少しだけ」
「昨日もそうおっしゃいました」
「そうだっけ?」
「……」
黙って俺を見るケーラ。
「はい」
俺としては、無理をしているつもりはなかった。
ただ、やることが多い。
農業を立て直す。
政務所を作り直す。
騎士団も鍛え直す。
湿原もある。
ノア山脈も調べたい。
まだ領内には、見ていない場所だってある。
時間はいくらあっても足りない。
俺がやらないと。
ただ、そう思っていた。
◇
翌日。
政務所で書類を読んでいると、外が少し騒がしくなった。
「何かあった?」
「確認いたします」
ローレンが窓へ向かう。
「馬車のようです」
「馬車?」
今日は来客の予定はない。
「どこの?」
「少々お待ちください」
ローレンが窓の外を見る。
そして、少し驚いた顔をした。
「ハーウェイ侯爵家の紋章です」
「え?」
思わず顔を上げた。
ハーウェイ侯爵家。
その名前を聞いただけで、一人の顔が浮かぶ。
「……まさか」
手紙には書いた。
もう少し待ってほしい。
まだ来てもらえる状態じゃない。
俺は椅子から立ち上がった。
ローレンと一緒に外へ出る。
政務所の前に、立派な馬車が止まっていた。
扉が開く。
一人の少女が降りてくる。
淡い金色の髪。
見慣れた顔。
「……」
見間違えるはずがない。
「ミラ……?」
馬車から降りてきたのはミラだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
人事制度って組織を成長させる上でとても大事なことですが、制度ありきで無理矢理進めるのは悪手だと思います。
そして、というかなんというか、ミラ登場です。




