第555話 残せないもの
それからの一週間、俺はひたすら止血を続けた。
「この報告書、何のために作ってるの?」
政務室の机に何冊もの帳簿を並べる。
向かいに座る文官が答えた。
「以前から提出する決まりになっておりますので」
「誰が見るの?」
「それは……」
「ローレンは?」
「私は見ておりません」
「じゃあ、最終的にどこへ行くの?」
「え?どこって、文庫に保管しております」
「保管するだけ?」
「はい」
「照合に使ったりは?」
「いえ」
「なら、やめよう」
「お待ちください!」
文官が慌てて声を上げた。
「これはグレイヴ領の頃から続いている正式な業務です!」
「うん。だから、何のために必要なのか聞いてる」
「それは……決まりですので」
「決まりになった理由は?」
「え?それは存じませんが……」
「だったら一度やめる。必要だと分かったら戻せばいい」
文官の顔に不満が浮かぶ。
こういうことが毎日続いた。
同じ数字を三つの帳簿へ書き写す。
各役場から同じ内容の報告を二か所へ送る。
使っていない倉庫の管理記録を毎週作る。
もう維持をやめた狩猟場への道について、月ごとの報告書を作る。
「これもいらない」
「しかし――」
「こっちは?」
「それも昔から決められているもので……」
「理由は?」
「……分かりません」
「じゃあ見直そう」
特に古参の文官の一部からは反発が強かった。
「男爵。急にこれほど変えれば現場が混乱します」
「それは分かるよ」
全部消せばいいと思っているわけじゃない。
「例えば、同じ数字を別の人が記録して照合してるなら意味がある。
でも、同じ人がただ三回写してるだけなら意味がないよね?」
「それは……」
「必要な仕事は残す。でも、理由のない仕事を続ける余裕は、この領にはないんだ」
エルドンが面談で教えてくれた税務の帳簿も見直した。
役場ごとに違っていた記載方法を揃える。
同じ数字を何度も書き写す作業を減らす。
回収できる税と、もう回収できない税を分ける。
エルドン本人は希望退職に手を挙げている。
それでも、彼が残してくれた改善案まで捨てる理由はない。
人が減る。
だから、仕事も減らさないといけない。
今まで十人でやっていた仕事を五人でやれと言うだけなら、ただの無茶だ。
五人でできる仕事に変える。
それが先だ。
◇
「そういえば」
書類を閉じる。
「騎士団って、今何人いるの?」
「騎士団長を含め、二十九名です」
ローレンが答えた。
「そんなにいるんだ」
「はい」
思っていたより多い。
治安維持。
魔物への対応。
領内の警備。
騎士は必要だ。
だから、ここは人数だけを見て削るつもりはなかった。
「普段、どんな訓練してる?」
「私は騎士団の管理には直接関わっておりませんので……」
ローレンが少し言いにくそうにする。
「アストンは?」
「私も西部騎士団の訓練には参加しておりません」
「じゃあ、見に行こう」
「今からですか?」
「うん」
「騎士団へ連絡を入れますか?」
「入れなくていいよ」
普段の状態が見たい。
俺とローレン、アストンの三人で騎士団の訓練所へ向かった。
◇
「……誰もいないね」
「はい」
広い訓練場。
木製の人形。
剣を振るための場所。
弓の的も並んでいる。
でも、人が一人もいない。
まだ午前中だ。
「今日は休み?」
「通常勤務日のはずですが……」
ローレンが困惑した顔で周囲を見る。
「アストン」
「はい」
「騎士団って、普通は朝に訓練するよね?」
「少なくとも王宮では毎朝行います」
「雨の日も?」
「内容は変わりますが、何もしない日はありません」
「今日は晴れてるね」
「はい」
アストンの顔が険しくなっている。
ローレンも言葉を失っていた。
しばらく待ってみる。
誰も来ない。
訓練場の隣にある建物へ向かった。
そこで、ようやく何人かの騎士を見つけた。
座って話をしている。
俺たちを見ると、慌てて立ち上がった。
「だ、男爵様!?」
「おはよう」
「なぜこちらに……」
「騎士団を見に来たんだけど」
騎士たちが顔を見合わせる。
「訓練は?」
「本日は……」
一人が言葉に詰まった。
「休み?」
「いえ」
「じゃあ、なんで誰も訓練してないの?」
「……」
誰も答えない。
しばらくして、騎士団長も呼ばれてきた。
四十代くらいの男だ。
「男爵様。視察されるのでしたら、事前にお申し付けいただければ」
「事前に言ったら、普段の様子が分からないからね」
「……」
「最後に全員で訓練したのはいつ?」
「それは……」
「昨日?」
「いえ」
「一昨日?」
「……」
「一週間以内?」
騎士団長が言葉を詰まらせた。
「一部の者は自主的に行っております」
「全員では?」
「えーっと……」
「訓練の予定表はある?」
「あ、あります!」
「あとで見せて」
「……承知しました」
「装備が足りないとか、訓練できない事情は?」
「財政状況が悪く、消耗品にも余裕がないのは事実です」
「そっか」
木剣を見るが、埃をかぶっている。
「でも、例えば、訓練で走るのに金は掛からないよね?」
「……」
「木剣を振ることもできる。体力を鍛えることもできる」
「おっしゃる通りです」
アストンが答えた。
あとで勤務記録も確認した。
今日だけじゃない。
ここしばらく、騎士団全体での訓練はほとんど行われていなかった。
二十九人。
この人数分の給金を毎月出している。
「ローレン」
「はい」
「騎士団も見直す」
周囲の騎士たちがざわついた。
「今の半分以下を目安にする」
「なっ!」
騎士団長が声を上げた。
「お待ちください! 我々は領地を守る騎士です!」
「だから見に来たんだよ」
「二十九名でも、この広い西部を守るには決して多くありません!」
「ちゃんと機能してるならね」
「どういう意味でしょうか?」
「訓練もしない二十九人を抱えていて、領地を守れてると言える?」
騎士団長の顔が赤くなった。
「我々の実力も見ず、そのようなことを!」
別の騎士も声を上げる。
「そうです! 男爵様は我々がどれほど戦えるのかご存じないでしょう!」
「確かに」
それはその通りだ。
訓練していないことと、戦えないことは同じじゃない。
「じゃあ見せて」
「……は?」
「俺が相手になるよ」
周囲が静かになった。
「実力も見ずに決めるなって言ったよね。だったら、腕に自信がある人は出てきて」
「男爵様ご自身が?」
「うん」
訓練場へ戻り、木剣を一本手に取った。
騎士たちは互いの顔を見ている。
しばらく誰も出てこなかった。
「誰もいない?」
その時。
「俺がやります」
若い騎士が一人、前へ出た。
「お前!」
団長が止めようとする。
「実力を見せろと言われたんです。なら見せます」
「名前は?」
「スレッガーです」
「分かった。来て」
木剣を渡す。
距離を取る。
「遠慮しなくていいよ」
「では!」
スレッガーが一気に踏み込んできた。
悪くないが、軽く木剣を受け流す。
「え?」
体勢が崩れたところで、肩へ木剣を当てた。
「終わり」
「……」
スレッガーが目を見開く。
数秒だった。
「次は?」
「俺が!」
もう一人が前に出た。
今度は最初の戦いを見ていたから、距離を取ってくる。
考えている。
さっきよりいい。
でも、結果は変わらなかった。
木剣を弾く。
「くっ!」
「終わり」
その後も、何人かが挑んできた。
最終的に前へ出たのは八人。
若い騎士が多かった。
俺に勝った人はいない。
最後の一人の木剣を弾き飛ばす。
「……そこまで」
訓練場が静かになった。
八人が息を切らしながらこちらを見る。
今のままでは弱すぎる。
少なくとも、この領地を任せられる水準じゃない。
でも。
「ローレン」
「はい」
「今出てきた八人の名前、控えておいて」
騎士団長が眉をひそめる。
「負けた者たちを、ですか?」
「うん」
「なぜ?」
「少なくとも前に出たから」
勝てなかった。
でも、逃げなかった。
一人目の戦いを見て、戦い方を変えた人もいる。
倒されてもすぐ立った人もいた。
「今弱いなら鍛えればいい。でも、訓練もしない。実力を見せろと言われても前にも出ない。
それじゃ、残す理由を見つけられない」
「男爵様!」
騎士団長が声を荒らげる。
「騎士の名誉を何だと――」
「領民を守るための仕事だと思ってるよ」
騎士団長が止まった。
「肩書きを守るためじゃない」
「……」
「今の騎士団じゃ、この領は守れない」
はっきり言った。
「人数は半分以下にする。残る人には、今まで以上に訓練してもらう」
「そんな勝手な――」
「領主として決める」
誰も何も言わなくなった。
◇
その後も視察を続けた。
村。
商店。
市場。
工房。
何日も歩いた。
「今年は去年より厳しいです」
商店の主人が言う。
「客が減った?」
「それもあります。村から町に買い物に来る人自体が減ってるのが大きいです」
別の店では、
「仕入れても売れないのです。生活の為にも値上げせざるを得ません」
と言われた。
農村だけじゃない。
町も弱っている。
農民に金がなければ、町で物を買わない。
町の商売が落ちれば、そこで働く人の収入も減る。
領地全体がつながっている。
政務所へ戻って、もう一度数字を確認した。
「……やっぱり無理だな」
ローレンがこちらを見る。
「何がでしょうか?」
「今年の税収」
農村部は、これ以上取れば生産そのものを壊しかねない。
商店や職人も厳しい。
当初予定していた税収の大半は期待できそうにない。
「今年は、予定していた税収を当てにして予算を組まない方がいい」
「そこまでですか」
「うん。入ってきたら助かる。そのくらいで考える」
税収を増やすことより、今は領地そのものを壊さない方が先だ。
◇
希望退職の募集期間が終わる頃には、政務所の景色も変わっていた。
空いた机が増えた。
昨日まで座っていた人がいない。
書類棚も減った。
人が減るたび、仕事を見直した。
「この集計、もう作らなくていい」
「ですが、これまでは――」
「担当者が辞めたからじゃないよ。元々なくせる仕事だからやめるんだ」
同じ数字を書く帳簿を一つにする。
提出先が重複している報告をなくす。
少額の備品購入は担当者に任せる。
高額なものだけ、これまで通り上に回す。
「これ、ローレンまで確認する必要ある?」
「日常的な備品の購入ですね」
「金額が小さいものは担当者に任せよう。全部ローレンまで上げてたら、ローレンが他の仕事できないよ」
「……承知しました」
人は減った。
でも、政務所が止まることはなかった。
むしろ、前より早く終わる仕事まで出てきた。
「今まで何だったんだ……」
思わず口に出る。
ローレンは少し複雑そうな顔をしていた。
◇
「男爵」
「何?」
「騎士団についてですが」
ローレンが資料を置いた。
「今後の扱いを正式に決める必要があります」
「俺に挑んできた八人は?」
「全員、残る意思を示しております」
「じゃあ、八人は残す候補に入れて」
「承知しました」
「それ以外は?」
「騎士団長を含めて、二十一名です」
名簿を見る。
「勤務記録や巡回の実績も確認した?」
「はい」
「どうだった?」
「一部の者を除けば、あまり良いとは申し上げられません」
「そっか」
少し考える。
「原則、希望退職の対象にしよう」
「騎士団長もでしょうか?」
「うん」
長く務めている。
経験もあるはずだ。
でも、二十九人いる組織が訓練すらしなくなった。
団長には、その状態を放置していた責任がある。
「残す人数が減るなら、組織自体も作り直した方がいい」
「新しい責任者も?」
「必要になるね」
「承知しました」
ローレンが資料を閉じる。
少し沈黙が続いた。
「男爵」
「何?」
「一つ、よろしいでしょうか」
「うん」
「王都へ追加の支援をお願いしてはいかがでしょう」
手を止める。
「王宮に?」
「はい。この状況であれば、事情を説明すれば追加支援を受けられる可能性はございます」
確かに。
陛下は、この西部の問題を俺一人に押しつけたわけじゃない。
王宮にも、旧グレイヴ領をここまで悪化させた責任があると認めていた。
頼めば、助けてくれるかもしれない。
でも。
「今は頼まない」
ローレンが少し驚いた。
「なぜでしょうか?」
「今もらっても、赤字を埋めるだけで消えるから」
「しかし、その間に再建を進めることもできます」
「うん。それも分かるよ」
俺は机の上の資料を見る。
「でも、まだ穴を塞ぎきれてないんだ」
「穴、ですか?」
「この領は穴の空いた桶に水を入れてるようなものだよ。
今ここに金を足しても、毎月の赤字で流れ出ていく」
「……」
「支援が終わったら、また同じ状態になる」
屋敷。
政務所。
騎士団。
古い契約。
無駄な仕事。
まだ整理は終わっていない。
「まず、俺たちで止められる赤字は止める。それから、何に金が必要で、いくら使えば何が変わるのかを出したい」
「では、王都からの支援そのものを拒むわけではないのですね」
「もちろん」
必要なら頼る。
使えるものは使った方がいい。
前世でもそうだった。
自己資金だけですべてやろうとすれば、伸びる前に金が尽きる。
「ただ、今欲しいのは延命するための金じゃない」
「では?」
「再建するための金」
ローレンを見る。
「この金があれば、この道を直せる。この金を使えば、生産量を増やせる。
何年後には税収がここまで戻る。そこまで説明できるようになったら、王都でも誰でも頭を下げに行くよ」
「なるほど……」
「でも、今はまだ何に使うべきかも全部分かってない」
地図を広げる。
「だから、先にそれを探す」
この一週間で、かなり削った。
人も減った。
仕事も減った。
騎士団も減らす。
今年の税収も、ほとんど当てにできない。
止血はまだ完全には終わっていない。
でも、いつまでも削っているだけじゃ領地は良くならない。
地図を見る。
領都。
穀倉地帯。
南の森。
レイ湿原。
レコア川。
ノア山脈。
「ローレン」
「はい」
「次は、この領地に何が残ってるのか調べよう」
「残っているもの、ですか?」
「うん」
金がない。
人も減った。
税収も期待できない。
だからこそ、金を生むものを探すんだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
レイ湿原、ノア山脈、レコア川、ケーラなど、作者の趣味全開な名前となっていますが、気にしないでください。




