第551話 止血
お手すきの際に是非!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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「……まず、止血だ」
そう言ってから、俺は新しい紙を一枚取り出した。
ローレンがこちらを見る。
「止血、でございますか?」
「このままなら二か月で現金がなくなる。
新しい産業とか領地の開発を考える前に、まず今の金の流れを正常にしないと駄目だ」
紙に三つ書く。
止める。
守る。
見直す。
「支出を、この三つに分けよう」
「すべて削減するわけではないのですね」
「必要な金まで削ったら、立て直す力までなくなるからね」
前世でも、資金繰りが苦しくなった会社が慌てて何でも削り始めることがあった。
人を減らす。
広告を止める。
設備投資もやめる。
確かに出ていく金は減る。
でも、必要なところまで削れば売上も落ちる。
大事なのは、金を使わないことじゃない。
無駄な金を使わないことだ。
「まず、今動いてる事業を全部一覧にしてほしい」
「すべて、でしょうか?」
「うん。これから始める予定のものも含めて」
「中止する事業を選ぶためですか?」
「それもある。でも、帳簿を見ただけで止めるつもりはないよ」
ローレンが少し意外そうな顔をする。
「何にいくら使ってるのか。何のための事業なのか。
誰が担当して、何人くらい働いてるのか。それを全部知りたい」
「そこまで確認なさるのですか?」
「金が掛かってるから無駄とは限らないからね。
領民の生活に必要な仕事かもしれないし、そこで働いてる人たちの生活もある」
逆に、少額だから放っておいていいとも限らない。
何も生んでいない金なら、小さくても積み重なれば大きくなる。
「実際にどんな仕事をしてるのか見て、担当してる人にも話を聞く。
それから続けるか、減らすか、逆に金を増やすか決めたい」
「承知しました」
「ただ、誰が見ても使われてないものは別だけどね」
中央広場整備事業の書類を指差す。
「例えば、この噴水」
「工事そのものは、すでに停止しております」
「なのに倉庫代と警備費は払い続けてる」
「はい」
「これは止めよう。解約にいくら掛かるのか調べて」
「承知しました」
「保管してる石材も一覧にして。売った方がいいのか、道路や水路の修繕に回せるのか、それを見て決めよう」
「はい」
次の項目へ移る。
「旧領主の狩猟場へ向かう道も、もう誰も使ってないんだよね?」
「はい」
「だったら、そこの維持費も止めよう」
「こちらはすぐに停止できます」
「じゃあ今日から」
「承知しました」
さらに帳簿を見る。
「使ってない倉庫が三棟あったよね?」
「はい。一棟はほとんど使用しておらず、残り二棟にもかなり余裕がございます」
「中身を確認して、一棟か二棟にまとめられるか調べて。必要のない倉庫に毎月金を払うのはやめたい」
「分かりました」
次は、昨日気になった紙だ。
「上質紙についても見直そう」
「使用を禁止いたしますか?」
「全部じゃないよ。正式な契約書とか、長く残す必要がある書類は今までの紙でいい。
でも、出勤記録や備品の報告、下書きまで使う必要はない」
「通常の書類については、別の紙を使うということですね」
「ハル領でも安い紙を作ってる。運送費を含めても安いなら、そっちから仕入れたい」
「承知しました」
一枚なら大した金額じゃない。
でも、毎日何十枚、何百枚と使えば話は変わる。
こういう小さな無駄を放っておくと、気づいた時には大きな金になる。
次に屋敷関連の帳簿を見る。
「屋敷もかなり掛かってるな」
「はい」
「調度品の一覧はある?」
「ございます」
「今日中に出して。生活に必要なもの、来客を迎えるために必要なもの、それ以外に分けたい」
「売却なさるおつもりですか?」
「使わないものはね」
ローレンが少し驚いた顔をした。
「男爵家としての体面もございますが……」
「応接室まで空っぽにするつもりはないよ。必要なものは残す」
昨日見た銀食器や絵画を思い出す。
「でも、領民が食べるものに困ってるのに、俺が銀の皿を何十枚も持ってても仕方ないだろ?」
「……おっしゃる通りです」
「売れるものは現金にする。今は一日でも長く時間が必要だからね」
ローレンが頷いた。
「では、屋敷の使用人についても人数を減らしますか?」
二十八人。
人件費だけを見れば、大きな支出だ。
でも、俺は首を横に振った。
「いきなり辞めさせるのはやめよう」
「しかし、人件費はかなりの割合を占めております」
「分かってる。でも、人件費が無駄だからって、その人まで無駄とは限らない」
ローレンが黙って俺を見る。
「二十八人全員について、何ができるのか調べたい。
読み書き、計算、料理、裁縫、馬の扱い、農作業、建物の修繕。何でもいい」
「配置を変えるということでしょうか?」
「うん。屋敷に二十八人はいらなくても、この領地には人が足りないんだろ?」
「それは間違いございません」
「だったら、別の仕事をしてもらえるかもしれない。
政務所の補助でも、物資の管理でも、領内の調査でもいい。
まずは何ができるのか知りたい」
「承知しました」
人が足りない領地で、人を捨てるのは最後だ。
人件費は数字だけど、その向こうには生活している人がいる。
「次は、削らないもの」
紙に書いた「守る」を指差す。
「食料支援」
「かなり大きな支出です」
「それでも削らない」
「はい」
「水路の最低限の修繕も。治安維持も止めない。
村へつながる道で危険な場所があるなら、そこも必要」
「承知しました」
「領民が生きるために必要な金まで削ったら、何のために再建してるのか分からないからね」
帳簿をさらにめくる。
今度は税収の欄だ。
「税も気になるな」
「税収を増やす必要がございますか?」
「むしろ逆になるかもしれない」
「逆、ですか?」
「昨日、町を見たけど、生活はかなり厳しそうだった」
「はい」
「税を払えなくて土地を手放したり、領地を出ていったりしてる人もいるんだよね?」
「おります」
「だったら、今以上に取り立てるのはやめよう」
「しかし、税収はすでに不足しております」
「分かってる。だから今すぐ全員の税を下げるって話じゃない」
資料だけ見て、税制まで決めるつもりはない。
「特に生活が厳しい人たちが、実際にどんな暮らしをしてるのか見たい。
その上で、減税するのか、一時的に免除するのか、それとも別の方法があるのか決めよう」
「減免そのものはお考えなのですね」
「うん。でも、まだ決めない」
「なぜでしょう?」
「俺はまだ、この領地を帳簿でしか見てないから」
ローレンが少し目を見開いた。
「払えない人から無理に取って、人がいなくなったら来年の税収はもっと減る。
でも、どのくらい苦しいのかも知らずに税を変えるのも違うと思う」
「なるほど」
「滞納してる税も一覧にしてほしい。何年も払われてないのに、いつか入ってくる金として扱ってるものがあるよね?」
「ございます」
「実際に払えるものと、もう払える状態じゃないものを分けよう」
帳簿に数字が載っているだけじゃ意味がない。
入ってこない金は、使える金じゃない。
「あと、食料の値段」
「町でご覧になったのですね」
「高すぎる」
「価格を定めますか?」
「いや。それはやめよう」
「では、どのように?」
「まず、なんで高いのかを調べる」
食料そのものが足りないのか。
道が悪くて運送費が高いのか。
通行料が高いのか。
市場で余計な金を取られているのか。
「原因も分からないのに安く売れって命令したら、商人が来なくなるかもしれない」
「確かに、その可能性はございます」
「食料を持ってくる商人が、領内で何に金を払ってるのか知りたい。
通行料、市場使用料、運送費。全部調べて」
「承知しました」
税をどうするか。
物価をどうするか。
そこはまだ決めない。
まずは事実を知る。
◇
昼を過ぎても、俺とローレンは帳簿とにらめっこしていた。
途中でケーラも屋敷の資料を持ってきた。
「男爵様、屋敷の調度品について、確認できたものをまとめました」
「ありがとう、ケーラ」
「使用人についても、それぞれの仕事内容を確認しております」
「助かる」
資料を受け取り、計算を続ける。
今の段階で明らかに止められるものだけを抜き出す。
噴水関連の費用。
使われていない狩猟場への道路。
不要になる可能性が高い倉庫。
屋敷の過剰な食費。
上質紙の使用量。
その他の細かな支出。
調度品については、まだいくらで売れるのか分からない。
倉庫も、実際に中身を確認しないと全部は止められない。
だから、かなり厳しく見積もる。
「今の時点で、確実に減らせそうなものだけで計算すると?」
「少々お待ちください」
ローレンが数字を追う。
しばらくして、ローレンが顔を上げた。
「これらが予定通り削減できれば、現在約二か月のところを、三か月以上まで延ばせると思われます」
「三か月か」
「さらに倉庫の整理、調度品の売却、既存契約の見直しまで進めば、四か月前後まで延びる可能性はございます」
「うん」
二か月が、三か月。
上手くいけば四か月。
でも、まだ何も実行していない。
「今は、四か月あるって考えない方がいいね」
「はい」
「まず確実に一か月、時間を買う。それから現場を見ながら、さらに増やしていこう」
「承知しました」
支出を削るだけでは領地は立ち直らない。
でも、倒れるまでの時間を延ばさないと、次の手を打つこともできない。
「ローレン」
「はい」
「そういえば、前にこの辺りを視察した時、イレーナに案内された村があるんだけど」
「イレーナ・ヴァルガですか?」
「うん。ハル領との境から少し離れたところにある村。王都への報告では回復傾向になってた」
ローレンの表情が少し変わった。
「……こちらでしょうか」
机の上に地図を広げ、領都から南西へ指を動かす。
「あ」
覚えている。
イレーナとエドガーと一緒に歩いた村だ。
「ここだ」
「現在も、西部の中ではかなり厳しい状態にある村の一つです」
「まだ?」
「はい。耕作地は多少戻りましたが、人口の流出は止まっておりません。
特に若い働き手が少なく、以前より状況が悪化している部分もございます」
あの時の光景を思い出す。
崩れた屋根。
草に覆われた畑。
途中で途切れた水路。
そして、あの老人が言っていた。
若い人間が出ていかなくなったんじゃない。
もう、出ていける若者がほとんど残っていない。
「……あそこに行こう」
「明日ですか?」
「うん」
あの時の俺は、エドガーにどうすればいいか聞かれても、「分からない」としか答えられなかった。
何が足りないのかも。
誰が何をできるのかも。
何も知らなかったからだ。
でも、今は違う。
あの村も俺の領地の一部だ。
「もう一度、自分の目で見たい」
「承知しました」
帳簿を見れば、金の流れは分かる。
でも、領地そのものまでは分からない。
以前は答えを出せなかったあの村で、今度は領主として何ができるのか。
まずは、そこから確かめよう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回はピコが未登場ですが、リオンとローレンが話していた場にもちゃんといました。




