第546話 数字が示すもの
お手すきの際に是非!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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翌朝、俺は寮監のところへ向かった。
「退寮の日を延ばしたい?」
「はい」
本来なら、卒業した以上はそう長く寮に残れない。
「一週間後に王宮で用事がありまして。その翌日まで、ここに置いてもらえないでしょうか?」
「その件なら、学院からも聞いています」
「もう聞いてるんですか?」
「王宮から連絡があったそうです。学院側とも話はついていますので、使って構いません」
「ありがとうございます」
助かった。
すぐに領地へ向かうわけではないが、今のうちに調べておきたいことが山ほどある。
何より、昨日渡された資料だ。
部屋へ戻ると、机の上には分厚い資料が積んである。
「さて」
「ピー」
ピコがこちらを見る。
「今日はこれを読むよ」
「ピー?」
「たぶん、一日かかる」
いや。
昨日少し見た量を考えると、一日で終わるか?
「……何日かかるかな」
「ピー」
ピコは興味がなさそうだった。
椅子に座り、最初の資料を開く。
◇
昨日、王宮で見せられた資料は概要だけだった。
手元に渡されたものには、さらに細かい情報が載っている。
以前、旧グレイヴ領を視察したあと、王宮の政務官たちが改めて各地へ入った。
そこで人口や農地、税収、家畜、道路などを調べ直したらしい。
最初に人口を見る。
「……やっぱり少ないな」
旧グレイヴ領西部の人口は、王宮に残っていた古い記録より明らかに減っていた。
ただ、問題はそれだけじゃない。
年齢別の数字を見る。
「働ける年代が少なすぎる」
子供が少ない。
若者も少ない。
特に働き盛りの世代が大きく減っている。
政務官の報告には、理由まで書かれていた。
仕事を求めて王都へ出た者。
東部の町へ移った者。
他領へ移住した者。
徴税に耐えられず土地を捨てた者。
彼らのほとんどは帰ってきていない。
「人が減っただけじゃないのか」
必要な人から抜けている。
次に農地。
帳簿上では農地になっていても、実際には耕作されていない土地がかなりある。
理由を見る。
働き手不足。
水路の破損。
農具不足。
家畜不足。
「……全部つながってるな」
農地が使えないから収穫が減る。
収穫が減るから収入も減る。
収入が減るから、農具も家畜も買えない。
人はさらに出ていく。
次は家畜。
「こっちもか」
農耕に使う馬や牛が減っている。
生活が苦しくなった時に売った家も多いらしい。
当然、家畜が減れば農作業にも影響する。
税収を見る。
「……ひどいな」
五年前と比べて大きく落ちている。
税を納めたくても納められない家が増え、徴収できない分を残った領民へ負担させる。
それでさらに生活が苦しくなり、また人が逃げる。
「最悪の循環じゃないか」
道路の資料を開く。
主要な道は王宮が最低限の補修をしている。
ただ、村と村をつなぐ道になると話が違う。
壊れた橋。
雨が降ると通れなくなる道。
荷車が通れない場所。
長期間、補修されていない区間。
商人が来ない。
物が入らない。
売るものがあっても運べない。
だから商売が育たない。
「これ……」
紙を机に置く。
前世の会社に置き換えて考えてみる。
売上が落ち続けている。
人が辞めていく。
新しい人も入ってこない。
設備は壊れている。
物流も悪い。
生産量も下がっている。
しかも、立て直すために使える金もない。
「……会社だったら、とっくに倒産してるぞ」
倒産寸前じゃない。
もう倒産している。
そんな状態だ。
しかも会社なら、最悪の場合は事業を畳める。
領地は違う。
採算が悪いから村を閉鎖します。
人が多すぎるから領民を減らします。
そんなことはできない。
そこには人が暮らしている。
「これは……思ってたよりきついな」
昨日、国王が言っていた。
王宮が救えなかった人たちを何とかしてもらいたい。
ようやく、その言葉の意味が少し分かってきた。
◇
翌日も資料を読んだ。
今度は村ごとの報告だ。
同じ西部でも状況はかなり違う。
比較的まだ農業が成り立っている村。
人口の半分近くが高齢者になっている村。
空き家が増え続けている村。
近くの水路が壊れたままの村。
商人がほとんど来なくなった村。
「こっちを直せば終わり、じゃないな」
一つの問題を解決すれば全部よくなる状態じゃない。
道路。
農業。
雇用。
人口。
教育。
商業。
全部が絡み合っている。
紙を一枚取り、自分なりに整理する。
重税と物価高で働き手がハル領を含め他領へ出ていく。
働ける人口が減る。
生産量が落ちる。
税収が減る。
道路や水路を直せなくなる。
商人が来なくなる。
仕事が減る。
さらに人が出ていく。
「完全に悪循環だ」
「ピー」
「そうだよね」
「ピー?」
「いや、ピコは分かってないか」
ピコが俺の足元まで来る。
「遊ぶ?」
「ピー!」
「ごめん。あとちょっとだけ」
「ピー……」
「本当にあとちょっとだから」
そう言って、また資料へ戻る。
次に顔を上げた時には、かなり時間が経っていた。
「……あれ?」
ピコを見る。
ベッドで寝ている。
「ごめん」
◇
資料を受け取って三日目。
朝から、また机に向かっていた。
今日は行政組織を見る。
これもひどい。
人が足りない。
経験のある役人も少ない。
旧グレイヴ家に近かった者は調査対象になり、すでに職を離れた者もいる。
現在は王宮から派遣された政務官が補っているが、それも暫定的なものだ。
「領主になったら、人も集めないといけないのか」
やることが一つ増えた。
資料の端に書き込む。
人材。
財政。
道路。
農業。
商業。
教育。
「多いな……」
でも、順番を決めないといけない。
全部を同時にはできない。
何から手をつける?
今、一番止血しないといけない場所はどこだ?
前世でも会社の経営状態が悪い時ほど、全部に手を出すのは危険だった。
資金を調達するにも、出資したい人がいるような状態ではなさそうだ。
仕事ができる人も限られてそう。
優先順位を間違えれば、良くするどころかさらに悪くなる。
「まず人口流出を止める? でも仕事がなければ止まらない。仕事を作るには道路も必要で……」
「ピー」
「うん」
ページをめくる。
「農業を先に立て直すとしても、働き手が――」
「ピー」
「あとでね」
「ピー……」
しばらくすると、ピコは諦めたらしい。
ベッドの上で丸くなった。
俺はそのことにも気づかず、資料を読み続けた。
どれくらい経っただろう。
扉が叩かれた。
「はい」
「ハル君、いますか?」
寮監の声だ。
扉を開ける。
「どうしました?」
「ミラ・ハーウェイ様がお見えです」
「ミラが?」
「玄関でお待ちです」
「分かりました。すぐ行きます」
机へ戻り、資料を閉じる。
窓を見る。
「……え?」
外が暗い。
「もうこんな時間なのか」
朝から読み始めたはずなのに。
「ピコ、行くよ」
「ピー?」
ベッドで寝ていたピコが顔を上げる。
「ミラが来たって」
「ピー!」
急に元気になった。
「我慢させてごめんね」
ピコと一緒に玄関へ向かった。
◇
「リオン」
「ミラ。どうしたの?」
「ご飯に行こう」
「え?」
いきなりだった。
「今日も朝からずっと資料見てたでしょ?」
「うん」
「ご飯、食べてないでしょ?」
「朝は食べ……てないな」
何を食べた?
「食べてないかも」
「やっぱり」
「どうして分かったの?」
「リオンだから」
ミラは当然という顔をしている。
「あれからずっと資料読んでたでしょ?」
「うん」
「今日もそうなると思った」
「……正解です」
「ピー」
ピコまで頷く。
「ピコまでそっちなの?」
「ピー!」
完全にミラの味方だった。
「だから、ご飯に行こう」
「うん。行こうか」
資料は気になる。
でも、さすがに腹が減った。
寮を出て、学院近くの店へ向かった。
◇
「おいしい……」
「そんなに?」
「今日初めてちゃんと食べ物を見た気がする」
「昨日は?」
「なんか食べた気がする」
「本当?」
「そこは本当」
ミラが疑わしそうに見る。
俺はパンを食べる。
普通のパンなのに、妙においしい。
ピコも用意してもらった食事を夢中で食べている。
「ピー!」
「ピコもお腹減ってた?」
「ピー」
「ごめん」
俺に付き合って、ここの所ずっと部屋にいた。
もう少し遊んであげよう。
「資料、そんなに大変なの?」
ミラが聞く。
「詳しい数字は言えないけど、思ってたより悪い」
「そうなんだ」
「以前視察した時も厳しいとは思ったけど、政務官がその後に詳しく調べた資料を見ると、もっといろんな問題が出てきた」
「大丈夫?」
「大丈夫とは言えないかな」
「リオンが?」
「領地が」
「ああ」
ミラが少し笑う。
「俺は大丈夫」
「ご飯を食べるのを忘れてたのに?」
「……そこは反省してます」
スープを飲む。
少し落ち着いた。
「そういえばミラは、いつまで王都にいるの?」
「あと一週間くらいかな」
「そうなんだ」
「卒業したからすぐ領地へ戻ってもいいんだけど、父上達もたちもしばらく王都にいるし、今は王都のハーウェイ侯爵邸にいるの」
「じゃあ、俺の叙爵の頃まではいる?」
「うん。実はリオンの叙爵には父上と参列みたい」
「そっか」
なんとなく安心した。
「リオンは?」
「俺は叙爵の次の日まで寮にいさせてもらえることになった」
「よかったね」
「うん。今移動するより、資料を整理したかったから」
「やっぱり資料なんだ」
「大事だからね」
「分かってるけど」
ミラが少し考える。
「リオン、お願いがあるんだけど」
「何?」
「今度、私を冒険者の仕事に連れていって」
「え?」
予想していなかった。
「冒険者?」
「うん」
「急にどうしたの?」
「急じゃないよ」
「そう?」
「このままだと、リオンずっと寮の部屋に籠もって資料読むでしょ?」
「……否定できない」
「だから、たまには外に出た方がいいと思って」
「俺の気分転換?」
「うん」
やっぱりそうだった。
「危ない依頼じゃなくていいの。王都の近くでできるものとか」
「いいよ」
「本当?」
「うん。俺も最近、冒険者の仕事してなかったし」
そういえば、いつからまともに冒険者らしいことをしていないんだろう。
「ミラと一緒に洞窟いったのは、あの時以来かな」
「懐かしいね」
「あの時はクラウスもいたけど」
「大変だったよね」
「大変どころじゃなかったよ。帰れないかと思った」
学院の実習で入った洞窟。
クラウスとミラと三人で奥へ進み、予定とは違う場所へ落ちた。
ミラが光を抑えながら進み、戦ったら勝てない魔物から三人で隠れた。
最後には外へ戻れたけど、もう一度やりたい経験ではない。
「あの時、リオン怪我もしてたよね」
「ミラに包帯巻いてもらった」
「覚えてたんだ」
「それくらい覚えてるよ」
「ふふっ」
「今回は普通の依頼にしよう」
「もちろん」
「洞窟は?」
「しばらくいいかな」
「俺も」
久しぶりに、領地とは関係ないことで笑った気がした。
◇
食事を終えて店を出る。
ピコはお腹がいっぱいになったのか、俺の腕の中で満足そうにしている。
「ピー」
「眠い?」
「ピー……」
「さっきまで寝てたじゃん」
ミラが笑う。
「ピコもリオンに付き合って疲れたんじゃない?」
「何もしてないよ?」
「退屈するのも疲れるんだよ」
「そうなの?」
「ピー」
そうらしい。
「リオン」
「何?」
「うちまで送ってって」
「え?」
思わずミラを見る。
ミラはSクラスでも実技は上位だった。
普通の相手に襲われたくらいなら、自分でどうにかできるんじゃ――。
「……うん。送るよ」
少し間が空いた。
ミラがじっと俺を見る。
「今、私なら一人で帰れるだろって思ったでしょ?」
「えっ?」
「やっぱり」
「なんで分かるの?」
「一回考えてから返事したから」
「そこまで分かる?」
「リオンのことは結構分かるよ」
「……そうですか」
「それに、実技が得意でも送ってほしい時はあるの」
「あ」
そういうことか。
「ごめん」
「わかればよろしい」
ミラが少し得意そうに歩き出す。
俺もその隣を歩く。
◇
夜の王都を歩く。
卒業したせいか、昨日までとは景色が少し違って見える。
「この後、寮に戻ったらまた資料読むんでしょ?」
「うん」
「明日も?」
「たぶん一日読む」
「やっぱり」
「今のうちに、できるだけ色んなことを頭に入れておきたいんだ」
「それはいいけど、ご飯はちゃんと食べるんだよ?」
「はい」
「本当に?」
「……努力します」
「そこは『食べる』って言って」
「食べます」
「よろしい」
歩きながら考える。
今日みたいなことは、また起きそうだ。
研究をしている時もそうだった。
資料を読んだり、何かを考え始めると、時間を忘れる。
「ミラ」
「何?」
「お願いしてもいい?」
「うん。私にできることなら」
「俺、一人でいると資料読んだりするのに夢中になって、時間忘れちゃうみたいだからさ」
「みたい?」
「……忘れます」
「うん」
「ミラが王都にいる間、良かったら毎日一緒に夜ご飯食べない?」
ミラが足を止めた。
「毎日?」
「嫌だった?」
「ううん」
ミラが笑う。
「いいよ」
「本当?」
「うん。私も一緒に食べたい」
「じゃあ決まり」
「その代わり、夕方になってもリオンが来なかったら迎えに行くからね」
「それはちょっと恥ずかしいな」
「じゃあ時間を忘れないでね」
「頑張ります」
「ピー」
「ピコも一緒に来る?」
「ピー!」
「決まりだね」
なんだか急に、これからの一週間が少し楽しみになった。
◇
王都のハーウェイ侯爵邸へ着く。
立派な門の前で、ミラが振り返った。
「送ってくれてありがとう」
「うん」
「じゃあ、また明日ね」
「また明日」
「ピコもまたね」
「ピー!」
ピコが俺の腕の中から鳴く。
ミラが屋敷へ入っていくのを見届けてから、寮へ向かって歩き出した。
資料の内容は変わっていない。
人口が増えたわけでも、税収が戻ったわけでも、壊れた道路が直ったわけでもない。
それでも、さっきまでより気持ちは軽かった。
「ミラのおかげかな」
「ピー」
「ピコも?」
「ピー!」
「はいはい。ピコもね」
明日も資料を読む。
やることは山ほどある。
でも、ずっと机に向かって悩んでいるだけじゃ何も変わらない。
俺は少し歩く速度を上げた。
「よし! 頑張るぞ!」
「ピー!」
夜の王都に、ピコの元気な声が響いた。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございます。
リオンの前世にミラみたいな人がいたら、どういう人生になっていたんだろうと思います。




