第541話 最後の授業
お手すきの際に是非!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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翌朝、五年Sクラスの教室へ入ると、すでにアデライン先生が来ていた。
「おはようございます」
「おはようございます。リオン・ハル君、少しいいですか?」
「俺ですか?」
「はい」
何だろう。
鞄を席に置き、教壇のところまで行く。
「卒業式について、一つお願いがあります」
「はい」
「卒業生代表の挨拶をお願いしたいのです」
「……俺がですか?」
思わず聞き返した。
「はい」
「エドガーやセレナじゃなくて?」
二人とも王族や公爵家だ。それに、最後の試験では俺を含めて五人が同率一位だった。
「卒業生代表を身分で決めることはありません。それに、今回の試験結果だけで決めたわけでもありません」
「そうなんですか?」
「学院長と教師たちで話し合って決めました」
アデライン先生が少し笑う。
「あなたは入学式でも、新入生代表の挨拶をしましたね」
「あ……」
そうだった。
学院へ入った時も、みんなの前で挨拶した。
「入学する時と、卒業する時の両方ですか?」
「そうなりますね」
「何を話せばいいんでしょう?」
「それを考えるところから、卒業生代表の仕事です」
「教えてくれないんですか?」
「あなたの言葉で話してください」
「……分かりました」
最後まで簡単には答えを教えてくれないらしい。
席へ戻ると、隣のミラがすぐに顔を近づけてきた。
「アデライン先生、何だって?」
「卒業式で、卒業生代表の挨拶をしてくれって」
「えっ、本当?」
「うん」
「すごいじゃん!」
ミラが自分のことみたいに喜ぶ。
前の席からヴィクトルも振り返った。
「卒業生代表?」
「そうみたい」
「エドガーとセレナを押しのけて?」
「押しのけてないよ」
「僕も押しのけられた覚えはないね」
エドガーが横から入ってくる。
「別にいいんじゃない?」
セレナも気にした様子はない。
「リオンが何を話すのか、少し興味あるわ」
「やめてよ。余計に緊張する」
ヴィクトルが何か思い出したように言った。
「そういえば、お前、入学式でも代表で挨拶してなかったか?」
「うん。今、先生にも言われた」
「入る時もリオン、出る時もリオンか。結構すごいな」
「まだ何も話してないけどね」
「卒業式で変なこと言うなよ」
「言わないよ」
「国王陛下や公爵相手でも普通に言いたいこと言う奴だから心配なんだよ」
「まだそれ言う?」
ミラが笑った。
やがて他の生徒たちも席につき、授業の時間になった。
アデライン先生が教壇に立つ。
でも、今日はいつものように問題を書き始めなかった。
代わりに広げたのは、何度も授業で使ったエルディア大陸の地図だった。
アルスレイン王国。
ドラン帝国。
サハル王国。
セルヴァン王国。
そして、ルーフェン、アンカルジア、ミラディア、ガレリア。
何度も名前を聞き、位置を確かめ、外交や交易について考えてきた国々だ。
「今日は、私から皆さんに行う最後の授業です」
その言葉で、教室が静かになった。
最後の授業。
分かっていたことなのに、改めて言われると少し寂しい。
「この地図も、皆さんにはもう見慣れたものでしょう」
アデライン先生がエルディア大陸の中央を指す。
「アルスレイン王国を含むこの大陸は、長い間、大陸全体を巻き込むような大きな戦乱から遠ざかってきました。
しかし、それがこれからも続く保証はありません」
先生の指がドラン帝国へ移った。
「ドラン帝国が軍事力を強化し、サハル王国へ侵攻したことについては、すでに何度も扱いましたね」
今さら驚く者はいない。
俺たちは、ドラン帝国がなぜ動いたのか、その影響がどこまで広がるのかを授業で何度も考えてきた。
エドガーは机の上で手を組み、静かに地図を見ている。ナディアの表情もいつになく真剣だった。
「王宮でも、今後アルスレイン王国が何らかの影響を受ける可能性を考えています。
もちろん、私たちは他国を侵略することを認めません。
同時に、私たちの国が侵略されることも認めません」
ガイルが少しだけ姿勢を正した。
アデライン先生はそんなガイルを見る。
「ですが、剣を磨くだけで国を守れるわけではありません」
ガイルがわずかに目を見開いた。
「外交があります。交易があります。食料があります。法があります。情報があります。
これまで皆さんは、それらを別々の授業として学んできました。
でも、社会に出れば、すべてがつながっています」
昨日までやっていた研究を思い出した。
暖房一つ作るだけでも、仕組みだけ考えればいいわけじゃなかった。
「戦わずに済むなら、それが一番です。そのために外交の努力を続けなければなりません。
ただし、平和であることと、何も考えなくていいことは同じではありません」
アデライン先生が教室を見渡す。
「皆さんは、あと二日で学院生ではなくなります」
フィーネが少しだけ姿勢を正した。
「騎士になる人、王宮で働く人、領地へ戻る人、商いに携わる人、他国との橋渡しをする人。
まだ自分の道を決め切れていない人もいるでしょう」
先生の視線が一瞬、フィーネの方へ向いた。
「進む道は違います。でも、どこへ行っても学ぶことは終わりません」
少し間を置く。
「ここで学んだことを、すべて覚えていなくても構いません」
意外な言葉だった。
ヴィクトルも顔を上げる。
「忘れることもあるでしょう。今は、何の役に立つのか分からないこともあると思います。
でも何年か経ってから、学院で学んだことと、その後の経験がつながることがあります」
俺にも覚えがある。
学院で習ったこと。
研究所で教わったこと。
ハル領で経験したこと。
別々だと思っていたものが、あとになってつながったことは何度もあった。
「だから、答えだけを覚えて卒業しないでください」
アデライン先生の声が少しだけ強くなる。
「なぜなのかを考えること。分からないことを、分からないまま決めつけないこと。
自分が見えているものだけが、すべてだと思わないこと。
そして、自分とは違う立場の人の話を聞くこと」
教室の誰も話さない。
フィーネも先生をじっと見ている。
セレナも、いつもの余裕のある表情ではなかった。
「学院で習った答えが、十年後も正しいとは限りません。国も、制度も、技術も変わります。
だから、答えが変わった時に自分で考えられる人になってください」
その言葉が妙に残った。
前世でも、この世界でも、ずっと同じままのものなんてほとんどない。
「Sクラスの皆さんは、この学院にとって特別な生徒です」
ガイルが少しだけ胸を張った。
「成績が良いから偉い、という意味ではありません」
ガイルの胸が元に戻る。
ヴィクトルが小さく笑った。
「人より多く学ぶ機会を与えられ、多くの経験をしてきたからこそ、身につけた力を何に使うのかが問われるということです」
今度は誰も笑わなかった。
「国という言葉は大きすぎて、時にそこに暮らしている人の顔が見えなくなることがあります。
でも、国を作っているのは皆さんの家族です。隣に住む人です。市場で働く人、畑を耕す人、工房で物を作る人です」
ハル領のみんなの顔が浮かぶ。
「皆さんがこれから何かを決める時、その決定の向こう側にいる人を忘れないでください」
エドガーが静かに頷いた。
「皆さんの身に付けた力を、まず自分自身のために使ってください。
そして、家族や隣にいる人を支えるためにも使ってください。
その積み重ねが、やがてこの国を支える力になります」
アデライン先生が少しだけ笑った。
「私が教室で皆さんに答えを教えられるのは、今日で終わりです。
でも、皆さんが学ぶことは今日で終わりではありません」
胸の奥が少し重くなった。
「失敗したら、なぜ失敗したのか考えてください。分からなければ調べてください。
自分だけでは分からなければ、誰かに聞いてください。
そして、自分が持っている力を何のために使うのか、考えることをやめないでください」
アデライン先生が教室を見回した。
「それが、私から皆さんに伝える最後の授業です。皆さん、お疲れさまでした」
しばらく、誰も動かなかった。
ガイルですら何も言わない。
やがて誰からともなく拍手が始まり、それが教室全体に広がった。
俺も手を叩く。
アデライン先生は少し驚いた顔をしたあと、いつものように穏やかに笑った。
最後の授業でも、先生は「これが正解です」とは言わなかった。
これからは、自分で考えろということなんだと思う。
◇
昼休み。
いつものメンバーで学食に集まった。
「今日の先生、いつもとちょっと違ったな」
ガイルが言う。
「最後の授業だからじゃない?」
ミラが答える。
「でも、剣だけじゃ国は守れないって言われた」
「そこを一番気にしてたの?」
「俺、剣には自信あるからな」
「だから勉強も続けてくださいという話だと思います」
ナディアが言う。
「卒業しても?」
「当然です」
「卒業すれば解放されると思ってた……」
「何からですか?」
「勉強から」
「されません」
「即答か」
みんなが笑った。
「でも、本当に進む道が分かれるんだね」
ミラが言う。
さっきの授業を聞いたあとだからか、その言葉がいつもより重く感じた。
「エドガーは、やっぱり王宮?」
「ああ。すでに手伝っている仕事もあるけど、卒業後は今まで以上に政務や外交を学ぶことになるだろうね」
「まだ勉強するのか」
ガイルが嫌そうな顔をする。
「むしろ、これからの方が覚えることは多いと思うよ」
「俺には無理だ」
「お前もベイルン家を継ぐなら必要だぞ」
ヴィクトルが言う。
「分かってるって」
「本当ですか?」
「ナディアまで疑うなよ」
「普段のガイルさんを見ていますから」
また笑いが起きる。
「ヴィクトルは商会だよね?」
俺が聞く。
「ああ。まずは家の仕事を覚える。研究コースでやったことも、何か商売につなげられないか考えてみるつもりだ」
「もう商売のこと考えてる」
「当然だろ?」
ヴィクトルらしい。
「フィーネは?」
ミラが聞く。
フィーネが少し困ったように笑った。
「春から王宮で働くことは決まりましたけど、まだ何をやるかわからないんです」
「まぁ、どんな仕事を任されてもフィーネならすぐに成果を出すだろ」
「はい。そうなれる様に頑張ります」
「フィーネなら大丈夫だよ」
俺が言う。
「ありがとうございます」
フィーネが笑った。
「ナディアは、しばらく王都なんだよな?」
ガイルが聞く。
「はい。大使館で働く予定です」
「そっか」
それだけ聞いて、ガイルが少し安心したような顔をした。
いずれセルヴァン王国へ戻らなければならない。
それは変わらない。
でも、卒業してすぐ離ればなれになるわけではないことが、今のガイルには嬉しいんだろう。
「リオンはハル領へ戻るんだろ?」
ヴィクトルに聞かれる。
「そのつもり。ただ、その前に王宮へ呼ばれてる」
「王宮?」
「うん。卒業式の翌日に来るようにって。父上も卒業式の前日に呼ばれてるんだ」
少しだけ空気が変わった。
エドガーとセレナを見る。
二人が一瞬だけ目を合わせた。
「……二人とも何か知ってる?」
俺が聞く。
少し間を置いて、エドガーが答えた。
「ああ」
「やっぱり」
「ただ、僕から話すことはできない」
「俺にも?」
「リオンにもだ」
エドガーの表情は真面目だった。
セレナも頷く。
「王宮から正式に伝えられることよ。私たちが先に話すべきではないわ」
「悪い話?」
「それも言えない」
「そこも?」
「そこもだ」
エドガーが少し申し訳なさそうに笑う。
「分かった。じゃあ王宮で聞くよ」
「そうしてくれ」
父上も呼ばれている。
エドガーとセレナも知っている。
でも、今は俺に話せない。
昨日より余計に気になってきた。
「リオン」
「何?」
ミラが俺を見る。
「また考え込んでる」
「あ、ごめん」
「今考えても分からないでしょ?」
「そうだね」
「それより、今日も練習するからね」
「やっぱり?」
「もちろん」
ガイルが椅子から立ち上がりかけて止まった。
「今日こそ俺は剣を――」
「行きますよ!」
ナディアに腕を掴まれる。
「まだ最後まで言ってない!」
「言わなくても分かります!」
「ナディア!」
◇
放課後。
いつもの広間でのダンス練習が始まった。
今日は俺とミラ、ガイルとナディアだけではない。
「フィーネも練習するの?」
「はい」
少し離れたところに、フィーネとレティシアがいた。
「きちんと踊ったことがないので、レティシアさんにお願いしました」
「じゃあ仲間だな!」
ガイルが嬉しそうに言った。
「今日からなら、俺の方が先輩だ」
「ガイルさん」
ナディアが冷たい目で見る。
「何だ?」
「まずご自分が踊れるようになってからにしてください」
「昨日よりできるぞ!」
「昨日よりは、です」
レティシアが笑いながらフィーネに手を差し出した。
「フィーネ、始めましょうか」
「お願いします」
俺たちも練習を始める。
「一、二、三」
今日は昨日より余裕がある。
基本の足運びは、かなり覚えてきた。
「いいよ、リオン」
「本当?」
「うん。でも、周りも見てね」
「分かってる」
昨日ガイルとぶつかったから、今日は周囲も意識する。
ガイルも同じらしく、やたらと左右を確認している。
「ガイルさん、私も見てください」
「見てる!」
「今、ずっと横を見ていました」
「ぶつからないようにしてるんだ!」
「周囲だけ見ても踊れません!」
相変わらず苦戦している。
それでも今日は、俺もガイルも一度もぶつからなかった。
「よし!」
休憩になると、ガイルが嬉しそうに言う。
「今日はぶつからなかったぞ!」
「それを成果にしないでください!」
「昨日ぶつかったんだから成果だろ?」
「最低限です!」
「厳しいな……」
「でも、昨日よりは良くなってるよ」
ミラが笑う。
「俺も?」
「リオンも」
「よかった」
そこで、横を見る。
「一、二、三」
フィーネがレティシアに合わせて動いている。
止まらない。
向きを変えても、普通についていく。
「……あれ?」
ガイルも気づいたらしい。
「リオン」
「何?」
「フィーネ、うまくないか?」
「うん」
今日初めて練習したはずなのに、俺たちより動きが滑らかだ。
「フィーネ」
「はい?」
「今日からだよね?」
「はい」
「なんでそんなにできるの?」
フィーネが少し首を傾げた。
「教えていただいた順番を覚えただけですけど」
「それができないんだよ」
「そうなんですか?」
悪気がないのが余計につらい。
ガイルが真剣な顔になる。
「俺たちは三日目だぞ」
「そうですね」
「なのに負けてる」
「勝ち負けではないと思いますけど……」
「いや、負けだ」
「ガイル、自分だけにしてよ」
「リオンもだろ!」
「巻き込まないで」
レティシアが笑う。
「フィーネは足順を覚えるのが早いんです。一度教えると、ほとんど間違えません」
「なるほど」
総合科目、応用、専門コースで満点を取るだけはある。
体を動かすこと自体は得意じゃなくても、決められた順番を覚えるのは俺たちよりずっと早いらしい。
「実技八十一点だったのに」
ガイルがぼそっと言う。
「ガイルさん」
「何だ?」
「それとこれとは別です」
ナディアに叱られた。
結局、そのあとも練習を続けた。
俺もガイルも少しずつ良くなっている。
でも、今日始めたフィーネにあっさり追い抜かれたのは、ちょっと悔しかった。
◇
夜。
男子寮へ戻ると、寮監に呼び止められた。
「リオン様。ハル家から使いの方がいらしていましたよ」
「父上ですか?」
「ガルド様が無事に王都へ到着されたそうです」
「今日着いたんですね」
「ええ。こちらを預かっています」
短い書状を受け取り、部屋へ戻る。
「父上からだ」
「ピー?」
ピコが机の上へ飛び乗った。
封を切る。
『リオンへ。
予定通り王都へ到着した。
明日は王宮へ登城する。
詳しいことは戻ってから話そう。
卒業式を楽しみにしている。
父より』
「明日か」
「ピー?」
「父上が王宮へ行く日だよ」
そして、その翌日が俺の卒業式。
さらにその次の日には、今度は俺が王宮へ呼ばれている。
エドガーとセレナは、その理由を知っていた。
でも、二人とも俺には言えないと言った。
アデライン先生が今日話していたことを思い出す。
学院で答えを教えてもらえる時間は終わる。
これからは、自分で考えて、自分で判断することが増えていく。
もしかすると、それは卒業してから始まるんじゃなくて、もう始まっているのかもしれない。
卒業式まで、あと二日。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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