第535話 最後の実験準備
新連載スタート!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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それから数日後。
今日も朝から冷たい風が吹いていた。
学院から工房へ向かう道でも、吐く息は白く、コートの隙間から入り込む風がやけに冷たい。
「寒いな……」
思わず首をすくめながら、いつもの工房へ入る。
中もまだ冷えていた。職人たちは厚手の上着を着たまま作業している。
「前より、だいぶ大きくなりましたね」
「ええ。これでうまくいけばいいんですが」
ルッツが目の前の装置を見る。
前回よりも配管を長くし、途中で二方向へ分け、その先にそれぞれ放熱部分を置いている。
分岐したあとに水の流れが偏らないよう、流れの強い側には穴の開いた金属板も入れた。
小さな装置ではうまくいった。
でも、規模を大きくしても同じように動くとは限らない。
「始めましょう」
「はい」
ルッツが熱源へ火を入れる。
水が温められ、少しずつ管の中を進んでいく。
まず右側。
しばらく遅れて左側。
それぞれの放熱部分へ手を近づける。
「右の方がまだ熱いですね」
「そうですね」
「金属板を変えます?」
「いや、前より配管が長いですから、もう少し待ってみましょう」
「分かりました」
そのまま様子を見る。
十分。
さらに十分。
少しずつ左側の温度も上がってきた。
「近づいてきましたね」
「はい」
さらに時間が過ぎる。
俺は記録を書きながら、何度か左右の放熱部分を確認した。
その時。
「……あれ?」
手を止める。
「どうしました?」
「ルッツさん、ここ……暖かくなってません?」
「ここ?」
ルッツが周囲を見回す。
火を使っているのは作業場の端だ。
普段なら、その近くにいれば暖かいけど、少し離れれば冬の工房はすぐに寒くなる。
今いる場所は、熱源からかなり離れている。
それなのに、最初に工房へ入った時ほど寒さを感じない。
近くで作業していた職人が上着の襟元を緩めた。
「今日は妙に暖かいな」
別の職人も顔を上げる。
「さっきまで寒かったよな?」
「ああ」
ルッツと顔を見合わせる。
「これ……」
「効いてますね」
放熱部分へ手を近づける。
そこから周囲へ、じわじわと熱が広がっている。
右側だけじゃない。
左側も同じだ。
《綻びの目》
装置を見る。
【右側:循環安定】
【左側:循環安定】
【末端温度差:小】
「……やった」
思わず声が出た。
ルッツも笑った。
「やりましたね」
「はい」
最初は温めた水を管の中で循環させることすらできなかった。
水が止まった。
空気が溜まった。
接合部から漏れた。
配管を長くすれば温度が下がった。
二方向へ分ければ流れが偏った。
そのたびに直してきた。
そして今、離れた二か所へ温水を送り、実際に周囲を暖めている。
「これなら、本当に部屋を暖められるかもしれませんね」
「俺もそう思います」
ただし、ここは工房だ。
同じ作業場の中で温水を回しているだけ。
本当にやりたいのは、一つの場所で作った熱を、壁を隔てた別の部屋まで届けることだ。
「ルッツさん」
「はい?」
「期末試験で、もう一段大きな実験をしてみたいです」
「王立学院の研究コースの試験でですか?」
「はい。期末試験三日目に研究成果を発表することになってるので」
学院の研究室を思い浮かべる。
隣の教室には暖炉がある。
あれを熱源にできれば。
「隣の教室の暖炉で水を温めて、壁の向こうにある研究室まで送ってみようと思います」
「壁を越えて?」
「はい」
「面白そうですね」
「その代わり、お願いがあります」
「何でしょう?」
「試験の日、学院まで来てもらえませんか?」
「私が?」
「暖炉の火の管理をお願いしたいんです。
それと、何かあった時の設備の安全確認も」
ルッツが頷く。
「学院が許可してくれるなら構いませんよ」
「明日、先生に相談してみます」
◇
翌日。
研究コースの授業が終わったあと、クラリッサ先生のところへ向かった。
「先生、少しいいですか?」
「はい。どうしました、リオン君」
「期末試験三日目の研究発表について相談があります」
「何でしょう?」
用意してきた紙を机へ広げる。
二つの部屋。
間にある壁。
片方には暖炉。
もう片方には放熱部分。
その二つを配管でつないである。
「工房で装置を大きくして試しました」
「もう試したのですか?」
「はい。二方向へ分けても温水は安定して流れました。
それに、時間が経つと工房の作業場そのものが暖かくなったんです」
クラリッサ先生の表情が変わる。
「実際に空間を暖められたのですね」
「はい。なので試験では、本当に別の部屋を暖められるか試したいです」
図を指さす。
「研究室の隣の教室に暖炉がありますよね?」
「ありますね」
「そこで水を温めて、研究室まで配管を通したいです。
壁に往きと戻りの管を通す穴を開ける必要がありますけど」
クラリッサ先生が図を見る。
「なるほど。研究室側では火を使わないのですね」
「はい。隣の部屋で作った熱だけで、研究室を暖められるか試したいんです」
しばらく図を確認したあと、クラリッサ先生が頷いた。
「面白いと思います」
「本当ですか?」
「ただし、学院の建物に穴を開けることを私だけで許可することはできません」
「ですよね」
「穴の大きさと位置、それから実験終了後にどう戻すのかをまとめてください。
学院側への確認はこちらで行います」
「ありがとうございます」
「ほかにもありますか?」
「もう一つだけ」
「何でしょう?」
「試験当日、ルッツさんにも学院へ来てもらいたいです」
「工房の職人の方ですね?」
「はい。隣の教室で暖炉の火を管理してもらいたいんです。
設備に異常があった場合の安全確認もお願いしたくて」
「外部の方が試験に立ち会うことになりますね」
「駄目ですか?」
クラリッサ先生が少し考える。
「リオン君の代わりに研究内容を説明したり、実験の判断をしたりしないのであれば問題ないでしょう」
「本当ですか?」
「ルッツさんには火と設備の安全管理に徹してもらいます。
実験をどう進めるのか、結果をどう判断するのか、それをどう説明するのかは、すべてリオン君が行ってください」
「はい。それで大丈夫です」
「では、そちらも学院側へ伝えておきます」
「ありがとうございます」
これで許可が下りれば、本番の準備に入れる。
工房の小さな装置ではない。
本当に壁を一枚越えて、別の部屋を暖める。
試験なのに、少し楽しみになってきた。
◇
教室を出て廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「リオン」
振り返る。
「エドガー?」
「少しいいかな?」
「うん」
いつもの柔らかい表情だけど、今日は少し雰囲気が違う。
エドガーと一緒に、人通りの少ない廊下の端まで移動した。
「どうしたの?」
「君には先に伝えておいた方がいいと思って」
「何を?」
エドガーが一度周囲を確認する。
「グレイヴ伯爵の処分が決まった」
「……決まったんだ」
「うん」
司法院でずっと審理が続いていた。
グレイヴ領で何が行われていたのか。それをどこまで伯爵が把握し、関わっていたのか。
長い時間をかけて調べられていた。
「どうなったの?」
「爵位剥奪。それから、領地も没収される」
「……そうか」
重い処分だ。
「いずれ正式に広まるし、王都でも大きな噂になると思う。その前に君には伝えておこうと思って」
「ありがとう」
まったく予想していなかったわけじゃない。
グレイヴ領で見たことを考えれば、何の処分も受けないとは思っていなかった。
「やったことを考えれば、仕方ないのかな」
「司法院も長く審理した上で出した結論だからね」
「うん」
爵位を失う。
領地も失う。
これまでのグレイヴ伯爵家は、もう存在できない。
そこで、一人の顔が浮かんだ。
ガレス。
「……ガレスは、どうなるんだろう」
思わず口に出ていた。
エドガーもすぐには答えなかった。
「気になるか?」
「うん。グレイヴ伯爵の処分は仕方ないと思う。
でも、ガレスはこれからどうするのかなって」
「今のところ、僕から言えるのは伯爵の処分が決まったというところまでかな」
「そっか」
「これからいろいろ動くことになると思う」
「うん」
今ここで考えても答えは出ない。
それでも少し気になった。
◇
そこから数日は、あっという間だった。
授業が終われば試験勉強をして、空いた時間には研究発表の資料をまとめる。
放課後はルッツと本番用の配管や放熱部分を確認した。
クラリッサ先生からは、学院側の許可も下りたと聞いた。
研究室と隣の教室を隔てる壁には、試験当日に配管を通すための穴を開けていい。
もちろん試験終了後には元に戻す。
ルッツの立ち会いも許可された。
これで、研究コースの試験に向けた準備もほとんど終わった。
そして気づけば、期末試験の前日になっていた。
夜、自分の部屋で机に向かう。
教科書とノート。
試験範囲をまとめた紙。
その横には、三日目に使う研究発表の資料も置いてある。
明日から三日間。
王立学院で受ける最後の期末試験だ。
大会は終わった。
研究も、ここまで進んだ。
グレイヴ伯爵の件も大きく動いた。
最近はいろいろありすぎたけど、明日からやることは単純だ。
今まで勉強してきたことを、ちゃんと出せばいい。
教科書を開き、今日最後に間違えたところをもう一度確認する。
明日から、最後の期末試験が始まる。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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