第523話 力の受け方
翌朝。
「ちょっと待って!ここまでにしよう!」
木剣を止める。
ガイルの木剣も、俺の頭の少し上で止まった。
「今のは惜しかったな!」
「どっちが?」
「どっちもだ!」
昨日から、戦い方を少し変えている。
縮地。身体強化。風。水。火。
一つの技をどう使うかではなく、その場で使えるものを組み合わせる。
昨日よりは慣れてきた。ただ、ガイルも慣れてくる。
「さっきの横に動くやつ、もう分かってきたぞ!」
「早いな」
「三回やったからな!」
やっぱり、同じことを続ければ対応される。次はどうするか。
「朝から元気だな」
「え?」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、訓練場の入口にベルンハルト先生が立っていた。
「先生」
「おはようございます!」
ガイルの声が朝から大きい。
ベルンハルト先生が俺たちの木剣を見る。
「大会に向けた訓練か?」
「はい。一日おきにやることにしました」
「毎日やって授業中に寝るよりは賢明だな」
先生の視線がガイルへ向いた。
「俺は寝ません!」
「そうか」
「はい!」
ベルンハルト先生はそれ以上何も言わなかった。
絶対に信用してないな。
「少し時間はあるか?」
「あります」
「俺もあります!」
ガイルがすぐに答える。
ベルンハルト先生が訓練場の壁に置かれていた木剣を一本取った。
「なら、ベイルン。来い」
「俺ですか?」
「大会には学院の外からも参加者が来る。いつも同じ相手とだけ訓練していても仕方ないだろう」
ガイルの顔が一気に明るくなる。
「お願いします!」
二人が距離を取る。
俺は端へ下がった。
ベルンハルト先生とガイル。
三年Sクラスの頃にも先生の戦いは何度も見ている。ただ、今のガイルはあの頃とはかなり違う。
「始めるぞ」
「はい!」
ガイルが木剣を構えた。
次の瞬間、地面を蹴る。
「おおおっ!」
速い。
大きく振り上げられた木剣が、ベルンハルト先生へ振り下ろされる。
先生は避けない。
木剣を上げた。
ガンッ!
「……っ!」
ベルンハルト先生の身体が沈み、足元の土がわずかに崩れる。
「まだです!」
ガイルが続けて振る。
二撃目。
ベルンハルト先生が受ける。
また大きな音がして、今度は一歩下がった。
押してる。
ガイルが、ベルンハルト先生を。
「おおっ!」
ガイル自身も分かったらしい。
さらに前へ出る。
三撃目。
その瞬間、ベルンハルト先生の構えが変わった。
木剣を正面ではなく、斜めに構える。
ガイルの一撃が来る。
ガンッ!
さっきまでとは音が違った。
「うおっ?」
ガイルの木剣が横へ流れた。
止めたんじゃない。
力の向きを変えたんだ。
ガイルはそのまま体勢を立て直し、横から木剣を振る。
ベルンハルト先生が半歩前へ出た。
近い。
ガイルの木剣が一番力を出せる場所より内側だ。
ベルンハルト先生の木剣がガイルの木剣へ触れ、また軌道がずれた。
「くそっ!」
ガイルが下がる。
ベルンハルト先生は追わない。
「来い」
「はい!」
今度はガイルも慎重になった。
それでも攻める。
縦。横。斜め。
一撃一撃が重い。
ベルンハルト先生は時々、正面から受ける。
受けられるんだ。
ガイルの力を。
俺だったら、まともに何度も受ければ腕が持たない。
でもベルンハルト先生には、必要なら受け止められるだけの力がある。
その上で、受ける必要がない時は流す。
横へ逃がす。
内側へ入る。
ガイルの力が一番乗る場所から外れる。
「なるほど……」
強い攻撃に対して、強い力だけで返しているわけじゃない。
もちろん先生には、ガイルの攻撃と正面からぶつかれるだけの力もある。
そこが俺とは違う。
俺には、その力はない。
でも、力を受ける場所を変える。向きを変える。
相手が力を出し切る前に内側へ入る。
それなら俺にも使えるかもしれない。
「うおっ!」
ガイルの木剣がまた流された。
ベルンハルト先生の木剣が、そのままガイルの肩へ向かう。
ガイルが無理やり身体をひねってかわした。
「まだまだ!」
そのまま振り返りながら木剣を振る。
ベルンハルト先生が初めて大きく下がった。
先生の顔が変わる。
さっきまでとは違う。
ガイルを見る目が鋭くなった。
「ベイルン」
「はい!」
「ここからは本気で行くぞ」
「はい!」
嬉しそうだな。
そこからは早かった。
ガイルが攻め、先生が流す。
先生が入り、ガイルが強引に戻す。
どちらかが一方的に押しているわけじゃない。
力ならガイル。
技術と経験ならベルンハルト先生。
ガイルの木剣が地面を叩く。
その瞬間、先生が内側へ入った。
木剣がガイルの胸元へ伸びる。
「っ!」
ガイルが身体を反らして避けた。
でも体勢が崩れる。
ベルンハルト先生の足が動き、次の瞬間にはガイルの横を抜けていた。
木剣が背中に軽く触れる。
「そこまでだ」
「……負けた!」
ガイルが振り返る。
悔しそうなのに、楽しそうでもある。
「もう一回お願いします!」
「授業がある」
「一回だけ!」
「ない」
「そんな!」
ベルンハルト先生が息を吐いた。
少し呼吸が乱れている。
先生でも、あそこまで本気になるのか。
「ハル」
「はい?」
「お前もやるか?」
「いいんですか?」
「そのために見ていた顔だろう」
ばれてた。
俺は木剣を握り、先生の正面へ立った。
「お願いします」
「ああ」
距離を取る。
正面から力で押すのは無理だ。それは昔から分かっている。
さっきの先生の戦い方も、そのまま真似できるわけじゃない。
先生はガイルの攻撃を真正面から受けるという選択肢を持っていた。
俺にはない。
だったら、俺が持っている選択肢を使う。
「来い」
「はい」
踏み込む。
まずは普通に木剣を振る。
ベルンハルト先生が受ける。
すぐ下がる。
先生が追う。
そこで縮地。
横。
「っ!」
先生が身体を向ける。
風。
木剣の軌道へ横から当てる。
少しだけずれた。
そこへ踏み込む。
先生が受ける。
すぐ離れる。
「……試合の時より動きが多いな」
「ちょっと変えました」
「そうか」
先生が来る。
速い。
受けない。
縮地で下がると見せて、普通に横へ飛ぶ。
先生の木剣が、俺が下がるはずだった場所を通った。
やっぱり、相手も予測している。
だったら、予測しなければならないものを増やす。
水。
地面の一部だけを濡らす。
先生はすぐ気づき、そこを踏まない。
次は小さな炎を先生の左側へ飛ばした。
視線がわずかに動く。
さらに風で炎を横へ流す。
「なるほど」
先生が木剣を上げる。
その瞬間、縮地。
今度は前。
「!」
先生の表情が変わった。
入れた。
木剣を振る。
先生が受ける。
でも、いつもより反応が遅い。
もう一歩。
身体強化。
木剣を返す。
「くっ!」
ベルンハルト先生が木剣を強く振った。
俺の木剣が弾かれ、腕が開く。
まずい。
先生が踏み込む。
喉元で木剣が止まった。
「……負けました」
「ああ」
ベルンハルト先生が木剣を下ろす。
俺も息を吐いた。
届かなかった。
でも、先生を見る。
さっきまでとは少し違う。
呼吸も乱れている。
「先生」
「何だ」
「今、ちょっと焦りました?」
「……」
答えない。
「焦りましたよね?」
「ハル」
「はい」
「授業へ行け」
「やっぱり焦ったんだ!」
ガイルが横から入ってくる。
「先生も焦るんですね!」
「ベイルン」
「はい!」
「お前は授業中に寝るなよ」
「寝ません!」
先生が木剣を戻す。
その背中を見ながら、さっきの戦いを思い返す。
ガイルの力を受け流すベルンハルト先生。
そして、色々な手を重ねた俺に一瞬だけ対応が遅れた先生。
強さには、一つの形しかないわけじゃない。
◇
「ガイル・ベイルン君」
「……」
午前中の授業。
アデライン先生の声が教室に響く。
「ガイル・ベイルン君」
「……」
ガイルは目を開けたまま、眠っていた。
クラウスが隣から肘で突く。
「ガイル」
「ん?」
顔を上げる。
「ガイル・ベイルン君」
「はい!」
教室に笑いが起きた。
アデライン先生は笑っていない。
「先ほどから呼んでいました」
「すみません!」
「今朝、何をしていましたか?」
「ベルンハルト先生と本気で戦いました!」
「そうですか」
アデライン先生が俺を見る。
何でこっちを見るんだ。
「リオン・ハル君」
「はい」
「あなたもですか?」
「……少しだけ」
「そうですか」
一拍置く。
「二人とも、大会へ向けて訓練することは構いません」
「はい」
「はい!」
「ですが、授業中に寝るほど疲れるまでやらないように」
「はい」
「はい!」
「特にガイル君」
「はい!」
「返事だけはいつも立派ですね」
また教室に笑いが起きた。
俺も笑う。
ガイルが小声で言う。
「起きてたんだけどな」
「寝てたよ」
「目だけはなんとか開けてたんだが――」
「それを寝てたって言うんじゃない?」
ガイルが少し考える。
「そうかもしれん」
認めるんだ。
授業が再開する。
黒板へ文字を書きながら、アデライン先生が話している。
俺もノートを取る。
朝は訓練。昼間は授業。放課後は研究。その後は試験勉強。
最近、一日がやけに短い。
◇
放課後。
ベルン金工房へ着くと、ルッツさんが作業台に小さな部品をいくつも並べていた。
「今日は随分ありますね」
「試してみたいものが増えまして」
前回、接合部への負担はかなり減った。
管に緩やかな逃げを作り、熱で伸びた分をそこで吸収する。
それでも接合部には、まだわずかな負荷が残っていた。
「材質を変えるんですか?」
「ええ」
ルッツさんが三つの小さな輪を指す。
「こっちは今までと同じ材質。こちらは銅を多く使ったもの。最後は少し配合を変えたものです」
「違いは?」
「主に硬さですね」
ルッツさんが銅色の輪を持ち上げる。
「これは少し柔らかいです」
「柔らかくて大丈夫なんですか?」
「全部をこれにするなら不安です。でも、接合部の間に挟むだけなら」
なるほど。
管そのものを柔らかくするわけじゃない。
「少し潰れて、隙間に合わせて形が変わる?」
「そうです。それに、管が伸び縮みした時も少しくらいなら受けてくれるんじゃないかと」
朝のことを思い出した。
ベルンハルト先生は、ガイルの力を完全に止めるのではなく流していた。
「止めるんじゃなくて、受けるんですね」
「そうですね」
ルッツさんが頷く。
まずは今までと同じ部品で試す。
水を入れて火をつける。
温度が上がる。
《循環状態:安定》
《接合部:負荷軽微》
前回と同じ。
いったん冷ます。
次は、柔らかい金属の輪を接合部へ挟む。
締めてから、もう一度水を入れて火をつけた。
「どうです?」
確認する素振りを見せて《綻びの目》を使う。
《循環状態:安定》
《接合部:負荷微小》
《漏水:なし》
「あ」
「変わりました?」
「少しですけど、また減ってます」
「本当ですか!」
ルッツさんが接合部を見る。
「じゃあ、こっちの方がいい」
「一回だけじゃ分かりません」
「そうですね」
熱する。
冷ます。
もう一度熱する。
また冷ます。
何度か繰り返しても表示は変わらない。
《接合部:負荷微小》
《漏水:なし》
「いいですね」
「ええ」
ルッツさんが記録を書く。
「次は?」
「距離を伸ばしたいです」
「管を?」
「はい」
今の試作品は短い。
これでうまくいっても、実際の建物では使えない。
一つの部屋から廊下を通り、別の部屋まで。そのくらい離れても温水が回る必要がある。
「前に作った管、残ってます?」
「ありますよ」
「つないでみましょう」
作業台だけでは足りないので、管を床へ伸ばす。
一本。
二本。
さらにもう一本。
「結構長くなりましたね」
「これで回れば、かなり実物に近くなります」
接合部が増えた。
当然、漏れる可能性のある場所も増える。
水を入れ、火をつける。
しばらく待つ。
最初の管が温かくなる。
次の管。
さらにその先。
離れた場所に置いた放熱部分へ手を近づけた。
「……暖かい」
ルッツさんも触る。
「来てますね」
《綻びの目》。
《循環状態:安定》
《接合部:異常なし》
《末端温度:上昇》
思わず笑った。
「いけそうです」
「本当ですか?」
「はい」
まだ完成じゃない。
もっと長くしたらどうなるのか。
何時間使い続けられるのか。
寒い日でも同じように動くのか。
複数の部屋へ分けても水が回るのか。
試すことはいくらでもある。
それでも、小さな試作品の中だけで動いていたものが、少しずつ本物の建物で使える形へ近づいている。
「次は二つに分けてみます?」
ルッツさんが言う。
「二部屋?」
「ええ」
「やりたいです」
すぐ答えた。
でも、時計を見る。
「……今日はやめます」
「そう言うと思ってました」
「本当ですか?」
「最近、時間を見るようになったので」
「前は?」
「見ても帰りませんでしたね」
「……」
否定できない。
「次回にしましょう」
「はい」
片づける。
試したいことが残っている。だからこそ、明日また来ればいい。
◇
その後の数日も、あっという間だった。
朝は大会へ向けた訓練。午前と午後は授業。放課後は工房へ行き、その後はミラと試験勉強。
そして、試験二週間前に入った。
自習室を使える時間も延び、夕食後にも勉強できるようになった。
以前ミラと話した通り、俺たちは夕食を終えると、もう一度自習室へ向かった。
「リオン、次」
「ちょっと待って」
「待たない」
「厳しくない?」
「試験は待ってくれないよ」
「それはそうだけど」
向かいに座るミラが教科書を見る。
「ドラン帝国南部で多く作られている作物の種類と生産量は?」
「えっと……」
普段なら考えれば思い出せるけど、疲れてるからなのか頭が働かない。
「ピー」
机の端にいるピコまで俺を見る。
「今考えてるから」
「ピー」
「分かってるって」
ミラが笑う。
「ピコの方が先に答えそう」
「それは困る」
何とか答える。
「正解」
「よし」
「じゃあ次」
「もう?」
「まだ始めて三十分くらいだよ」
「結構やった気がするんだけど」
「気のせい」
すぐに次の問題が来る。
政治。
歴史。
領地経営。
授業でやった内容を一つずつ確認していく。
一人で教科書を読むより、問題を出してもらった方が自分の曖昧なところが分かりやすい。
「じゃあ、これは?」
ミラが問題を読む。
聞いたことはある。
でも、答えがすぐに出てこない。
「……ちょっと待って」
「さっきも言った」
「考える時間は必要でしょ」
「あと十秒」
「短くない?」
「十、九、八――」
「本当に数えるの?」
「七、六」
「分かった、分かった!」
答える。
ミラが少し考えてから首を横に振った。
「惜しい」
「違う?」
「そこじゃなくて、その次」
「ああ……」
教科書を見る。
確かに書いてある。
「これ、前も間違えたよね」
「そうだっけ?」
「三日前」
「よく覚えてるね」
「リオンが覚えてなさすぎるんじゃない?」
「それは困るな」
「困るから勉強してるんでしょ」
「そうでした」
ミラが笑う。
こうやって一緒に勉強する時間も、少しずつ増えている。
夕食前の一時間。
それに、試験二週間前に入ってからは夕食後も。
だからといって、ずっと続けるわけじゃない。
時間は決めている。
今日も一時間半。
時計を見ると、そろそろその時間だった。
「あと一問」
俺が言う。
「終わり」
「まだ一時間半ぴったりじゃないよ」
「あと少しでしょ」
「一問くらいできる」
「それをやると、もう一問って言うから駄目」
「言わないよ」
ミラがじっと見る。
「……たぶん」
「ほら」
教科書を閉じられた。
「今日は終わり」
「分かった」
俺もノートを閉じる。
以前なら、あと少しだけと思って続けていたかもしれない。
研究でも。
勉強でも。
訓練でも。
やれるなら、やれるところまでやった方がいいと思っていた。
でも最近は、少し違う。
明日もある。
今日できなかったことを、全部今日のうちに終わらせる必要はない。
「疲れた?」
ミラが聞く。
「ちょっと」
「朝も訓練してたもんね」
「今日は軽めだよ」
「リオンの軽めは信用できない」
「何で?」
「前科があるから」
「そんな言い方する?」
「ピー」
「ピコまで同意しないでよ」
ミラが笑いながら立ち上がる。
俺も教科書を鞄へ入れた。
自習室を出る。
廊下には、まだ何人か生徒が歩いていた。
試験二週間前。
卒業前最後の期末試験。
みんな少しずつ、その空気になってきている。
「リオン」
「何?」
「大会も、もうすぐだね」
「うん」
「緊張してる?」
少し考える。
「今のところは、あんまり」
「意外」
「まだやることが多すぎて、そこまで考える暇がないのかも」
「それはそれで問題じゃない?」
「そうかもしれない」
二人で歩く。
朝は戦い方を考える。
授業では卒業へ向けた勉強をする。
工房では暖房の形が少しずつ見えてくる。
夕方から夜はミラと試験勉強。
気づけば、一週間の予定がほとんど埋まっていた。
忙しい。
かなり忙しい。
でも、前みたいに全部を同時に抱えている感じはしない。
やる時間を決める。
終わる時間も決める。
できなかったことは次に回す。
朝、ベルンハルト先生はガイルの力を全部止めようとはしなかった。
工房でも同じだった。
熱で生まれる力を無理に押さえ込まず、逃がして、残った分だけを受ける。
全部を真正面から受け止める必要はない。
それは、力だけの話じゃないのかもしれない。
王都武闘大会までの日は、確実に減っている。
卒業までの日も同じだ。
時間そのものは止められない。
だったら、その中でどう動くかを考えればいい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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