第517話 炎の中の一瞬
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《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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「……さて、どうする?」
俺が答えを出せないでいると、セレナが小さく息を吐いた。
「まだ考えるの?」
「考える時間くらいほしいんだけど」
「十分あげたわ」
「そう?」
「そうよ」
セレナが右手を上げる。
その周囲には、いくつもの小さな炎が浮かんでいた。
また来る。
そう思って木剣を構える。
でも、炎は俺へ飛んでこなかった。
セレナの右手が、ゆっくり横へ動く。
浮かんでいた炎が左右へ散った。
「何を――」
次の瞬間。
ゴオオオオッ――!
地面から炎が一斉に立ち上がった。
「なっ……!」
右。
左。
後ろ。
さらにセレナの背後。
赤い炎は一本の線となって走り、やがて両端がつながった。
巨大な円。
俺たち三人を囲むように、炎の壁が立ち上がっている。
見上げた。
俺の背丈など簡単に越えている。
炎の先端は冬の空へ伸び、風に揺れるたび、赤と橙の光が幾重にも重なった。
青かった空まで、火の向こうでは淡く霞んで見える。
さっきまで見えていた観覧席が消えた。
すべて炎の向こうだ。
歓声さえ遠くなる。
まるで試合場の真ん中だけが、世界から切り離されたみたいだった。
「ヴァレスト!」
ベルンハルト先生の声が響く。
「制御できているな?」
「もちろんです!」
「これ以上、外へ広げるな!」
「分かっています!」
セレナは即答した。
これほどの炎を維持しているのに、呼吸一つ乱れていない。
「これなら」
セレナが俺を見る。
「もう逃げ続けることはできないでしょう?」
「……ここまでやる?」
「あなたが逃げるからよ」
「俺のせい?」
「そうよ」
炎の壁が大きく揺れる。
火の光がセレナの横顔を照らし、茶金色の髪を黄金に近い色へ染めていた。
これは逃げ道を減らすどころじゃない。
とうとう逃げる場所そのものが消された。
「……」
周囲を見る。
どこを見ても炎。
観覧席はまったく見えない。
向こう側からも、こちらは見えないはずだ。
今、この中にいるのはセレナ、俺、そして審判のベルンハルト先生だけだ。
……これなら。
腰の小袋へ手を伸ばした。
セレナの目が俺の手元へ向く。
小さな石を一つ取り出した。
何の変哲もない石。
でも。
俺にとっては違う。
「セレナ」
「何?」
「あの時の魔法」
セレナの表情が変わった。
「今、使うよ」
「……あの時?」
一瞬だけ考え。
セレナの目が見開かれる。
「まさか――」
その前に。
石を投げた。
真っすぐセレナへ。
速くはない。
普通に投げただけだ。
「何を――!」
セレナが左手の木剣を振る。
カンッ!
小石が弾かれた。
赤い炎を背景に、小さな影が高く舞い上がる。
俺は動かない。
「……?」
今の石は。
囮だ!
間を置かず、二個目を投げた。
「また!?」
今度はセレナも木剣を振らなかった。
さっきとは違う、何かある。
そう判断したんだろう。
半歩だけ身体をずらす。
小石が、セレナの肩のすぐ横を抜けていった。
茶金色の髪が、その風にわずかに揺れる。
そこを俺の魔力が通り過ぎていく。
今だ!
炎の燃える音が遠のいた。
次の瞬間。
景色が切り替わる。
さっきまで正面にいたセレナの背中が目の前にあった。
「――!?」
セレナの肩が跳ねる。
俺の足は、彼女の背後の地面を踏んでいた。
投げた小石だけが、その先へ転がっていく。
セレナが振り返ろうとする。
もう遅い。
木剣を持ち上げ首筋へ。
触れる寸前で止める。
「……!」
セレナが固まった。
炎の音だけが、俺たちを囲んでいる。
ベルンハルト先生も、目を見開いていた。
石を投げた俺が。
次の瞬間にはセレナの後ろに立っていた。
先生にも、それくらいにしか見えなかったはずだ。
ほんの一拍。
驚きで時間が止まったように見えた。
しかし、ベルンハルト先生はすぐに審判の顔へ戻った。
「――そこまで!」
鋭い声が炎の中に響く。
俺はすぐ木剣を下ろした。
セレナはまだ動かない。
ゆっくり首だけをこちらへ向ける。
「……今の」
「うん」
「転移よね?」
「そう」
セレナが俺を見る。
「……あの時の?」
「うん」
一年生の頃。
初めて転移に成功した時。
セレナは、その場にいた。
あの時とは随分違う使い方になったけど。
「でも……」
セレナが目を細める。
「前と全然違うじゃない」
「使い方を少し変えたんだ」
「少し?」
セレナの眉が上がった。
「これを『少し』って言うの?」
「詳しいことはあとで」
「……そうね」
セレナも周囲を見る。
炎の向こうには、まだ大勢の生徒がいる。
それだけで意味を理解したらしい。
「あとで全部聞くわ」
「全部は困るな」
「聞くわ」
「……はい」
セレナが自分の首元を見る。
もう木剣はない。
それでも、そこにあった剣先を確かめるみたいに、少しだけ目を伏せた。
「……届いてたわね」
「うん」
短い沈黙。
悔しくないはずはない。
俺だったら悔しい。
あれだけ有利に戦って。
最後の一瞬だけでひっくり返されたんだから。
でも、セレナは言い訳をしなかった。
一度だけ目を閉じる。
それから、ゆっくり開いた。
「そう」
声は静かだった。
「私の負けね」
右手が下がる。
それと同時に。
俺たちを囲んでいた炎の壁が揺れた。
高くそびえていた赤い壁が、崩れるのではなく。
まるで夕暮れの色が少しずつ薄れていくように。
静かに赤から橙へ。
橙から淡い金色へ。
炎が色を失っていく。
最後に残った小さな光が、一つ、二つ。
冬の空へ浮かび、冷たい空気の中へ溶けるように消えた。
炎に隠されていた景色が戻ってくる。
観覧席。
先生たち。
学院の建物。
青い冬空。
そして、音も戻ってきた。
「……え?」
誰かの声が聞こえた。
「何があった?」
「もう終わったのか?」
観覧席がざわめく。
当然だ。
みんなから見えていたのは炎の壁が立ったところまで。
そして今、炎が消えた時には俺がセレナのすぐ後ろに立っている。
何が起きたのか分かるはずがない。
ベルンハルト先生が一歩前へ出た。
熱に揺れていた空気が静まり始める。
舞い上がっていた砂埃が、ゆっくり地面へ戻っていく。
冬の風が、炎の消えた試合場を横切った。
その中でベルンハルト先生が俺とセレナを順番に見る。
そして、大きく息を吸った。
「準決勝第一試合――」
観覧席が静まった。
一瞬前までのざわめきが嘘みたいに。
何百人もの視線が、試合場へ集まる。
「勝者――」
ほんの一拍。
その一拍が妙に長く感じた。
「リオン・ハル!」
先生の声が、冬の空気を真っすぐ貫いた。
俺は勝った。
一瞬の静寂。
そのあと。
「リオン!」
ミラの声が飛んでくる。
「ピー!」
ピコの鳴き声。
拍手が広がった。
俺の名前を呼ぶ声も聞こえる。
その中に。
「セレナ様……!」
ものすごく落ち込んだ男子生徒の声も混ざっていた。
……いや。
勝ったの、俺なんだけど。
「ふふっ」
隣でセレナが笑った。
「人気だね」
「あなたもちゃんと祝ってもらってるでしょう?」
「そうだけど」
悔しそうな顔は残っている。
ただ、もういつものセレナに戻り始めていた。
◇
試合場を降りると、観覧席から下りてきたミラたちが待っていた。
「リオン!」
「ミラ」
「おめでとう!」
「ありがとう」
ミラの腕の中からピコが身を乗り出す。
「ピー!」
「ピコもありがとう」
「いや、それより」
ヴィクトルが俺を見る。
「何やったんだ?」
「何って?」
「炎が消えたら、お前がセレナの後ろにいた」
「そうですね」
ナディアも不思議そうにしている。
「中で何が起きていたのか、こちらからはまったく見えませんでした」
「僕にも分からなかったよ」
エドガーが言う。
珍しく、本当に分からなそうな顔をしている。
「炎が消えた時には、もう勝負が決まっていたからね」
「そういうこと」
「いや、そういうことで済ませるなよ」
ヴィクトルが突っ込んできた。
「秘密」
「気になるな~」
ヴィクトルが眉を寄せる。
「私も気になるわ」
隣からセレナが言った。
「セレナまで?」
「当たり前でしょう」
俺を見る。
「いつの間に、あんな使い方を覚えたの?」
「だから、それはあとで」
「忘れないからね」
「分かってるよ」
セレナはまだ納得していない顔をしている。
でも、その口元は少し笑っていた。
「それにしても」
エドガーが俺とセレナを見る。
「二人とも、すごい試合だったよ」
「本当に」
ミラが何度も頷く。
「途中から、セレナの炎で全然見えなくなっちゃったけど」
「そこが一番大事なところだったのに」
「私のせい?」
「うん。セレナのせい」
「文句があるならリオンに言うことね」
やっぱりセレナだ。
「でも」
少しだけ間を置く。
「今日はあなたの勝ちよ」
「うん」
「おめでとう」
「ありがとう」
それだけだった。
でも、それで十分だった。
俺はもう一度、試合場を見る。
炎の痕跡はほとんど消えている。
次の準決勝に向けて、先生たちが試合場を確認していた。
これで王都武闘大会へ出場する学院代表の一人は俺に決まった。
残る枠は、あと一つ。
その向こうで巨大な木剣を肩に担いだガイルと。
静かに木剣を握るクラウスがそれぞれ試合場へ向かっていた。
次はガイル対クラウスだ。
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