第516話 炎神
新連載スタート!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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小さな赤い光が、一瞬で俺の視界いっぱいに広がった。
「っ!」
考えるより先に身体が動く。
横へ跳んだ直後、さっきまで俺が立っていた場所を炎が飲み込んだ。
ゴオッ――!
赤。
橙。
その奥には、白に近い光まで混じっている。
ひとつの炎の塊が飛んできたわけじゃない。
幾重もの炎が地面を這うように広がり、冬の冷たい空気を押し退けていく。
離れているのに、頬が熱い。
観覧席から上がっていた歓声が、一瞬だけ途切れた。
最前列の生徒たちが、反射的に身体を後ろへ引いている。
試合場の外周に立っていた教師たちも、何人かが前へ出た。
……そりゃそうか。
中にいる俺がこれだけ熱いんだから。
「いきなりそれ?」
「最初から全開で行くって言ったでしょう?」
「本当に最初からなんだ」
「当然よ」
炎の向こうからセレナの声が届く。
まだ姿は見えない。
揺らめく赤だけが視界を埋めていた。
「ハル!」
ベルンハルト先生の声が飛んでくる。
「はい!」
「続行できるか?」
「大丈夫です!」
一拍。
「焼ける前に逃げるんだぞ!」
「はい!」
審判としての確認。
それだけだった。
でもベルンハルト先生が途中で声をかけてくるくらいには、今の炎は危険に見えたらしい。
やがて炎が左右へ割れていく。
その向こうに、セレナが立っていた。
茶金色の髪が火の光を受け、金色に近い色へ染まっている。
右手は俺へ向けたまま。
左手には木剣。
その表情には、まだ余裕があった。
「次、行くわよ」
「ちょっと待って――」
「待たないわ」
セレナの右手がわずかに動く。
今度は正面じゃない。
地面すれすれを、二つの炎が左右から走ってきた。
その間を抜ける。
そう判断して前へ踏み出した瞬間、目の前の地面まで赤く染まった。
「うわっ!」
慌てて後ろへ下がる。
直後。
炎が壁のように立ち上がった。
俺の背丈を超える高さまで伸び、そのまま横へ広がっていく。
「すご……」
観覧席のどこかから、誰かの声が漏れた。
さっきまで「セレナ様!」と叫んでいた生徒たちも、今はほとんど声を上げていない。
左へ逃げれば炎が走り、右へ切り返せばその先にも火が立つ。
前へ出ようとすれば、今度は正面そのものを焼かれた。
「……これ」
ただ攻撃されているんじゃない。
逃げる場所を、一つずつ消されている。
セレナ自身は、ほとんど動いていない。
試合場の中央近くに立ったまま。
右手を動かすたびに、炎の方が俺を追い詰めてくる。
赤い光が冬の試合場を走るたび、冷たい空気が消えていった。
火力だけじゃない。
俺がどこへ動くかまで見ている。
試合場そのものを使って、俺の行き先を狭めているんだ。
「本気すぎない?」
「本気で来てほしいんでしょう?」
「そうだけど」
「なら問題ないわね」
「ないけど、やりすぎだよ」
「リオンにはこれくらい必要でしょ!」
また炎。
地面を蹴って避ける。
次。
さらに次。
セレナの火は大きいだけじゃない。
速い。
しかも、俺がどこへ動くかを見て撃っている。
右へ逃げれば、その先を塞ぐ。
左へ切り返せば、そこへ火を置く。
ただ魔法を連発しているわけじゃない。
俺を動かしている。
「……厄介だな」
「聞こえてるわよ」
セレナが少しだけ目を細めた。
「なら、次はもっと避けにくくするわ」
「いや、そんなにいらないって」
右手が上がる。
三つ。
小さな火の玉が浮かんだ。
さっきよりずっと小さい。
でも、嫌な感じがする。
一つ目が真っすぐ飛んでくる。
横へ避ける。
二つ目は、その先。
身体を捻る。
三つ目は、さらにその次の場所へ。
「っ!」
木剣で受けるわけにはいかない。
身体を沈める。
炎が頭上を通り過ぎ、熱で髪が大きく揺れた。
セレナは、その間もほとんど動いていない。
遠い。
たった十数メートル。
なのに。
今の俺には、その距離がとんでもなく遠く感じられた。
近づけない。
なら。
炎と炎の間にある、ほんのわずかな隙を狙う。
セレナの右手を見る。
一発。
次。
さらに次。
その間に、ごく短い空白がある。
そこだ!
地面を蹴る。
《縮地》。
景色が一気に後ろへ流れた。
「――っ!?」
初めて、セレナの目が大きく開く。
一気に距離が消える。
目の前。
入った!
そのまま木剣を振る。
狙うのは肩。
だが。
ガンッ!
「なっ!」
止められた。
セレナの左手にあった木剣が、俺の一撃をぎりぎりで受け止めていた。
観覧席から大きなどよめきが上がる。
さっきまで炎に圧倒されて静かだった分、今度は声が一気に戻ってきた。
「……危なかったわ」
セレナが小さく息を吐く。
本当にぎりぎりだった。
読まれていたわけじゃない。
見えてから反応した。
「剣もちゃんとやってたんだ」
「失礼ね」
セレナの目が細くなる。
「誰と何年同じ学院にいると思ってるの?」
セレナは右手も添え、両手で木剣を押し返してくる。
近い。
ここまで入れば、大きな炎は使いにくい。
そう思った瞬間。
セレナが右手を木剣から離した。
その掌に、小さく凝縮された赤い光が灯る。
拳より少し小さい。
大きくない。
でも。
近すぎる!
「まずっ!」
「遅いわよ」
赤い光が膨らむ。
俺は反射的に横へ跳んだ。
直後。
短く、鋭い炎が弾けた。
広がりは小さい。
その代わり、近距離でも狙って撃てる。
熱が背中を撫でる。
そのまま距離を取った。
さらに炎が追ってくる。
一発。
二発。
三発。
気づけば、また最初と同じ位置関係になっていた。
俺は試合場の端。
セレナは中央。
その間には、揺れる熱気。
「……戻されちゃったか」
「そう簡単に近づかせると思った?」
「今のはかなり近かったよ」
「ええ」
セレナは素直に頷く。
「驚いたわ」
「じゃあ次は――」
「でも!」
右手に炎が灯る。
「同じことをもう一度させるほど、甘くないわよ!」
「……だよね」
さっきの《縮地》。
セレナは知らなかったから入れた。
でも、二度目は警戒される。
前。
右。
左。
後ろ。
どの方向へ出ても、その先を炎で埋められれば終わる。
次の火が来る。
右へ避け、そのまま大きく距離を取った。
セレナは追ってこない。
炎だけを飛ばしてくる。
俺は避ける。
また飛んでくる。
それも避ける。
無理に攻めない。
しばらく、それを繰り返した。
「……」
セレナがこちらを見る。
また炎。
俺は大きく横へ逃げた。
これでいい。
これだけ魔法を使っているんだ。
しかも、かなりの威力がある。
いくらセレナでも、魔力が無限にあるわけじゃない。
だったら無理に近づく必要はない。
俺は攻撃を避け続ける。
撃たせて消耗させる。
相手の得意な距離で、わざわざ勝負を続ける必要はない。
攻めて勝てないなら。
待てばいい!
もう一発。
炎をかわす。
さらに一発。
距離を取る。
観覧席からは、もう歓声よりどよめきの方が多くなっていた。
セレナが炎を放つたびに、その光が生徒たちの顔を赤く照らす。
試合場の外周では、教師たちがさっきより前に出ている。
いつでも止められるようにしているんだろう。
でもベルンハルト先生はまだ止めない。
俺にも続行できる余裕がある。
セレナも炎を制御できている。
危険だけど暴走はしていない。
そこがまた厄介だった。
その時。
「リオン」
「何?」
セレナが右手に炎を浮かべたまま、こちらを見ていた。
「あなた」
「うん?」
「私の魔力がなくなるのを待ってるでしょう?」
「……」
まあ、セレナなら分かるか。
黙った俺を見て、セレナが小さく笑う。
さっきまでの強気な笑みとは少し違う。
答え合わせが終わったみたいな顔だ。
「やっぱり」
「……そう見える?」
「ええ」
セレナが右手を軽く振る。
炎が消えた。
一瞬。
試合場に冬の空気が戻ってくる。
そう思った。
でも次の瞬間には、また新しい炎が指先に灯っていた。
呼吸は乱れていない。
さっきからこれだけ魔法を使っているのに。
疲労らしいものが、ほとんど見えない。
「言っておくけど」
「何?」
「時間稼ぎは無駄よ」
あっさり言った。
「……随分自信あるね」
「あるわ」
「そんなに持つの?」
「少なくとも、あなたが逃げ回っている間に尽きるほど少なくはないわよ」
「それは困るな」
「なら、別の方法を考えなさい」
炎が増える。
一つ。
二つ。
三つ。
セレナの周囲に、小さな赤い光が次々と浮かんでいく。
冬の淡い日差しの中、そこだけ別の季節みたいだった。
茶金色の髪が炎を映して揺れている。
「セレナ様、美しい…」
観客の方からそんな声が聞こえてくる。
しかし、向き合っている俺からしたら、どうしようもなく厄介だった。
頬を一筋の汗が流れた。
真冬なのに。
炎の熱のせい?
たぶん、それだけじゃない。
「さあ」
セレナが左手の木剣を少し持ち上げる。
「次はどうするの?」
俺は答えなかった。
木剣を握り直す。
距離を詰めても剣で止められる。
離れれば炎が飛んでくる。
待っても、魔力切れは期待できない。
腰には、小石がある。
でも。
使うか?
いや、こんなたくさんの人がいる場所で使うのはまずいか?
「リオン」
またセレナに呼ばれた。
「何?」
炎の向こうで、セレナが少しだけ目を細めている。
「あなた、まだ全部は見せていないでしょう?」
「……」
何も答えなかった。
セレナの口元が、わずかに上がる。
「このまま逃げ続けて終わるつもり?」
「ずいぶん言うね」
「だって」
セレナは炎を一つ、指先で小さく揺らした。
「あなたがそれで終わるとは思ってないもの」
「……買いかぶりじゃない?」
「そうだったら、がっかりね」
さらりと言う。
余裕だ。
完全に。
セレナの周囲では、炎が静かに揺れている。
呼吸も乱れていない。
こちらが何をするのか、むしろ待っている感じだ。
俺は頬を伝う汗を、袖で拭った。
腰の小袋へ、一瞬だけ視線を落とす。
中には、自分の魔力を残した小石がある。
俺はもう一度、正面を見る。
セレナと目が合った。
炎が、二人の間で静かに揺れている。
……さて。
どうする?
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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