第510話 距離を消す
新連載スタート!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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お手すきの際に是非!
正式に婚約した翌朝。
学院へ行く前に父上と母上が滞在している宿の部屋を訪ねると、すでに帰り支度が始まっていた。
窓際にはいくつかの荷物がまとめられ、使用人たちが最後の確認をしている。
ハル領へ戻るのは昼前らしい。
「おはようございます」
「おはよう、リオン」
「ピー!」
肩の上のピコも元気よく鳴く。
「昨日はよく眠れましたか?」
母上に聞かれて、一瞬だけ答えに詰まった。
「……昨日までよりは、ちゃんと寝ました」
「昨日までより、ですか」
母上の眉が少し上がる。
「もう無理はしません」
「本当ですか?」
「はい」
まだ何か言いたそうだったけれど、母上はそれ以上追及しなかった。
代わりに、少し嬉しそうに微笑む。
「それにしても、昨日の指輪は素敵でしたね」
「ありがとうございます」
「婚約したことを形に残すために指輪を贈るなんて、私は初めて聞きました」
「そうですね。でもミラが喜んでくれるんじゃないかと思って作りました」
「ええ。ミラさんは本当に嬉しそうでした」
「喜んでもらえてよかったです」
「ただ……」
母上の表情が少し変わる。
「あれだけのダイヤモンドでしょう。かなり高かったのではありませんか?」
「……まあ、それなりには」
「それなり、ではないでしょう」
さすが母上だ。
あの石が安くないことくらいは分かるらしい。
「どうやって、あれだけのお金を用意したのですか?」
「自分で稼いだお金ですよ」
「あなたが?」
「はい。冒険者の依頼で得た報酬とか、これまで自分で稼いだ分です。自分で自由に使えるお金は、ほとんど残していたので」
前世から、稼ぐことは好きだった。
でも使う方にはあまり興味がない。
この世界でもそれは変わらなかった。
「家のお金ではなく?」
「もちろんです」
領地の金を婚約指輪に使うなんて論外だ。
父上からもらった金でもない。
自分で稼いだ金だからこそ、ミラのために使いたかった。
母上はしばらく俺を見ていた。
「……何ですか?」
「いえ」
ゆっくり目を細める。
「いつの間にか、本当に立派になりましたね」
「え?」
「自分で働いて、自分で得たお金で、大切な人に贈り物をするようになったのですから」
「そんな大げさな」
「大げさではありませんよ」
母上はそう言って笑った。
その顔を見ていると、こっちまで少し恥ずかしくなる。
「リオン」
今度は父上が呼んだ。
「はい」
「卒業まで、もう少しだな」
「はい。あと一か月ほどです」
「そうか」
父上は一度頷いてから、俺を見る。
「王都武闘大会には出るのか?」
「はい。そのつもりです」
「学院代表になれるかは、まだ分かりませんけど」
「それでいい」
「え?」
「結果のことではない」
父上はいつもの落ち着いた声で続けた。
「出ると決めたのは、お前だろう」
「はい」
「なら、自分で決めたことだ。精一杯やってみればいい」
一度言葉を切る。
「ただし、無茶はするな。卒業まであと少しだからな」
「はい」
「研究もあるのだろう?」
「あります」
「なら、そちらも忘れるなよ」
「もちろんです」
父上らしい。
大会に出ると聞いても、勝てとは言わない。
研究をやめろとも言わない。
自分で決めたなら、自分でやれ。
昔からそうだった。
「父上たちが出発するまで、俺もいます」
そう言うと、父上が首を横に振った。
「必要ない」
「でも――」
「護衛もいる。使用人もいる。お前が見送ったところで何か変わるわけではない」
「それはそうですけど」
「学院へ行きなさい」
母上もそう言った。
「あなたには、あなたのすることがあるでしょう?」
父上が頷く。
「自分のするべきことをしろ」
「……分かりました」
少しだけ寂しい。
でも、ここでいつまでも残っている方が二人は喜ばないんだろう。
「では、行ってきます」
「ああ」
父上が頷く。
「行ってこい」
「身体には気をつけるのですよ」
「はい。母上も」
「ピー!」
ピコも二人へ向かって鳴いた。
母上が笑う。
「ピコも、リオンをお願いしますね」
「ピー!」
「なんか俺より頼りにされてません?」
「そんなことはありませんよ」
本当かな。
父上と母上にもう一度頭を下げて、部屋を出た。
見送りは必要ないと言われた。
なら、俺は俺のやるべきことをやろう。
◇
学院へ着いたあとの昼休み。
いつものメンバーで食事をしていると、セレナがミラへ顔を向けた。
「そういえば、昨日だったわよね?」
「うん」
「どうだったの?」
ミラが俺をちらりと見る。
その顔が少し嬉しそうになった。
「正式に婚約したよ」
「おめでとうございます!」
最初に言ったのはナディアだった。
「ありがとう、ナディア」
ミラは笑顔で答える。
「改めて、おめでとう」
エドガーも続く。
ガイルとクラウスからも祝いの言葉をもらった。
「やっとだな」
ヴィクトルだけは相変わらずだ。
「その言い方やめてくれない?」
「だって、そうだろ?」
「まあ……そうだけど」
否定できない。
ミラが小さく笑っていた。
「それとね」
少しだけ迷ってから、ミラが続ける。
「リオンから、婚約の証に指輪をもらったの」
「指輪?」
セレナが首を傾げる。
「うん。今日は持ってきてないけど」
「婚約の証に、指輪を贈るのですか?」
ナディアが興味深そうに聞く。
「この国では、そういう習慣はなかったと思いますが」
「ないよ」
ミラはそう答えてから、俺を見る。
「リオンが用意してくれたの」
「しかも、リオンが自分で作ってくれたんだよ」
「ご自分で?」
ナディアの目が大きくなる。
「はい。銀の指輪に、ダイヤモンドをつけてもらって」
「まあ……」
ナディアが柔らかく微笑んだ。
「素敵ですね」
「うん」
ミラが答える。
たった一言だったけれど、かなり嬉しそうだった。
「へえ……」
ヴィクトルが俺を見る。
「何?」
「お前がそんなことを思いつくなんて、すごいな」
「何が言いたいんだよ」
「褒めてるんだよ」
本当だろうか。
ヴィクトルは少し考え込む。
「婚約の証に指輪か」
「うん」
「だったら、婚約指輪ってところか?」
「婚約指輪……」
「分かりやすいだろ?」
「まあ、そうだね」
「これ、流行りそうだな」
「流行る?」
「貴族の令嬢が聞いたら、自分も欲しいって言い出すんじゃないか?」
「そんなに?」
「俺は言うと思うけどな」
ヴィクトルがそう答えた時だった。
セレナが自分の左手を見る。
それから、隣に座っているエドガーへ視線を向けた。
何も言わずに、左手を少し持ち上げる。
「……」
エドガーがその手を見る。
一瞬だけ考えたあと、何か分かったように笑った。
「わかったよ」
「何が?」
「いや。覚えておくよ」
「……そう」
セレナが少しだけ満足そうに前を向いた。
何の話だ?
ナディアを見ると、口元に手を当てて笑っている。
ミラまで笑っていた。
俺だけ分かってないのか?
◇
午後。
教室へ入ってきたアデライン先生が、授業を始める前に一枚の紙を机へ置いた。
「王都武闘大会の学院代表選考について、日程が決まりました」
教室の空気が変わる。
ガイルの身体が目に見えて前へ出た。
「代表選考は十日後です」
十日後。
思っていたより近い。
「参加を希望する者は、三日後までに届け出を提出してください。すでに説明した通り、王立学院の代表枠は二名です」
アデライン先生が教室を見回す。
「希望者が二名を超えた場合は、学院内で選考を行います」
まず間違いなく二人は超えるだろう。
少なくともガイルは出る。
クラウスも参加するつもりだと言っていた。
セレナも。
「王都武闘大会の本戦は、代表選考のおよそ二週間後です。代表となった者には、そこから本戦へ向けた調整期間が与えられます」
つまり。
まず十日後の代表選考。
そこを突破すれば、その約二週間後に本戦。
思っていた以上に時間がない。
「質問はありますか?」
アデライン先生がそう言った瞬間、ガイルの手が勢いよく上がった。
「はい!」
「ガイル・ベイルン君」
「選考は一対一ですか?」
「その予定です」
「分かりました!」
嬉しそうだな。
アデライン先生が小さく息を吐く。
「まだ質問に答えただけです。そんなに大きな声を出さなくても聞こえます」
「すみません!」
全然声が小さくなっていない。
◇
授業がすべて終わったあと。
荷物をまとめていると、ガイルが俺のところへ来た。
「リオン」
「何?」
「明日から、朝一緒に訓練しよう」
「朝?」
「ああ。朝食前に鍛錬場で」
「どうして朝?」
「お前、放課後は工房に行くんだろ?」
「ああ」
覚えていたのか。
「だったら朝しかない」
「ガイルはいいの?」
「俺もお前とやった方がいい」
「俺と?」
「お前、この前の剣術の授業で変な動きしてただろ」
「変な動きって」
「急に消えたみたいになるやつだ」
《縮地》のことだ。
「速い相手と選考前にやっておきたい」
なるほど。
俺に付き合うためじゃない。
ガイルにも俺と訓練する理由がある。
「分かった。明日からやろう」
「よし!」
「でも朝早すぎるのは無理だからね」
「日の出前でいいか?」
「早すぎるよ」
「そうか?」
こいつ、本気で言ってるのか。
結局、朝食の少し前から始めることになった。
その後、研究コースで研究を進め、そのあと工房で試作をした。
まだ時間がかかりそうだ。
◇
翌朝。
学院の鍛錬場。
冷たい朝の空気の中を、ガイルが真正面から突っ込んでくる。
「行くぞ、リオン!」
「来い!」
速い。
あの巨体で、何でそんな速度が出るんだ。
身体強化。
浮遊。
風。
三つを重ねる。
ガイルの踏み込みに合わせて、一気に地面を蹴った。
視界が流れる。
五メートル。
ほとんど一瞬で横へ抜ける。
「っ!」
ガイルが振り返り、俺の剣を受け止める。
「それだ!」
「朝から楽しそうだね!」
「楽しいに決まってるだろ!」
まあ、ガイルならそうか。
もう一度。
今度は真正面から。
《縮地》。
間合いを一気に潰す。
ガイルの懐へ――。
「そこだ!」
「え?」
太い腕が目の前を横切った。
慌てて身体を反らす。
風圧が頬を撫でた。
「危なっ」
「今のは読めたぞ!」
ガイルが笑う。
「二回見たからな!」
「二回で?」
「真っすぐ来るだろ、それ!」
「……」
痛いところを突かれた。
《縮地》は速い。
でも基本的には直線移動。
それを知っている相手なら、出てくる場所を予測できる。
ノルとの訓練でも分かっていたことだ。
ただ、実際にガイルほどの相手に読まれると、弱点がはっきりする。
「もう一回!」
「望むところだ!」
朝食までの短い時間。
何度も《縮地》を使った。
最初は驚いていたガイルも、回数を重ねるほど対応が早くなる。
最後には完全に待ち構えられ、俺の方が先に止まった。
「……やっぱり強いな」
「何か言ったか?」
「何でもない」
「明日もやるぞ!」
「うん」
選考まで九日。
これはかなりいい訓練になりそうだ。
◇
授業を終えると、ピコを連れてベルン金工房へ向かった。
「こんにちは」
「ピー!」
「おう」
オスカーが奥から短く返す。
作業台では、すでにルッツが昨日までの試作品を確認していた。
「ルッツさん、どうですか?」
「リオン様。ちょうど見ていたところです」
隣へ行く。
試作品は、最初の頃とはかなり形が変わっている。
火を使って水を温める部分。
温まった水を送る管。
冷えた水を戻す管。
そして、一番高い位置には、水や空気を逃がすための小さな容器を取り付けていた。
以前のように、完全に閉じ込めない。
これなら、温め続けたことで内部の圧力が危険なほど上がるのを防げるはずだ。
「火、入れますか?」
「はい。ただ、最初は弱めでお願いします」
「分かりました」
ルッツさんが火を入れる。
しばらく待つ。
温められた水が上の管へ入っていく。
反対側まで流れ、下の管から戻ってくる。
「流れてますね」
「はい。前よりはかなり良くなりました」
問題だった接合部を見る。
水漏れはない。
上の容器も問題ない。
前回のように危険な圧力がかかっている様子もなかった。
「ここまではよさそうですね」
「ですね」
ルッツさんが頷く。
でも、少し離れた場所にある管へ手を近づける。
「……ここは他に比べるとぬるいな」
「ですよね」
ルッツさんも同じ場所を確認した。
「水は来てます。でも、思ったほど温かくないです」
これじゃ駄目だ。
管が少し温かくなっただけで、人がいる部屋を暖められるとは思えない。
《綻びの目》。
試作品を見る。
《循環速度:不足》
《曲部:流動阻害》
《熱損失:大》
やっぱり。
流れてはいる。
でも、まだ足りない。
「どうです?」
「流れが遅いみたいです。それと、この曲がっているところでかなり邪魔されてます」
「ここですか」
ルッツさんが管の曲部を見る。
「管をもう少し太くしてみます?」
「それは試してみたいです」
図面を広げる。
「できれば曲がる回数も減らしたいですね」
「そうなると、この位置を変えた方がいいかもしれません」
「なるほど」
ルッツさんが指した場所を見る。
確かに、その配置なら曲部を一つ減らせる。
「それで一度作ってみてもらえますか?」
「分かりました。ただ、今日中は難しいですね」
「大丈夫です。明日でお願いします」
「分かりました」
「ありがとうございます」
安全にはなってきた。
今度は、ちゃんと暖められるか。
一つ問題を潰すと、次の問題が見える。
でも、それでいい。
少なくとも最初の頃みたいに、何が悪いのかも分からない状態じゃない。
「今日はここまでにしましょうか」
「そうですね」
「ありがとうございました、ルッツさん」
「いえ。また明日」
「はい。お願いします」
◇
寮へ戻った頃には、外はもう暗くなっていた。
夕食を済ませ、部屋へ戻るとピコはベッドへ飛び乗った。
「ピー」
ピコがベッドの上で丸くなっている。
「眠い?」
「ピー……」
「俺も」
でも、まだ寝る気にはならなかった。
机へ座る。
暖房の図面を広げようとして、ふと朝の訓練を思い出した。
ガイル。
やっぱり強かった。
《縮地》を初めて見た時は驚いていた。
でも、たった数回で動きを読まれ始めた。
直線しか動けない。
距離も五、六メートル程度。
一気に詰められるのは強い。
ただ、それだけだ。
「……」
ガイルにすら、何度か見せれば対応される。
なら、イレーナならどうだ?
彼女が未来を見ることができるはず。
俺が《縮地》を使うこと自体を先に知られたら。
移動先まで予測されたら。
どれだけ速くても、そこへ攻撃を置かれるだけじゃないか?
「速いだけじゃ駄目か……」
もっと速くする?
十メートル。
二十メートル。
それとも、方向を途中で変える?
考える。
でも、どれもしっくりこない。
そもそも未来が見える相手に、速さだけを競って意味があるのか。
「……距離」
思わず声が出た。
机の上へ指を置く。
自分の位置。
少し離れたところに、もう一本指を置く。
相手の位置。
その間には距離がある。
《縮地》は、その距離をものすごい速さで進んでいるだけだ。
なら。
もっと速く進むんじゃない。
そもそも――。
「距離そのものを、消せないか?」
自分で言ってから、手が止まった。
そんなことができる魔法を、俺は知っている。
転移魔法。
自分の魔力を残した場所を、転移先として使う。
人や物と重ならないよう、安全な場所を選ぶ必要もある。
それに――。
「ピコ……」
「ピー?」
ベッドの上のピコを見る。
以前、ピコの中に残った俺の魔力を感じたことがある。
ピコが動けば、その魔力も一緒に動いていた。
つまり、転移先になる魔力そのものが動くことはある。
でも、あの時は動いているものを転移先に使うのは危険だと判断して試さなかった。
位置がずれたらどうなるのか分からない。
人や物と重なる可能性だってある。
戦っている相手なら、なおさらだ。
「相手を転移先にするのは無理だな……」
それに、イレーナへ魔力をつけられるとも限らない。
だったら、相手そのものを転移先にするんじゃない。
一瞬だけ、自分が行きたい場所に魔力を残す?
いや、そんな余裕が戦闘中にあるのか。
「……そもそも」
転移印が必要なのはなぜだ。
転移魔法そのものを戦闘に使いたいわけじゃない。
俺が欲しいのは、一瞬で別の場所へ移ること。
距離を飛び越える部分だけだ。
《縮地》は、速く移動する。
転移は、移動する途中そのものがない。
「その部分だけ、使えないか……?」
もちろん、そんな都合のいいことができるかは分からない。
俺は魔法の専門家じゃない。
《綻びの目》だって、答えを教えてくれるわけじゃない。
でも、以前よりは転移について知っている。
何も知らないところから考えるわけじゃない。
ガイルとの訓練。
王都武闘大会。
その先にいる、イレーナ。
《縮地》だけで届かないなら、その次を考えるしかない。
「距離を、消す……か」
「ピー?」
「いや。まだ思いついただけ」
「ピー」
「そうだね。まずは明日の朝練だ」
窓の外は暗い。
王都武闘大会の学院代表選考まで、あと九日。
俺は机の上の紙を一枚引き寄せた。
そして一番上に、大きく二文字を書いた。
『転移』
できるかどうかは、まだ分からない。
だからこそ。
まずは、考えるところから始めよう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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